08:見えない優しい手たち
毎日イチゴの出荷をするようになって、暦もすでに年末に向かっている。
クリスマスもすぐそこで、めずらしく忙しく動き回る祖父に光もなんとかついていけるようイチゴを収穫、パック詰め、箱を重ねて紐でまとめた。
ほとんど雪の降らない地域だが、特有の強い風は冷たく吹きつけ気温を下げる。冷蔵庫の中を冷たいと感じないことがあるんだなあと、トラックの荷台にイチゴを運びながらまたひとつ光は些細なことを知った。
「そういえば、明日兄ちゃん帰ってくるよ。年明けまでいそう」
賑わっている出荷場から帰ると、お裾分けの鍋を持ってきた美香が思い出したように言った。
大学はもう冬休みなのだろうか。潤は光の二つ上だ。
最後に話したのはいつだっただろう。祖母の葬儀のときに言葉を交わしたかも光は覚えていなくて、そんな自分にまたため息がこぼれた。
翌日の昼。
早めの昼食をすませ、お腹の中を落ち着かせているころ。じいちゃーん、と呼ぶ声が気持ちよさそうな祖父のイビキをピタリと止めた。
ガラガラと勝手に玄関の開く音が続いて、もぞりと身じろぎをした祖父にかわり光が玄関へ向かう。
「おー、光久しぶり」
美香の言葉どおり帰ってきた潤が、明るい顔で手をあげた。
光は言葉に困った末に頷く。
「う、うん久しぶり」
「畑手伝ってるんだって? もうイチゴ食った?」
「うん」
「いいな~。――じいちゃん、俺もイチゴ食いたい!」
光を飛び越えて投げられた言葉に、コタツでごろりとしている祖父がうるさそうにシッシと手を振った。
「自分で採って好きに食え」
「えー、じゃあ光一緒に行こうぜ」
「う、うん。じいちゃん、採れるだけ採ってるよ」
「おー。あとから行く」
ごろんと背を向けてまたコタツにもぐる祖父。それに行ってきますと挨拶してから、上着とマフラーを急いで身につけ潤の横に並んだ。
海の見える道路を二人で歩く。
いつもトラックで向かう畑まで、徒歩だと十分程度だろう。
潤の額で分けられている黒髪が海風に混ぜられ、外ハネしている毛先をあっちこっちにされていた。ダウンのポケットに手を入れて寒い寒いと背を縮める横顔を光はまじまじと眺める。
まるで先週会った友人のように接してくれる気さくさは、美香とよく似ているように思う。
「あ~、うまっ。今年も抜群に甘いな」
足早にハウスに入ると、潤はまったく迷いのない足取りで赤色の多い列に入っていって大きなひとつをペロリと食べた。
すでに手は次のイチゴを探していて、擦れて傷がついているものを見つけると容赦なくもいで口に入れる。
大きいものを狙っている様子を光は微笑ましく眺めてしまった。
「この時期のイチゴって食べたことがなかったから、すごくびっくりしたんだ」
ハウスの脇に積んである収穫箱を抱えて光が言うと、もう何個目なのかわからないものをもぐもぐしながら潤が笑った。
「俺のおすすめは年が明けてからだな。寒いなかでじっくり赤くなるから味が濃い」
「へええ、そうなんだ」
「たぶん。今は単価が高い時期、一月二月がうまくて、あったかくなると食べ放題」
三月にもなればイチゴがすぐに赤くなってしまいどんどん収穫するしかない。その頃には祖父も収穫に嫌気がさしているから、どれだけ食べても怒られないのだという。
あの熱心にイチゴに向き合う祖父でもそうなるのかと、まだ光には想像がつかなくて思い浮かべてもうまくいかない。
ちなみに、今は寒さでゆっくりな生育である絹さやも同じ頃には採れすぎて困るそうだ。やはり気温と日照が直結するんだなあと光はしみじみ思う。
潤がまたひとつ拳大を食べ終えて、いそいそとイチゴを摘み取り始めた光へ首を傾げた。
