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第一章

第一章




 レイドバルク帝国

 東西南北にある四大陸の中で、東の大陸に在る、最大の国家である。

 歴史が古く、東の大陸における最高峰の学術・芸術の国と呼ばれる。

 学術や芸術といった文化に眼を奪われがちであるが、軍事においても大陸随一のものがあり、皇帝および皇族の警護や皇帝の指示により独立して機動する近衛師団と、帝国の治安や国境の守備にあたる正規軍を有する。

 正規軍は、国を八方面に分け、それぞれに方面軍を守護として配している。

 その国の中心に、帝都ファイガールが在る。


 帝都ファイガール

 皇帝の居城、皇宮ファイバーン宮殿が在る、帝国最大の都市である。

 ファイガールはファイバーン宮殿を中心に都市が形成されており、皇宮、および皇族、公爵等が居住する第一の画、中・上流貴族が住まう第二画、一般貴族・上流の民間人が住まう第三画まで整備され、その第三画を取り囲むように民間の住居が取り囲み、街を形成している。

 その宮殿の長い廊下を、黒いマントをはためかせ、颯爽と行く者がいた。

 ライザール・シリス・アル・レイドバルス

 現在、近衛師団で主に特殊案件を受け持つ「特別大隊」の大隊長を務める。

 現皇帝の第二皇子であり、レイドバルク帝国の第二皇位継承権を持つ者である。

 また、帝国に伝わる神剣「黎明剣」の主であり、また、好んで黒衣を着ることから「黒の聖剣士」という異名でも呼ばれている。

「いきなり、何だ?」

 ライザールは思わず呟いていた。

 突然の皇帝の呼び出しに、困惑を隠せないでいた。

 昨日も登城しており、その際、特に緊急・重要性を持つような案件は無かった。

 そのため、本日は大隊の司令室で書類整理をした後、帝都から半時ほど離れた距離にある本邸に久しぶりに帰邸する予定でいた。

 第一画にある登城の際に利用する私邸から直接出伺したライザールは、皇宮内を警護する近衛兵の敬礼に答礼しながら、皇帝の待つ執務室へと急いだ。

 

 皇帝の執務室の扉の前には、数人の近衛騎士がいた。

 ライザールに各々が気づくと敬礼を行い、室内に居る近衛兵へ来訪の伝達をすると、執務室の扉を開いた。

 ライザールは皇帝の執務室に足を踏み入れ、開かれた扉の間を移動し皇帝の前に罷り出た。

「陛下、参上いたしました」

 皇帝から一歩離れた場所まで足を踏み入れ、かがみこんで最上級の臣下の礼を取った後、立ち上がるよう皇帝が言ったため、すっと背を伸ばし立ち、その場を見渡すと見慣れぬ者が皇帝と相対していた。

 一人は背が高く茶色の短髪をした壮年の男性、もう一人は銀色の髪を一本に束ねており、背が低くほっそりとした貴公子といった風であった。少年といってよいかも知れない。

どちらも黒に近い鈍色をしたローブを羽織っていた。

 その横には、現宰相と皇太子が、その二人を囲むように控えていた。

「おお、来たか、待ちかねたぞ」

 皇帝は、笑顔で息子を迎えた。

「紹介しておこうと思ってな」

 皇帝は、ライザールに向かってそう言うと、ライザールとローブを羽織った二人の間に歩み出て、紹介を始めた。

「こちらは我が息子であり第二皇位継承権を持つ、ライザール・シリス。現在、近衛師団特別大隊を任せている」

 ライザールは、二人に軽く会釈をした。

 そして、皇帝は見慣れぬ二人の紹介を始めた。

「こちらは、グローブ・グレイン卿」

 男がライザールに向けて会釈をした。

「そしてこちらは、レイ・シルフォード殿」

 銀髪の少年が、同じく会釈をした。二人とも、優雅な礼であった。

「この方々は、カルディス智恵院所属の学士で導師と練士であらせられる。しばらく我が国に滞在し、太古の幻獣の研究にあたられる。帝国にとっても改めて太古の伝承を見直す良い機会になるであろう」

 ライザールはかなり驚いた。

「……カルディス、智恵院、ですか!?」


 カルディス智恵院

 四大陸の中心にある小島に、カルディス智恵院、通称「智恵院」は存在する。

 レイドバルク帝国が東の大陸における最高峰の学術・芸術の国であるならば、カルディス智恵院は世界最高峰の学術・芸術を誇る「島」に在る最高学府である。

 カルディス智恵院が存在する小島には、国家が存在しない。

 島全体が学術・芸術を修めるための学府として成り立っており、智恵院の他に、専門分野の習得および研究を目的とした複数の修練院がある。

 修練院は各国からの研修生を受け入れているが、『国家間の争い事は持ち込まず、持ち込ませず、協調し学問の修得と発展を図り、世界に帰依する』が原則のため、出身国に拘らず、平等に教育を受ける事が可能になっているが、入学に際し選抜試験があり、複数の試験に合格した者に対してのみ、門戸が開かれる事になっている。

 レイドバルク帝国からも修練院に複数の人材が学びに行っており、学問を修め、帰国した者が帝国の学府や司政で中心的な役割を果たしていて、現在の帝国の基盤を支えている。

 カルディス智恵院は、その修練院の上位に位置する機関である。

 智恵院は、国家間で紛争が起こっても常に中立的な立場を取っているため、しばしば紛争時の調停役を担っている

 このため、智恵院には、修練院にて専門分野の学問を修め、且つ、外交についても詳しい見識を持ち、調停役を担う事が出来る人物、もしくはこれから担う事ができると認められた者のみが籍を置く事ができる。

