続・図書館慕情 ⑦
ヨルンとカーヤは私と向き合うように座り直した。私は酒を飲む片手間に小鳥の姿に戻ったクライブをテーブルの上で撫でていた。
「それではシェリア様。どのようなお話からしたらよろしいでしょうか?」
ヨルンは家族に向けていた柔らかな表情から一転して、仕事用の鋭さを纏いながら話を切り出した。
「なんでもいいわ。あなたが重要だと思うことから話なさい」
「分かりました。そうですね……まずは義父――いえ、先代から引継ぎ調査している魔法師の件ですが、鈴をキーワードに情報を集めるという話をしていたのは覚えていらっしゃいますか?」
「ええ、もちろんよ。そこから切り出すということは何か進展でもあったのかしら?」
「申し訳ありません。進展というほどではないのですが、少し気になる点がございまして」
「それは何かしら?」
ヨルンは資料の紙の束に目を落とし確認してから、視線を私に向け直す。
「確定情報ではないのですがよろしいですか?」
「ええ、かまわないわ。他の魔法師の情報を集める難しさはエーレンツの時から、いえ、それ以前から分かってることよ」
「ありがとうございます。まず鈴ということだけでは集まる情報にめぼしいものはありませんでした。そこで私は鈴にとらわれず、似たようなもの例えばベルや鐘にまで広げて、些細なことでもいいから情報を集めるようにとお願いをしました」
「それで?」
「そこでようやく共通点らしきものを見つけました。それは誰も住んでいないはずの民家から、ごくたまにベルのような音が聞こえることがあるということでした。地域的にはストベリク市やミアトー村などシェリア様の管理下にない都市や村にそういう建物が最低でも一軒はありました。しかし、その建物から魔法師らしき人影を見ただとか、人が出てきたというのは確認はできていないのですが」
ヨルンはそこで言葉を区切った。たしかに気になる情報ではある。魔法師の人影や気配を感じられないは単純に魔法で隠れたり、隠しているからだろう。問題はそこではない。
今までは魔法師本人が空間魔法を使い、移動している可能性は考えていた。だけどそれは、現在の魔法を使うには厳しすぎる環境では難しいとも理解していた。私と同等クラス以上の魔法師でなければ、空間魔法のゲートを開いただけで命すら失いかねないほどのリスクをはらんでいるからだ。
しかし、他の誰か――例えば空間魔法を行使し続けても平気な私と同じような魔法師が仮に存在しているとすれば、その魔法師の行使する空間魔法を鈴やベルを魔道具として共鳴させ、移動に利用しているとも考えられる。
それはあまりにも荒唐無稽で、まずありえないと切り捨ててもいいほどの可能性だった。それなのにそんなことがありえてしまう可能性が一つだけ脳裏に浮かんでしまう。
魔導文明時代に空間魔法を行使できた私以外の二人の魔法師。そのうち死んだことを確認できたのは私の師匠だった人だけで、もう一人とは魔導文明崩壊後の混乱が収束に向かった時に別れてしまって以来だが、あの方は師匠とは別ベクトルの変人で天才だった。生きていればおそらく七百歳近いはずだ。魔法師の寿命が一般なの人間よりは長いとはいえ、せいぜい二倍から三倍程度だ。眉唾ものの伝記には千年以上生きた魔法師がいたと言われるが、そんなのは誇張にすぎないと思っている。
だけど、あの方のすることは分からないので、もしかしてと思わされてしまうのも事実だった。
「シェリア様、もしかして何か心当たりでもあるのでしょうか?」
ヨルンは私の顔色の変化を読み取ったのだろう。やや前のめりになりながら、私からの反応を待っている。しかし、どう説明していいか分からない。
「どうかしら……ただ、ありえない仮定を前提にすればありえると思っただけよ」
「ありえない仮定……ですか」
「七百歳近く生きながら、今の魔力が薄い魔法師には過酷な環境で膨大な魔力を必要とする空間魔法を行使し続ける化け物みたいな魔法師がいたらと言うね」
