続・図書館慕情 ⑧
翌朝、枕代わりにしていたクライブに起こされ、目を覚ました。
そのままクライブの背に乗り、リビングに運んでもらい、そこにいたカーヤの背中に「おはよう、カーヤ」と声をかけた。
「おはようございます。シェリア様」
挨拶を返しながら向き直ったカーヤの表情は一瞬で固まり、困惑の表情へと変わる。それには既視感があり、思わず笑みをこぼしてしまう。
「歩くのすら面倒だから、クライブに運んでもらったのよ」
「そうだったのですね。それで朝食はどうしますか?」
「軽めのパンか何かをお願いできるかしら? ジャムはこっちで用意するから不要よ。あと紅茶はこれでお願いできるかしら。あなたも一緒してくれるわよね?」
「はい。では、お言葉に甘えさせてもらいます」
魔法で取り出した茶葉をカーヤへと渡す。カーヤはそれを受け取ると、軽い足取りでキッチンへと向かっていった。
クライブの背から降り、椅子に腰かけると、姿を小さくしたクライブがテーブルの上に飛んできて、私の目の前にちょこんと座った。カーヤが戻ってくるまで、クライブを撫でたりして小さくなっても変わらない毛並みの感触を楽しんだ。
しばらくするとカーヤが戻ってきて、私の食事に付き合ってもらった。クライブも一緒に出された果物の盛り合わせから好きなものを取って勝手に食べていた。
「余ったジャムはドーリネにあげてもらっていい? このジャム好きだったはずだから」
「分かりました。そういうことなら今度、母と一緒に楽しませてもらいます」
「カーヤも抜け目ないわね」
「美味しい甘いものに目がないだけですよ」
その言葉には共感してしまい、思わず笑ってしまう。それから食事の片手間にカーヤに他の人がどうしているか尋ねた。ヨルンは図書館に仕事へ、ヴェルナーは学校に行ったらしい。ドーリネは自分の部屋でユーリリーの相手をしているそうだ。その間にカーヤが家の掃除をしていたところに私が顔を出したのだという。
食事を終えるとドーリネに別れの挨拶をし、図書館へ行くことにした。
家の前からホウキに乗り、寄り道をせずに図書館へ。
図書館の中に入ると、カウンターにいた職員に案内され館長室に向かった。ヨルンは仕事の手を止め立ち上がり、私を出迎えながらソファーに座るように促してきた。
「魔法陣のチェックをしたら帰るから、その前に声を掛けに来ただけよ」
「そうでしたか。では、私もついて行ってよろしいでしょうか?」
「かまわないわ。これからすぐにでも大丈夫かしら?」
「ええ、もちろんです。シェリア様」
ヨルンは館長室から出て、手近なところにいた職員に声を掛けてから私に「すいません。では、行きましょうか」と廊下を抜け鐘楼に上がる階段へと向かう。私は疲れるのが分かっているので、ホウキを取りだし腰かけ、ヨルンが息を切らして階段を登っている横を速度を合わせて飛んだ。
長い階段を登り切り、魔法陣のある小部屋までたどり着くと、ヨルンが膝に手をついて息を整えだした。それを横目に魔法陣のチェックをする。
魔法陣を設置するために補強した壁の状況は良好で、魔法陣の状態も問題ないように思えた。試しに空間魔法を繋ぎ、本を一冊取り出してみる。すんなりと取り出せたので、魔法陣と私との魔力のリンクもちゃんとしているようだった。あらかたのチェックを終えると、一つ息を吐きだした。
「シェリア様、魔法陣の方は問題なかったみたいですね」
「ええ、そうね。ねえ、ヨルン。まだ時間はあるかしら?」
「シェリア様に付き合う時間でしたらいくらでも」
「そういうことなら、まだ付き合ってもらおうかしら」
そう言いながら鐘楼に出る扉を指差した。ヨルンはズボンのポケットから取り出した鍵を使い扉を開けると、扉を押さえて私を先に行かせてくれた。