 このような事から、カルディス智恵院に属し各国に派遣された者は、派遣理由に拘らず大使級の扱いで遇される事が、暗黙の了解となっている。


「これは、ようこそおいで下さいました」

 ライザールは来訪者に歓迎の意を伝えながら、二人を観察する。

 男性は体を鍛えているらしくローブから覗く腕には程よく筋肉がついているのが分かったが、物腰は柔らかそうで優男のように見え、争い事には向かないような印象を受ける。

 少年は着ているローブが少々大きいのか、体が完全に隠れており、ローブから覗けるのは頭と靴先のみの状態であった。男性の半歩後ろに下がった位置に控えるように立ち、ライザールを物静かに見つめていた。

 二人は、皇帝や皇子、宰相を前にしても萎縮や誇張は無く、自然体で落ち着いていた。

 育ちの良い世間知らずな学者――――

 それがこの二人に持った、ライザールの最初の印象であった。

 しかし、これは後に大きく覆られることとなる。

 そんなライザールを話に引き戻すように、皇帝は話を続けた。

「聞くところによると、お二人は太古の幻獣の研究を行っているそうな。この度、この国レイドバルクにその幻獣が存在していたのか研究したいとのこと。この研究では、書物や伝承による調査の他に、実地での確認調査も行うとのことでな。伝承の地、神秘なる地と呼ばれる場所は、人が足を踏み入れぬ土地であることは容易に推測出来る。ライザール、このお二方の調査に関し、滞り無く行えるよう、特別大隊で補佐せよ」

 その言葉にグローブは驚き、慌てて辞した。

「陛下、我らは突然訪れた知識を求める旅人に過ぎません。滞在をお許し頂いたばかりか、帝国の閉架書庫への出入りもお許し頂いており、これ以上、ご好意に甘える事はできません」

 皇帝は、そんなグローブの言葉をやんわりと押さえた。

「グレイン卿、あなた方がこの土地で知識を得る事、それはすなわち我が帝国の未知なる事象を少しでも解するという事。我が帝国のためでもあるのですぞ。それに力を貸すは、国として当然のこと」

 皇帝の言葉に、これ以上辞するのはかえって失礼に当たると思い、グローブは静かに頭を下げた。

「陛下のお言葉に甘えまして、お力をお借りいたします」


 皇帝の前を辞したライザール、グローブ、レイは、長い廊下を歩いた。

 先頭を行くライザールは特に言葉を発するわけではなく、肩で風を切るように先導するよう歩いていく。智恵院の二人はその後を無言で歩いて行った。

 皇宮から外に出ると、そこには馬車と一人の男が待っていた。

「こちらは、私の副官、ブレッブといいます」

 そう言って、ライザールは二人に男を紹介した。

「ブレッブ、こちらはグローブ・グレイン卿、そしてこちらは、レイ・シルフォード殿」

口調から、ブレッブは賓客であることをすぐに悟った。

「カルディス智恵院からいらっしゃった」

 その言葉にブレッブは一瞬目を見張り、そのすぐ後に柔らかく微笑んで自己紹介した。

「特別大隊副指令、ブレッブと申します。以後、お見知りおきください」

 二人に対して、軍人らしい敬礼をした。

「特別大隊で、お二人の補佐に当たる。心せよ。では、馬車にどうぞ」

 ライザールはそう言って手で馬車を示し、二人は軽く会釈をして馬車に乗り込んだ。


 四人は、特別大隊の隊舎がある東の丘陵へ向かっていた。

「この東の丘陵には、近衛師団の総司令部が置かれており、第一から第三大隊、および我が特別大隊の拠点があります」

 副官のブレッブが説明を始める。

 帝都ファイガールには、東の丘陵に居住区の無い空白地帯が有り、この部分が近衛師団の司令部や隊舎、練兵場がある区画だという。

「これから向かうのが、我が特別大隊の管理棟です」

 馬車が進む先に練兵場があり、その先に三階建ての建物である管理棟がある。

 管理棟は文字通り大隊を管理運営する部署が集まる施設である。

 軍隊の建物であるため、派手さは無いが、所々意匠を凝らした装飾がある。

 馬車を降り、ブレッブの案内を聞きながら先へ進む。

「管理棟には、幹部士官の仮眠室もあります。陛下から滞在のための部屋を賜ったと伺っておりますが、特別大隊の管理棟の方が閉架書庫や資料室に近くなります。よろしければ、こちらにも部屋を用意しましょう」

