03:口の中で弾けた甘さ
まだ日暮れ前だ。
どうするのだろうと祖父を窺うと、トラックから降ろした野菜を家の下にある作業場に運び込んだ。
道路から家までは傾斜のある小道がつないでいる。家と道路との間に、錆びついたシャッターの下りた小さな建物があって、どうやらそこも祖父の持ちものだったらしい。
大根とブロッコリーをひとつずつ残して、あとの野菜を祖父は手際よく梱包した。光も言われるがままにビニールを用意したり、テープで止めたり。最後に祖父の名前が入ったシールを張り付けて、全部を冷蔵庫へとしまった。
一畳くらいある冷蔵庫は、人が中に入って歩けるほどのものだ。分厚い扉をしっかり閉めて、祖父がぐるりと肩をまわした。
「今日はこれで終いだ」
シャッターも降ろして、家に続く石段を通り抜ける。
すっかり日が落ちて真っ暗だ。ぐっと冷えて祖父が玄関を開ける間にこぼした息が白く色づいた。
ぴしゃんと扉を閉めた祖父は、靴をぽいぽい脱ぎ捨てて茶の間の電気、コタツ、ストーブを流れる動作でつけてから、まだ靴を脱いでいる光を振り返る。
「飯にするからよ、それ台所の流しに置いとけ」
持ち帰ったブロッコリーと大根は、光が持っていた。
言われたとおりに台所に持っていくと、上着を脱いだ祖父がじゃぶじゃぶ水で泥を落とす。
なにを作るつもりなんだろうと後ろから覗いていると、勝手口を外からどんどん叩く音がした。
「じいちゃーん! おかず!」
ああ? と低く言いながら祖父が扉を開けると、叔母が鍋とタッパーを持って立っている。
祖父越しに目が合うと、叔母はくしゃりとその顔を笑みで崩した。
「光、久しぶりだねえ!」
「ご無沙汰しています」
ぺこりと頭を下げると叔母は快活に笑う。
はい、と持っていたものを差し出すのに祖父が光に顎で受け取るよう示した。
「年頃だとじいちゃんのご飯じゃ足りないだろ? この人、夜はビール飲むばっかりでさあ。適当に作ってきたから嫌じゃなければ食べてみて」
「うるせーなあ。味噌汁がありゃあ十分だろ」
受け取ると鍋はずっしりした重さがあり、蓋の上に置かれた二つのタッパーが光のバランスに不満そうに揺れ動いた。
気をつけながらシンクの横に置く。
「鍋は食べたら返すでいいよ。うちにも顔出しなね~」
それだけ言って、叔母はあっさりと帰っていった。
隣では祖父が、余計な気をつかいやがってとか言っているが、まったく嫌そうではなく迷わず鍋を火にかけたので慣れていることがうかがえた。
叔母の鍋の横に、別の小鍋を出してお湯を沸かし始める。
筋取りするぞと光を呼んで、二人がかりで取り掛かっている間にこぽこぽ沸いてくれば、祖父が匙ですくった塩を入れ、パッと絹さやを放った。
飯をよそえと炊飯器を指さすのに頷いて、光は祖父が食器棚から出した茶碗を受け取る。
コタツにはご飯に味噌汁、茹でた絹さや、叔母の持ってきてくれた肉じゃがに白菜の漬物、鶏の照り焼き。祖父が、鮮やかな緑の映える器を光の前に押しやった。
「ほら、おまえが採ったやつだ」
言いながら自分はずずっとお椀に口をつける。
いただきますと手を合わせて、光は箸で一枚、さやをつまむ。なにもつけずにそのまま食べてみようと、おそるおそる。
「……あまい」
口の中でパキッと甘みが弾けた。シャキッとした歯応えで自分の中にマメの香りが広がる。
茹でたときに塩を入れただけなのに、びっくりするほど味がしっかりしていた。
茹でただけなのに。
光はもう一度食べる。初めてじゃないのに、初めて食べたような気さえしてきた。
「味噌汁にも、肉じゃがにも入ってるぞ」
光はすぐにまた次のさやを口に運んだ。砂糖とは違う甘さがたまらない。瑞々しいとはこういうことなのだろう。
そうこうしている間に、味噌汁もご飯も祖父は早々に空にする。
絹さやはあと一枚しかない。最後にしよう。
光は湯気を立てるご飯と、照り焼きを頬張って楽しみを取っておくことにした。
全部食べて、食器も片付けたら風呂へと促され、あっという間に今日がもう終わっていく。
光は狭い湯船でぼんやりと天井を見上げた。水蒸気が水玉模様を作っていて、ぴたんとたまに落ちてくる。
シャンプーなんてものはなくて、髪も全部石鹸で洗った。きしきしするが、まあ、気にするほどのことでもないかと光は思う。もしどこかお店に行くことがあったら買おう。急ぐものでもない。
それよりも、明日からもまた畑に行くのならもう少し動きやすい服を詰めてくればよかった。
まさか、こんな過ごしかたをするとは思ってもいなくて。
学校や家にいたときのように、とにかく勉強しろと教科書やノートを開きっぱなしになるとか、そんなことにはならないだろうとは予想していたものの、泥がつくことを気にしないで畑に出るなんて。
祖父がこういう生活をしていることさえ、光は知らなかった。
明日からはどうなるのだろう。畑は今日だけで、やはり祖父も光に勉強するように言うのだろうか。おそらく、母がそうするように言いつけているはずだ。
自分の中にある重たい気持ちが、なんて言い表していいのかわからないものばかりで光はため息をこぼす。
ぴちょんと落ちた雫が肩に当たって、びっくりしたついでにそろそろ上がろう。
寒い脱衣所で急いで寝巻に着替えてから、光はストーブをつけたままにした部屋へ飛び込むことにした。