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第四章

 第四章




 帝国の北部、国境付近にサザン山脈、別名『黒緑の森』があり、天から大地を覗き見る事が出来たならば、大地の土や草が見えないほどに木々が生い茂っている。

 その森の麓にグリンス伯爵領カントルイがある。

 カントルイは、サザン山脈に入る最後の宿場町であり、雪で国境を閉ざす冬以外は、旅人が行き交い、活気に溢れた街である。

 このため、北方守護にあたる正規軍第三方面軍としても町に駐留の小隊を配置し、治安の維持にあたっていた。

 しかし、現在、遅い雪解けを迎え、国境超えが出来る季節を迎えたが、町は閑散としている。

 旅人どころか、町の住人も見当たらない。

 まるで、死の街と化したかのように、静寂が辺りを満たしていた。

「これは酷い」

 深く被ったマントのフードを持ち上げ、町の入り口を見渡しながら旅人が言った。

 帝都ファイガールからこの地まで足を運んだグローブである。

 街の中心部を通る大街道を風が渡り、砂埃が舞っている。

 この時期は乾燥する季節ではなく、通常では砂埃が舞うようなことはない。

 共に旅を続けて来たキンティスもマントのフードを持ち上げ、辺りを見渡した。

「人が居ない、どうなっているんだ?」

 嫌な空気が漂う街の中、その中には入って行けず外からの置き込む程度の事しか出来ない。

 グローブが街の中に入る事を禁じたせいである。

 ねっとりとした空気が町から漂ってくる。

 それをグローブは敏感に感じていた。

「どうした?」

 キンティスがグローブに声をかけた。

「……いや」

 グローブが真っすぐ前を見据える。

 キンティスには分からない。

 この空気の違いを……

 グローブには、国境付近一帯が、暗く淀んだ重苦しい気を纏っていることを見て取っていた。町の境界にある結界の存在にも気づき、綻びかけていた結界をキンティスが気づかぬうちに修復し終えていた。おそらく以前幻獣を封印した者が用心のため仕掛けたものと思われた。

 ――――レイ、これは思っていた以上に厄介かもしれん。

 グローブは遠く離れた地で伝承の解析にあたり、後から来るべく準備しているだろう弟子に向かって、想いを馳せた。


 その弟子は、特別大隊の中で対策に翻弄していた。

 誰がどの役割を担うのか、大隊の士官達と協議を重ねていた。

 グララディスの蜘蛛の糸は手強い。焼き切ったとしても直ぐに切られた蜘蛛の体側の糸がぐらぐらと動き次の獲物を狙う。

 このため、人体に巻き付いた糸を焼き切る者と、人体に巻き付いた糸を焼き切った者を護るため蜘蛛の体側の糸を焼き切るための者、糸からはがれた人物を安全な場所に移動させる者、その者の医療に従事する者と多岐に渡り、その割り振りが行われていた。