 その申し出に智恵院の二人は快く応じ、謝辞を述べた上で、今回の調査は特別大隊の管理棟を起点として当たることを伝えた。


 特別大隊の管理棟三階にある一室に大隊長が執務を摂る司令室がある。

 室内に入ると、皇帝からの勅命により出仕した上官を待つ、三人の士官がいた。

 立て続けの出伺に、何事があったのかと不安を覚え、直接確認するために帰隊を待っていたのである。

 その三人に隊長であるライザールが帰隊の言葉をかけると、後に続いて入室したグローブとレイを紹介した。部下達が挨拶をかわした事を確認すると、ブレッブに命じた。

「ブレッブ、智恵院からいらしたお二人を、特別大隊の施設について説明しながらご案内してくれ」

 ブレッブが頷き、智恵院の二人を誘導し司令室から退出すると、ライザールは三人の部下に向き合った。

「上将、智恵院とは……何があったのです?」

「我々は一体何を求められているのでしょうか?」

 食いつくように部下達が問いを投げかけてくる。

「落ち着け!」

 ライザールが言葉を発すると、部下達は黙り込んだ。

 部下達の疑問はもっともである。

 レイドバルク帝国には、カルディス智恵院が介入するような紛争はおこっていない。

 正直、ライザール自身が知りたいところだった。

「過去に二度、カルディス智恵院から学士が我が国を正式訪問しておりますが、二度とも国家間調停での派遣であったはずです」

 大隊の内務を司るサルザスが言った。大隊の参謀を兼ねる大隊一の知識人である。

 そのサルザスに頷いた後、ライザールは言葉を引き継いだ。

「この度の智恵院の学士の訪問は学術調査であり、我が大隊はその補佐を命ぜられた」

「学術調査、ですか?」

「そうだ。太古の幻獣の調査といったか? 他国にも調査で赴いており、この度は我が国での調査をご希望らしい」

 ライザールが皮肉げに言った。

 幻獣というのは、現在の世では過去の遺物という扱いである。伝承として語り継がれた、存在すら確かではないものであり、太古の幻獣の調査が今を生きる自分達の何に役立つのかという思いがある。

「現在、この帝国には智恵院が介入すべき事案はない。しかし、我々の目に見えないところで何かがあるのかも知れん。太古の幻獣の調査は口実で、別件の調査を行うために来訪した可能性もある。」

 一度言葉を切り、部下達の顔を見ながら再度言葉を続けた。

「我々の任務は彼らの補佐だ。これは皇帝の勅命である。しかしそれと同時に、彼らの目的を探る事も必要である。……分かるな、これは補佐という名の監視だ」

 部下達は了承の意を込めて黙って頭を下げた。


「お目付役を付けられましたね、師匠」

 笑いながらレイが酒杯を持ち上げて言った。

 皇帝が開いた非公式の晩餐から帰参した後、特別大隊管理棟に割り当てられたグローブの部屋で軽く飲み直していたのだ。

「自由に動けないのは、不自由だ。……私は無害だと思うがなぁ」

 短い茶色の毛が覆う頭を掻き混ぜるように撫でながら、グローブも酒杯を持ち上げ笑った。

「自由に動けないと言われるのであれば、正式に断りを入れるのではなく、秘密裏に事を運べばよかったのではありませんか? 智恵院所属の学士を名乗れば今回のような扱いになる事は分かっていたでしょうに」

 そのように言いながらも、何故グローブが正面切って帝国に乗り込んだのか……レイは理解していた。

 カルディス智恵院からは今回の件について自由裁量が認められており、智恵院の使者として帝国に協力を仰ぐか秘密裏に事態を終息させるかは、解決方法を含めグローブに一任されていた。

 いつものグローブであれば、元々堅苦しいのが大嫌いな性格も有り、面倒を避けるため秘密裏に動き、帝国が異変を察する前に事態を終わらせていたはずである。

 それを行わなかったのは、今回の案件について解決の目途が全く立っていないためであり、事態が最悪の状態で進行した場合、帝国の協力なければ事態の収束を図る事が難しいと推測されたためである。

 秘密裏に動き最悪の事態に最悪の状態で帝国に情報を開示し協力を仰ぐよりは、自由に動く事が出来ず窮屈に感じていても、はじめからある程度自分たちの来訪の目的を伝え、事態への対応を進めて行った方がよいと判断したためである。

 もちろん、皇帝が協力という名の監視を付けることも予想済みであった。

 特別大隊という組織を付けることは、予想の範疇を超えていたが……。

「あなた個人は無害かも知れませんが、帝国としては、太古の幻獣の調査という名目の下で、智恵院は何を探りに来たのかと思っているでしょうね」

「……であろうな」

 通された部屋の窓際にある椅子に深く腰掛け、円卓を挟んで向き合った二人は話を続けた。

「今回は、名目通り『太古の幻獣の調査』なのだがなぁ」

「今回『は』ですか? その言い方では、いつもは裏があるといったように捉えられますよ」

「それは時と場合によるだろう。この帝国は現在のところ外交的にも内政的にも智恵院が介入しなければならないような状況はないからな」

 グローブは杯に口付け酒を喉に落とし込んだ後、がらりと雰囲気を変えて言った。

「今回の件は早急に決着させねばならん、『何事も起こる前に』が最良だ」

「……」

「この帝国で近いうちに何かが起こる、いや、既に前兆はどこかで静かに起こっているのかも知れん」

 酒杯に残る酒を見ながら、さらに言葉を続けた。

「智恵院の星見、先見、夢見が揃ってレイドバルク帝国での異変を予言した。それも幻獣がらみの予言をだ。予言通りに事が運んだとすると、太古の幻獣が『目覚める』事になる。この大陸、いや、この世界の殆どの者が幻獣は滅びたと思っている。しかし、実際には封じられ今もなお眠りについているものもいる。その数は不明だ。幻獣は太古の荒ぶる魂を持つ獣、目覚めてしまえば一介の兵士や軍では抑えられん。我々に与えられた任務は、幻獣を目覚めさせない事、万が一目覚めさせてしまった場合はその後の対処だ」

