⑤ 福田の提案
夜七時。
今夜も始まろうとする、陸の路上ライブ。
そこへ、電動車椅子に座る美月が、姿を見せた。
「こんばんは、陸君」
陸は、美月を見て、軽く手を上げ微笑んだ。
美月は、意味ありげな笑みで陸に近づく。
「陸君、これあげる」
美月が陸に手渡した物は、二頭身の可愛い男の子の人形だった。
掌に収まるくらいのサイズ。
大きな頭と、大きな胴体、ちょこんと両手両足がついている。
よく見ると、プラスチックで作られたギターが、お腹の部分に張り付いていた。
「こ、これは……?」
陸が、美月に顔を向ける。
「実は、一ヶ月前から作ってたんだ。陸君に、そっくりでしょ?」
美月が笑うと、陸もつられて微笑んだ。
「あ、ありがとう。だだ、大事にするよ……」
ジャラーンと、ギターを鳴らし、本日の路上ライブかスタートした。
ふいに美月は、五十代くらいの男性の存在に、気付いた。
少し離れた場所で、腕組みをし、じっと陸を見つめている。
美月は、不思議に思った。
ほとんどの人は、クスクス笑いながら見ているのに、彼は目を閉じて真剣に聴いている。
時折、顎を動かして、リズムも取っているようだ。
陸の路上ライブは、歌だけで、喋る事はない。
いつも、十曲ほど歌うと終了する。
曲のリストは、オリジナル曲とカバー曲が、半分ずつだ。
時間にして、一時間弱。
やがて路上ライブが終了し、陸が機材を畳んでいると、例の男性が話しかけてきた。
「ちょっと、いいかな? 吉沢陸君」
陸と美月が、男性に顔を向けた。
「僕は音楽関係の仕事をしてる、福田という者なんだけど。ちょっと、話があるんだ」
陸は、困惑した表情を見せた。
一方、美月は警戒した目を向けた。
「あの、失礼ですけど、名刺を頂けますか?」
美月が、険しい顔をして言った。
そんな美月を見て、福田は驚き、眉を吊り上げた。
途端に笑った。
「はははっ。大丈夫だよ。詐欺とかじゃないから」
福田は財布を出して、そこから名刺を二枚、陸と美月に手渡した。
名刺を確認する美月は「えっ……」と、声を漏らした。
「福田優作……。あの古木アキナをプロデュースしていた、ピアニストの方ですか?」
「ほう、よく知ってるね。確かに数年前まで、彼女と一緒に仕事をしていたよ」
美月は、思わず顔を綻ばせた。
「私、古木アキナさんのファンなんです!」
福田は「そうなんだ」と、笑顔で答えると、陸を見た。
「そういう訳で、陸君。僕は一応、ちゃんとした音楽事務所の人間だからね」
陸は、やや背筋を伸ばし、コクンと頷いた。
「……ちょっと、二人だけで話せないかな?」
福田はそう言って、陸と美月を交互に見た。
陸は、美月に声を掛けた。
「み、み、美月ちゃん。ちょ、ちょっと待っててくれる?」
「うん……分かった」と美月。
二人は、近くにある噴水を背にした石製ベンチに座った。
福田が、コホンと一つ咳をすると、陸の震える右手に着目した。
「その震えは、いつからだね?」
「あ……ち、小さい頃から、ず、ずっとです……」
「病院には行ってる? 震えを止める薬とか、無いのかい?」
陸は、少し困ったような顔をして答えた。
「い、以前は行ってましたけど、よ、よ、良くならないから、さ、ささ、最近は行ってないです……」
「吃音症も、子供の頃からずっと?」
「は、はい」
「吃音症の人でも、歌う時は吃らない人が、多いみたいなんだけどね」
「は、はい。カ、カラオケとかは平気です。でで、でも、ギターで弾き語りすると、ど、ど、吃ってしまうんです……」
福田は二、三度、小さく頷いた。
