水が成る
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
みんなは「球電現象」を見たことがあるだろうか? かっこよくいうと「ボールライトニング現象」だな。
古くは電力が何かしらの条件で滞空し、球の形になって漂う。色が変わったり、臭いがしたりという報告がちょくちょくあがり、その実在を疑わない人も多い。
しかし、一方でこれらを幻覚だという人もいる。
落雷のときに起こりやすいといわれる、この球電現象は、雷がもたらす電磁場を受けた脳の錯覚なのだとね。そこに各々が話に聞いた「球電」のイメージが重なり、あたかも現象のように伝えられる……という説があるんだよ。
――え? なんでもかんでも夢とか幻覚とかいっていたら、ワイルドカードすぎてつまらない?
うーん、そりゃ僕も同意だね。でも、これは新たな目標に対する称号とも思えないかい?
理解不能なことは、ひとまず幻覚としておいておく。いつかそれを解明するという、「ゴール」を設けてくれたと考え、いつか掌中におさめるため、日々知識を重ねていく。
研究者にとって幻覚扱いは、あきらめじゃない。ターゲットなんだよ……なんて、僕が勝手に思っているんだけどね。
そんなターゲットは、みんなの身近にもきっとある。僕の地元にも、いまだ解明できてない不思議な言い伝えがあるしね。
その話、聞いてみないかい?
むかしむかしの冬のこと。
村のみんなが、早朝に起き出すやちょっとした騒ぎが起こった。
家の土間が、すっかり水浸しになっている。一段高い居間までは届いていないものの、履物はものによって、浮かんだり沈んだりしている。かまども焚口がすっかり水浸しになって、使い物にならなくなっていた。
どうにか外に出ると、村どころか周囲の地面まで、軒並み冠水。よもや川の堤防が切れたかと、男衆が川の様子を見に行くも、特に壊れたような場所もなし。
海からはそれなりに離れた土地だ。満ち潮の被害に遭ったとも考えづらい。第一、この水には塩辛さがない。
村人たちは首を傾げながらも規模の広さゆえに、水に関しては日差しが乾かし、地面が吸い取ってくれるのを待つよりなかったとか。
地面からぬかるみも、ようやく取れた数日後。
外で遊んでいた子供たちのうち、かくれんぼに参加していた子が、少し遠めの木立の影に身を隠していた。
鬼に見つかっても、じかに触れられるまでは捕まったことにならない。ゆえに、見つかりづらいところより、逃げやすいところを選んだ。袋小路など、もってのほかだ。
動き回る鬼と逃げ手の気配を感じながら、樹の幹に背を預けていた子供だけど、ふと耳に声や足音とは違う響きが飛び込んでくる。
ばしゃんと、液体をこぼしたような音。
はっと顔を上げると、並み居る木立の間を抜けて、ぐんぐんこちらに迫ってくる影がある。
地面全体を覆いつくし、木々の間を抜けるたびにうなりをあげて、けれども子供の背丈よりずっと低い襲来者たちの姿。
水だった。ぱっと子供が幹に足かけ、木へ登ったときにはもう、自分の立っていた根のあたりがあっという間に水に沈んでしまったんだ。
勢いはしばらく止まず。どうにか落ち着いた後に、ひざ下までぐしょ濡れになりながら戻ってみると、村は数日前と同じような有様となっていたという。
子供から話を聞き、大人たちが森の近辺を探ってみるも、やはりほど近い堤防に、損傷などは見られなかったのだそうな。
およそ人が用意できるような、水の量ではない。
かといって、ここのところ雨もないし、どこかから水攻めをされるようないわれもない。
もし攻撃だとしても、この程度の水量では殺意がない。
「ないない」づくしの水浸しに、皆が首をかしげていた。
この奇妙な現象は、水が乾ききって少し経ってからという頻度で、何度も押し寄せてきて、原因の究明が急がれていた。このまま水位があがったりしたら、食料の保管場所にも被害が出る恐れが出てきたからね。
荷駄が行きかう道、堤防まわりはもちろん、子供からの証言にあった森の中も人員が配され、怪しい兆しをいち早く抑えるべく皆は動き出した。
子供たちも、突然の水に流される恐れがあるため、外遊びを控えるように申し渡される。もし外で遊ぶ時も、すぐ避難できる高所の近くなどにするよう言いつけられていた。
それから数日。もしまた水が押し寄せるなら、そろそろという時期に、森の哨戒担当が奇妙な光景に出くわしたそうだ。
きっかけは、やはり音。森の中の川の位置は熟知していた村人は、それとは反対方向に歩を進めていたにもかかわらず、遠くから水音を耳にとらえたそうだ。
それも流水の音じゃない。水の中へ潜ったうえで、盛んに息のあぶくを繰り出しているような、泡立ちの音のように思えたのだとか。
いつでも飛びついて避難できるよう木々に隠れながら、間を小走りで動きつつ、出どころへ近づいていく村人。
すでに陽は暮れかけ。でも目を慣らした状態にとどめたく、火を焚かないまま先へ進む彼は、ひときわ高い一本杉の根元まで来て、息を呑むことになる。
幹と樹冠の境目。最も低い位置に、大きく手を広げるように張り出した太い枝。
そこにいくつも成っていたのは、みかんを思わせるような球体の実たちだった。ただし、その表皮から中身まで、すっかり中を見通せる水でできている。
それらがおのずから身を震わせ、合わさった時の大きな音が、村人の耳に届いていたんだ。
実の数は、見えるだけでも数十はある。もし更なるものが、樹冠の中へ隠されていたら……。
その村人の考えを裏付けるように、杉の真上。夕闇に暮れる空の上へ、出し抜けに光が走った。雷か? と見上げた村人の目の先で、杉のてっぺんの葉が大きく飛び散るのが見えた。
飛び散りは、なおも杉を駆け下る。そのところどころで、次々にばしゃん、ばしゃんといくつもの水音が立っていく。
すぐに察した村人は、隠れていた木に飛びつき、するすると昇って枝に足をかけた。
ほどなく、樹冠の端まで飛び散りが届くや、どどっと落ちるのは、水の実、水の実、水の実……。
村人が見ていたものも、ことごとくが地に落ち、実を成す水が弾け出たんだ。
何個落ちたか分からないまま、やがて地面の許容を超えて、浮き出てくる水のかさ。たぷんとひとつ波打つや、どっと全方位へ向け、それらの水が飛び出していったんだ。
その晩もまた、村はしばらくの冠水に襲われることになった。
この奇妙な水の実は、春になるとぱたりと姿を消してしまう。
それから何百年の間、冬が訪れるたび断続的にこの現象は見られ、これは杉以外の樹でも同じような水の実がつくこともあったという。
それが江戸時代に大火事があって、いったん森がすっかり焼けてしまうと、たとえ植林しても、水の実がつくことは、もうなかったと伝わるんだよ。