 カルディス智恵院には、星の軌道を読み未来を観る星見、特殊な力を持ち未来を観る先見、夢の中において現在過去未来の時を渡る夢見が居る。

 今回、未来を予言する星見、先見、夢見を司るそれぞれの長である首座が揃って同じ時に同じ未来を観た。帝国で近々幻獣が目覚める未来を……。

 帝国から異変は何も伝わって来てはいなかったが、智恵院が動き出すには十分な理由になった。

「幻獣の目覚めの可能性について、ライザール殿下には伝えた方がよろしいのでは?」

 これは、今回の場合、真の目的をはじめから監視役の長である彼に伝えた方がよいのではないかという、確認のための問いかけであった。

「智恵院の星見、先見、夢見が予言したとでも言うのか? 幻獣が目覚める? 幻獣自体の存在が今の社会で疑問視されている今、智恵院や修練院に属している者であれば顔色を変えるであろう事態だが、他の者には鼻で笑われるか、よくて半信半疑といったところだろう」

 グローブは杯に残っていた酒を飲み干した。少しの間沈黙が場を支配した。

「我々に分かっているのは『太古の幻獣がレイドバルク帝国で目覚める』ことだ。どのような幻獣がどの場所で目覚めるのかは不明。レイドバルク帝国は広大で、いろいろな幻獣が伝承として残っている。その伝承の信憑性もわからんし、実際その中のどの幻獣が実体を持ち我々の目の前に現れるのかもわからん。この件は幻獣の特定が出来ないと口外はできん。不用意に告げると混乱が起き収拾がつかなくなる。下手をすれば、言い出した我々の頭がおかしいと思われ、誰も発言を信じなくなるぞ。……明日から幻獣の特定で忙しくなる、今日は早く休んで旅の疲れを取っておけ」

 グローブの言葉にレイは静かに頷き、残っていた酒に口をつけた。

 それを確認し、グローブは立ち上がった。

「さて、私はもう一仕事してくるか」

 智恵院の導師らしい口調から、いつものくだけたような口調に戻り、滑り出したその言葉を聞いて、レイは酒を吹き出しそうになった。

「……また酒場ですか?」

「これだけは止められん。地元の酒は地元で飲むに限る。上等な酒も良いが地元の酒場で飲む大衆の酒も趣がある。」

 グローブの趣味ともいえる飲酒である。

 今回の酒場での飲酒の裏にある別の目的を察し、レイは止められなかった。

 しかし、疑問に思った事は口にした。

「あなた一人で、宿舎から出してもらえますか?」

「宿舎から出てはならんとは言われてはおらんし、まあ、今のところは大丈夫だろう。だが、今日はおとなしく監視を引き連れて行くことにするさ」

 部屋の扉を開け外に顔を覗かせると、警護兵に声をかけた。

「やあ、どこかいい酒場を知らないか?」

 さっそく、巻き込む標的を探し始めたらしい。

 ちょうどその時、特別大隊の酒好き独身男、小隊を預かるキンティス中尉が通りかかった。

「グレイン卿、酒を所望ですか?」

 その言葉にグローブは笑顔を向けた。普通の者が見ると優しく爽やかな笑顔、レイから見ると何か企んでいることを奥に隠したことが一目瞭然の笑顔だった。

 レイは顔が引きつりそうになるのを何とか堪え、沈黙で通した。

 グローブはそのことを空気で感じ取りながらも、そ知らぬふりでキンティス中尉に話しかけた。

「地元の酒は、地元の酒場で飲むのが一番でしょう。私は酒には目がない方でして、各地に派遣された際、いつも地元の酒場で酒を楽しむんですよ」

 その言葉を聞いたキンティスは、よい酒友達ができたとばかりに目を輝かせた。

 特別大隊は気さくなものが多く、よく仲間内で飲みに行くが、キンティスにつきあえるほど酒に強い者はいない。このため、キンティスは自分が酔う前に他の者の介抱にあたることとなり、そのまま飲み会がお開きになることが多々であるので、少々不満があった。

 これは、期待しても良いのではないだろうか。

 キンティスの目が輝いた。

「ではグレイン卿、私がよく行く酒場がありますが、そちらへ行きませんか? 実は、私も酒好きでして……私も旨い酒には目がないんです。その酒場は酒の肴もなかなかのものですよ」

 キンティスとしては、グローブと飲みに行く事で、交際費として大隊の経費から酒代をせしめようという魂胆がある。給料日前でもあり、願ったり叶ったりである。それをおくびにも出さず、そう言った。

 何かあるなとグローブは感じながらも、そ知らぬふりでこう言った。

「キンティス中尉、それは嬉しい、是非お願いしたい。私のことは敬称を付けずに呼んでくれ。どうも堅苦しいのが苦手でな。しかも大衆酒場で敬称付きで呼ばれると目立つ」

 グローブはにこにこと、何も気づかぬ振りで話に乗った。

「それでは、私のことも階級抜きで呼んで下さい。」

 空々しい笑顔を浮かべて話す二人の会話を聞いていたレイは、頭を抱えた。

 会話からすると、キンティス中尉は酒が好きらしい。おそらく酒が強い部類だろう。

 しかし、グローブは酒が強いという範疇を超えている。

 酒精で気分が高揚することはあっても、正体をなくすようなことは一度もなく、他の者が酒で潰れていても、一人朝まで酒瓶を傾けているような男。それがカルディス智恵院一の酒豪と言われるグローブである。

 各国から派遣されてきている修練院の学生達の中でも、自らを酒豪と称する者達がグローブに挑み、玉砕している姿を目の当たりにしているレイには、明日の状況が容易に想像できた。

