悠久の魔女の足跡 ②
私は自分がまだ一介の魔法師だったころを知る相手が自分と連絡を取ろうとしてくれたことに胸が高鳴り、気分は高揚していた。しかし、子供のように目を輝かせるほど無垢な年齢でも性格でもないので、その感情が表に出るということはない。
「ダーシャ……だったかしら。私からも確認したいのだけれど、あの方は――シアク様は本当にまだご存命なのかしら?」
「はい、生きておられます」
ダーシャは私の質問に即答する。嘘をついているようには見えないし、シアク様の側付きを名乗るのだからここにきて嘘をつく理由もないだろう。
「そうなのね。シアク様は力のとても強い魔法師だったけれど、私や師匠よりも年上で私のように特殊な“体質”ではなかったはずよね。しかも、あの人のことだから、あなたがここに来るのに使った空間魔法の魔力も、きっと他にも複数の都市にも魔力を出しておられるのでしょう? よくそれで生きていられるわね」
「大師匠様がなぜ膨大な魔力を使い続け、さらには死ぬことがなく生きているのかは私たちは聞かされておりません。しかし、都市機能の維持の方は私たち側近をはじめとした魔法師に代替は完了していますので、今では空間魔法の維持くらいしかしておられないはずです」
「それでも、十分に化け物じみているのだけれどね。それにしてもシアク様はずいぶんと世渡り上手になったのね」
私が知るシアク様の姿とは違いすぎる印象につい笑ってしまう。しかし、ダーシャには笑いどころが分からないのか真面目な表情を崩す様子はなかった。エレナにいたっては話についてこれないのか、目を白黒させながら表情を強張らせ続けていた。
「それで私にしたい話というのは何かしら?」
私が話を戻すと、ダーシャは息を呑み、私の顔を真っ直ぐに見つめてくる。そして、意を決したのかゆっくりと話し出した。
「シェリア様に大師匠様に会っていただきたいのです。もう長くはないからと……」
「そう……生きていることの方が不思議なくらいだものね。それでどうすればいいのかしら? あなたたちの住む里への行き方を私は知らないのだけれど」
「そうですね……今の私にはシェリア様が本物かどうかを確認し、用件を伝える役目しかありません。なので、明日以降にそこの娘に案内させてはいかがでしょう? その娘なら里の入り方も存じていますし、問題はないでしょう。そのためにその娘のベルにかけている制限を今日中に解除しておきます。里に入ってからは私か別の側近が出迎えに参りましょう」
「分かったわ。じゃあ、明日にでもお邪魔することにするわ」
「かしこまりました。大師匠様にもそのようにお伝えしておきます」
ダーシャは深く一礼して見せ、床に置いていた杖を手に取った。
「では、用件をお伝えしましたので、私は失礼することにしましょう」
そう言い、杖の先で床をトンと叩くと振動でベルがリンッと音が鳴らし、玄関の扉についているベルと共鳴を始めた。そのまま扉を開けると真っ黒な空間が広がっていた。ダーシャはそこに足を踏み入れ、こちらに向き直り「それではお待ちしております」と頭を下げると扉が勝手に閉まった。
扉が閉まると同時にベルの共鳴する音は止まったが、扉を勢いよく開ける衝撃でドアベル代わりに再度音を家の中に響かせた。
「シェリー様、ご無事ですか?」
『シェリー、大丈夫?』
ミレラアとクライブがすごい形相で家の中に飛び込んできた。きっとダーシャが帰ったことで人払いの魔法が解け、自由に家に出入りできるようになったのだろう。
二人は私の近くにやってきて、クライブは私を心配そうにのぞき込み、ミレラアはソファーに腰かける私の膝元に座り込み舐めまわすように全身を見つめてくる。心配をかけたのだということは分かるがミレラアは少々やりすぎなので、思わず結界を張り体に触れさせないように対処してしまった。
「大丈夫よ。急なことだけど、明日、エレナと出掛けることになったから二人には留守番をお願いするわ。エレナも今日は早く帰ってゆっくり休みなさい」
「分かりました、シェリア様。それでは失礼します」
エレナはフラフラとした足取りで玄関に向かって歩き出した。それを見て、ミレラアとクライブは顔を見合わせ頷き合っている。
「シェリー様。エレナを村まで送ってきますね。あの足取りだとどうにも心配で」
『ミレラアだけじゃあ不安だから、僕も付いて行くよ』
