悠久の魔女の足跡 ⑥
シアク様はふいに俯いて、紅茶の液面に視線を落とした。
「それにね、リィラ。私はあなたに謝らなければならないことがあるのです。それは謝って許されることではないことは分かっています……」
シアク様の声は消え入りそうで、それだけで身構えてしまう。
「先生が何を謝ると言うのですか?」
「魔導実験のこと……どこまで覚えていますか?」
シアク様に言われ、当時のことを思い返す。位相空間内に見つかった魔力の根源を私たちの暮らす空間に召喚させ定着させるという世紀の大実験。理論は私の師匠が組み立てていて、そのために長い時間をかけて調査をしていた。私はその助手のような立ち位置で他の魔法師との連絡役を主にしながら、師匠の仕事を手伝っていた。
「覚えていますよ……私はその実験を師匠の傍らで、最後の瞬間までずっと見ていたのですから……」
「そうですよね……では、あの実験がなぜ失敗したと思いますか?」
私は人類が人智を超えたものに触れようとして、制御できないものを召喚してしまったからと思っていた。それはかつて天にも届く塔を建設しようとして神の怒りを買い、混乱と崩壊を招いた話と同種のもので。
「あれは私たち人類には手に余る代物だったとしか……」
「そうかもしれないわね。あの実験のせいであなたの師匠のメリーヌは命を落とし、さらには大罪人として世界に名をとどろかせてしまいました。しかし、あの実験の失敗で真に責を負うべき魔法師は私なのです」
私はシアク様が何を言っているのか分からなかった。だから、混乱した頭で「どうしてですか?」と聞き返すことしかできなかった。
「私はメリーヌから<マテリアル・コア>を召喚した際の現世への定着させるための特殊な入れ物を作れないかと相談されていました。そこで私とメリーヌは空間魔法をベースにした魔道具を作ることにしました。そして、私が主導して作り上げはしましたが、爆発の衝撃波を感じ、遠くに見える爆炎と研究区画が消滅したと一報を聞いたときに、コアの持つ力を見誤り耐久性が足りていなかったのだと直感しました。だから、あれは私のミスなのです。もっとあの実験に積極的に関わっていればとずっと後悔していました」
「先生が責められることは何もありませんよ。ただ本当に私たちにどうこうできるものではなかったというだけで……」
「しかし、メリーヌはあなたの中にコアを転移させ、定着させるということに成功させています。私にはできなかったこと……そのせいであなたの運命すらも変えてしまった。本来は私がそれをできるものを作らなければならなかった。だから、せめてもの罪滅ぼしにと、私は今まで魔法師を支えることに全てを捧げてきました」
「魔法師を救うことは師匠が生きていてもできないことだったでしょう。あの人は極端に他人と関わることを嫌っていましたから……先生だから成し得た素晴らしいことだと私は思います。その手伝いを私もするべきだったのでしょうけど……」
シアク様は首を横に小さく振った。そして、優しい目で私を真っ直ぐに見つめてくる。
「いいえ、今ではあの日、違う路を進んでよかったと思っています。私はあの当時、焦っていたし、周りが見えていなかった。だから、追い込まれた時にあなたが私を信用しているだろうことをいいことに、耳ざわりのいい言葉であなたのその力を利用していたかもしれません。きっと今こうして会うことができているのは、長い時間をかけてそれぞれが違う路を歩んできたからだと私は思うのです」
「そうかもしれませんね……たしかにあの時にたとえ相手が先生でも利用されていたら、私は全てに絶望して、世界を滅ぼす側になっていたかもしれません。今まで穏やかに過ごせてきたのは、あの日、先生が私を引き止めずに送り出してくれたからかもしれませんね」
「それは言い過ぎですよ。ですが、私はあなたの情報だけは常に追っていましたよ。あの有名な鐘楼付きの大図書館を自分の書庫代わりにして、都市ごと懐柔していることももちろん知っていて、見守ってきました。それにあなたの魔法を利用して私もあそこの図書館を利用していましたからね」
シアク様は頬を緩ませる。自分の魔法を利用していたということには全く気付いていなかった。そのまさかの発言に苦笑してしまう。それと同時にいつまで経ってもかなわないと嬉しさも感じてしまう。
「それにあの大鐘楼の鐘を持ち去った……いえ、都市の復興資金と当面の維持管理を代価に買い取ったが正確でしょうか。それをしたのも私ですからね」
ある意味で衝撃の事実だけれど、それには驚くことはなかった。
「そうなんですね。と言っても、先生のことです。ただどうしても自分の魔法のためにあの鐘が欲しかったのでしょう? 気付いていますよ。この樹の上の方にあの鐘があることを」
シアク様は「あらら」と見た目と年齢に見合わないおどけた笑みを浮かべる。その表情にまだ若き日のシアク様の姿が重なって見えた。
私はここにやってきて大樹をまじまじと見たときに鐘があることに気付いていた。そして、辺りを見回し、どういう場所なのか見当をつけることができた。
「本当によく見ていますね。きっと私が見てない間に立派な魔法師になったのね。今日、あなたがここに来るのに使ったベルの共鳴を使った空間魔法、その要になっているのがあの鐘なのですよ」
シアク様は悪びれる様子もなく笑顔で話し、紅茶に口をつける。
「せっかくあなたに淹れてもらった紅茶が冷めてしまいましたね。おかわりをもらってもいいかしら?」
「ええ、もちろんです」
ポットで保温状態にあった紅茶をシアク様のカップに注ぎ、湯気が立ち上がる。私も自分のカップに紅茶を注ぎ足した。私が椅子に座り直したのを見て、シアク様は、
「講義と小難しい話はこれくらいにして、今は紅茶を楽しみましょう」
と、口にし、手を横にすっと払うとテーブルの上にはケーキや焼き菓子が並んだアフタヌーンティーの茶会セットが現れた。きっと私が来るからと準備させていたのだろう。
「さあ、いっぱい食べてください。リィラ」
シアク様の優しく温かい眼差しに見守られながら、まずはカヌレに手を伸ばした。
シアク様に甘やかされながら甘いものを食べ、懐かしい話を交えながら穏やかなお茶の時間を二人だけで過ごした。




