偏愛のヴァンパイア ⑨
『ねえ、シェリー?』
「どうかしたかしら、クライブ?」
いつものようにクライブをソファー代わりにしながら、読んでいる本から目を離すことなく尋ね返した。クライブはどこか落ち着かないのか頭を動かし、『いや、ごめん。なんでもない』とはぐらかした。
ここのところクライブはずっとこんな感じだった。理由は想像がつく。
ヴァンパイアの少女ミレラアに仕事を頼み、そして出掛けた日からもうすぐ一ヶ月が経とうとしていた。ミレラアが無事なのか、仕事をこなせたのか、ちゃんと帰ってくるのか、そんな不安と疑問をクライブは口にしていいのか迷っているのだろう。ここに一緒にいたころは表向きは仲があまりよくないように装っていたのだから、心配する言葉を私に聞かれるのが恥ずかしいのかもしれない。
ただ素直に聞けばどういう状況なのか教えてげるのにと思ってしまう。
私はミレラアが家を出た時からの様子をずっと見聞きしていた。正確に言えば、魔力的に繋がっている使い魔の目や耳から入る情報を共有していた。
だからこそ、ミレラアの独り言も戦闘での大立ち振る舞いも、交渉が上手くいっていることも、戸惑いながら父親と接している様子も知っていた。
元々は裏切られてもいいようにと情報収集目的だったが、想像以上の忠誠心と私への重たすぎる愛情を見せられた。
そして今、ミレラアが見ている光景はもうすぐ私が住んでいる森に差し掛かろうとしているところだった。
「クライブ、心配しなくてももうすぐ帰ってくるわ」
『僕はあいつのこと心配なんて……』
本を読む手を止めて、私がクスクスと笑うとクライブは全て見通されてしまっていると悟ったのか観念したかのように首を下げた。
『あいつ、ヴァンパイアの中では裏切り者みたいな存在になるだろ? 元々ここに来たのだって一部のヴァンパイアが国を裏切ろうと思って送り込んだみたいなことなんだろ? それだとあいつ、どこにも居場所がないんじゃないかって……』
「クライブは優しいのね。大丈夫、あの子はうまくやってるわ」
クライブはバッと頭を上げ、首を捻り私の横顔を注視してくる。私はそんなクライブの頭を優しく撫でてあげる。
『シェリーがそう言うなら、そうなんだろうね』
「ええ、もうすぐ帰ってくると思うけど、クライブ、気になるなら迎えに行ってあげたら?」
『そこまでしてやる義理はないよ』
「素直じゃないわね」
クスクスと笑うとクライブはそっぽを向くようにして頭を下げた。私は読みかけの本に再び目を落とした。
それからしばらくするとクライブは頭を上げ、玄関の方に視線を向ける。それとほぼ同時に扉が開いた。
「ただいま帰りました、シェリア様」
高く澄んだ通る声が久しぶりに家の中に響く。読みかけの本をテーブルの上に置き、声の主へと視線を向ける。
「おかえり、ミレラア。それで私が頼んだ仕事はどうなったかしら?」
私はすでに答えの知っている問いを投げかける。ミレラアは私の前までやってくると膝をつき、すぐ脇に日傘をそっと置いた。
「はい。無事シェリア様の使者として仕事を務めることができたと思っています。それでノーアニブルの上位始祖院からシェリア様への返事を預かっております」
ミレラアが書状を渡してきたので、それを受け取り内容に目をやる。
『魔女シェリア・ラグレートよ。まずはあなたよりもたらされた情報により、ヴァンパイアひいてはノーアニブルが間違った道に進みそうになっていたことに気付かされた。そのことにまずは多大な感謝を申し上げる。
我々ノーアニブルの民は人類との間に理由なく諍いを起こすことは望まない。友好的で建設的な関係こそ、未来に繋がるという意志と考えは今も昔も変わることはない。
そのための掃除もすることができたのでその報告もさせていただきたい。
魔女シェリアよ。あなたが悠久のときを生き、さらに我らをも凌駕する知性と力を持つことを我らは身をもって経験した。だからと言うわけではないが、その知識を我らにも分けていただくことはできないだろうか。その対価として、あなたが望むであろう我らが書庫の使用権も認める用意があることをここに書き記しておく。
最後になったが、我らヴァンパイアより魔女シェリアに対して変わらぬ誠意と友好の証として、本人の希望も加味し、上位始祖の血族であるミレラア・ローシュをあなたの眷属として差し出したい。
我らの間に、長き友好と栄光があらんことを望む。 ノーアニブル上位始祖院』
読み終え、まずは人類と世界を巻き込むことになり得た今回の出来事に無事、幕が引かれたことにホッと胸を撫でおろした。そして、ノーアニブルの、それもヴァンパイアが所蔵する本も読み放題という相手方からの提案には心が躍るものがあった。
しかし、ミレラアの所有権という話についてはまだ思うところがあった。
「ミレラア。あなたには帰る国と家があったはずよ。いえ、できたはずよね? それでもここに戻ってきた理由は何かしら?」
私にはもう帰る国も家もない。さらには家族も私を守ってくれるような存在ももうこの世にはいない。今はクライブだけが私と同じ時間を過ごしてくれている。
ミレラアは私を正面からまっすぐに見つめてくる。
「こここそが私が帰る場所で、シェリア様のおそばにずっといたいからに決まってるじゃないですか!」
クライブもミレラアの言葉に静かに頷いている。私だけがまだ覚悟が足りなく、二人からの気持ちを理解しきれてなかったのだろう。
「分かったわ、ミレラア。じゃあ、約束通りあなたは今日から正式に私の使い魔でメイドよ」
「ありがとうございます、シェリア様」
「シェリーでいいわ」
「はい、シェリー様!」
ミレラアは我慢できなくなったのか私に抱き着いてきた。そのまま頬ずりまでしてくる。ミレラアが私に友愛以上の感情を抱いていることは知っている。その想いに応える気は一切ないので突き放してもいいところだけれど、今はちゃんと仕事をこなした使い魔を褒めなければならないだろう。
ミレラアをそっと抱きしめ返し、短くなった髪を優しく撫でながら、
「今回はあなたのおかげで助かったわ。ありがとう。がんばったわね」
と、感謝とねぎらいの言葉を口にする。ミレラアは私の言葉に反応を返さず、黙り込んでしまう。ただミレラアの体温だけが上がっていくのを感じていた。
『シェリー。こいつ感極まって泣いてるよ』
「うるさい、ソファーの鳥は黙ってろ!」
「はいはい、本当は仲がいいんだから、喧嘩しないの」
私の言葉に二人は何か言いたげな表情で見つめてくる。クライブは不満そうに目を細め、ミレラアの目元は少しだけ赤くなっていた。
「それじゃあ、ミレラア。帰ってきて早々で悪いのだけれど、紅茶を淹れてくれるかしら?」
「はい、シェリー様。少々お待ちください」
ミレラアは立ち上がり、見たものを虜にしそうなほどの眩い笑顔を浮かべた。
夜に生きるヴァンパイアの明るい表情に私も釣られるように笑みがこぼれそうになるが、本を広げて誤魔化すことにした。
気付けば私の周りには少しずつ大事なものが増えてきたように思える。
血の繋がりがなくても種族が違っても、使い魔と主人という関係であっても、長い時間を共に過ごせばきっとそれは家族と呼んでも差しさわりのない関係だといつかは思えるのようになるのかもしれない。
ヴァンパイアの少女の少し成長した背中を見ながら、私は郷愁と物思いにふけた――。