「なるほどね。自分で全ての音、リズムを作り出すわけだからね。きっと気持ちが、構えちゃうんだろうね」
福田は、続けて話しかけた。
「ところで君は、どんな音楽を聴いてきたんだい?」
「え、えっと……い、色々です。す、すす、好きなのは昔の洋楽、あ、あとクラシックも……」
これには福田も、大いに納得した。
あの美しく壮大なメロディは、クラシックの影響があるのだろうと。
「君の動画を見たんだが、逢いたい〜って歌うバラード、あの曲名は?」
「あ、あ、あれは『君は路上の月』と言うタイトル……」
福田は、また小さく頷くと、遠くにいる美月をチラリと見た。
「根掘り葉掘り聞くようだけど、あの子は恋人?」
「は、はい」
「そうか……大変だな」
一瞬、大変だなの意味が分からなかった。
だがすぐに、美月が車椅子を使っているからだと、察した。
「今、仕事は?」と福田。
「ぶ、物流センターで、に、荷物の仕分けをしてます」
「なるほどね」
それなら多少、手が震えても、業務に支障はないだろう。
数秒間の沈黙の後、福田は「これから大事な事を言うよ」と前置きをした。
福田は、真剣な顔つきになった。
先程までの穏やかな雰囲気が、影をひそめる。
その表情を見て、陸は緊張の色を強めた。
「……陸君、君には才能がある。それも、とてつもないほどの才能が。その声だ。高くて美しくて、人の心を揺さぶる事が出来る。僕は、その声を世に広めたいんだ」
陸は、驚きのあまり、言葉を失った。
目を白黒させて、福田を見返す。
「しかし残念な事に、致命的な障がいが、君にはある。そこで、それらを取り除いて欲しいんだ。そして、歌と演奏のレッスンも受けてほしい。アメリカで」
あまりにも、衝撃的な内容だった。
陸は愕然とした。
「……詳しく言うとだね、アメリカで、最新の医療技術を受けてほしい。それで手の震えは、無くなるはずだ。吃音症も、訓練とカウンセリングで良くなるだろう。そして、プロの講師とマンツーマンで、歌唱とギターの演奏を磨いて欲しい。期間は一年間。事務所の社長や役員達と協議して、そうなったんだ。もちろん、費用はこちらが全額負担する。どうだね?」
陸は、いつの間にかポカンと、口を開けていた。
やがて、遠くにいる美月に、視線を送った。
福田も、つられて美月を見た。
陸の心情を察した福田が言った。
「一年間、あの子には会えなくなる……。もちろん、家族や友人にもね」
福田は、表情を固くし、話を続けた。
「だから、無理にとは言わない。だが、もし君が一流のアーティストになりたいというのなら……考えて欲しい。今すぐに答えを出せとは言わないよ。しっかりと考えて、決心がついたなら、名刺にある僕の携帯に、連絡してくれ。もちろん、渡米の前には、君のご両親に誠意を持って、しっかりと説明をさせてもらうつもりだ」
福田は、胸の内を全て伝え終えた。
肩の荷が降りたように、小さく吐息を吐くと、立ち上がった。
「それじゃあ、失礼するよ」
そう言って振り向いた福田の目は、あとは君の気持ち次第だ、と語っていた。
福田が歩き出すと、陸も立ち上がった。
福田は駅へと向かう途中、美月と目が合った。
軽く会釈をする福田。
美月も同じように、会釈をした。
そこへ、陸がやって来る。
「……陸君、何の話だったの?」
「な、なんか色々と……。みみ、美月ちゃん、あ、明日の路上ライブには来てくれる?」
「うん、もちろん」
「じゃ、じゃあ明日、話すよ。きょ、今日はもう帰ろう」
「うん、わかった。明日ね」
陸は、美月の車椅子を押して、駅へと向かった。
アメリカ……。
一年間……。
陸は歩きながら、福田の言葉を反芻していた。
つづく……