生きた証をその胸に抱いて ②
村長の家の中に戻り、村医者のヤシンに子供の容態を尋ねた。
「獣の爪や牙と思われる傷が深いせいか、危険な状況だと思います。血が止まらないのです。このままではこの子の命は……」
ヤシンは手を止めることなく簡潔に説明をしてくれた。それを聞きながらベッドに横たわる子供の様子を確認する。ヤシンの言う通り傷が深く、血が止まる気配はなかった。出血量が多いせいか顔色は青白くなっていて、呼吸は今にも止まりそうなほどに浅い。
このままではこの子供は間違いなく死んでしまうだろう。使い魔の儀式の応用で私の血を飲めば、普通の人間としての生を失うかわりに生き延びることはできるかもしれない。しかし、そんな業を背負わせることを本人の意思を確認せずにすることはできない。
だけど、できることはまだある。
「代わるわ。ヤシン、あなたは横から手伝いなさい」
声を掛けると同時に指先から無数の魔法の糸を垂らし、処置を始める。といっても、魔法という力を使っても完全に傷を治すということは難しい。さらには魔法の力で治療すると、魔法の影響で今後がどうなるのか保障もできない。
だから、人の手でやる処置を魔法を使い、精密かつ高速に行うしかできなかった。極限まで集中して、血管や傷の縫合を丁寧に素早く進めていく。
ヤシンのサポートもあり、処置はおそらく問題なくできた。しかし、流れた血が単純に多すぎる。
「クリスラン。村人をできるだけ多く集めなさい!」
「分かりました」
集まってくる村人を待てないので、村長の家の周りにいる村人に子供を助けるために血を分けて欲しいと頭を下げた。
「魔女様、頭をあげてください!」
「私の血でよかったら使ってください」
「俺のもです!」
きっと村人たちは輸血という医療行為を知らない。それでもこうして二つ返事で了承してくれるのは、ミアトー村の村人たちの親切心と私への信頼からだろう。
「ありがとう、みんな」
心からの感謝の言葉を口にして、輸血に適した血を魔法を使って選別する。それから空間魔法を駆使して、少しずつ子供に血を送りながら、拒絶反応が起きたりして容態が急変しないか注意深く見守った。
なかなか熱が引かず肝を冷やしたが、朝日が昇る頃には落ち着いたのか静かな寝息に変わった。
「魔女様。あとは私が見ていますので、どうかお休みになってください」
「ええ。分かったわ。だけど、ヤシン、あなたもあまり休んでないでしょう?」
「そうですが、魔女様に比べたら私は何もしてないに等しいですから。大丈夫ですよ」
ヤシンは口元に笑みを浮かべるが、疲れがすけて見える。ヤシンも私同様ずっと気を張り、私の魔法を駆使した処置に付き合わされたりしていたのだから、相当疲弊しているのは間違いない。
しかし、ヤシンの強がりだろうとその厚意はありがたく受け入れることにした。
部屋を出て、私の休憩用に用意された応接室に入ると、ミレラアが神妙な面持ちで待っていた。それだけで何があったのか察するが、話を聞く前にまずは疲れた心身をソファーに預けた。
「シェリー様……」
「その顔を見ればだいたい分かるわ。だけど、ミレラア。あなたが見たものを聞かせてもらえるかしら?」
「はい。残念ながら、あの人間の子供の親は死体で見つかりました。村人と共に襲われたと思われる場所に辿り着いたときはすでに」
「死体でってことは、遺体は回収できたのね」
「はい。体には引き裂かれたり、えぐられたような傷がありましたが……おそらく獣は荷馬車の馬を持って帰ったのでしょう。血痕を残していなくなっていたので。それで荷車と遺体だけを持ち帰りました」
「そう。よくやったわ、ミレラア。あなたも休みなさい」
「ですが、獣の駆除が……」
「それは焦らなくてもいいわ。クライブにも休むように伝えてちょうだい。私は少し眠ることにするわ」
「かしこまりました」
ミレラアは申し訳なさそうな表情を崩さぬまま、一礼して部屋から出ていった。
それを見送りながら、あらためて人間の一生というものは短く、突然失われてしまうこともあるものだということを実感する。そして、子供を助けるために命をかけたのだと思うとその行為はとても美しく尊敬に値するが、遺されたものにはとても残酷なものだ。
私も命をかけて守られた経験があり、今でも終わりのない地獄のような日々を送っているので遺された側の気持ちは痛いほど知っている。
「師匠……」
脳裏に浮かぶその人はいつも気だるげで、私の名前を呼ぶときはいつも口角が上がっていた。今でも耳の奥には私のことを“リィラ”と呼ぶ声が残っている気さえする。
メリーヌ・シャルトロ――その名前は世界で知らないものがいないほどに有名で高名な魔女だった。
本当の両親よりも長い時間を共に過ごし、妹のようにかわいがってくれると同時に、飲んだくれで私に散々迷惑を押し付けてきた魔法の師匠で。
「リィラ、ごめんね。死ぬより辛いかもしれないけどあなたを助けるにはもうこれしかないの」
最期の言葉はそれで、現世に召喚された<マテリアル・コア>を空間魔法を使い、私の中に転移させた。その直後に起こった大爆発から師匠は私を守るためにとっさに覆いかぶさった。
それから気が付いたときには師匠は私の体の上で事切れていた。
きっと今の私なら死なないと分かっているので代わりに盾になっていただろう。そうすれば、もっと師匠と過ごせたかもしれない。だけど、とっさに体を動かし命をかけれるほど大切な存在だと思われていたということは嬉しく、それゆえに喪失感は大きいものとなって今もなお引きずっている。
私は悠久の時間だけでなく、過去にも囚われながら、死ぬことのない日々を過ごしている。
その証拠に師匠が好きだった酒や紅茶を同じように愛飲し、趣味だった読書を私は師匠を忘れないために続けている。
今でもふらりと現れて、「リィラ。この酒、なかなかいけるわね」と笑ってくれるかもしれないと思えてならないのだ。その絶対に訪れることのない時が来たときのために、私はミアトー村を整備して、守り続けているのだから。
ソファーの上で寝返りを打ちながら、鼻をすすった。きっと冬の寒さが余計な感傷や記憶を引きずり出しているのだろうと思うことにして、今は深く毛布に身を埋め、眠りにつくことにした。




