8日目 私をハワイに連れてって
1月8日、日曜日。
その日桐屋家の平穏は崩壊していた……
「うわぁぁぁぁっ!!嫌だっ!嫌だっ!!ハワイに行くんだぁぁっ!!」
桐屋蘭子15歳。この日、地球滅亡を予知した『Agの鍵』ことJCは荒ぶっていた。
なぜなら昨日、商店街の福引きでお母さんが7日間のハワイの旅を引き当てたから。
それだけなら問題ない…ハワイをエンジョイするだけの事……
しかし!お母さんはハワイに行かないと言い出したのだっ!!
桐屋家に衝撃走る。お父さんが出ていった時並みに暗雲立ち込める我が家の今日の空色は…我が胸中と同じく鋼色である。
地球滅亡まであと93日にして、家庭崩壊の危機……
「やだぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「バカ言わないの!蘭子あんた受験がもうすぐでしょ!?今ハワイ旅行になんて行けるか!」
「行くぅぅぅ!!うわぁぁぁぁぁっ!!」
「……おねぇちゃん」
何故このような事態になったのかと言うと、問題なのはこの3名様ハワイ7日間の旅の有効期限である。
有効期限が1月の15日から21日なのである。そして私の私立高校受験が20日である。
まじなんでこんな中途半端な期間に設定した?旅行会社……
まぁつまりだ…ハワイか受験か……極限の選択である。
「……ぐすっ!じゃあ私立辞める……」
「舐めてんじゃねーぞ?」
「だってどーせ滑り止めだもんっ!!本命は2月の公立だもんっ!!蘭子滑らないしっ!!私、失敗しないので……ねぇ行こうよぉっ!こーちゃんもハワイ行きたいよね!?」
「いきたい」
「お母さん蘭子の学力で本命の高校受かるって思ってないから」
私だけでなく最高に天使な弟康太ことこーちゃんの純真な心までも踏みにじる母。
「このチケットは金券ショップに売り飛ばします。その金で4Kテレビ買います」
「なんで!?家テレビあるじゃん!!テレビも洗濯機も冷蔵庫も……電動マッサージ機まであるんだよ!?あと無いの……ハワイでの思い出だよ?」
「こーちゃん、はわいいきたい!」
「お母さんっ!!4月10日に地球滅亡なんだよ!?人生最後の日が迫ってるんだよ!?ぶっちゃけもう高校受験とかどーでもいいの!!」
「まだそんな子供みたいな事言ってるの?こーちゃんが本気にするからやめなさい」
「娘の受験と人生最後のハワイどっちが大事なの!?」
「受験」
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!やぁだぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
蘭子流お願い術奥義、地面に落ちた蝉!
この技は地べたに仰向けで寝転がり手足を振り回しながら泣き喚く技である!屋外でやると効果が倍増だ!プライドと引き換えに望みを掴み取る最強の交渉術なのである!!
「うわぁぁぁぁぁんっ」
こーちゃんも蝉化!
恋人の前でやると蛙化!
「…………朝っぱらからうるさい。殺すぞ?」
母親の前でやると殺人鬼化!
*******************
「こーちゃん、こんな事は許されない。子供の夢を奪うような真似は断じて……人の親がしていい所業じゃない」
「うん」
「私達は断固抗議する」
「うん」
「……馬鹿な事言ってないで受験勉強でもしたら?」
「受験勉強デモしたら?」
受験勉強デモとは!受験勉強をしない事で母親へ抵抗する事である!!
「受験勉強“でも”したら?(怒)」
蘭子はハワイに行きたい。
死ぬ前に海外を見ておきたい。このまま死ぬなんてやだ。
1月だけどハワイに行きたい。絶対テレビよりいい。
--私達の無言の抵抗はお母さんの精神に少しずつ、それでいて確実にダメージを与え続ける。
「こーちゃん、ハワイってどんなところだろうね?」
「わかんない」
「……はぁ(ため息)」
例えばそれは洗濯中でも。
「こーちゃんごめんね…家が貧乏だからこんな機会でもないとハワイなんて行けなくて…」
「こーちゃん、はわいでそーきそばたべる!」
「…………」
掃除中でも。
「こーちゃん見てご覧?ハワイにはこんなに美味しそうなおじさんが居るんだよ?」
「こんがり、やけてるね」
「ご飯よ」
昼飯前でも!
