大切なこと・前半
今日もやってきぃたぜっ!華っ金!!
そんなるんるんした気持ちを、すれ違う人にバレないように抑えながら、いつもの居酒屋に向かった。
「よお!涼たん!」
「まだ酔っ払ってないだろ。なんだよそのテンション」
「なんか楽しくて」
「とりあえず生でいいか?」
「おう!」
僕は店員さんを呼んだ。
* * * * *
「はい生2つねぇ。そういえばお客さん。おつまみはいいのかい?」
「頼んでなかっすね。じゃあ、生ハムとサラミの盛り合わせで」
「あいよ」
「ああいうベテランの店員も僕の心を癒すよね」
「それは分からんでもない」
僕は生を胃に流し込んだ。全身に沁み渡るこの感じがたまらないんだよなぁ。
「実はなお前に言わなきゃならないことがあって」
突然、涼がこんなことを言った。
いつもとは違って、今日は深刻そうな顔をしていた。
「なんだ?そんな改まって」
「実は、ここで惚気話ができるのは今日が最後なんだ」
「え?」
僕はいつもとは違うブルーな気持ちで心が満たされた。もう聞けなくなってしまうという現実に、目を背けたくなった。
「流石に冗談よね?」
「冗談じゃない。今日は話ができなくなるまでの経緯を話そうと思う」
「わ、わかった」
僕はこくりと頷くと、涼は手元にある酒をぐいっと呷った。
「俺、実はさ。蕨と結婚することになったんだよ」
...え?
「け、結婚?」
「おう。結婚するんだ。ほら」
そう言って左手を見せてきた。薬指には銀色に光るリングがはまっていた。
「えっ!おめでとう!」
「ありがとう。今度結婚式あげるからきてよ」
「そりゃもちろん。にしても早くないか?まだ1ヶ月も経ってないだろ」
「まあそれは後で話すよ」
「了解した」
まさかの結婚報告に流石に驚いた。
今頭の中はまだ冷静ではないが、とにかく嬉しい感情であったのは確かだ。
「じゃあ結婚までの理由を話すぜ」
そう言ってまた酒を呷った。
「まずプロポーズだったんだが、俺はプロポーズされた側なんだ」
「逆プロポーズ!?さすが師匠だ」
「その時は俺が蕨の家に泊まりに行った時で、酒を飲んでたんだ。そん時にはもう夜も更けて、そろそろ寝ようかってなった時だ。蕨がちょっと寝る前にベランダで一服しない?って言ってきたんだ。俺も蕨もどっちも喫煙者だから、いいよって言ってベランダ出たんだ」
「どっちも喫煙者だったのか。知らなかった」
「蕨、吸うの意外だろ?」
「うん。めっちゃ以外。ごめん話遮った続きを頼む」
「おけ。それでベランダに出て、蕨の方が先にタバコに火をつけた。俺もライターを取り出して、火をつけようとしたんだが、何度押しても音だけ立てて、火はつかなかったんだ。『ごめん。火貸してくれない?」って俺が言ったら、『いいよ。タバコ咥えて顔もうちょっと前に出して』って蕨に言われたから、俺はその指示に従った。すると蕨が顔を近づけたんだ。蕨は自分のタバコについた火で、俺のタバコに火をつけた。俺はそれだけで心臓を掴まれた。俺はドキドキした心臓を悟られないように、『ありがとう』とだけ言って、吸った。そのあとはお互いずっと無言で、ベランダから見える月とか、夜景とか見てた」
「エモいですな」
「そんときにさ。あっ。ちょっと再現するわ」
「再現?」
「その時の俺と蕨の言動を演じてみる」
「お、おう。お願いします」
するとまたまた涼は酒を呷り、机に肘を置き、頬杖をついた。おそらくベランダの柵に頬杖をついているんだろう。
僕は酔いながらも、こいつも酔ったんだなぁなんていう馬鹿みたいなことを思いながら、話を聞いた。
声色を変えながら、涼は話を進めた。
以下、涼の演技である。
「涼くん。天月見て思い出したんだけどさ。夏目漱石の『月が綺麗ですね』って言葉あるじゃん」
「そうだね。有名な言葉だね」
「あの言葉ができた由来って知ってる?」
「知らない」
「じゃあ説明しよう。夏目漱石はある教え子に『I love you 』訳させた。その教え子は『我君を愛す』と訳したそう。ただ夏目漱石はそれを聞いて『日本人はそんな直接的なことは言わない。月が綺麗ですね、とでも訳しておけばいい』と指導した逸話が由来になってるらしいよ」
「へぇ」
「でも、夏目漱石がそうやって言ったなんで言う記録は残ってないから、結局は都市伝説として扱われてるみたい」
「そうなんだ。都市伝説として扱われてるのは知らなかった」
「タメになった?」
「うん」
そして涼は黙り始めた。
「えっ?終わり?」
「静かにしろ。まだ演技中だ」
まだ終わってなかったようだ。
涼はトントンと蕨が灰を落とす仕草をした。
そして涼の気分は蕨のまま、こう言った。
「今日はさ。月、綺麗じゃない?」
また涼は間を開けた。
「月はずぅっと綺麗だよ」
「そんな返しできるのね」
「舐められちゃ困るよ」
「私達さ、結婚しない?」
「プロポーズ2回目じゃない?」
「何回してもいいんじゃない?」
「確かにね」