 グララディスの糸は強力だが、糸に威力が無くなるとぽろぽろと灰のように焼け落ちる。救助にはその糸の状態確認が重要だった。

 初期の想像よりも多くの人材が必要となり、この度の件は特別大隊全体で対応にあたることとなった。

 その事を知らせるため、レイは素早く師匠に手紙をしたため、対応の士官に書状を渡し、急ぎ渡すよう伝言し、師匠達が早まった行動に出ない事を祈った。


 その師匠は、手紙を受け取っていないにも拘らず弟子の希望通り幻獣には触らず、中央からの連絡を待っていた。

 『蜘蛛獣』と勘でわかっていたが、確たる証拠が欲しかった。また、状況が予想通りならば、自分とキンティス達ではどうにもならない事も分かっていた。

「おい、この町が最終目的地だろう、何故入らない」

「今は入りたくても入れない。わかってくれるか?」

「分かるか!」

「その先に進めば、間違いなく死ぬぞ!」

 こう言われてしまえば、先に進む事が出来ない。

 キンティスはグローブに訊ねた。

「この先には何がある?」

「生きた幻獣」

 簡潔に答えが返って来てキンティスはぽかんとする。

「生きた幻獣?」

「そうだ。全く、死骸であってほしかったが生きてるな、これは」

「何故分かる?」

「蜘蛛の異常繁殖と獣の皆無、そして町の状況。人が全くいない。声もしない。幻獣の影響だ。君達には見えないだろうが、町の入り口には幻獣対策の結界が作られていた」

 そこまで言った時、ずるずるカサカサといった音が聞こえて来た。

「全員その場に伏せて。息を殺せ、出来るだけ気配を消せ!」

 グローブはそう言って、キンティス達の上に被さるように自分もその場に伏せた。

 ずるずるカサカサといった音は徐々に大きくなる。

 補強した結界の場所で移動が止まった。

 グローブは伏せた状態から頭だけをゆっくりと上体をあげ、フードの中から正体を見据える。――――やはり蜘蛛獣。想像よりは若干小さかったが、それでも牛五頭分の大きさはあろう。

 暫く気配を絶った状態で幻獣を見据えていると何か動きがおかしい事に気づいた。

 先に進む事を諦めたように幻獣はずるずるカサカサ動いて元の場所へ移動しているが、時折何か物にぶつかる音が聞こえて来る。

 『まさか目が見えていないのか?』

 グローブの頭の中で一つの突破口として糸口が見えた。

 しかし、それでも先遣隊のような状態になってしまった彼らだけでは、あまりにも少人数過ぎて対処が出来ない。頭の中で警鐘が鳴る。

 つまり、帝都から援軍がなければどうにもならない。

 先を急ごうとするキンティス達を宥めながら、レイの次なる報告と増援を待った。


 カントルイの一つ手前の街、タルダの街に拠点を置き、カントルイの情報を集めながら中央からの支援を待つグローブの手元に、レイからの手紙が油紙にくるまれた状態で届いた。前回手紙を出してから二日後の事であった。早い返信に都でも対処が急がれている事が感じ取れた。

 手紙の内容としては第三の幻獣が蜘蛛獣の『グララディス』であること、対応部隊を現在立ち上げ中で少なくてももう二日は準備にかかる事、特別大体全体で対処にあたる事が示されていた。

 グローブとしては、実際に見た事を手紙にしたため、また急便で帝都に書状を送った。

 出来る事はやった。

 こうなっては焦っていてもどうにもならない。

 部隊の到着までゆっくりと休ませてもらうとしようか。グローブは休眠をとる体制に入った。

 そこで慌てたのがキンティス達である。

「おい、幻獣をあのままにしておくつもりか!」

「今のところはな」

「は? 町が崩壊しかけているのにか? 見捨てる気か? 正気か?」

「我々に何が出来る? 幻獣様に『これ以上暴れてくれるな』とお願いにでも行くつもりか?」

「しかし……」

「今の我々には何も出来ない、住民達を助ける術が無いんだ。帝都に出した早便を見て、帝都側が動いて応援が来るまで出来る事がもう無い。体力温存のためにも体を休めておくことだな」

 さすがに酒を飲む状況ではないため、今回は掛け毛布を頭から被り、眠る体制に入る。

 そんなグローブにあきれるキンティス達。

 この胆力、これが智恵院の導師だった。


 帝都では急ぎ準備が行われていた。

 馬が嫌がらないタルダの町までは馬を使い、グローブ達と合流してからその後は人海戦術でカントルイへ向かう。そのような手配となっていた。

 今回の敵が普通の相手では無いため、いくつもの小隊を組んで対処にあたる事になった。

 被害者の体にまとわりついた蜘蛛の糸を焼き切る者が一名、糸を切る者の護衛に一名、被害者の運搬に二名、医療従事に一名の五名で一小隊となった。

 油の量も尋常ではない。手元にある書籍の資料からは体長について確認する事が出来なかったが、クララディスであること、現在まで冬眠のように眠っていた事、グローブから届いた書状から『牛五頭分程度』を考慮すると、用意出来るだけの油を樽に詰め出発に備えた。