「…こーちゃん、お腹すいたね…でも、食べるならハワイのご飯で満腹になりたいね」
「あっそう。じゃあお昼要らないのね?」
「あっ、嘘、要ります」
昼飯は味噌ラーメンだった。お母さんはハワイより北海道へ想いを馳せているのか…?
「…お母さん買い物行ってくるから、こーちゃんとお留守番しててよ?」
「あっかんべー!」「んべーっ」
「こーちゃん行ってきます」
お母さんが買い物に出かけた。ハワイでは無い。昨日商店街であんな醜態を晒しておいてよく素面で出かけられるよなぁ…
「こーちゃん、こうなれば武力行使しかあるまい」
「うん」
そして言葉での反対運動は尽く蹴散らされてしまったので、こうなればもう実力行使するしかない。
「ぶりょくこーしって、なんだ?」
「力を以て正義を執行することだよ、こーちゃん」
私は玄関にチェーンロックをかけた。
「これでお母さんは帰ってきても外から入れない。帰宅する方法はただひとつ…私達をハワイに連れていくことのみ!!」
「おねぇちゃん、かっこいい!!」
ここまですれば私達の本気度が伝わると思う。あ、雨降りそう。洗濯物を取り込んでおこう…
曇天が屋根の上を包んでいく。不穏な空の色が来る最終決戦を予感させる…
もう直審判の刻だ。その時この鉛色の空のようにポツポツと雫を垂らし許しを乞うのは誰かな?
「おねぇちゃん、ゆきだ!」
「ほぅ……雪が周りの音を呑み込んで…世界が静寂に包まれる。世界がこの戦いの行く末を見守ってるみたいだ…」
「?」
1月の寒空の下どこまで耐えられるかな!?ふははははははははっ!!
……お母さんが帰ってくるまで暇なので受験勉強でもしておくかと参考書に落書きを初めてカップヌードルが10個できるくらい経過した…
「ただいまー」
その声が家の中にまで届いてきた時、電気毛布の上で寝息を立て始めていたこーちゃんを起こさないように私は忍び足で飛び上がる。
雪は細かく、されど激しく降っていた…
「えっ!?ちょっと何よこれ!!」
「ふははははっ!私の名はロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ」
「蘭子!?入れないんだけど!?」
「馬鹿めっ!!後付けでチェーンロックを玄関に施工した事を雪の中後悔するといい!3分待ってやろう!!」
「いや3分じゃなくて開けて(怒)」
「ハワイに連れていくのかね?行かないのかね?」
「おい3秒やるからチェーン外しなさい。さもないとあなた…地獄を見るわよ?」
「ふははははっ!!家から閉め出されておいて何を言うのかね?見ろ!母がゴミのようだ!!」
「お客さんが!来てんだよ!!」
*******************
お客さんと一緒なら最初からそう言えばいいじゃないですか…
「おねぇちゃん…ほっぺがおおきくなったね」
「母必殺の往復殺人ビンタ…」
リビングの外で膝を抱えて頬を労る私。私の頬を撫でてくれるこーちゃん。
いかに通さなければならない正義があるとしても他人に迷惑をかけてはいけない。思わぬ伏兵の登場に実力行使は頓挫しました。
しかし諦めない。
お母さんは今、伏兵松浦夫人とリビングで談笑中…リビングの戸を薄ら開けた隙間から私がじーーっと無言の圧力を送る…
「急にお邪魔してごめんなさいね、桐屋さん」
「それで松浦さん、話って?」
「いや大したことじゃないんだけどさ…昨日ね、お宅の娘さんが荷車借りに来たのよ」
「じーーっ」「じーーっ」
「そうね」
「返してもらっていい?(なんか凄い見てくる…やっぱりこの家変…)」
どうやら荷車を取り返しに来たらしい…
しかし、その要求にお母さんが返したのは今日の空のような顔色だ。
「あーー…あの荷車ね…はいはい……」