そして、二人並んで久しぶりに景色を眺めた。
「相変わらずここからの眺めはいいものね」
「ええ。以前、シェリア様とここで同じように景色を眺めて以来、私は時々ここに来て景色を眺めてはシェリア様のことを思い出していました」
「それでいつからか私のことを本にしたいと?」
「ええ、まあ」
ヨルンは恥ずかしそうに笑みを浮かべるが、瞳だけは以前のように輝いて見えた。その瞳を見て、ちょっとしたことを思いついた。
「ねえ、ヨルン。ここが大鐘楼と言うからには、昔、ここに鐘があったのは知っているかしら?」
「それはもちろんです。と言っても、この都市の歴史の書かれた文献で知っているくらいで、古い本に当時の写真が残っていたのを見たくらいでしょうか」
「じゃあ、鐘の音がどういうものだったか知っているかしら?」
「いえ。たしか文献の中には、とても綺麗で優しく遠くまで鳴り響いたとしか」
「まあ、直接聴いたことがないのだし、そういう表現になるのも仕方ないわ。じゃあ、そろそろ降りましょうか」
私は右手でホウキを取りだしながら、もう片方の手でここに繋がる扉を閉め施錠する。ホウキを手に持ったまま、「私の手を握ってくれるかしら」とヨルンに左手を差し出すと、何も言わずに私の手を握った。初めて会った時は小柄で小さな子供だったが、その手は大人の骨ばった男性の手だった。
そして、二人して鐘楼の壁の上に立ち、いつかのように鐘楼から飛び降り、重力に従って下へと落ちていく。ヨルンは私を信頼しきっているのか声をあげることなく、落下に身を任せていた。そんなヨルンの様子を見ながら、途中で魔法で降下速度を緩め、ふわりと地上へと舞い降りる。
「貴重な経験をありがとうございます。こればかりはなかなか慣れませんね」
「そう言うわりには余裕そうな表情をしてたじゃない」
「もうシェリア様の前で醜態を晒したくはありませんから」
ヨルンが真面目な顔で言うので思わず笑ってしまう。ヨルンも頬を緩ませながら、
「それではシェリア様。ストベリク市はいつでもあなたのお越しをお待ちしております。私個人としましても、またお会いできることを楽しみにしております」
と、頭を下げながら別れの挨拶をしてくる。顔を上げたヨルンと目が合うと、私は笑顔を見せる。
「何かおかしなところでもありましたか?」
「いえ、何も。ただ帰る前にまだやることがあるのよ」
「やることですか……それは――」
ヨルンの言葉を遮るように、私は自分の口元に人差し指を当て、静かにするようにと合図を送る。
「エーレンツへの手向けと、ストベリク市の平穏な未来を祈って、私から心ばかりの贈り物をしましょう」
そうヨルンに対して宣言をし、鐘楼に指先を向け、くるりと回転させる。
私の指の動きが止まるのと同時に、鐘のないはずの大鐘楼から大音量で鐘の音が響いた。鐘楼から見えていた景色よりも遠くまで届きそうなほど、綺麗で荘厳な鐘の音。聞く者の心を掴み、思わず手や足を止めて見上げてしまうそんな音。
その鐘の音は隣の都市やミアトー村まで響いたという。
ヨルンは鐘の音を聞きながら涙を流しながら私に笑みを浮かべる。鐘の音が鳴り終えた残響がまだ残る中、ヨルンは私に深々とあらためて頭を下げる。
「シェリア様。またいつでもこの街にいらしてください。私たちはいつでも、いつまでもシェリア様が訪れることを心から待っております。そして、今日この日のことを、鐘の音を一生忘れることはないでしょう。本当にありがとうございました」
「そうね。また会えるといいわね」
別れを湿っぽいものにしたくなくて、あえてあっさりとした口調でヨルンに別れの言葉をいい、クライブを肩に乗せる。
またいつか訪れる日に想いを馳せながら、今は空へと高く舞い上がっていく。