 キンティスは明日、さぞかし大変なことになっているだろう。

 具体的に予想した事を顔には出さず、レイは二人に向き合い、特にキンティスに向かって言った。

「お二人とも、いってらっしゃいませ。私は、本日はこれにて下がらせて頂きます。酒は明日に響かぬよう、ほどよい酒量でお楽しみを」

 一応、忠告はしたぞ。

 レイは心の中でキンティスに合掌し、自室へ戻るため二人に背を向けた。

「師匠、キンティス中尉、では明日」


 翌日、キンティスは二日酔いの頭を抱えて出勤して来た。

「気持ち悪い」

 青い顔をして執務机に突っ伏したキンティスに、他の小隊長が顔を見合わせた。

「キンティス、もしかして、お前二日酔いか?」

「……」

「お前の体から酒の匂いがするぞ。……近づくだけで、酒臭い」

「……」

「顔が青いな」

「……」

「ここで吐くなよ」

「――――近くで話すな! 頭に響く」

 キンティスにとって、二日酔いははじめての経験だった。

 頭は痛いし、吐き気が強烈だ。少し動いただけでも不快感が強烈に襲ってくる。

 ……あいつ、絶対化け物だ。

 キンティスは机に倒れ込み、唇と机と接吻しながら、昨夜の事を思い出していた。

 自分が二杯飲んでいる時に、グローブは三杯飲んでいたはずである。

 しかしグローブには酔いつぶれた形跡はなく、それどころか自分を担いで宿舎まで戻って来たらしい。

 『来たらしい』と言うのは、自分には全く記憶が無く、夜間当直の隊員から子細を聞いたためである。

 キンティスは、自分は酒に対して『ざる』だという自覚がある。が、グローブはその上を行った。

 ――――あいつは『ワク』だ。

 キンティスも『育ちの良い世間知らずな学者』の外見に騙された一人だった。

 見た目に騙されてはならない。

 言葉では知っていたが、今回は身をもって知った手痛い一件となった。

 キンティスが痛む頭を抱えていた丁度その時、グローブが何事も無かったように大隊管理室に入室してきた。

「やあ、キンティス中尉。昨日は結構よい調子で飲んでいたが体調は大丈夫かい?」

 グローブには二日酔いの欠片もない。

 特別大隊一の酒豪を酔い潰したグローブを、周りは化け物を観るように見ていた。

「あんた、周りから酒がもったいないと言われないか?」

 くだけた調子でグローブに話しかけるキンティスに今度は周りが目を剥いた。

 グローブとレイは、皇帝の客、いわば非公式の国賓扱いの状態である。が、当のグローブとキンティスは構わずに話を続けている。昨日の酒場周遊で意気投合し、胸襟を開いて話せる間柄になっていたのである。

「酒がもったいない? 特に言われた事は無いな。酒としても味わって飲んでもらえたのだから文句は言わんだろう」

 その言葉を聞き再び机に突っ伏したキンティスに、グローブの脇に控えていたレイが小瓶を机に置いた。

「これは?」

 キンティスが重い頭を抱えながら小瓶を手に取り傾けた。瓶の中には液体が入っているようだ。

「二日酔いの薬です。一般の物よりも効くと思います」

「随分と準備がいいな」

「はじめて師匠と飲んだ相手の方は大概同じ状態になりますから、師匠とともに各国へ派遣される場合は常備しています。……昨日忠告しましたのに、あまり効果はなかったようですね」

「忠告? いつ?」

「師匠と出かけられる際、言いましたよ。『酒は明日に響かぬよう、ほどよい酒量でお楽しみを』とね」

 にっこりと爽やかに、ある意味師匠にも似た笑みを浮かべて言ったレイに、それは忠告ではなく一般的挨拶だろうと周りの者が心の中で天然ぶりを指摘したとき、大隊司令室から戻ったサルザスが入室して来た。

「グレイン卿、シルフォード殿、本日から、主に私が今回の調査の補佐としてつきます。サルザスと申します。何なりとお申し付け下さい」

 内務を管理監督するサルザスが二人を補佐するとなると、大隊の運営が一時滞る可能性があった。が、今は取り急ぎ行わなければならない事案等は無いため、最良の適任者を遣わしたようだ。補佐と監視の両方をそれとなく行える人物を……。

「どの方面から調査をはじめられますか?」

 その言葉で、レイとグローブは柔らか雰囲気から一変し、張りつめたような空気を纏った。

 そんな二人に周囲は息を飲む。

「北方から、調べます」

 レイが静かに言った。


 北方の指定には理由があった。

 昨日から今朝にかけて、グローブとキンティスは複数の酒場をはしごしていたが、グローブはその酒場にいる旅人達の会話をそれとなく窺っていたのである。

 訪れた国の状況を知るには、一般の人々の暮らしを見るのが一番である。そして知りたい情報は、酒の力で口が軽くなる酒場で仕入れる。これが手っ取り早いのである。

 そこで仕入れた話では、東方では天候が良好で、稲の育ちが期待できること。西方では少し気温が下がり気味で、農作物の生長に不安があること。南方では雨量が多く土砂災害が発生していること。そして北方では気候に特に変動は見られないが旅人が激減している事。

 西方の気温低下や南方の事象は要因がはっきりしているため、対策を講じることができればさほど大事に至ることは無い。

 問題は北方だ。

 話からすると、特に国境線である山脈の麓付近の町や村からの人の往来が激減していることだった。

 豪雪のため、街道の再開が遅くなっていると言った情報も無く、街道が何らかの要因で不通になっているという情報も無い。街道筋の領主が通行税を上げたために北部からの旅を疎遠しているという噂話も全く無い。

 しかし、旅人が少ない。全くないと言ってよい程だという。

 人の往来が無いという事は、北方から帝都へ向かう道程に何かあるのか、建物の中から人が出る事が出来ない理由があるのか。それとも冬の間に北方にある町や村で死者が多く壊滅的な状態にあるのか……。

 流行り病が発生したのであれば、病の封じ込めのため帝国に動きがあるはずだが、動きは全くなく、智恵院も流行り病の情報を把握していない。

 人が出歩かない理由は何だ?

