図書館慕情 ②
遠くにストベリク市の外郭やその奥にある建物が見えてきた。
眼下には、人家や耕作地が広がり始め、真下に見える街道を行く人の数も多くなる。そんな人々が、上空高くを飛ぶ私の姿に気付いては、驚いたり珍しそうに見上げたりするも、手を振ったり声を張り上げたりと思い思いに私に対して歓迎の意思を表わしている。
高度を下げて街道沿いに進んでいき、ストベリク市の外郭にたどり着いた。
そこで壁の内外の人流を警備している衛兵にそっと近づいていく。
「お邪魔するわね」
ふわりと舞い降りながら頭の上から聞こえてくる私の声に、最初こそ驚いたような表情を浮かべていたが、すぐに私に正対し、背筋をピンと伸ばし敬礼をしてきた。
「もちろんであります、我らが魔女様! ようこそ、ストベリク市に!」
「そんなかしこまらなくてもいいのに」
必死な姿に思わずくすりと笑うと、衛兵は私の顔を見つめながらぼんやりとしているようだったが、すぐに緩みかけていた表情を引き締め直した。
「それでは魔女様! もし何か御用の際は、なんなりとお申し付けください!」
「ええ、ありがとう」
衛兵に見送られながら、外郭を抜けると高度を上げた。
久しぶりにやって来たストベリク市は建物と人口が増えたのか、以前より賑やかさが増したように感じる。
ストベリク市は古くは学園都市として知られていて、研究者や学生が集まってくる都市だった。だからと言うわけではないが、発展具合のわりには静かで落ち着いた印象の街だった。
それが今ではその面影はいっさい感じられない。
その証拠と言ってはなんだが、今こうしてただ飛んでいるだけでも、
「あっ、魔女様だ!」
「おーい! 魔女様ー!!」
と、下の方から老若男女が私を呼ぶ声が聞こえてくる。それが伝播していき、気付けば誰もが手や足を止め、空を見上げ、私に向かって手を振ったり声をあげる。
注目の的にならないように目立たないようにすることもできるが、そこまでしてコソコソする必要性を感じないし、そもそも単純に面倒くさい。
私を見上げる人たちは害意もなく、本心から歓迎してくれているだけというのを理解しているので、たまに相手をしながら受け流すくらいがちょうどいいと思っている。
そのままストベリク市の上空を飛んでいき、目的地でもある都市中央部にある独特の存在感を放っている建物に近づいていく。
かつての学園都市時代には知のシンボルとして、今では紡いできた街の歴史の証として、今も昔も変わらず民衆に愛されている大図書館。
ストベリク市の大図書館は政治の中心である議事堂と並んで、この市の中では飛びぬけて古い建物だ。大図書館は私が生まれる以前からある建物で、何度も増改築を繰り返してはいるものの、その変わらぬ立ち姿は私にとって愛着の強い場所となっている。
大図書館の最上部にある鐘楼には、かつては綺麗な音色を響かせる鐘が設置されていたけれど、時の流れの中でいつの間にか失われていた。だから、今ではその鐘の音を実際に聞いたことがあり、思い出せるのは世界では私一人しかいないだろう。
そんな哀愁を感じながら、久しぶりに訪れた大図書館の周りを飛びながらぐるりとまわってみる。いつ見ても歴史を感じる立派なその姿に、一人うんうんと頷いてしまう。
そして、そんな図書館にある本は名目上、全てが私の所有物であるという事実を加味すると、自然と笑みがこぼれてしまうほどに嬉しく、胸も高鳴ってしまう。
おそらく蔵書の数だけで言えば、この図書館は世界で一番多い。元々多かったというのもあるがさらに私が本を集めるようにとお願いと指示を出しているのだから、増え続けるばかりで減ることはない。その保管場所として地上部分はもう増築する余裕も敷地もないので、今では地下に書庫が広がり続けている。
そんな私の要求をなぜストベリク市が素直に聞いているのかと言えば、この都市は私によって生かされているからだ。
現在では魔導遺産と呼ばれている魔導文明時代に構築されたインフラや防災などの都市機能を維持するための大規模な魔導装置が各都市には存在する。ストベリク市のそれを管理していて、さらには一番大事な装置を稼働させるための魔力の供給を私が一人で担っているのだ。
もし私の機嫌を損ねたりして、見捨てられその管理を放棄されれば、都市機能は完全に停止し、当たり前に使っている電気や上下水道も使えなくなってしまう。さらには今までは完全に守られてきた地震や豪雨などの自然災害とも対峙しなければならなくなる。それだけでなく、魔導文明崩壊時に凶悪化した獣や異界からやってきたモンスターといった脅威に対しても自分たちで対処しなければならなくなるのだ。
だからこそ、どこぞの怠惰な魔女の言う通りに大図書館を管理することが都市を管理運営ための最も大事な基盤であり、また守られていると市民が自覚し感謝しているからこその歓迎ぶりだったりするわけなのだ。