生きた証をその胸に抱いて ③
夢を見ていた気がする。
もうどれくらい前のことだったかも覚えていない昔のこと、私が師匠と初めて会ったころの記憶の欠片。
メリーヌという魔女が私を弟子にしたのには理由があった。人付き合いの嫌いな変人魔法師で有名な魔女が初めて弟子を取ると言い出した時は魔法師界隈のみならず大きなニュースになったほどだった。
弟子になる条件は、空間魔法を使える素養があること、女性であること、住み込みが可能であることだった。その条件に当てはまっていた私はダメ元で応募してみれば、他に条件に合う人がいなかったという理由ですんなりと弟子になることになった。
私は両親をはじめ周囲に祝福されて送り出され、メリーヌ様の元へと向かった。
初めて家に入ったときに感じたのは、片付いていない汚い家という印象しかなかった。しかし、そこには触れずに挨拶をすることにした。
「メリーヌ様、この度は弟子にしていただき、とても光栄に思っています。シェリア・ラグレートと言います。お気軽にシェリーとでも呼んでください」
メリーヌ様は私の挨拶を紅茶を飲みながら聞いて、テーブルにカップを置いて私に向き直る。
「あなた、かわいいわね。それだけで弟子にして正解だったわ。でも、シェリーとは呼びたくないわね」
まさかの拒否に私は驚いてしまう。しかし、メリーヌ様の目は冗談を言っているようにも見えず、そもそも私をつま先から頭の先までじっくりと見てくるので困惑してしまう。
「シェリーは子供のころからの愛称なのですが、どうして嫌なのですか?」
「私、お酒飲むのが好きなのだけれど、シェリーと聞くとシェリー酒を思い浮かべてしまうのよね。真面目な話をしているときにお酒が頭に浮かんだら、飲みたくなっちゃうでしょう? だから、紛らわしいから却下」
その理由に呆れて声も出なかったが、咳払いをして気を取り直した。
「分かりました。では、メリーヌ様の呼びやすいようにお呼びください」
半ば投げやりに口にすると、メリーヌ様は真剣な表情で呼び方を考え始めた。
「シェリア・ラグレートだから……シェイラ? いや、リアラの方がいいかしら……決めた! リィラにしましょう。響きが綺麗でかわいらしいから」
「分かりました。これからよろしくお願いします。師匠」
最初はリィラと呼ばれ慣れていないせいか、自分のことだと気付けないことも多かった。不便に感じつつも、メリーヌ様が私を呼ぶときは嬉しそうに口角を上げるのですぐに気にならなくなった。
「師匠はどうして私の名前を呼ぶときは笑顔なんですか?」
弟子になってしばらくが経ったある日、気になって尋ねてみたが、メリーヌ様は私の顔を見ながら大笑いした。
「ねえ、リィラ。鏡を見ながら自分の名前を言ってごらんなさい」
言われた通り鏡の前でリィラと口にすると、名前を呼ぶ口の形が自然に口角が上がって見えるだけだった。そのことに気付いて恥ずかしさから、悶えそうになってしまった。そんな私の頭をメリーヌ様は優しく撫でながら、
「みんなを笑顔にできる素敵な名前じゃない。私は好きよ、リィラ」
と、柔らかな笑みを向けてくれた。その時の表情はきっといつまでも忘れることができないだろう――。
「――リー様。シェリー様。起きてください、シェリー様」
名前を呼ばれながら体を揺さぶられる感覚で意識がゆっくりと覚醒していく。私の名前はそうじゃないという想いとまだ夢の中にいたいという願望もむなしく、非情にも現実へと戻ってくる。
目を開けると明るい部屋の中でミレラアが私を起こしているところだった。
「起きたわ、ミレラア」
「すいません。お休みのところを」
ミレラアは心底申し訳なさそうな表情を浮かべているが、口元が緩んでいるのを見ると私の寝顔を見ながら喜びに浸っていたのかもしれない。
「それでミレラア。何かあったのかしら?」
体を起こしながら尋ねると、ミレラアが表情を引き締め直した。
「はい。あの人間の子供が意識を取り戻したそうなので、シェリー様を呼びに来ました」
「分かったわ。それで今はいつごろかしら?」
「昼過ぎになります。何か食べたりしますか?」
「いえ、けっこうよ。でも、用意だけはしてもらえるかしら? あの子の様子を見に行ってから食べるわ」
「かしこまりました。それでは私はご飯の準備をしておきます」
「頼むわ」
ミレラアが一足先に部屋から出ていくのを見送り、一度大きく伸びをして頭と気分を切り替える。それから治療をした子供のいる部屋へと向かった。
子供は痛みに表情を歪ませつつも体を起こしていて、その姿にはほっと安堵の息が漏れるがどうにも部屋の中の空気は重たいように思えた。子供はヤシンとクリスラン、手伝いをしていた村人に視線を彷徨わせていた。
理由はすぐに察しがついた。きっと目が覚めて、両親の安否を尋ねたのだろう。それに対して残酷な事実をまだ幼い子供に伝えるか決めかねているのだろう。それは私が部屋に入ったときに誰もが助けを求めるような視線を向けるのだから嫌でも気付いていしまう。
「魔女様……どうしましょうか?」
「そうね。私から伝えましょう。いつ聞いたとしても現実は変わらないもの」
「辛い役回りを押し付けるようで申し訳ありません」
「あなたが気にすることはないわ、クリスラン」
短いやり取りの後、私はベッド脇の椅子に腰かける。
「はじめまして。私はこの村を守護する魔女で、キミの傷の手当てをした者よ。まずは自分の名前を言えるかしら?」
子供は驚きと同時に怯えたような表情を浮かべるも、「僕は……僕の名前はアルバロ・ラヤです」としっかりとした口調で答えてくれる。
「アルバロね。それで何か聞きたいことがあるのでしょう?」
「……パパとママは?」
アルバロは周囲の大人の反応から察しがついているのか、目には涙を溜めている。不安そうな表情と今にも崩れ落ちそうな姿に言葉を飲み込んでしまいたくなる気持ちは理解できる。だけど、私が口にする言葉は変わらない。
「死んだわ」
「ウソだっ!」
「本当よ。獣に襲われて、ここの村人が助けに行ったときはもう死んでいたそうよ」
アルバロは堪えきれなくなったのか涙を流し始める。
「ねえ、アルバロ。獣は本能的にも孤立した者を襲おうとするわ。それが人間であろうとなかろうと子供なら、なお優先的に攻撃しようとするはずよ。それなのにあなたは獣に追われることなく村まで逃げることができた。アルバロ、あなたが生き残ることができたのは、あなたの両親があなたを逃がして、その後も逃げることなくとどまっていたからなのよ」
「……だけど……僕は……」
「一緒に死にたかった? だけど、あなたの両親はあなたに生きて欲しかったのよ。その生かされた命をどう使うかはゆっくりと考えるといいわ」
アルバロは小さく頷き、そのまま声をあげて泣き続けた。
そんなアルバロを見ながら、私は大切な人のために涙を流したことがないことを思い出し、真っ直ぐな感情と純粋さに羨ましさを感じていた。