 グローブが酒場で仕入れる事が出来た情報は、ここまでだった。

 この程度の情報であれば帝国の正規軍も把握しているはずである。

 需要視する必要無しとして静観しているのか……。

 異常としてとらえている場合は、治安を担っている正規軍が何らかの動きを見せるはずであるが、表立った動きがあったという話は、旅人達の口からは出て来なかった。

 そしてもう一点気になるのが、春になると増えるはずの獣の数が、北部では皆無ということだった。

 雪解けの時期が過ぎ、これから新緑が芽吹く頃、獣は冬眠から目覚め、餌を求めて森を移動する季節である。

 獣がいない事自体異様だった。

 何かある。

 これがグローブの直感だった。

 この件は、幻獣の目覚めと結びつけるには早計であるが、関連が無いと結論づけるまで無視する事も出来なかった。

 酒場の席には、監視役? のキンティスがすぐ隣に居るにも拘らず、グローブはこれだけの情報を、酒瓶を片手に傾けながらそれとなく収集し、今後の調査の方向を思案していたのである。


 二日酔いの頭を抱え執務机と仲良くしているキンティスを尻目に、グローブとレイがサルザスと閉架書庫へ向かった頃、司令室では、隊長のライザールと副官のブレッブが今後の打ち合わせを行っていた。

「智恵院のお二人は、本日から本格的に調査を行われるようです。早速閉架書庫へ足を運ばれたと報告がありました。サルザスを付けたのは正解だったかもしれません。サルザスの奴、喜んでいましたよ。大隊一の知識馬鹿ですから」

 ブレッブのその言葉にライザールは笑った。

「物事を『知る』事に対しての貪欲さは、俺以上だ。今回の事案は彼の専門ではないが、彼の知識欲を満たすことだろう」

 ライザールは、皇位継承権を持つ皇子だが、継承の意は無く、現皇太子が皇帝として即位した際には継承権を放棄する予定であり、皇族としての立場よりも軍人としての立場を重んじている。

 軍の通常任務において階級による差は認めても身分による扱いの差を許さず、平民出身の部下達もそれをよく理解しており、ライザールに対し自由に発言している。

 ブレッブは平民の一般階級出身であり、いわゆる普通の人の中で育ち、そこから士官学校へ進み軍人の道に入った。軍人としてライザールよりも十年以上経験がある。

 ライザールも士官学校にて学んだ一人である。が、皇室で育ったため、時折一般の者の見方や考え方と異なる場合がある。

 軍人として、人生の先輩としてブレッブの話を聞き、彼の持つ価値観を一般の者の判断の基準とし、裁可の参考としていた。

「上将、以前気にされておりました北部の件ですが……」

 ブレッブが報告をはじめた。

 先日、近衛師団の会合で正規軍の警備について話が出た際の内容である。

 正規軍は近衛師団の管轄ではないため、詳しい状況について師団では把握していなかったが、北方のある部隊と連絡が取れなくなっているという内容であった。

 かなり奥地に派遣されている部隊であり、確認に向かわせた別部隊とも連絡が取れず、二重遭難に会っている可能性が示唆されていた。

 ライザールが不振に思い、情報を秘密裏に集めるようブレッブに指示していたのである。

「正規軍第三方面軍の国境警備の小隊と連絡が取れなくなっているようです。伝令を何度か向かわせているようですが、その伝令達とも連絡が取れなくなっているとのことです」

 ブレッブが報告をする。

「後から派遣された伝令達は、万が一に備え狼煙玉を複数装備していたはずだな」

 狼煙玉は文字通り狼煙を上げるための火薬玉であり、上げることで百ティクス離れた場所からも確認ができる。

「はい、第三方面軍の参謀室にそれとなく確認してみましたが、間違いないようです。」

 狼煙を確認している者はいない。

「狼煙を上げる必要の無い事案と思われそのまま対処し状況が悪化したのか、それとも狼煙を上げる余裕もなかったのか……」

 一体何が起こっているのだ?

 その問いに答えられる者はまだいない……。


 その頃、智恵院の二人は遠慮なく補佐のサルザスを書類検索の嵐へ巻き込み、古書と格闘していた。

「何だ?この文字は?」

「この単語は?現在の言葉に訳すとどうなる?」

 彼らは辞書を片手に、古書の文字を読み解くところからはじめた。

 現代に伝わる伝承は、人から人へと話が受け継がれる際に徐々に誇張や省略され、曲解してゆく。このため信憑性が疑わしい。

 より古い時期に書かれた書籍や資料から、話が変化する前の本来の伝承を読み解き、幻獣の種類や位置を特定しようと彼らは努力しているのである。

 地図を広げながら伝承で伝えられている幻獣の位置を確認し、幻獣の種類と特徴の控えの記録を取って行く。

 しかし、違う地域で同じ幻獣の伝承と思われるもの、また逆に同じ地域でも違う幻獣と思われるもの……。

 それをまとめてゆくのは非常に大変で時間がかかる作業に思われた。

「サルザス中尉、これは方言か?」

「ここの部分、これはどの地方を指す言葉?」

 二人の質問にサルザスは答えて行く。

 辞書を調べる音、古書の頁をめくる音、そしてその合間を縫うように「何だ、この文字は!」といったような悪態をつきながら記録を取る音。そんな音が閉架書庫の閲覧室に響いていた。

