③ 再会……その後
陸が、小松をぶん殴った。
吹っ飛んだ小松は、自らが設置した三脚カメラへと、頭から突っ込んだ。
その衝撃で、カメラは壊れる。
さらに、倒れている小松に馬乗りになった陸は、拳を振り上げた。
「やめてっ! 陸君!」と美月。
その声で、我に返った陸が拳を止めた。
「ひっ……ひっ……ぶひっ……ぶひっ……」
小松は、情けない声を出して、狼狽した。
そして、おぼつかない足取りで、カメラとバッグを掴むと、一目散に逃げ出すのだった。
小松がいなくなると、陸は倒れた美月へと駆け寄った。
車椅子を起き上がらせ、美月を気遣う。
「だ、だ、大丈夫?」
「うん、平気」と、前髪の乱れを整える美月。
しかし、人が行き交う駅前の広場で、これだけの事が起きたのだ。
当然、通行人達の注目を浴びた。
その中の一人である中年女性は、交番へと駆け込んでいた。
中年女性の話を聞いて、交番から出てくる警察官。
陸達のいる場所から、その交番が見える。
その様子に気付いた美月。
「陸君、大変! 警察官が来る!」
「えっ……!」
「早く逃げよっ! ギターを貸してっ! ギターのケースも!」
陸は焦りながら、素早くギターと、ソフトケースを美月に預けた。
マイクやアンプなどの機材は右手に、そして左手で美月の乗る車椅子を押した。
二人は協力して、その場から急いで立ち去るのだった。
直後に、警察官がやってくる。
すでに陸達が逃げた後だった。
警察官を呼んだ中年女性も近づく。
「おかしいわね。ここで男の人達が、喧嘩してたのに……」と、周りを見回した。
ふと警察官は、何かを見つけた。
「おや?」
そこには、小松が用意したバナナの皮や、ブラジャー、オシッコ入りの水鉄砲が落ちていた。
警察官は怪訝な顔をして、それらを見下ろした。
「何だ、これ……?」
◇ ◇ ◇
陸と美月は、駅から離れた団地までやって来た。
後方を確認する美月。
「大丈夫だよ、陸君。誰も追って来てないよ」
その言葉に、陸はやっと足を止めた。
重い機材を持ち、美月の車椅子を押し続けた陸。
それは相当な疲労だった。
陸は前屈みになり、ハァハァと、荒い息を繰り返した。
「陸君、大丈夫?」
「う、うん……」
息を整え、陸が顔を上げた。
美月は、背もたれに掛けてあるバッグを開けた。
「はい、これ差し入れ」
美月は、温かい缶コーヒーを、陸へと差し出した。
「陸君に会う前に買ったの。色々あって、渡しそびれちゃった」
「あ、ありがとう」
その後、二人は団地に隣接している、広い公園へと移動した。
しんと静まり返っているが、きっと昼間は、団地の子供達で賑わっている事だろう。
ベンチに座り、缶コーヒーを飲む陸に、美月は問い掛けた。
「ねぇ、陸君。今、ネットで陸君が話題になってるの……知ってる?」
陸は、首を振った。
「し、知らない。てて、手が震えるから、ス、スマホもパソコンも、あ、ああ、あんまり触らない」
「そっか。さっきの男の人に、いつもイタズラされてるの、気付いてた?」
「……き、気付かなかった。え、え、演奏に集中してるから。で、でで、でも、おかしいとは思ってた。ポ、ポケットに入れ歯とか、生魚とか、へ、変な物が入ってたから……」
「信じられない……酷いね、あの人」
美月は、心底呆れた顔をした。
ふと美月は、陸が拳を気にしている事に気付いた。
小松を殴って、痛めたのだ。
「手、痛いの?」
「ちょ、ちょっとだけ」
心配そうに見つめる美月。
「……でもビックリしちゃった。陸君が、あんなに怒るなんて」
「み、美月ちゃんが……」
「私が? 何? あの人に突き倒されたから?」
陸は、コクリと頷いた。
「そう……。ありがとう」