 松明も小隊分用意が行われた。これらを荷車に積み、出発の準備を整える。

 その準備の状況をレイはライザールの司令室の窓から確認していた。

「シルフォード殿、貴女はこの地に残られたら如何か?」

 サルザスがレイに向かってそう言った。

「これまでの調べ物のおかげか顔色が悪い。既に対応方針は決定しています。この帝都で体調を整えられてはどうですか?」

 純粋な誠意からの言葉だった。だが、レイは頷く訳にはいかなかった。

「ご心配ありがとうございます。ですが、私はあなた方とともに現地へ向かいます。これが私の仕事ですから。旅の途中で体調もよくなる事でしょう。ご親切感謝いたします。」

 窓の外を見つめながらの言葉だった。でもサルザスからすると、どうしても気になってしまうのである。

 そんな彼を見て、彼の心配が他に影響を及ぼす事を考えて、出発前までは体を休めようと思った。特別大隊の中でいつの間にか参謀的な立場になっていたレイ。参謀の顔色は士気にも影響する。

「このソファ、借りても大丈夫ですか?」

 部屋の隅にあったソファを指して問いかけた。

 そう言うといきなりソファに横になったレイにサルザスは驚いた。

「えっ? ええっ?」

「貴女には部屋が割り当てられている筈です、その寝台を使用して下さい」

 サルザスは彼らしくもなく焦ってしまった。が、レイは彼の言葉にこう答えた。

「出発の時に置いてきぼり食らうのはさすがに困りますので。この部屋の隅にあるこのソファだとその心配は無いでしょう?」

 サルザスは言葉が出なかった。

「いびきはかかないと思いますけど……五月蝿かったら蹴落として下さい」

 サルザスは絶句した。

 女性とは思えない何とも言えない言葉を聞いた。耳がどうも、言葉を受け付けていないようだ。

 そんな彼を他所に、レイは眠りに入ってしまった。

 すーすーと言った寝息がすぐに聞こえて来る。やはり疲れていたらしい。

 グローブとレイの師弟は知らぬうちに共に同じ行動をとっていたのである。

 サルザスはレイの体に毛布をかけようとして、自然にレイが手に握っている物に目がいった。いつの日にか尋ねた聖杖のような棒状の物である。よほど大切な物らしい。それごと毛布をかけ眠りを妨げないようにした。

