偏愛のヴァンパイア ①
その魔女が住むという森は普通の人間ならば足を踏み入れることすら躊躇してしまう。一番の理由は森が獣やモンスターの多い地域で、人間の方が力も立場も低いからだ。さらには魔女の住む森は同じような見た目だったり背の高い樹木が多く、簡単に方向感覚が狂わされてしまう。そのうえ魔女の使う魔法のせいか森の深部を目指してもいつの間にか森の入り口に戻ってきてしまうという。
そんな森の中で、それも夜遅い時間に一人の少女が苦々しい表情を浮かべていた。
「報告にあった以上にやっかいな森ね。だから、斥候とはいえ私が選ばれたのかしら。日が昇る前にできればなんとかしたいところね。ああ、忌々《いまいま》しい。とりあえず、魔力の濃い方に行ってみようかしら。もう早く帰って、ゆっくりとお風呂に入りたいわ」
そう小声で愚痴りながらも気配と足音を消しながら、その影は森の中を尋常ならざる速さで駆けていく。
***
『ねえ、シェリー! ちょっと来てよ』
クライブが私を呼ぶ声が聞こえ、渋々といった風にソファーから体を起こす。
「どうしたの、クライブ? 遅くまで本読んでたから、まだ眠たいのだけれど」
文句と欠伸混じりにクライブのいる玄関先へと歩み寄っていく。
『これなんだけど、どうしたらいいと思う?』
クライブの足元には一匹のコウモリが文字通り落ちていた。ぱっと見では血は出ている様子もなく、呼吸でわずかに体が動いているので死んでいるわけでもないようだ。
なんというか疲れ果てて目を回し、ぐったりとしているという言葉が似合うそんな状態。
『ねえ、シェリー。この生き物からする匂い……』
「ええ、分かってるわ。とりあえず、家の中に入れて、食べ物をあげるくらいはしましょうか。それからどうするかはこの子次第よ」
『だけど、シェリー。得体の知れないものを招き入れるのは――』
「それをあなたが言えるのかしら、クライブ?」
私がクライブの頬あたりを撫でながら笑顔を向ける。クライブは自分の幼き日のことを思い出したのか言葉に詰まっているようだった。
『まあ、シェリーが大丈夫だって言うんなら、それでいいんだ』
「ありがとう、クライブ。とりあえず、テーブルまで運んでくれるかしら?」
クライブは嫌々という態度を丸出しでくちばしの先でコウモリを優しくつまみ上げ、家の中に運び入れテーブルにそっと置いた。そのコウモリをいつかのように使っていないタオルで包んでやり、近くに空間魔法で取り寄せた果物をそっと置いた。
コウモリは果物の匂いに反応したのか目を開けて、モリモリと一気に果物を平らげると満足したのか再び眠りについた。クライブはそれを警戒心を持って見つめていて、私は遠目に読書しながら見守った。
『ねえ、シェリー。本当に大丈夫なんだよね?』
「心配性ねえ。大丈夫よ。ちゃんと対策はしているわ」
『そういうことならいいんだ。僕に何かできることはある?』
「特にないわね。自然にいつも通りにすればいいのよ」
クライブと話しながら、ベッドの下に空間魔法で取り出した大きめのカーペットを魔法を駆使しながら敷き、そこにちょっとした仕込みを静かに完了させる。
コウモリはそれから起きることなく眠り続け、日が暮れた。
その日の夜は読書を早々に切り上げ、珍しく早い時間にベッドに横になった。ランプの灯を消し、瞼を閉じて浅い眠りへと落ちていく。
***
淡い月の光が部屋をぼんやりと照らし出し、どこからか夜行性の鳥の鳴く声だけが聞こえてくる夜更け。
家の中には人影がぼんやりと浮かび上がった。わずかな月明かりの中で照らし出されたその姿は、十代半ばほどの少女の姿をしていた。アルビノだと言われても信じてしまいそうなほど白い肌に綺麗な銀髪で、しかし瞳は血を連想させるほどに赤く、それでいてルビーのように澄んでいた。
「ようやく寝静まったわね。噂に聞く魔女にしては警戒心が薄くて助かったわ。でなければ、こうやすやすと侵入できなかったでしょうね」
夜の暗さの中でもはっきりと見える視界の中でグリフォンに目をやり、大人しく寝息を立てているのを確認してからベッドへと足音もなく近寄っていく。
「それにしてもこの魔女、スタイルいいし顔も綺麗だし、私の好みなのよね。殺すのは惜しいわね」
魔女は都合よく少女とは反対側を向いて眠っていて、毛布から覗く首筋は細く、そこにかかる髪の毛は絹のようになめらかで綺麗な長い黒髪をしている。これからこの首筋に歯を突き立てることを考えるだけで、よだれが出てきそうになる。
魔女を起こさないようにそっとベッドに手をつき、口を開けると上側の犬歯が鋭く伸びていく。それを魔女の首筋に突き立て、そこから流れる血をすすった。ごくりと血を飲み込むとその表情はうっとりと恍惚したものへと変わる。
「ああ、なんて甘美な味なの。肌の質感も極上だし、これを知ってしまったらもう他の血なんて泥水以下だわ」
少女は余韻を楽しみながら視線を魔女に戻した。
「こんな極上の魔女を眷属にできたのだから、面倒だと思ったけど来て正解だったわ」
満足げに言葉を漏らし、もう一度極上の血を味わいたくなり舌なめずりをした瞬間、ベッドの下――正確にはカーペットで隠された床から強い光が放たれた。そして、その光の中で少女の体は自分の意志で動かなくなってしまった。
体は動かせないが、少女の目にはありえない光景が展開されていた。それは眠っていてさらには眷属にしたはずの魔女がゆっくりと体を起こしたのだ。さらに魔女が手をさっと振るとランプをはじめ部屋に明かりがともった。
「もうちょっと痛いじゃないの」
そう文句を言いながら先ほど少女が歯を突き立てた首筋を手で押さえると、次の瞬間には完全に止血され、傷跡さえ消えていた。魔女はゆっくりと少女に向き合うと不敵な笑みを浮かべる。
「何もしなければ見逃してあげたのに、さすがにおいたが過ぎたようね。ヴァンパイアのお嬢ちゃん」




