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04:息ができる場所


 次の日の朝は、まだ外が真っ暗なうちに祖父が起きた音で目が覚めて、光ものろのろと布団から這い出た。

 顔を洗って寝癖を直して、台所に立っている祖父におはようと挨拶。

 ご飯をよそえとの声に頷いて昨日使ったものを出している横で、祖父は叔母からもらった料理たちをあたため直してくれていた。

 食べる前に、料理を挟んで祖父がじっと光を見つめる。


「光。おまえは学校戻りたいのか?」


 まだ眼鏡をかけていない祖父の目は、ちょこんとしていて案外かわいらしいものだ。

 それを険しくするでもなく、ただ普通に光を見つめる目。

 なんて答えることが、祖父にとっていいんだろう。

 祖父も、光に勉強をさせたいのだろうか。それとも学校には行かず、ここで手伝いをするほうがいいのだろうか。まごつく光が口を開く前に、祖父がぽりぽりと目の横にあるホクロをかく。


「戻らなきゃと戻りたいは違えからな。今のおまえがどうしたいのかってオレは言ってんだよ」


 ぶっきら棒な声に光はさらに言葉を詰まらせる。

 祖父の目を見ていられなくて顔が俯いてしまった。なんて言っていいのかわからない。勉強は嫌いじゃないのに、どうしても教科書を開く気になれない。母の声と父のため息が頭の中で響いてきて、学校のざわめきも担任の顔も胸を重くするものでしかなかった。

 そんな自分がどうしたいのかが、一番わからない。ただ、光の気持ちを伝えることを祖父が嫌がるようには見えなくて。今の動かしようのないところだけは、言ってもいいのだろうか。


「……まだ行きたくない」


 湯気をあげている食卓だけで視界を埋めて、光は絞り出すように答えた。

 すると祖父は平温の声で続ける。


「勉強したいか?」


 ぎゅっと手を握った光は、迷った末に首を横に振った。

 課題も教材も持って来ているが、今はまだ見たくないものだ。


「わかった。それなら、教科書とかはやりたくなったら手をつけろ。ならなきゃ、やるな」


 なんてことないように祖父が言って、光は思わず顔を上げた。

 ゆっくりと息を吐きだしたそれは、ため息とは違っていて。祖父は光から目をそらすことなく再度口を開いた。


「おまえはな、いいんだよ何年か勉強しなくたって。やらないとって焦ってるんならやめろ、やりたいならやれ。ただ、今休んだってあとでどうとでもなる」


 はっきりとした、声。


「ここにいる間は好きにしろ。オレは昨日みたいに毎日畑に出るし、家にいないことのほうが多い。一緒に行くでもいいし、ここでゴロゴロしててもいい」

「……本当に、いいの?」

「いい。母ちゃんにはオレが言っておく。進路とか学校とか、確かにオレには補償してやれねえけど、おまえに必要なのが休息なら休める場所は与えてやれる」


 今この状態で光が勉強をしたところで身にならないのなら意味がない。まったくゼロじゃないとしても、これまでそうしてやってきて結局体調を崩しているのだからとにかく休め。それが祖父の持論のようだ。

 たしかに、なにもしないなんてことはやったことがない。


「春まで。その先はまたそのときのおまえがどうしたいかで決めろ」

「う、うん」

「じゃ、飯だ。食ったらオレは朝市行って、畑行って出荷の準備だな。光はどうする」

「一緒に行く」

「なら早く食っちまえ」


 昨日とほとんど同じメニューだったけれど、光はまったく気にならなかった。

 豆腐と絹さやの味噌汁は香りからして甘く、あたため直した肉じゃがはほくほくだ。家にいるときよりも食欲がわいている気がする。

 茶碗を空にして、祖父と一緒に片づけをしてから光はまた祖父の上着を羽織って出かける準備をした。

 ここでゴロゴロするのはたぶん落ち着かない。それなら、昨日のように祖父の手伝いをしているほうがいいと思った。朝市に行くと言っていたが市場があるのだろうか。

 昨日準備した野菜をトラックに乗せて、着いた先は町中にある直売所だった。

 店舗の外に棚が出ていて、祖父と同じように軽トラや車で荷物を運んできた人たちがコンテナやダンボールを抱えて出入りしている。光も祖父とひとつずつ持ったコンテナを中へと運んだ。


「万蔵さん、今日はブロッコリー?」

「おう。あと大根とほうれん草、さやがちいっとな」


 周りの人からの声に祖父は軽い挨拶をしながら野菜を棚に並べていく。

 光も真似して同じ野菜同士をまとめて置いて、祖父の名前が書かれたシールを上にしていった。同じように見えて、人によって包みかたや値段設定が様々だ。見たことのない野菜もあった。


「おーい、シールくれ」


 空のコンテナを光に持たせて、祖父はカウンターの向こうに声をかける。

 慣れた調子に返事をした人が事務所の棚からシールの束を持ってレジに立った。輪ゴムでまとめられたものがビニールに入っている。枠だけで名前の書き込み等は自分でするタイプのものだ。


「万蔵さん、お孫さん? めずらしいねえ」


 祖父から小銭を受け取った相手は穏やかに笑った。男性で作業着を羽織っている。二十代後半くらいだろうか。

 それに祖父はおうと頷く。


「オレが呼んだ。ちょうどいい手間人だ」

「……そっか、じいさんこき使うでしょう? 口も悪いからなあ」

「うるせえ。仕事しろ仕事ォ」


 くすくす笑いながらはいとシールを渡してくれた。

 柔和な表情で、祖父の強面にも遠慮がないから付き合いが長いのかもしれない。


「イチゴが出るまで、朝市よろしくお願いしますね」

「おー」


 ひらひら手を振る祖父が購買部を出て行くのに合わせて、光もぺこりと頭を下げた。

 まだ人が働き始めた朝の時間。

 このあと、祖父は畑に車を走らせぐるりと作物を見て回った。光もそのあとについていくと、昨日はイチゴと絹さやくらいしか見ていないが思っていたより種類がたくさんある。

 収穫ができそうなのはカブ、サツマイモ、ジャガイモ、ニンジン。育てている途中のタマネギとソラ豆、小松菜。葉っぱだけのものは光には見分けがつかなかったが、祖父がそう言うのでそうなのだろう。


 畑の手入れをしているのを手伝っていると、だんだん日が昇ってあたたかくなってきた。

 すると祖父がハウスの窓を開けてこいと言うので、光は昨日とは逆方向にハンドルを回しビニールを巻き取る。わずかに窓からあたたかい空気が外に出てきた。

 ビニールに覆われているから、外よりも温度が高いのか。それを天気や日照時間に合わせて管理するようだ。

 昨日よりも早く済ませた光に、頷いてみせた祖父は飯を食うべえと言ってトラックを顎で示した。


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