 改めてサルザスはレイを見る。少女から大人の女性に変わろうといている時期、大の大人でも大変な作業を行う彼女は何なのだろうかと。

 智恵院が人手不足なのか。彼女が特に優秀なのか。他に理由があるのか。

 全てはこの案件が終了した時に分かる、そう思い、準備の指揮にあたるべく準備室へ向かった。


「油は積んだか! 固定は済んだか!」

「予備の松明も必要だぞ! 他の大隊からも借りられる分は借りておけ!」

 準備にあてられた部屋は隊員達の熱気で暑い程である。

 そこにライザールがいた。

 指揮・監督にあたっているようである。

 サルザスがレイの事について報告する。

「寝た? この状況でか?」

 『はい』と答える彼に罪は無い。……確かにもう彼女にはやるべき事は無く。体調の悪さも目に見えて分かっていたが……。

「彼女から伝言です。いびきをかいて五月蝿いようなら蹴落としてくれとの事で……」

 それを聞いてライザールは吹き出し、笑いが止まらなくなった。

「淑女の言葉ではないな、確かに。……蹴落とせと来たか。では、出陣の連絡の際は遠慮なく蹴落とさせてもらうとするか」

 ライザールの楽しそうな言葉に、周囲も影響し、暗い雰囲気も吹き飛んで出陣の手配が進んで行った。

 ここで問題があった。医療の面である。

 通常の出陣では主に怪我に対しての対応であったが、今回は怪我ではなく精気が吸い取られるという特殊なもの。何をどのように対処すればよいか。

 相談すべき相手が眠りの淵にあり、ライザールは考え込まずにいられなかった。

 そこに、レイが走り書きしていた文章が役に立った。

 『被害者の体調の管理として栄養分のある果物を擂りおろしたり、水分の状態で補給を行う、固形物は禁止』こう書かれていた。

 大量の水と果実、野菜、薬草、それを擂りおろす機器が準備され、これも大きな麻布に入れられ荷車に積み込まれて行く。

「サルザス」

 上将からの呼びかけに意識をライザールに向けた。

「蜘蛛獣というが、想像出来るか?」

「われわれの周りに存在する蜘蛛が大きくなったもの、としか私には想像出来ません」

「俺もそうだ。想像力が欠乏しているらしい。普通の戦とは違うからな。現場に行って驚いてみるとするか」

「それしか無いかと……」

 着々と準備が進んで行った。


 その頃レイは子供の頃の夢を見ていた。

「どうして私にはお父さんとお母さんが居ないの?」

 それに世話役の女官が答えた。確か修練院の下部にある幼練院に入ったばかりの頃だ。

 幼練院は主に智恵院や修練院で働く者の子女向けの施設だった。

「レイ様にお父様とお母様はちゃんといらっしゃいましたよ、居なければレイ様はお生まれになっていませんよ」

「どうして私はここにいるの? いらない子だったの? 他の子達はお父さんとお母さんの元に帰って行くのに」

 女官は痛々しい表情で答えた。

「レイ様がお生まれになった国はもう存在しないのでございます。お父様もお母様も既に天の国にお向かいでございます。レイ様は特殊なお力をお持ちでございますので、お父様とお母様がご存命のうちにこの智恵院でお預かりし、お育てしております。恐れ多い事ではございますが、この智恵院の者をお父様、お母様、そしてお爺様、お婆様の代わりとしてみて頂けませぬか?」

 この時、だだをこねなかったと記憶している。

 何も言えず、ぼろぼろと涙をこぼし立ち尽くしていた。

 ただ漠然と私には国は無く、他の子のように大人に甘える事は出来ない、帰る場所は智恵院だけだと理解した事を覚えている。

 だから必死だった。

 不要な子と思われたくなかった。

 必要な子だと、智恵院に必要な子だと思われるようにがむしゃらに物事にあたっていた。

 ……そんな事を夢で思い出していた。

 夢の中で時が過ぎ、十一歳の時に移っていた。

 修練院での学習が終わった後、智恵院内の学習室で老師に教えを請うていた時だった。

「君がレイかな?」

「はい」

 はじめて見る人物だった。背が高かったため見上げるような状態だった。

「私はグローブ・グレイン。君の師匠になりたいと思うがどうかな?」

 いきなりだった。

「貴方がですか?」

「そうだ、どうだろう」

 急に言われて困惑した。

 グローブ・グレイン、聞いた事のある名前だった。確か導師の昇格者の一覧に名前があったはずだ。

 グローブはレイの目線に合わせるために膝をついていた。

「こんなおじさんじゃ嫌かな?」

「そんな事はありません、弟子は私で、よろしいのですか?」

「私はよいと思っているよ。不安なら、お試し期間を作ろうか? 二年というのはどうだろう。一緒に勉強して鍛錬しよう。レイ、君はよい……になるよ。」

 それを聞いて、レイはグローブにがばっと抱きついてわんわん泣いた。

 自分が必要とされていると実感出来た瞬間であったから――――。

 グローブはおろおろと戸惑っている。その少し後、ゆっくりとレイを抱きしめた。

 それがグローブとレイの師弟関係の始まりだった。

 ――――そこで目が覚めた。


 ゆっくりと起き上がる。体に毛布がかけられていた。それを取り除き手にしていた聖杖のようなものを見る。これがあの夢を見させたのだろうか。

 そうしているうちにライザールの執務室の部屋の戸が開いた。

「――――お目覚めでしたか。……何だ、蹴落とす機会が減って残念ですね!」

 サルザスがそう言って入室して来た。

 続いて、部屋の主のライザールが来た。

「朝よりは顔色がいいな」

 レイを見て言う。

「ご心配をお掛けしました。もう大丈夫です。出発はいつ頃になりそうですか?」

「準備自体はほぼ終えている。後は出発するのみだ」

「わかりました」

 そう言って、手にしていた棒状のものを左側の腰の薬帯にぶら下げた。

「それは何です?」

 ライザールも気になったらしい。

「……武器です。身を守るものです。智恵院では身分証代わりにもなりますが……」 

 両手程の棒状、細かい飾り模様がついている、これが武器?

「出来れば使わないに越した事が無い武器です。師匠も同じ事を言うでしょう」

 真面目な顔をして言った言葉にそれ以上聞けず、出陣に向けてローブを羽織り、部屋を出て行った。


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