きっと二人は帰り道にエレナから何があったのかを聞きたいのだろう。私に聞いても素直に話してもらえるか分からないと思ったのかもしれない。たしかにシアク様のことについてはまだどう説明していいかは迷ってはいた。私は二人に私の過去の話をしたことがないのだから。
しかし、今回の件の事情を説明する必要はあると思っていたので、それをエレナから聞こうと思っているのならそれでもいいと思った。
「分かったわ。行ってらっしゃい」
私は二人を見送り、いつものように空間魔法で取り寄せた本に目を落とした。
***
「エレナ、何があったか私たちに話してくれるかしら?」
森の中をしばらく歩いたところでエレナに切り出した。シェリー様が私たちがエレナを送ることを止めなかったということは聞いてもいいということだ。
シェリー様はおそらく使い魔の目や耳から入った情報を知ることができる。それだけでなく魔力を流している魔法陣を通してもその場にいるように見聞きすることができるのだろう。そうでなければ知りえないような情報を家にいながら知っている理由に説明がつかない。
例えば、今までも森に入った人がいることを感知し、それが誰かまで分かっている節があった。最近も家にいながらストベリク市にいるエレナの兄のエリクの近況を知っていることからも推測できる。
「しかし、シェリア様に許可も取らずに勝手に話してもいいことなのでしょうか?」
「大丈夫よ。シェリー様は私たちがあなたに話を聞きたがるのを知っていて止めなかったのだから、気にする必要はないわ。もし怒られるなら一緒に怒られてあげるから」
私が笑みを浮かべる横でクライブも頷いて同調して見せる。
「ミレラアさんって、時々、シェリア様と同じような雰囲気で話されますよね」
エレナはそう言いながら笑みをこぼし、大きく息を一つ吐くと真面目な表情に変わっていて、何があったのかを話してくれた。
「そんなところにシェリー様を行かせるのは反対よ。危険すぎる……」
『そうかな? 僕は行ってもいいと思うよ。何かあったとしてもシェリーなら大丈夫だと思うし、信じて待つのが僕たちの役目じゃないかな?』
「鳥……あんたは疑うことを覚えなさい」
『じゃあ、お前は信じることを覚えろよ』
私たちのやり取りを聞いていたエレナが声を出して笑い出すので、思わず喋るのをやめ視線をエレナに向ける。
「私は大丈夫だと思いますよ。大師匠様はシェリア様にとっては旧い知り合いのようですし、それに大師匠様は人徳や人望はもちろん、慈愛に満ちたお方なので招いた相手に対して悪い扱いは決してされないでしょう」
エレナの全く毒気のない笑顔と素直な言葉に、クライブと言い争いをしていること自体バカバカしく思えてくる。エレナもエレナで大師匠様とやらに心酔しすぎだと思ったが、口にするのははばかられた。
「分かったわ。今はエレナのその言葉を信じることにするわ。鳥もそれでいいわね?」
『僕は最初から信じるって言ってただろ?』
思わず空気を読めと眉間にしわを寄せてしまうが、ここは何も言わず私が我慢することにし、深いため息が漏れた。
「でもね、エレナ。もし何かあった場合はシェリー様に持ってくる貢物を倍にしなさい」
「貢物……? ああ、お菓子のことですか。分かりました」
エレナは私の言葉の意味するところを理解したのかまた笑い出し、それに合わせて私も一緒に笑った。クライブだけは笑っている理由が分からないのか私とエレナの顔を交互に見て、首を捻っていた。
シェリー様が決めたことに異を唱えることはできないし、今回は特に止める権利は誰にもない。何かあってもシェリー様なら切り抜けることができるだろうし、仮に相手が魔法師だったとしてもシェリー様とやりあえる相手は今の魔力が薄まったこの世界ではいないと言っても過言ではない。だけど、想いを寄せる相手で主従関係もあるのだから心配するのは当たり前のことだ。
今回はエレナの言葉を信じるという建前で私は退くことにしたのだから、その責任をエレナに求めたに過ぎない。
使い魔に過ぎない私たちには、今は信じることと待つことしかできない。
今回のことに関しても、いつの日かシェリー様本人の口から話される日が来ることを待つしかない。
シェリー様が歩んできた長すぎる時間は私には想像することもできない。いつかそれを知ることが出来たらと私は心の内で思っていた――。




