ヤニ中毒と、寮のメシ:こうへん
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床にぐったりと寝そべったままのカラハをつつきながら、ナユタは夕食後のお茶を飲んでいた。今日はふわりと優しい香りの桜茶である。
「ねえカラハ生きてる? ねえ生きてる?」
「……あぁ、……煙草、吸いてェ」
ぼんやりと焦点の合わない瞳で虚空を見詰め四肢を投げ出して転がるカラハを、ナユタは茶を楽しみながら面白がって弄くり回していた。廃人同様のカラハは何も反応せず、ただされるがままにぐったりとしている。
ここはナユタの部屋であり、後輩の猪尻が居れば流石に大の字で床を占拠するカラハは邪魔になる訳だが、猪尻は今は部屋には居ない。入寮債の打ち合わせで一回生ばかりの集まりに出ているので、今のところカラハが転がっていても許容範囲なのである。当然、消灯時間が近付けば力尽くにでも有無を言わさず追い出す訳だが。
「こんばんは。今大丈夫です?」
そんなナユタの部屋がコンコンとノックされ、控え目に声が掛かった。どうぞー、とナユタが返事をすると、顔を覗かせたのはパパこと寮生長タカサキ・ワタルだ。
「おやおや、これはまた。カラハ君を無力化するには煙草をどうにかすればいいんですね、覚えておきましょう」
「みんなして酷ェな、いたわろうって気持ちは無ェのか」
「全てにおいて自業自得でしょ。どこをどういたわれというのさ」
「冷てェ……世間の風の冷たさが身にしみるってなァ……」
馬鹿な事を呟きながらのそのそと床を転がるカラハを避け、寮生長はナユタに薦められるまま座布団に腰を下ろす。温かい桜茶を差し出すナユタに礼を言い、優しい味わいにほぅと息をついた。
「それでどうしたのパパ? わざわざ来るって事は、ええと、もしかして教授のことかな」
ナユタの言葉に寮生長は笑顔で頷いた。横目でカラハをチラリ見遣りながら、いかにも楽しげに語り出す。
「オウズ教授がですね、男子寮の昼食と夕食を食べたでしょう。それで、その質素さと不味さに衝撃を受けたらしくてですね」
「うんうん、そうだろうねえ」
ちなみに夕飯は焼きそばと赤だしであった。焼きそばは具がほぼもやしな上に麺が冷えて伸び、箸ではほぐせず板状に固まっているという代物だ。赤だしは当然具がなめこ程度しかなく、これまた塩辛いだけの出汁が行方不明の汁である。
「こんな食事では勉学に集中出来ない、体調管理にも支障を来しかねないと、寮の食事の改善案を寮監として正式に運営委員会に提出すると、そう力強く約束してくれました。これもカラハ君のおかげですね」
そして桜茶をとても美味しそうに啜り、寮生長はふふふと笑った。
「カラハ君はこれを見越してたんですよね? 皆感謝してますよ、思い知らせてやる事が出来たってね」
寮生長の言葉に、カラハはゴロンと転がってうつ伏せになると、ゆっくりと頭をもたげた。伸ばした手にナユタは無言で程良い熱さの湯呑みを差し出し、カラハは寝転んだまま桜茶を啜る。行儀悪いことこの上ないが、無理に誰も注意しようとはしない。
「別に俺はそんなつもりでやったんじゃねェけど。でもまあ、皆が喜んでくれてンだったらやった甲斐はあったかな」
そして湯呑みの中身を一気にぐいと飲み干すと、カラハはふうと大きく息を吐いた。空になった湯呑みをナユタが受け取り、カラハはまたごろりと横向きに転がる。
「カラハ、おかわりいる? 何か食べる?」
「いやもう要らねェ。あー、煙草吸いてェ」
「じゃあこれでも咥えとく?」
そう言ってナユタが差し出したのは、何やら茶色い棒状のものだった。長さや大きさは煙草にそっくりで、金色の紙で上部をぐるり巻いてあるのも煙草感を増す要因だろう。
「……何だコレ?」
首を捻りつつもカラハは素直にそれを咥えた。思わず癖で息を吸い込むと、すぅ、と爽やかな刺激が鼻に抜ける。
「シナモンスティックだよ。気に入った?」
からかうようなナユタの台詞に、微妙な顔をしたカラハはそれでもシナモンを加えたままで、ナユタはさもおかしそうにははははと笑う。寮生長は茶を楽しみながらニコニコと見守り、そしてシナモンの香りがふわり漂う。
カラハは少し考える素振りを見せ、ゆっくりとした動作でおもむろに立ち上がった。
「ま、いいや。何とかこれで我慢すらァ。……邪魔したな、また明日の朝に煙草取りに来るから」
「あ、もう部屋帰るの?」
「気を紛らわせるにゃア、寝るに限らァ。パパ、ナユタ、お先におやすみさん」
「おやすみ、また明日ね」
「おやすみなさい、よい夢を」
二人の挨拶にカラハは皮肉げな笑みを返すと、ぱたんと扉を閉めた。ほんの数歩離れた隣室に滑り込み、電灯の付いていない自分の部屋の冷たさに、もう少しナユタの部屋に居るべきだったかな、と少しだけ後悔をする。
どこからともなく聞こえる薄い喧噪を無視して、カラハはゴロリと冷えたベッドへ横たわった。咥えたままのシナモンスティックを吸い込むと、爽やかでいてどこか辛みのある香りが胸一杯に広がった。
何だかおかしくなって、クク、と一人で喉を鳴らす。
「最近、ホント退屈しねェな」
呟いてからそっと瞳を閉じた。何だか今日は疲れたな、カラハはそう思いながら、シナモンの香りに包まれたまま眠りに墜ちていった。
──翌朝、起床の放送が入ると同時にナユタの部屋のドアが激しくノックされ、ナユタがカラハにブチ切れたのだが、皆は「喧嘩する程仲が良い」と生温かく見守るだけだったという。
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男子寮の食事は本当にマズかったのです。
女子寮は普通でした。学食も普通です。男子寮だけ業者が違うのと、食費が削られているからです。
何で食費が削られていたかと言うと、当時持ち込みが禁止されていたテレビやゲーム機などを持ち込んでいる輩が多く、電気代が想定よりかなりかさんでいたからです。
まあ男子大学生なんてのはいつの時代も無茶する奴らばかりなのです。
次回は入寮祭に関する騒動のお話です。
また、本作と同一世界であり、本作の数年後の話である短編
『酔いどれ迷子のグリムリーパー』
https://ncode.syosetu.com/n3933hh/
もどうぞよろしくなのです。
もう少し大人になったレイアさんが登場しております。
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