「出荷場も行ってるんだろ? 光、あそこのじいさんたちに絡まれてんじゃねえの? 話好きが多いからさあ」
もう光も出荷場では顔馴染みで、職員だけでなく時間帯が重なる農家の人たちとは挨拶だけでなくイチゴの様子も話せるようになっていた。
ほとんどが祖父と同じくらい年配の人だが、もう八十歳を超えるのに元気に荷物を持ってくる人もいれば、親と一緒にやっていると言いながらテキパキ作業する若手の顔もある。
みんな等しく、光にも親しげに声をかけてくれて単価表を眺めながら他愛のない会話に混ぜた。
冷えるから蜂の動きも悪くてなあ、雨が続くとダメだよな、葉かきもしねえとダニも出るし、なんていう話から他のハウスの様子も聞いて祖父のハウスと比べることもしてみている。情報収集も大切だ。
光がいることを咎めるわけでもなく、一員にしてくれている不思議な場所である。
「潤くんも行ったことあるの?」
「小さい頃によく行ったよ。コンベアとか梱包機とかおもしろいじゃん? 美香なんて台車乗っかって遊んでたぞ」
たしかに子供の頃だと、周りにはない遊び場になりそうだ。
小さかった頃の二人があの場所で農家の合間を縫って走り回っているところが、すんなり思い浮かんで光は思わず笑ってしまった。
「この前、おじいさんと一緒に来てた小さい子が同じことをしていたよ」
「そのうち若手の人が子供連れてくるかもな」
じいさんたちばっかりより賑やかになりそうだと潤が朗らかに言う。
潤は農家ではないけれど、こうして繋がりが消えていない関係も素敵だなと光は思った。
話しているうちに潤も収穫箱を抱えて手伝いを始めたので、ふたりで他愛もない話をしながら箱にイチゴを並べていって。二段、三段と積み重なるころに祖父がやって来た。
腰が痛えとトントンしている潤をせせら笑ってから、祖父も収穫に混ざる。日が傾くころにはすっかり摘み終え、祖父がトラックで運んでいる間に光は潤と一緒に歩いて戻った。
ゆっくり歩いていると、寒さもあるが晴れた空とその下に広がっている海を眺めているだけで気持ちがよい。
潤も白波に目を細めていて、髪をくしゃくしゃにされてもされるがまま。のんびりした足取りに光も肩の力が抜けていく。
家に着くと作業場で祖父がイチゴの出し入れをしていた。さっき摘んだものを冷やし、パック詰めして冷やしていたものを出荷するのだ。留守番していてもいいぞという祖父に首を振って、光は助手席に乗り込む。
「じゃあまたあとで」
窓の向こうで、潤が夕飯の頃に美香と顔を出すと言って手を振った。
「潤のやつ遠慮なく食いやがったな」
トラックの中で祖父がにやにや笑って悪態吐くが、これもまたちっとも嫌そうではない。
「あまいってうれしそうだったよ」
「あいつはイチゴが好きだからな~」
くつくつ笑いながらトラックを滑り込ませる。
出荷場は大賑わいで、稼ぎどきだとみんなこぞって荷物を出していた。クリスマス用にケーキの上に乗るサイズが高値になる。荷物が流通する時間も必要なため、大体二十日が狙い目らしい。
初出荷の頃はまだガランとしていた出荷場も、荷物が増えるとイチゴのパック確認も複数のレーンを使って行い、職員の手が間に合わなければ農家の手も借りてどんどん荷物ができていく。
いつもより長めに出荷場で手伝いをしてから帰る祖父の機嫌はよかった。
眺めた黒板には初めて見る高値。
ケーキにちょうといいパックが四桁を叩き出していて、その他も引っ張られるように昨日より高かった。おそらく今日の荷物はもっと上がるだろうと農家の人たちもしたり顔だ。
車内はダミ声の鼻歌が響く。
そういえば、小さめのものにはひとつも手をつけていなかったなと、イチゴを頬張る潤の姿を思い出して光はひとり感心した。