遺産は時を超えて ⑨
シェリー様がストベリク市の議事堂へ報告をしに行き、プラントの居室に帰ってきたと思えば、真っ直ぐにクライブの背中へと倒れ込んだ。
「シェリー様、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないわ。いえ、ここまで上手く手の平の上で利用されていたと聞かされては笑うしかないわね」
「どういうことでしょう?」
シェリー様は私の質問には答えず、空間魔法でミアトー産の酒を取りだした。そして、ソファーに座り直し、一人で黙って酒を飲み始めた。そうやって、速いペースで飲んでいき、しばらくするとソファーに横になって寝息を立て始めた。いつもならどんなに疲れていても、私に対しての警戒心から魔法で結界を張ってから眠りにつくのに今日に限ってはそのまま眠りについた。
以前の私なら感情のままにシェリー様の寝込みを襲おうだとか、寝ている隙に色々としてしまおうと考えただろうが、今の私はシェリー様に仕える従順なメイドで使い魔としての矜持というものがある。
「おい、鳥。私は今日はシェリー様の代わりにプラント周辺の警戒をするから、シェリー様のこと頼むわ」
『言われなくても分かってるよ』
私がシェリー様に毛布を掛けて部屋に出ていくまでクライブは私を警戒していたが、私のことをなんだと思っているのか。
翌日、シェリー様はプラントの稼働に立ち会った後、「宰相に会ってくる」と言い残し、一人でストベリク市へと飛んでいった。
戻ってきたシェリー様はプラントの部屋で私とクライブに、
「明日には森に帰ることにするわ。プラントも問題なく稼働しているし、トラブルがない限りはしばらくはゆっくりとするつもりよ」
と、そう大きなため息をつきながら打ち明けてきた。
「分かりました。それでプラントは今後はどうなさるのですか?」
「ストベリク市が維持管理をすることになるわ。そのためにここの管理をする人選をしてもらってるわ。あとここの労働者たちの権利の保障も宰相と話をつけてきたし、もう大丈夫でしょう」
「そうでしたか。それはお疲れ様でした」
「ええ、本当に疲れたわ……それでストベリク市からここの管理をする人間が派遣されるまではミレラア、あなたにこのプラントを任せたいのよ」
「私に……ですか」
それは私だけがここに置いて行かれるということで、どこか物悲しさと行き場のないやるせなさを感じてしまう。
「そうよ。この状況であなた以上に頼りになって、信用できる相手は他にはいないもの」
その言葉に数秒前の私を自分で殴り飛ばしたくなる。シェリー様に名指しで自分ではないとダメだと頼られたのだから、なんとしても任されたことを全うしたいと思ってしまう。
「かしこまりました。プラントのことは私に任せて、シェリー様は先に帰ってゆっくり休んでください」
「本当に助かるわ。なにか困ったことがあれば、宰相のヘルマールか宰相付きのヴェルナーに相談すればいいわ。それでも手に負えない事態になったら、そのときは私をすぐに呼びなさい」
「分かっています」
シェリー様は私にふっと微笑みながら頷いて見せる。それだけで私の心は満たされてしまう。
さらにシェリー様は「何かあった時のためにこれは持っておきなさい」と空間魔法を使い、森の家に置いてきていた日傘を取り出して私に渡してくれた。それを受け取りながら、今後は外に出るときは絶対に肌身離さず持ち歩くことにしようと強く決心した。
翌朝、陽が昇りきる前にクライブの背に乗って帰っていくシェリー様をプラントから見送った。
そして、始業前にシェリー様がいなくなったことに動揺する労働者たちに、
「魔女様はお帰りになられたが、このプラントを見捨てたわけではない。お前たちが今後も真面目に働くことを期待して、ストベリク市とも話をつけられたのだ。ストベリク市は魔女様の言葉に逆らえない。そこまでしてくれた魔女様の想いを無碍にするならば、私が許さない。これからも魔女様のためにがんばってもらいたい」
と、自分の言葉で自分の思いを伝え、発奮を促す。労働者たちは表情を引き締め直し、気勢を上げた。この光景をシェリー様にも見せてあげたいと思った。
それから私はシェリー様の代わりに仕事をこなした。シェリー様のように上手く手を抜けない私は常に気を張りっぱなしだったが、それでも一日の終わりに感じる疲れこそがシェリー様への奉仕の証に思えて、誇らしかった。
