悠久の魔女の足跡 ③
緊張や高揚のせいで眠れない夜を過ごし、早い時間に朝ご飯を食べた。
それから、ミアトー村でエレナが借りている家に向かった。エレナも早い時間ながら準備はできていて、初めて会ったときのようないかにも魔法師ですというローブ姿だった。
「おはようございます、シェリア様」
「おはよう、エレナ。さっそくだけど、どうやって里に行くのかしら?」
「昨日、シェリア様に会いに来たダーシャ様のようにベルを使って、扉を開けば大丈夫だと思います」
エレナは移動の方法を簡単に説明してくれた。各都市や村などには空間魔法の共鳴用のベルが掛けられた扉があるのだという。まず持っているベルと移動の開始場所の扉のベルを共鳴させて空間魔法を発動させ、行きたい場所の扉のベルとさらに共鳴させることによって空間を繋いで移動するのだそうだ。
そして、昨日のダーシャはエレナの持っているベルを目印に空間を繋ぎ、移動してきたという特殊な方法を取ったそうだ。
またダーシャがエレナのベルに制限を掛けていると言っていたのは、連絡が取れなくなった魔法師のベルは悪用を防ぐために空間を繋げないようにすることを指しているそうで、そのことを知っているエレナは自分のベルが魔道具として機能していないと思い込んできたので昨日は焦ったのだと言う。
「今回はベルが一つしかないので共鳴によって空間魔法の扉を開くことはできません。ですので、片道になりますが、ベルを扉に掛けて魔力でベルを起動させるという方法を取れと言うことなのでしょう」
「それで私は何をすればいいのかしら?」
「私では空間魔法を起動させるほどの魔力を持っていません。なので、ベルに魔力を注いで魔法をなんとか起動してもらえれば……」
「とりあえず、魔道具のベルを起動させればいいということね」
「はい。しかし、帰りはどうしましょうか?」
「帰りは同じ方法で向こうから扉を開けばいいだけよ」
「たしかにそうですね。そのときはまたお願いします」
エレナは杖を手に持ち、自分のベルを扉に吊るした。
「それではシェリア様、お願いします」
エレナの言葉に合わせ、手を軽くさっと横に払う。その空気の振動を使いベルを震わせ、同時に魔力を送り込んで共鳴状態を作り出した。
「えっ……こんな簡単に?」
エレナは驚きの声をあげ、目を丸くしていた。
「それでこれからどうしたらいいのかしら?」
「すいません。では、里の扉と繋ぎます」
エレナは杖の先を地面にトンと叩くと、ベルを吊るした扉が勝手に開き、奥には空間魔法特有の黒い空間が広がっていた。その中に足を踏み入れると中には、人が通れる大きさの石造りのトンネルが伸びていた。
「エレナ、あなたたちはいつもここを通って移動しているのかしら?」
「はい、そうですよ。物資を移動させるための広いものもあるそうですが私は入ったことがないので分かりません」
「へえ、そうなのね」
そう話しながらもツカツカとトンネルを進んでいく。歩き心地は石畳にしか思えず、音の反響具合も本物のトンネルにしか思えない。これが魔法だとしたらどういう仕組みなのだろうと、立ち止まってじっくりと観察したくなる衝動が湧いてくるが、今はそれ以上に里に早く行き、シアク様と会いたいという気持ちが勝っている。
少し歩くとすぐに出口だろう空間の終点が見えてきた。そこを抜けた先で最初に見えたのは一本の立派な大樹だった。樹齢がどれくらいかも分からないほどに悠々たる存在感で、私が住んでいる樹とは比べ物にならないほどに立派なものだった。
その大樹のふもとには手入れの行き届いた花の咲き乱れるガーデンがあった。
ふいに柔らかな風が吹き抜け、髪の毛を押さえながら周囲を見渡すと今いる大樹があるこの辺りは小高い丘の上のようで、眼下に広がるのは小さな村と農場、青々と広がる草原には放牧されているであろう家畜の姿が見える。
時間がゆったりと流れていると感じるほどに穏やかで牧歌的な空間だった。ここが魔法師の隠れ里なのだろう。
「ここはいったい……」
世界にこんな場所があったとは感動しそうになるが、数百年前とは言え世界を周った経験がある身としては見覚えがなく、ここはどこなのかとか不思議に思ってしまう。
空を見上げてみれば、明るいけれど太陽の形や陽光には違和感があり、遠くの景色は歪んでいるように見えた。
「もしかして……位相空間?」
ぼそりと呟くと、「その通りでございます」と背後から答える声が聞こえてきた。その声は昨日聞いたばかりなので誰なのか分かっていたので、聞き流し、大樹にもう一度目を向ける。
「あの大樹には見覚えがある気がするわ」
そう独り言を言いながら記憶の中を辿る。丘の上の大樹とガーデンと言う組み合わせは以前どこかで見たことがあり、ここに来たことがある気がしてならないのだ。
「そうだ……思い出した。私が来たときはまだ師匠も生きていたころだ。そのときはまだあんな立派な樹ではなかったし、手も加えられてなかった。あの頃はまだシアク様が趣味で作られた隠し書斎という位置づけだったような……そうだ、そうだった。たしか、シアク様が世界を放浪して花を集めて作った世界に一つだけのガーデンで紅茶を飲む時間は至福だと、師匠に自慢するものだから、師匠が羨んで、ごねて一度だけここに連れてきてもらったのよね。本当に懐かしいわ……」
昨日のことのように鮮明に思い出せてしまい、思わず涙が出てしまいそうになる。私が一番幸せで忙しかったころの色褪せることのない思い出。
「本当によくご存じなのですね。今も基本は変わっていませんよ。あのガーデンには大師匠様専用のテラスがありますし、大樹の中には魔導書を中心にが多くの本が集められた図書館があります」
ダーシャが私の独り言に合わせて、説明をしてくれる。そのことで私の知識欲が刺激され、懐かしさに胸が締め付けられる。
「シェリア様。大師匠様がお待ちです。すぐに向かわれますか?」
「ええ。案内してもらえるかしら?」
「はい、もちろんです」
隣で黙ってずっといてくれたエレナと並んで、先導するダーシャに付いて大樹へと向かって歩き出した。