「そ、それは……」
ヨルンはとっさに否定の言葉を言おうとしたのだろう。しかし、私が冗談を言っているようにもからかっているようにも見えないので言葉を飲み込み、動揺を隠し切れないのか視線を彷徨わせた。それから酒に口をつけ、気持ちを落ち着かせるかのように大きく息を吐いた。
「シェリア様。そこまで飛躍してしまいますと、私たちには理解の及ばない世界の話になりそうですので、調査はこのまま継続ということでよろしいでしょうか?」
「それでいいわ。私も他の可能性を探ってはみるけど、どうでしょうねえ」
「今のように自信なさげに話されるシェリア様は初めて拝見しました。あなたほどの方でもやはり悩みは多いのですね」
「ひどい言われようね。あなたは私のことをなんだと思っていたの?」
「もっと達観されていて、何事にも動じない方だと思っていました」
ヨルンの思う私の印象には笑ってしまいそうになるが、あながち間違ってはいない。エーレンツの死のように接点のあった人間の変化に感情が揺さぶられることはあっても、芯から心を揺さぶられるようなことは数百年単位で経験はしていなかった。
「そういえば、シェリア様。主人が密かに抱いている夢があるのですが、なんだと思いますか?」
場の空気が和んだことを察したカーヤが笑みをこぼしながら尋ねてきた。隣のヨルンは急なことに驚いたのか、仕事用の表情が一瞬で崩れた。そのことで何か面白そうな気配を感じてしまう。
「わからないわ。どんな夢なのかしら?」
「まだ先のことですが、館長職を引退した後にシェリア様のことをまとめた本を書きたいそうで、今から資料集めをしているんですよ」
「まあ、そうなの。それでそちらは順調なのかしら? ヨルン」
「ええ……まあ」
ヨルンが歯切れの悪い返事をするので、ついカーヤと顔を見合わせて笑ってしまう。しかし、ヨルンは真面目な表情に戻り、私のことを正面から見つめてきた。
「シェリア様。そのことで一つお願いがあるのですが、そのいつか本を書く際にシェリア様の名前を出してもよろしいでしょうか?」
そのお願いには即答できなかった。私は自分に関わり合いのある人にしか名前を教えていないし、ヨルンのように館長職など役職を引き継ぐときに初めて知らされるといった形でしか知ることはない。しかし、カーヤなどその家族も知っていることはあるので、意外と名前を呼ばないように市民の方が気を遣っているのかもしれない。
「私の名前はどれくらいの人が知っているのかしら?」
「正確には分かりませんがストベリクに暮らしている人の半分以上は知っているかもしれません。政治や商いに関わるものは知っているのでそこから広まったのではないでしょうか」
「そういうことなら特別にヨルンには許可を出しましょう。その代わり、本は図書館内で保管し、持ち出しは禁止にするなり、内容含め情報の扱いには気をつけなさい」
「それはもちろん分かっています。シェリア様がストベリク市にどれだけ恩恵を与えたのか、またその人柄をちゃんと知ってもらいたいと思っただけですので」
「シェリア様。主人はこう高尚なことを言っていますが、単純にシェリア様に憧れていて、幼いころに魔法を体験したことが忘れられないだけなんですよ?」
カーヤの横槍にヨルンは顔を真っ赤に染める。そのことに私は声を出して笑ってしまう。
アントガル家は本当に不思議な場所だ。代替わりしても私を楽しませてくれるし、穏やかな気持ちにさせてくれる。きっと幸福の連鎖で繋がっていて、自分たちだけでなく周囲にまで影響を与えているのかもしれない。そんなアントガル家だからこそ、幸福が続けばいいと祈ってやまないし、またストベリクに来たときには訪れたいと思ってしまう。そのときはどんな幸せの形を私に見せてくれるのだろうかと期待もしてしまう。
楽しい夜も次第に更けていき、私は客室のベッドを借りて眠りについた。