 だが、しばらくするとそれらの音の中から悪態が消えた。

 この二人は……。

 智恵院のこの師弟は『育ちの良い世間知らずな学者』と言う印象だが、雰囲気が大きく異なる。師匠であるグローブはおおらかさを持つ学者、弟子のレイは凛々しさの中に楚々としたものを感じさせる学者といった感じである。

 花で例えるならば、向日葵と百合と言ったところであろうか。

 その二人がほぼ同時に悪態をやめ、同じように古書に埋もれながら作業に没頭している。

 古書や資料の中に意識が引き込まれたようで、頁をめくる音だけが彼らの存在を主張していた。

 ―――――師弟だな。

 監視役を兼ねたサルザスが、二人に好印象を持った瞬間だった。


 休憩らしい休憩を全く取らずに調べを進める二人に、呆れて半ば強制的に休みを取らせることとしたサルザスは、二人を士官食堂に連れてきた。

「今の時間帯では、軽食しかありませんが……」

 そう言いながら、お茶とお茶請けの茶菓子を差し出した。

「甘いのが嬉しい!」

「おっ、疲れが取れるな」

 頭が疲れてきていた二人は、素直に喜んだ。

グローブは大酒飲みでありながら、甘いものも口にできるようだ。

 智恵院所属の二人は、ローブを羽織ったままだったことに気づくと、静かにローブを脱いだ。

 ローブの下には、一般の者がよく着るチュニックを着ていた。

 二人とも落ち着いた色合いの揃いのチュニックだった。

 そして、チュニックを留める革帯の上に小さな薬袋を綴じた薬帯を巻いており、腰には棒状の『何か』を提げていた。

「その腰に提げているものは何ですか?」

 棒状のものを指差しサルザスが尋ねた。

 それはあまり見ない、いや、初めて見るものだった。

 神官達が神殿で神事を行う際に使う聖杖に似ているが、聖球は無くただの棒状である。

 細かい装飾を施されているが、何かの道具には見えなかった。

 そして道具として使うには長さが中途半端であり、サルザスには用途が全く思いつかなかった。

「……これは、まあ、智恵院での身分証代わりになるものですね、一応」

 レイが答えた。歯切れの悪い言い方だった。

「こいつを使わずにいられることを祈るよ」

 腰からその棒状のものを取り外すと、自らの目の前に掲げグローブが言った。

 少しの間、二人の間には沈黙が流れ、サルザスがそれ以上問えるような雰囲気では無く、疑問はそのまま残ることとなった。

「さて、もう少し片付けるとするか」

 お茶の時間は終わり。

 グローブの言葉にレイが立ち上がり、サルザスも慌てて後に続いた。


 このような状況が十日続いた後、サルザスはライザールの呼び出しを受けた。

「上将、参りました」

 サルザスが司令室へ入室すると、執務机に向かっていたライザールは顔を上げた。

 すぐ横にある補佐机にはブレッブが控えていた。

「どうだ、現状は?」

 その問いに「驚きました」の言葉で返答し、サルザスは現在の状況の報告をはじめた。

 他の方面と比べ北方は伝承に関する記述がかなり少ないが、それでも関連する古書と資料は閉架書庫にある棚の一つ分はあった。が、既に半分を読破しようとしていた。

 はじめはサルザスに疑問を投げかけてきていた二人であったが、しばらくすると帝国の地理や古語の文章に慣れてきたのか、サルザスの補佐なく古書を読むようになっていた。

「この調子ならば、北方に関してではございますが、あと十日ほどで古書と資料を読み解くことが出来るかと思われます。現在、伝承の要点を記録した控えを作成されておりますので、作成が終わり次第、伝承をまとめる検討に移られると聞いております。早ければ二週もすれば現地へ赴くと言う話が出るかもしれません」

 その言葉に、ライザールが頷いた。

「そうか。では、同行する小隊を選抜することにしよう」

 そう言ったライザールに、サルザスは言葉を続けた。

「上将、私が見る限りですが、あの智恵院の二人は、純粋に調査に来ただけではないでしょうか」

 ライザールは何か考える仕草をした後、無言で続きを促した。

「お二人の行動は、閉架書庫と宿舎を往復しているのみと言っても良いかもしれません。閉架書庫から出られるときも用を足す時か食事の時のみで、宿舎から書庫までの行き来や食事も私と行動を共にしています。確認されている書籍も幻獣に関するものばかりですし、その書籍も私や司書官が主なものを用意し、お二人が必要と判断し追加の資料の指示があった際は私どもが意図に沿った資料を用意しています。他の内容のものには触れてはいませんし……もっとも、グローブ卿はキンティスを伴って酒場に行くことがあるようですが、キンティスから離れて何かするといったことも無いようです」