「持って帰るから」
「えー…でもあれ、もうボロだったわよね?要る?」
「いや人ん家の荷車に失礼ね…要るのよそれが…何に使うのかは私も知らないんだけど旦那がね?」
「旦那さん、DIYに凝ってるんですって?作ってもらったら?新しいの…」
「頑なに返そうとしないのはなぜ?」
「じーーっ」「じーーっ」
会談の雲行きは怪しい方向へ…お茶菓子のモナカに手を出さない程に……
松浦夫人からの尋常ならざる迫力にお母さん、とうとう根負けして真実を話す。
「実はね……松浦さん。あの荷車ね?娘がコタツ作るって言ってバラしちゃったのよ」
「は?」
不肖桐屋蘭子、創作欲を抑えきれずコーちゃんにねだられるままコタツ制作の木材に……
だってこーちゃん、コタツ見たことがないって言うから……
ちなみにコタツは完成しなかった。今は我が家の台所の棚になってる。
「またお宅の娘さんなの?(怒)」
「ごめんなさいね?子供達にはやりたいことをやらせるのがうちの教育方針だから…」
「他人に迷惑かけない範囲でやってもらっていい?この前も家の塀持ってかれたんだけど?」
「あの…人の家に来ていきなり怒り散らかさないでもらえる?怖…」
「お前らが怒らせてんだよ(怒)」
「だからごめんなさいね?この通りだから……」
その時!我が母は信じられない行動に出る!
謝罪の印なのかなんなのか知らんけど、お母さんが3枚の紙切れをテーブルの上に差し出した!
それは間違いなく…3名様ハワイ7日間の旅のチケット……
「うわぁぁぁぁぁっ!?」「じーっ」
見てる場合ちゃうねんぞ!?こーちゃん!!
「これあげるから許して?」「早まるなお母さん!!」
「え?なにこれ…?ハワイ?」
「そうなの。昨日福引きで当たってね?」「やっ…やめろォ!子供達に好きなことをさせるのが教育方針じゃなかったのかぁ!?」
「……いや、流石にあのボロ荷車のお詫びがハワイってのは申し訳ないし…娘さん、発狂してるわよ?」
「いいの、要らないから」「ぎゃあああっ!!」
現金な松浦夫人、さっきまで不機嫌そうだったのに目の前のハワイに「そう?旦那も息子も喜ぶわ」とかほざいてる!!
やめろっ!!ふざけんな!!ボロ荷車の代わりがハワイだと!?貴様等価交換の法則知らんのか!?
リビングの扉の隙間から発狂する私の前で「福引きと言えば…」と松浦夫人。
「私も昨日引いたのよ…そしたらね?二等のテレビが当たっちゃって……」
その一言にお母さんの目の色がキュインッ!って変わった。なんだ?今の効果音は…
「……テレビが?まさか…4K55インチの…?」
「そう、でもうちテレビ3台もあるし正直要らない「そうなの?ありがとう!じゃあ貰ってあげるわよ!!」
……その時のお母さんの反応速度と言ったら、おそらくフェラーリの加速力にも匹敵しただろう……
そして瞳は肉食獣の如く輝いていた。
「……え?いや……」
「要らないならうちで引き取ってあげるわよ!ね?いいでしょ?ハワイと交換で!」
「……え?これは荷車の…………」
「なぁに?なんか言いたそうね松浦さん。言いたいことがあるならはっきり仰ったら?邪魔なテレビを貰ってもらって、ハワイも貰って、あなたにとってこんなに美味しい話あるかしら?」
「いや…………」
「決まりね♡」
「ちょっと待っ--」
「フォォォォォォォォォッ!!テレビィィィィィィィっ!!」
「…………」「…………」「おかあさん、うれしそうだね、おねぇちゃん」
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!ハワイがぁぁぁぁぁぁっ!!
「……え?荷車壊されてテレビも取られるの?」
地球が消し飛ぶまであと92日……