遺産は時を超えて ①
シェリアという名前の魔女の存在を、あなたは知っているだろうか。
その魔女は二十歳前後の若い女性の姿をしていて、長い黒髪を風になびかせ、誰もが目を止めてしまうほどに美しい容姿をしている。
しかし、その魔女は永遠ともいえる時間の中で生きているのだと言う。
また海よりも深い自らの知的好奇心を満たすためだけに、かつて学園都市と呼ばれ、知を求め究めんとする者が集まったストベリク市の象徴たる大図書館を私的利用するために、ストベリク市の守護者となった。
その一面だけを見聞きすれば、自分の欲望に忠実なだけだと思われるかもしれない。実際そういうところもあるのだろう。
魔女シェリアは気まぐれで神出鬼没で、数年から数十年に一度しかストベリク市を訪れない。そんな滅多に姿を見せることのない魔女シェリアと、私は大図書館の館長をしていたという職業柄、直接話す機会にも恵まれた。とは言っても、実際にお会いした回数は片手で数えるほどしかない。
それでも遠くで見ているだけでは知るよしもない一面に、幸運にも巡り合うこともできた。
だかこそというわけではないが、シェリアという魔女の姿を後世に正しく伝えたいと思い、こうして筆を取った次第だ。
これは尊敬し、敬愛する一人の魔女の未来永劫続いていくであろう素晴らしき人生を、もっと見ていたいと望んでしまった愚かな私にできる人生で唯一にして、最後の研究となるだろう。
(ヨルン・アントガル著 『魔女シェリアを追って』冒頭部より)
***
「シェリー様。お顔が緩んでいるようですが、そんなにいい本に巡り合えたのですか?」
ミレラアが淹れなおした紅茶をカップに注ぎながら尋ねてきた。ミレラアはストベリク市のヨルンのことを知らない。だからどう説明していいか悩んでしまう。
「古い知人の書いた本よ。あの子、夢を叶えたみたいね。久しぶりに会いたくなったわ」
しみじみとそんな言葉が自然とこぼれ落ちた。心配するのはまだ生きているのかということくらいで。
「近いうちにストベリク市に行こうかしら」
『そのときはもちろん僕もついていくよ』
「私もご一緒しても? ストベリク市内は入ったことがないので、興味があります」
私の言葉にクライブとミレラアは即座に反応する。
「ええ、もちろんよ。じゃあ、この本を読み終わったら行こうかしら? 感想も伝えてあげないとね」
紅茶に口をつけ、クライブに深くもたれかかる。ミレラアがノーアニブルから取り寄せているアロマのおかげか柔らかでいい匂いがクライブから香ってくる。おかげでリラックスして本を読むことができる。
クライブは私を背中に感じながらウトウトと目を細め、ミレラアはメイドとして家の中で仕事をみつけては要領よくこなしていた。
そんないつもの代わり映えしない昼下がり。
クライブの心地の良い毛並みのせいか、それとも時間帯のせいか、うつらうつらと眠りの浅瀬を漂っていた。
そこに突然、コツコツと窓を叩く音が聞こえた。音の方に目を向けるとそこには黒一色のハトが窓際にいた。私が体を起こすとハトは窓をすり抜けて部屋の中に入り、私の腕にとまった。それと同時にハトは姿を消し、代わりに、
「魔女シェリア様。急ぎ、知恵と力を借りたいことがございます。ストベリク市の宰相執務室まで来ていただけないでしょうか?」
と、メッセージが再生される。その声に聞き覚えはなかったが、呼び出し場所とこの緊急用連絡魔法を作動させたことから、知らぬ間に変わっていたストベリク市の宰相からのものだろうと推察できた。単純な相談事や私へのお伺い立てなど時間的に余裕がある場合は同じ連絡用の魔法でも黒猫がやってくるので、差し迫った事情があるのだろう。
立ち上がりさっと魔法で身支度を整える。
『シェリー、僕も付いて行くよ』
「シェリー様。私もお供させてもらえないでしょうか? きっと何かのお役に立ってみせますよ」
二人とも準備万端といういで立ちで私に強い意志のこもった視線を向けてくる。
もし荷物や怪我人を運ぶとなればクライブがいることで効率があがるかもしれない。ミレラアは単純な戦闘要員以外にも、ヴァンパイアの特性を使えば、相手から情報を聞き出したりもできる。
しかし、どちらも私一人でも何とかなる部分でもある。実際、クライブとミレラアと出会う前は一人で全てをこなしていたのだから。
「付いてくるのは勝手にすればいい。ただ緊急みたいだし、あなたたちのスピードに合わせることはしないわ」
クライブとミレラアは頷き、それでも付いて行くと再度口にした。玄関から外に出ると同時に取り出したホウキに乗り、最大速力でストベリク市へと向かう。ついてこれないと分かっているのであえて後ろを見ることはしない。
緊急用連絡魔法のメッセージを受け取ってから、ティーポットを火にかけお湯が沸くくらいの時間でストベリク市の外郭が見え始めた。
いつもなら警備をしている衛兵に挨拶をしたりするのだが、今回は壁の上を通過し、真っ直ぐに宰相執務室のある議事堂へと向かう。街の中央部から外れた場所にある湖に隣接した歴史を感じさせつつも、存在感のあるその建物の正面玄関からではなく、屋上にある空中庭園へと降り立った。
相変わらず手入れが行き届いており、綺麗な緑と色とりどりの花が目を楽しませてくれる。ここで他国からの要人を招いて立食パーティーをしたり、少人数で茶会を開いたりすることもあるので、いつ来ても落ち着いた雰囲気の中に権威と見栄が見え隠れしている。
庭園を抜け、建物の中に入り、廊下を少し歩いたところにある宰相執務室へ。
扉の前には衛兵が警備のため立っていた。衛兵は私の存在に気付くと事情を聞かされているのか私の代わりにノックをし、中から聞こえた返事を確認してから扉を開けてくれた。
中に入ると、豪奢なソファーなどの調度品に毛足の長い絨毯、昔から使っているであろう色褪せ味わい深い色合いになっている木製アンティークの執務机が目に入ってくる。
歴史を感じる天井や壁に描かれた絵画や時代を感じる執務机、それと豪華さのみを追及した調度品の組み合わせは悪趣味でアンバランスだといつも来るたびに感じてしまう。
「お待ちしておりました。我らが魔女、シェリア様」
どこか見覚えのある男性が執務机に座る宰相の代わりに私を出迎えてくれた。そして、私は促されるままにソファーに腰かけ宰相と向き合った。