 その報告を聞いて、ライザールはこの度の件は表面的な目的と思われていた調査が、主目的ではないかと思うようになっていた。

 しかし、まだ彼らが来訪してからそれほど日数は立っておらず、油断は出来ないとも思った。

「少し気になることがあります」

 サルザスの言葉に、ライザールが目を細めた。

「彼らの調査ですが、幻獣の伝承の調査と言うよりは、何かを特定するために調べているといった感じがするのです」

「何かを特定?それは何だ?」

「申し訳ありません。私も感覚として捉えているだけであり、特に何かをつかんでいる訳では無いのです」

「つまり、お前の報告としては、彼らは幻獣について調査している。そして幻獣に関する何かを特定するために今回来訪した、ということか?」

「はい、あくまでも私の推測ですが」

 彼の意見は無視出来なかった。

 彼の洞察により戦いの窮地を救われたことが今までに何度もある。

 感覚として捉えているというが、色々な要因が重なりあって直感として判断している場合があるため、直感は無視出来ない要素なのである。

「分かった、この件は俺が引き継ごう。お前は彼らの補佐の役割に重点を置いてくれ」

 ライザールはそう言い、サルザスを下がらせようとしたが、ふと思い出したように尋ねた。

「サルザス、彼らは何故北から調査を始めることにしたか、お前に伝えたか?」

「いえ、そういえば理由は話されませんでした。ただ『北方から調べる』とのことでした」

 その言葉を聞いて、今度こそ、サルザスを下がらせた。

 しばらくの沈黙の後、ライザールが言った。

「今回の調査と、北方の異変は偶然か?」


 グローブとレイ、そしてサルザスの努力で、幻獣に対しての調査は順調に進み、北方に関しては記述として残っている伝承を全て拾い上げた。これから情報の擦り合わせに作業を移してゆく。

「しかし、我が国に幻獣に関しての伝承がこれほどあったとは……」

 伝承の要点を控えた用紙の束を見て、サルザスが興奮したように言った。

「特に幻獣は過去の遺物といった扱いですから、調べようと思って調べを行わない限り、実態は掴めないでしょう」

 レイの言葉に、サルザスはただ頷いた。

 未知なる情報を前に、興味を隠せないと言ったような状態だった。

「これから、どのように情報を纏めてゆくのでしょうか?」

「それは……」

 レイが説明を始めた。

 地図を使用しての作業になるとのことで、伝承の伝わる地域の上に用紙を留め針で刺し、全体の伝承を確認する。

 同じような内容の伝承は、同じ幻獣に対しての伝承として纏めてゆく。

 広範囲に伝わっている伝承は、それだけ幻獣の力が強い可能性がある。

 どのような幻獣が現れ、人々に影響を及ぼしたのか。

 それを特定してゆく。

 流石に一日では纏めることが出来ず、情報の確認に数日を有した。

 そして、北方に関しての伝承の数をまとめ上げた。

 ――――大規模な幻獣の伝承は三、小規模な幻獣に関しては八。

 これがレイドバルク帝国の北方に関しての結果であった。


 報告を兼ね、実地調査の了承を得るために三人は大隊司令室へ向かうと、ライザールが既に小隊の派遣の手配をしており、小隊長を紹介された。

「キンティス中尉?」

「実地調査の補佐を命じられました、ホッジ・キンティス中尉です。」

軍人としての敬礼の挨拶に、グローブも礼を返す。

右手首まで左手のローブの中に入れ腕を掲げたようにして頭を下げる、キンティスや周りの者が見慣れない所作だった。

「その礼は、智恵院の方々が行われる礼ですか?」

 その問いに、グローブが答えた。

「これは失礼しました、見慣れない礼でしたね。この礼は智恵院の中でも一部の者が行う礼でして、私やレイがよく行う型です」

 そう紹介し、話を戻した。

「実地調査は、大規模な幻獣を中心に行います。今回判明しているのは三頭。これを順に当たって行きたいと思っております。」

 用意された地図を見ながら説明を行う。

 いずれの幻獣も、帝都から北に向かって延びる大街道からそれほど離れていない場所で伝承が広がっている。

「ところで、北方で何かありませんか?」

 グローブが色々な意味を含めて確認のため問いかけた。

「何かとは、どのようなことでしょう」

 副官であるブレッブが注意深く問いを返した。

 意図が分かっているはずのグローブは、気づかない振りをして答えた。

「特に深い意味はありません。これから北方に向かう我々に、何か注意すべきことがあるかと思いまして……」

 特にそのような案件は無いという回答であった。

 近衛師団は、いや帝国は、現時点で北方の異変について我々に話す必要なしと判断しているのか、それとも情報を入手していないのか……。

 思い浮かんだ疑問を綺麗に隠し、グローブは帝都から近い方から順に確認したいと申し出た。

「お二人とも、調査に行かれますか?」

 その問いに、グローブの斜め後ろに控えていたレイは「はい」と答えようとしたが、言葉を遮るように、グローブがブレッブに返答した。

「いいえ、レイは残ります。より詳しい情報を集める必要がありますので」

 反論しようとして、レイは言葉を飲み込んだ。

 グローブの目を見て、理由が分かってしまったのである。

 つまり、『自分は現地へ調査に行く。その間幻獣のさらなる情報を集めろ。そして帝都の動きもそれとなく見張っていろ』ということである。

 そして真の意味は『目覚める幻獣を特定し目覚めの理由を探れ、状況によっては本来の任務について明らかにし、帝国を動かせ』である。

 グローブに対して盛大な溜め息を付きそうになり、帝国の特別大隊の幹部士官を前にしていることを思い出し、慌てて溜め息を奥底に仕舞い込んだ。

 そして師匠に対し何も言わず、先ほどのグローブと同じ礼を取った。

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