美月は、意味ありげに陸を見つめた。
その直後、美月は思い出したように、プッと吹き出した。
「でも、あれだけ懲らしめたら、きっともう来ないよね、あの人。なんか、ブヒッブヒッとか、言ってたよね」
美月の笑い顔につられて、陸もクスッと笑った。
「あっ、そう言えば……」
美月が、眉を吊り上げた。
「路上ライブ、頑張ってるねって言ったら……陸君、約束だからって言ったよね? あれって……」
「みみ、美月ちゃんと、しょ、小学校の時にした約束……。ギ、ギターで路上ライブするって……。み、み、美月ちゃんがファンになるって……。お、覚えてない?」
美月は、暫く黙った。
やがて苦笑いを浮かべ、首を捻った。
「そんな事あったかな。ごめんね、忘れちゃった……」
その言葉は、陸を落胆させた。
「そ、そっか……」と、露骨に悲しそうな顔をした。
しばらく、押し黙ったままの陸。
その様子を見て、美月は、ためらいながら声をかけた。
「……陸君?」
美月の声に、陸は作り笑いを浮かべて、何でもないと首を振った。
◇ ◇ ◇
この出会いをきっかけに、美月は度々、陸の路上ライブへと足を運ぶようになった。
もともと、陸が路上ライブをしていたのには、大きな理由があった。
約束を果たすのもそうだが、いつか美月に会えるのではないか、という期待だ。
その陸の願いは、叶ったのだ。
しかも、頻繁に路上ライブに来てくれる。
陸にとっては、とても幸せな時間だった。
ちなみに、小松はと言うと、全く姿を表さなくなった。
陸に吹っ飛ばされて、恐怖を抱いているからだろう。
——季節も春から夏へと進んだ、ある日の事。
陸と美月は、古木アキナのライブへと行った。
小学生の時、美月が陸に勧めたアーティストだ。
会場は、約三千人が入るホール。
生の演奏は素晴らしく、それは圧巻の一言だった。
その後、夜十時。
陸は、美月の車椅子を押し、夜道を歩いていた。
駅から美月の家まで、無事に送り届けるためだ。
「本当、今日は楽しかった。感動しちゃったなぁ」
美月が、先ほどのライブを思い返して、嬉しそうに言った。
「う、うん、そ、そうだね」と陸。
しばらくして、美月が陸を見上げた。
「ねえ、陸君も路上ばかりじゃなく、たまにはライブハウスとかでやってみれば?」
美月の言葉に、陸は苦笑した。
「ぼぼ、僕、下手だから……。ラ、ライブハウスの人に、こ、断られるよ」
「でも、陸君の歌声って、高くて綺麗だよ。声量もあるし。一曲の中で、凄い良いなって思うところが、いくつかあるよ」
「あ、ありがとう。お、お、お世話でも嬉しいよ」
「お世辞じゃないよ!」
少し声を荒げた美月。
その時、美月は街路樹の向こうに、丸い光を見つけた。
それは、月だった。
「あっ、満月!」
美月の驚いた声に、陸は足を止めた。
すると美月は、スマートフォンを取り出した。
「なんか街路樹の向こうにあって、良い感じ。綺麗に撮れるかなぁ?」
美月のスマートフォンが、カシャッと音を出した。
「うーん、やっぱり遠いから、上手く撮れない。……そうだ、ねえ陸君、二人でツーショット撮ろうよ」
美月の提案に、陸は思わず照れた。
「くく、暗いけど、ちゃ、ちゃんと撮れるかな?」
「大丈夫だよ、自動でフラッシュになるから」
美月が、スマートフォンをかざした。
液晶画面に映る二人の姿。
その二人には、微妙な距離があった。
「陸君、遠いよ。もっと顔近づけて」
「う、うん」
二人の顔が近距離になった時、スマートフォンに向けていた視線が、お互いの顔へと移動した。
無言で見つめ合う、陸と美月。
やがて、どちらからともなく、二人は唇を重ねるのだった。
つづく……