シェリー様の代理の期間は一ヶ月ほどで、その後やってきた役人に仕事を引き継ぎ、やっと私も家に帰れることになった。
そのことで帰り道は気が抜けたのか、どっと疲れが出てきたのか足取りは重たかった。
シェリー様の暮らす森が見え始めると、今度は早く帰りたいという気持ちから最後の力を振り絞って速度を上げる。
久々に帰ってきた家の扉の前で呼吸と服を整え、できるだけ澄ました表情で扉を開けた。
「ただいま帰りました」
誰からも返事は返ってこなかった。その理由はすぐにわかった。
シェリー様はクライブにもたれかかり、読みかけの本を膝の上に乗せたまま寝息を立てていた。クライブは私に気付き、目で起こすなよと訴えかけてくる。それは理解するが、私にとってはシェリー様成分を補給したいので、起こさないようにそっとシェリー様の隣に腰かけて肩に自分の頭を乗せ、私も目を閉じる。シェリー様の呼吸にあわせて私も心地よく揺れ、それが眠気を増長させる。クライブも今回ばかりは見逃してくれるのか、私がもたれても文句も言わず、さらには羽根で優しく私とシェリー様を包んでくれた。
そんな私にとっての至極の幸せを感じながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。
目を覚ますと、私はなぜかシェリー様に膝枕をされていた。しかも、自然に髪や頭を撫でられていて、幸福すぎるあまり状況が呑み込めずにいた。夢の中の出来事かもしれないが今はそれでもいいと享受しながら固まっていると、
「あら、起きたみたいね。ミレラア」
と、上からシェリー様の優しい声が聞こえてくる。
「はい。あ、あの……これはどういうことなのでしょうか?」
「たまにはあなたにもご褒美をと思っただけよ。今回はあなたにかなり負担をかけただろうし」
「そんなことありません。シェリー様のお役に立てただけでも嬉しいのに、さらにこんなご褒美まで……」
謙遜の言葉が震える唇から出てくるが、口元はどうしても緩んでしまう。
「今だけは許してあげるわ。それであの後、どうなったか教えてくれるかしら?」
「はい。分かりました」
私は膝枕をしてもらったまま、プラントで言われた仕事をこなし、無事引継ぎを終えたことを報告した。
「私の想像以上に上手くやってくれたようね。それじゃあ、何か追加でご褒美をあげましょうかしら。何か欲しいものはあるかしら?」
「シェリー様が欲しいです」
「そういうのはいいから。それと今回の仕事には見合ってないわ。そもそも私は誰のものにもならないからそろそろ諦めなさい」
即答されるが嫌な気はしない。こういうやり取りも久しぶりで心地よさを感じてしまう。きっと恋愛感情的な意味合いでは断られていても、家族や友達に向ける愛情というところでは拒絶されてないと理解できるようになったからかもしれない。
「それでは血をいただきたいです」
「それくらいならいいわ」
シェリー様は首元を晒すように長い髪の毛を持ち上げる。その魅力的すぎる首元に白い肌に、初めて出会ったときに噛み付いた柔らかさと甘い匂いを思い出した。そのまま欲望にまかせて、シェリー様に抱きつき、首筋に歯を突き立てて血を飲んだ。
甘くて濃い極上すぎるその味にひとくちで満足してしまう。飲み過ぎると依存して、毒にすらなりえてしまうそんな感覚に体をそっと離した。
「もういいのかしら?」
「ええ。ありがとうございます。またご褒美をもらえるようにがんばります、シェリー様」
シェリー様は以前と同じように、私が噛んだところに手を触れ一瞬にして傷を消し直した。しかし、そこからの様子はまるで逆で、私に向けられる視線は優しいものだった。
そして、いつもの見慣れた気だるさの混じった表情に戻り、
「ねえ、ミレラア。ご飯、作ってくれるかしら?」
と、いつものように言われる。クライブはずっと私たちのやりとりを背もたれにされたまま見守っていたが、大きな欠伸をして頭をゆったりと下げた。
それだけのことなのに、どうしてか胸が満たされてしまう。この時間が特別で大事なもので、少し離れていただけなのにひどく懐かしさも感じてしまう。
「わかりました。少々お待ちください」
そんないつもの三人の日常に私たちは戻っていく――。




