第7話:呪われし血を継ぐ者──ダスト・ヴァレンシア
化獣との戦闘を終えた直後、俺はすぐさまアレシアの元へと駆け戻っていた。
「母さん! 大丈夫か!?」
焼け落ちた獣の臭いが鼻に残っている。その焦げ臭さの向こう、アレシアの姿を確認した瞬間──安堵と不安が同時に胸を打った。
「……ダストちゃん。え、ええ。なんとかね。……どうやら外してくれたみたいね」
外した……?
確かにあのとき、化け物の爪は彼女を直撃したように見えた。俺の目の錯覚だったのか……? それとも──
「にしても何もなくて良かった、母さん」
「…………そう、ね」
……なんだその顔。
ほっとするどころか、まるで何かを隠すような……いや、隠されてる?
「どうしたんだよ?」
「いえ……とにかく家へ帰りましょう」
なんだそれ。こんな時ぐらい、戦った俺をちょっとぐらい褒めてもいいんじゃないか?
化け物を倒して、家族を守った。それなのに──どうして、そんな悲しそうな顔をするんだよ。
アレシアは傷ついた胸元を無言で押さえ、ふらりと家の中へと消えていった。
「……なんで心配してくれないんだよ、母さん……」
まるで、何かに怯えるような……拒絶するような眼差しだった。
俺は、それを追いかけることができなかった。
──数日後。
いつものように、ゴミ拾いの“日課”をこなし家に帰って来た。
あの夜、化け物を焼き殺して以来、テトラとは一度も会えていない。
「……テトラ……どこいっちまったんだ」
たった数日。それだけの時間なのに、胸が苦しくてたまらなかった。
会いたくて仕方がない。あの笑顔を、もう一度見たかった。
──俺が、何か……したのか?
思い返しても、あの夜テトラは笑っていた。
俺は何もしていない。
していないはずなのに……なぜか、胸の奥がざわついて仕方なかった。
そんな折だった。
俺たちの家に、見知らぬ訪問者がやってきた。
「はーい」
扉を開けたアレシアの声は、いつもと変わらないように聞こえた──だが。
「失礼します。こちら、アレシア・ヴァレンシア様のお宅で間違い無いでしょうか」
低く、硬質な男の声。
その瞬間、アレシアの動きがぴたりと止まった。
「…………いいえ、違います」
「……そうですか。なら仕方ありません──」
男は胸元に手を伸ばし、何かを取り出そうとする。
その動き。……直感が叫んでいた。危険だと。
「動くなっ!」
思わず右手を男に向けていた。
体が先に反応した。俺の中の全神経が、そいつを“敵”と認識していた。
「……なんの真似だ少年」
「お前こそなんの真似だ。今、何を取り出そうとしていた」
声は震えていなかった。むしろ、静かだった。あの化獣と比べれば、人間なんて怖くない。
「……少年。君がその手を私に向け、何をしようとしているのかは知らないが、君は何か勘違いしているようだ」
「勘違いだと?」
胸元に向けた右手が、汗ばんでいるのが分かる。だが、下ろすつもりはなかった。
「だからその右手を下ろしてくれないかね? 私はただ、こちらに用があってきただけだ。揉め事を起こそうという意図はない」
「……信じられるかそんなこと。なら、今取り出そうとしていたものをゆっくりと見せろ」
「……いいだろう」
男は、胸ポケットから手帳のようなものを取り出した。
黒い革張りの、どこか重々しい──それは身分証か、あるいは……。
「これで分かっただろう少年。私は揉め事を起こしに来たのではない」
「じゃあ何しに来たんだよ」
沈黙のあと、男は名を名乗った。
「私は『ヴァレシア王国』からやってきた、イデア・レディアスと申します。君は……彼女の子供か。……なるほど。血は受け継がれたということか」
帽子の奥に隠れた視線が、じりじりと俺の内面を覗いてくるようだった。
──“血”ってなんだよ。
「ここへ何しに来た? 俺の母さんに用なのか?」
「……ああそうだ。……そのつもりだった」
──だった?
今の言い方、どういう意味だ……?
「ここへ来る道中、Sランクに相当する魔獣の死骸を見つけた。そいつの名は、『グラズ=モール』。特徴的なのは、目が3つある事、知恵と残虐性を持つ事。そして、特に厄介なのは──」
……あ。
──あいつだ……!
あの獣が“Sランク”……?
よく分からないが、そんなに大層な存在だったのか? だったら、なんで俺なんかに──
「……どうした少年。何か心当たりでも?」
「えっと──」
「イデア。やめて」
二人の会話を遮ったのはアレシアだった。
「どうしたんだ、母さん? こいつを知ってるのか?」
だが、アレシアは何も答えない。
「……この子は何もしていないの。私に用があるんでしょう? なら行くわ」
……え?
何を言ってる?
どこへ行くって──どういう意味だよ?
「……いえ、その必要はありません」
「どうしてっ!? 私に用があったのでしょうっ!?」
そのときのアレシアの声は、どこか必死で、どこか悲痛だった。
「私の目をごまかせるとでもお思いですか、アレシア様。……『グラズ=モール』を倒したのは、あなたではない事くらい、私にはわかります。……少年、君がやったんだろう」
「違うっ! 違うのイデア!」
なんでそこまで否定するんだ、母さん……
俺は命を懸けた。必死に戦った。
それなのに、なんで──なんで俺を認めてくれないんだよ……。
……だったら、俺から言ってやる。
「……そうだ。俺がやった」
「……そうか。なら一緒に来てもらおう」
「断る」
「いいや、君に選択肢は無い」
は? こいつ……何様のつもりだよ。
なんだこいつ。人の家にズカズカと上がり込んで、勝手に連れていこうとして──
ていうか、“アレシア様”って……なんだ?
