続・図書館慕情 ③
館長室のソファーに腰かけしばらくすると、図書館の職員が紅茶と焼き菓子が載った皿を持ってきてくれた。
向かい合うように座ったヨルンは紅茶に口をつけ、何か納得したように頷いている。
「紅茶に何か気になるところでもあったかしら?」
「いえ、これが話に聞いていたシェリア様のご愛飲されているものかと思うと、感慨深いものがございまして」
「ミアトーの紅茶を飲めば、いつでも味わえるわよ?」
「そうかもしれませんが、シェリア様にミアトー村が用意するのはそのなかでも選りすぐりの一品でしょう? それを味わえるだけでも幸運というものでしょう」
ヨルンは満足そうな表情を浮かべ、カップをソーサーに静かに置くと、眼の色が変わる。それは鋭利な刃物を想起させるほどの鋭さで、こういう切り替えは血の繋がりがないとはいえ、エーレンツとよくに似ている。
「それでシェリア様。どのような話をお聞きになりたいのでしょうか?」
ヨルンの言葉に少し考え込んでしまう。聞きたい話は色々ある。きっとエーレンツと同じように聞けば世界情勢だとかストベリク市の近況、エーレンツから引き継いでいるであろう様々な情報収集をもとにした踏み込んだ話など聞かせてもらえるのだろう。
しかし、今、一番興味のあることは目の前のヨルン・アントガルという人物そのものだった。
「そうね。まずはあなた自身のことを話してもらえるかしら?」
「私……のことですか?」
「ええ、そうよ」
私の言葉が予想外だったのかヨルンの目からは鋭さが薄れ、纏う空気感が分かりやすく緩んだのを感じた。こういうところで油断と言うか気を抜いてしまうようでは、まだまだ若いというか甘いところがあるのだろう。
「まずは何から話しましょうか……そうですね。シェリア様とお会いしてから、私はより一層、本の世界にのめり込み、さらには勉学に励みました。そのおかげか、官僚養成の学校に進み、エリートコースからは外れますが自分の意志で図書館の職員になり、今に至るわけです。先代から館長の職を引き継いでまだ八年ほどの若輩者ではございますが」
「若くして館長になれたというのは、誇っていいことだと思うわ」
「内情を打ち明けますと、図書館の管理業務というのは人気がないのですよ。政治の中枢に関わりたいという野心家が多いのでしょうね。そういう者からするとやりがいのない仕事でしょうし。しかし、都市運営の上では重要な役職でもあるので、それなりに権限もあるというアンバランスさゆえに、よく他の役人や議員たちには白い目を向けられていますよ」
ヨルンは愚痴にも似た内情の暴露をどこか楽しそうに話してくれた。そんな内容にもかかわらず、話し方が上手いのか思わず笑わされてしまう。
「そんなことを嬉々として話すなんて、あなた相当変わっているタイプね。エーレンツも役人としてはとても変わり者だったけれど、そんなところまで引き継がなくてもいいのに」
「そうやって、似ていると称されることは誉め言葉として、受け取らせていただきます」
ヨルンはわざとらしく頭を下げて見せるので、つい笑ってしまう。ヨルンは話で引き込んで自分優位の場を整えるのがきっと上手いのだろう。そのうえ、エーレンツほどではないが切り替えのうまさや鋭い雰囲気まで兼ね備えている。それなら若くして館長になれるのも理解できる。
「それでエーレンツは? あなたに職を譲って、楽隠居でもしているのかしら?」
「いえ、三年ほど前に……」
「そう。それでどんな最期だったのかしら?」
「長く病気で苦しんでいましたが、最期は家族や親族、仲のよかった人に見守られながら眠るように安らかに」
「安らかにか。それはよかったわ」
ヨルンは寂しそうな表情を浮かべるが、すぐに柔らかな笑顔を浮かべる。
「義父は――すいません、前館長のエーレンツ様の娘婿として、正式に家族になったのですが、義父は心残りがあるのだとよく話しておられました」
娘婿ということは一人娘のカーヤと結婚したのだろう。エーレンツとドーリネはヨルンのことも自分の家族のように接していたし、本当の家族になれると知ったときはたいそう喜んだことだろう。
「どんな心残りがあったのかしら?」
「もう一度、シェリア様とお茶や酒が飲みたかったと。きっと色んな話をしたり聞いたりするのが好きだったんだと思います。元々、知的好奇心が強かったのか、義父も高級官僚の誘いを蹴ってまで図書館の職員を選んだ変人だったそうですから。それに知っていますか? 義父はシェリア様が読み終わって返却してきた本を後追いで読んでいたんですよ。ただシェリア様は読むのが速いうえに濫読家だから、全然追いつけないと嘆いていました」
そのエピソードは知らなかった。だけれど、エーレンツは幅広く知識を得ることで私との会話をスムーズにしたり、情報収集する際の人付き合いなどに活かしていただろうことが想像できてしまい、笑みがこぼれてしまう。しかし、目の前でそれを語ったヨルンはどこか辛そうで。
「義父はとても偉大で優しい人でした」
「そうね。私はあなたほどエーレンツのことは知らないわ。だけれど、大きいのは体や声ばかりではなく、心や器も大きかったということなのでしょうね。私がもっと早くに来れたらよかったわね」
「そうですね。でも、それは仕方のないことだと私も義父も――いえ、この街に暮らす皆が思っていることですので、お気になさらないでください」
「分かったわ。まあ、私に会いたがっていたのなら、エーレンツの墓前に花でも供えに行こうかしら」
「もちろんです。義父も喜びます」
ヨルンも笑みを浮かべ、紅茶に手を伸ばした。それからエーレンツの思い出話を二人ですることにした。私から話せることは少なかったが、エーレンツが犯した魔法陣の毀損をしたエピソードにはヨルンも声を出して笑っていた。
エーレンツともう話せないという事実には、寂しさを感じてしまうのはきっと短い付き合いにも関わらず濃いものだったせいだろう。
しかし、こうやって誰かが先に亡くなっていくというのは幾度も経験したことで、私が抱えている業と呼ぶべきものだ。あまり人と関わらないようにして、その辛さから目を背けるという選択を取り続けているものの、私は無関心を突き通せるほどの精神性は持っていない。未だにどう向き合えばいいのかは分からない。
今できることはエーレンツの墓前で一言声を掛けるくらいなのだろう。死者に対して生者ができることはあとは祈ることと覚えていることくらいだ。
だから、エーレンツ・アントガルという笑い方が特徴的で、私に尽くしてくれた男のことは忘れないようにしようと心に刻むことにした。




