隠された術と、額の目
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ナユタは合わされた手の平の熱を感じながら、カラハを一瞬睨み付けてから手を離した。負け惜しみとは少し違う、不敵な笑みが口許を歪ませる。
「見えないならば、祓えばいいと思ったんだ。剥ぎ取れば何か見えるかも知れないから。──僕の見せ場奪うんだから、せいぜい上手くやるといいよ」
「成る程なァ。ありがとよッ」
カラハも牙を見せて笑うと、熱を帯びた右手をぐっと握り込んだ。薄く目を閉じ、少しだけ何かを思案する。
やがて目を開き、カラハは額に掛かる前髪を掻き上げた。手櫛でサッと何度か撫で付けると、はらり落ちる何筋かの髪は気にせずに軽く右手を額に当てる。
そして突然、左手の薬指に歯を立てたかと思うが早いか、ぶつりと指先を噛み切った。途端に盛り上がる血の玉は鮮やかに紅い。カラハはその指を額の中央に宛がうと、縦に短く一文字の線を描いた。続いて今度はその血を使い、右手の手の平に素早く何かを描き付ける。
「これで、イケるかな」
息を吹きかけ右手の血の紋様を乾かすと、カラハは薬指の先を舐め摂ってそのまま強く握り込んだ。小さな傷だ、これですぐに出血は止まるだろう。
固唾を飲んでナユタと寮生長の二人が見守る中、再び目を閉じたカラハが何かを呟いている。それは聞き取ろうとしても人の耳には決して理解出来ない、人知を超えた言葉だ。しかしながら不快さは全く無く、むしろ心の底の何か郷愁めいた深層を揺さぶられる如き熱い、そして強く大きな根源的なものに思えた。
呼び覚ます、揺り起こす──。言葉が進むにつれ、カラハの額に描かれた血の筋がうっすらと、燐光を零しながら開いてゆく。
ナユタは息を飲んだ、あれは──『瞳』だ。
紋様の描かれた右手の人差し指と中指は瞼を押し開けるように『第三の瞳』に添えられ、血文字は額の目と同様に燐光を放ちカラハの整った顔を照らしている。
「──カラハ、その力は」
ナユタの震える声に、詠唱を終えたらしきカラハが溜息交じりで笑う。
「俺の話は後だ。まずはこの、面倒臭ェラッピングをひん剥いてやンなきゃなァ」
そう言ったカラハの額で、縦に開いた眠そうな瞳が、ちらりとナユタを視る。右手を無造作にかざすと強まった燐光が、プレートの並んだボードを鮮やかに照らした。
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「まずは一枚目だな。術が掛かっている事を隠す術が張られてる筈だ。そうだろ、ナユタ?」
「うん。少しだけ、ほんの糸くずみたいな残り香がある。恐らく、術は種類を違えて幾重にも掛けられている筈だよ」
「お前、それを祝詞奏上で一発で全部剥ぎ取ろうとしたろ。それはそれで相当スゲエとは思うけど」
「……そうしない方がいい理由が、あるんだね?」
「まァな。じゃなけりゃアこんな面倒な方法取らねェよ。こんなの俺の趣味じゃねェ」
丹念にボードを探るカラハの後方に控え、ナユタは両手を組んで見守っている。と、そんなナユタの肩をそっと寮生長が叩いた。
「一応、人払いの結界符、貼っときましたから」
そうしてひらひらと残りの未使用の符を見せた。ありがとう、とナユタは軽く頭を下げる。人払いの符を始め何種類かの符や術具を、ナユタは寮生長にあらかじめ渡していた。彼は本当に気が利く男だ、彼のサポートがあるからこそナユタたち術士はこうして作業だけに専念出来るのだ。
二人がそんな遣り取りをしている中、カラハが小さく声を上げる。
「──これか。見付けたぞッ」
そしてカラハは右手の指を見えぬ隙間に突き入れ、そこから不可視のビニールシートをめくるように、メリメリと剥がしてゆく。めくった隠匿術のシートの裏側は淡い銀色をしていて、何だかシート上のマジックミラーのようだ、と妙な事をナユタは思った。
中から現れたのは、ボード全体に陣のような図形と紋様、そして読み取れない程に歪んだ文字の描かれた術式。はっきりとは解らないが、雰囲気から察するに日本では無くアジア圏、恐らくは大陸のものではないかとナユタは考える。カラハも同様のようで、視た事無ェな、などと呟きながらじっくりと観察してゆく。
「多分だが、これは広い範囲、恐らく寮なり大學全体なりにこの術を浸透させる為のモンっぽいな」
「なかなかに強い術式だね」
「術を一枚一枚に分割してるから、消費霊力を抑えつつ重ね掛け出来てるって訳だ。これ考えた奴ァ相当の手練れっぽいな」
そして術式をそっとめくると、次には特定の名前札の上に術式の描かれたシートが現れる。名前札は赤文字のままで、猪尻のものも含まれていた。術が掛かったままではこの赤文字のプレートは見えないような術式が施されているようだ。
「──猪尻、君」
ナユタが息を飲む。次いで、強く唇を噛み締めた。自分の記憶が術によって上書きされていた事が悔しくて仕方が無かったのだろう。作業を続けながら、カラハが何気無い様子で声を掛ける。
「気にすンな。術がお前自身に掛けられてた訳じゃ無ェ、彼らそのものに掛けられていたんだ。それは気付かなくても仕方無ェよ」
「彼ら、そのもの……? でもそれはただのネームプレートで」
「名前だから意味があンだろ。名前ってのはその人物を表す記号そのものだ。名前が魂に形を与え、名前が有る事で存在が生まれる。だから名前はその人物そのものと同等なんだ」
カラハが慎重に術式のシートを剥がすのを見ながら、ナユタは苦い顔を隠そうともせず、噛み締めるように呟く。
「だから名前に術を掛ければ、名前を隠せば、その人物の認識が消えた……?」
「簡単に言うとそういう仕組みだ。普通はンな単純な話じゃ無ェんだが、この寮に於いてのこのネームプレートのシステムが、術にとって最適だったんだろうよ、皮肉なことになァ」
「そういえば、世界中の様々な文化に於いて、名前にまつわる伝承、信仰、まじないなんかが多数存在すると聴きますね。悪魔に連れていかれないように子供の頃は別の汚い名前を付けるだとか、名乗るのは渾名を使って本名は家族にしか明かさないだとか」
寮生長の言葉にカラハは頷きながら、最期の術式のシートを丁寧にめくり終えた。
「そう、確かにそういう風習も多数有る。逆に、名前は枷だ、呪縛だという考えもある。名付ける事で存在が固定化してしまうという説だ。またそれを利用して、魂を上の次元へ引き上げることも可能と考えるヤカラもいる。俺達術士の中でも高位の者に与えられる『一文字の真名』もその類いだな」
大きな溜息を一つつくと、カラハはゆっくりと立ち上がった。何だか開かずの金庫に挑む鍵屋の気分だぜ、と軽く笑う。
全ての術式を取り除いたボードには、元通りにプレートが整列している。隙間は殆ど無く、しかし赤文字のままの名前が七枚。
そして赤文字のプレートの後ろに隠されるように、黒っぽい鳥の羽根が一枚ずつ、貼り付いていたのだった。
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謎が解けたり深まったり。
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