母さん、まさか昔は貴族かなんかだったのか?
だとしても、今は俺の母親であることに変わりはない。
「失せろ。母さんはまだ傷を負って──」
──パンッ。
突如、家の中に銃声が響き渡った。
「……は?」
弾丸が俺の頭上をかすめたかと思うと──
次の瞬間、アレシアの胸に真っ赤な血が咲いていた。
「お、お前……何して……何してんだああああああああああ!!」
視界が血の色に染まる。
思考が、怒りと混乱に塗り潰されていく。
許さない……こいつだけは絶対に許さない!!
「うがああああああああっ!」
腕が勝手に動いた。
釘を──殺意を──右手から放つ。
だが──
「落ち着け、少年」
「んがっ……!?」
撃ち放った釘はあっさり弾かれ、次の瞬間には背後を取られていた。
気付いたときには、首を締められ床に押さえつけられていた。
「まったく……この子はまるで、獣のようです。ねぇ、アレシア様」
くそっ……! こいつ、絶対に──!
「落ち着け少年。……彼女は死んでいない」
「……何を言って……え?」
……信じられなかった。
アレシアは、何事も無かったかのように立ち上がっていた。
白い衣服には確かに赤が滲んでいる──だが、傷はない。
イデアは俺の首から手を離した。
「ゲホッ、ゲホ……母さん……無事、なのか?」
「……ええ」
信じられなかった。
確かに撃たれた。血も流れていた。
それなのに、なんで……。
俺はアレシアに駆け寄り、身体を確かめる。
触れると、温もりがあった。
ちゃんと、生きていた。
「……これは“呪い”だ、少年。彼女の一族によるな」
「呪い……?」
アレシアは答えず、ただ黙って俯いていた。
「彼女の血を継ぐ者は皆、例外無く──”特殊な力”を有している」
(まさか……俺の廃棄収納も、それなのか……?)
イデアの声は、妙に静かで、そして決して逃れられない事実を告げる重みを持っていた。
「彼女は、ある冒険者の男と子を作った」
……この世界での、俺の父親ってことか。
「”呪われし血”を継ぐ子供は皆、“魔族討伐”の兵器として育てられてきた。そこに、例外はない」
ゾクリと背中を冷たいものが這った。
それって──つまり、
俺と同じ“血”を持つ奴が、他にもどこかで戦ってるってことなのか……?
そして、その血を継ぐのが俺で、俺は兵器として育てられるってか?
「……全く。傷つくのは自分だけでいいと。だから私はあれ程、”あの男”と会うのは辞めるように申し上げたというのに……」
イデアの声は、どこか憐れむような響きを帯びていた。
「それを彼女──君の母親は私の言葉を守らず、こんな人気の無い町まで逃げてきた」
「……それがなんだよ。俺は魔族討伐なんてしねぇぞ。俺にそんな力はない」
俺にあるのは──
ただゴミを出し入れするだけの力。役に立たない、ハズレスキルだ。
「……『グラズ=モール』」
イデアが再び、あの化獣の名を口にした。
「やつの最後の特徴を言っていなかったな、少年」
「……どうでもいい」
「まぁ聞け。『グラズ=モール』がSランクに相当されているには理由がある。
一つ、目が3つある事。
二つ、知恵と残虐性を持つ事。
三つ──“学習能力”がある事だ」
「……学習……能力?」
そういえばあいつ、最初俺を狙っていたのに、いつの間にかアレシアを追いかけるようになった。
まさか──それが“学習”ってやつか……?
「『グラズ=モール』。あれは冒険者が10人がかりでも倒せるかどうかの魔獣だ」
「……は、はぁ? 嘘つけよ! 俺は一人で倒したぞ!?」
この世界の冒険者ってそんなに弱ぇのか!? それとも……。
俺が強いのか、なんて言えるはずもなかった。
「……だから言っている。”呪われし血を継ぐ者”しか、不思議な力は持ち合わせていない。冒険者が全員、君のような力を持っているわけではない」
血を継ぐ者を除いて──と。
「君はこの世に生まれた以上、これから先ずっと“戦う使命”にあるのだ」
「……俺以外にも、その呪われた血とかいう奴らが居るんだろ!? ならそいつらに頼めよ! 俺はそんな危ねぇ事、もうしたくねぇ! 俺のスキルは……ゴミだ!」
「スキル……? フンッ……」
イデアは鼻で笑った。そして、決定的な一言を放った。
「だから言ったろう。君に、選択肢はない」
背筋が凍る。
この男は──本気だ。
「待ってっ! イデア! その子を連れて行かないで! お願い!」
アレシアの悲鳴のような声が響く。
だが、男の瞳は冷たく揺るがなかった。
「がはっ……母……さん……」
体が、沈んでいく。
視界が暗転する。
アレシアが、手を伸ばしているのが見えた。
「ダストちゃん──!」
その声が、最後に聞こえた。
──意識が、途絶えた。
* * *
「……イデア、あなた。……許さないわ」
「許して貰わなくて結構です。元々はあなたが起こした罪。……あの時、私はこうなる事を予期して止めたのですから」
「…………」
「この世界を救えるのなら──
例えあなたに恨まれようと、構いません。
……私は、あなたさえ生きていて下されば、それでいいのですから」
「…………」
「……言いたいことが無ければ私はこれで失礼します」
イデアは、気を失ったダストを抱え、夜の帳の中へと消えていった。
アレシアは──
その場に膝をつき、崩れ落ちた。
「…………ごめんね、ダストちゃん……ごめんね……ごめんね……ごめんねぇ……」