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魔法使いの杖職人

 ーー魔法使いの杖職人。


 今では、この名前を聞くのも少なくなってしまったのかもしれない。

 魔法使いの杖は、初めて魔法を使う者には必須であり、魔力を制御する道具として生涯使い続ける物となる。


 勿論、魔法使いの数だけ杖の種類はある。一人一人、個性があるのだから。

 例えば、魔力量。大人子供関係なく、多さ少なさが存在する。

 他にも、魔法適性。人によって得意な属性不得意な属性がある。

 他にも、魔力変換効率や魔力放射威力、魔力収束速度、そして単純に、手や指の大きさ。


 杖職人は、杖の使い手に合わせた、その人だけの魔法の杖を作ってきた。全て、手作りで。時間と手間を掛けて、一つ一つを最高傑作にして杖作りに人生を注いでいた。


 しかし、時の流れというものは必ず変化をもたらすもので。


 現在作られている杖のほとんどは職人の手で作られず、作り出されるのも万人に合う量産型。時間と手間を掛けず、安価な素材を用いて、素早く使い手に提供する魔法使いの杖が主流の時代となった。


 それによって杖職人もまた次々と表舞台から姿を消し、本格的な手作り杖職人は、世界にただ一人となった。


 そして、その杖職人はとある森林の近くの小屋で、年に一回有るか無いかの仕事を待ちながらひっそりと暮らしていた。

 その年老いた杖職人は、自分も手作り杖も、もう古いものだと知っている。

 それでも、もし誰かが杖職人を必要としている時は、なるべくその意に添いたいと杖職人は思っていた。


 これは、そんな老年な魔法使いの杖職人の、短い物語。


 ▽


 杖職人の一日は、温かいスープから始まる。

 スープと言っても、それはもうかなりの薄味で、湯に少量の薬草と乾燥果実ドライフルーツを加えただけのものである。草の味しかしないスープだが、杖職人はこの自然の味を好んで飲んでいた。

 杖職人はスープを飲むと、ふぅと深く、一息吐く。


 今日の予定は、いつも通り杖作りだ。

 杖作り、と言ってもこれは誰かに売ったりする物ではない。杖作りの腕を落とさないよう、たとえ依頼が無くとも毎日練習をしているのだ。


 杖作りには、かなりの費用が掛かる。

 材料費は勿論ながら、杖の加工用品は消耗し、場合によっては数ヶ月で駄目になる。それでも、仕事の少ないこの杖職人が杖を作ることができるのは、単純な話だ。


 分解、するのである。

 杖の見た目は、物にもよるが基本的には一本の棒だ。だが実際は、かなり複雑に組み合わせられた様々な素材が留め具無しでもバラバラにならないように構築されている。

 それも“魔法無し”で、だ。互いの素材が噛み合わさるよう、僅かなズレも無くして構成されている。


 これが、杖職人が杖作りに多くの時間を費やさざるを得ない理由である。

 量産型は、おそらく簡易的な構造で組み立てられているのだろうが、本格的な杖ーーつまりは職人による手作りの杖ーーは十の工程を掛けて作成する。


 逆に、分解するには工程を反対からすれば良い。

 手荒になった瞬間には素材が駄目になるので、分解は作成よりも手間だ。

 だが、素材は使い回すことができるので費用は掛からない。杖職人は加工用品も修理に修理を重ねて、なるべく買い替えないようにしている。


 杖職人は作業机の椅子に腰掛け、最近作った杖の分解を始めようとした。その時、コンコンコンと、控えめなノックが杖職人の耳に届く。

 随分と朝早い来客だった。まだ日が昇って間のない時間である。


「あの〜、いらっしゃいますか……?」


「ああ、今開けよう。少し待っとくれ」


 杖職人は手に持った杖を机に置いて立ち上がる。そして、ドアにかけていた鍵を開けた。ギギィ、と軋む小屋のドアを開き、来客を中に迎え入れる。


 客は、まだ若い少女だった。歳は二十にも満たしていないように見える。背中に背負った荷物を床に置いた少女は、そわそわしながら立っていた。

 杖職人は少し埃を被った椅子を小屋の隅から取り出して、布で埃を拭う。そして客の少女に差し出し、座るように促した。


「さて……杖が欲しいのかね。わたしの杖は手作りで、時間が掛かるよ」


「いえ、新しい杖は結構です。えっと、その……杖の、修理をお願いしたくて……」


「杖の修理……どうして、わたしに?」


「ここに来る前に杖の店に行ったんです。そしたら、これは扱えないって。私の杖、手作りなんですよ。小さい頃に父が買ってくれた杖で……」


「そうかい。それで?」


「あ、だから、手作りの杖はその職人に見せるしかないって……でも、私の杖を作った職人さんはもう引退して居場所が分からなくて……」


 少女は俯きながら、ギュッと膝の上の手を握った。おそらく、この杖職人が最後の望みなのだろう。

 手作り杖の修復は、並大抵の腕では難しい。それこそ、分解の応用だからだ。被害にもよるが、新しい杖を作った方が早い時もある。


「……どれ、まずは見せとくれ」


「は、はい。えっと……これです」


 少女は床に置いていた荷物から、布にくるんだ細長い物を取り出した。杖職人は受け取ると、作業机に慎重に置いて布を広げる。

 中には、無数に亀裂が入ったボロボロの杖が横たわっていた。折れていないのが不思議なくらい、酷い有り様である。


「何があったのか、教えてくれるかい」


「はい。対人の模擬戦で、相手の魔法が私の杖に当たって、それで……」


「だろうね。強力な魔法残滓が窺えるよ。ふむ……外殻の修復は無理だろう」


「そ、そんな! どうにかなりませんか! 父から貰った、大切な杖なんです!」


 腰を浮かすほどの勢いで、必死の形相の少女が詰め寄るが、杖職人は微妙な顔で「ふむ……」と唸るだけ。少女はストンと椅子に力無く座ると、目尻に涙を浮かべてしゃくり上げ始めた。


 杖職人はボロボロになった杖を手に取ると、亀裂の隙間から杖の内部を覗いた。杖の内部、そのまた奥では、淡い光が僅かに溢れている。


「……外殻、つまり杖の主要木材は変えなければならない。だが、杖の核はおよそ使える。魔法を受けたことで多少変質しているかもしれないが、こちらの修復は可能だ」


「ひぐっ……つ、つまり……ひぐっ……な、直せるって……こと、ですか?」


「半分は新しくなるが、杖の魂は変わらない。直してみるかね?」


「はい! お願いします!」


 少女は涙を拭うと、杖職人に頭を下げた。杖職人は静かに「ああ、やってみよう」と告げると、立ち上がる。

 近くに置いてあった箱から、瓶や袋を取り出して作業机の上に置いた。そして、棚からも数枚の紙を取り出して、置く。


「あの、私はどうすれば……」


「少しそこに居てくれるか。手の大きさを測る必要がある。魔法の適性はあるかい?」


「魔法適性は火と、風です」


「ふむ。適性は火と風、と。杖を持つ手を前に出しとくれ」


「あっ、はい」


 少女が右手を差し出すと、杖職人は物差しで少女の手を測った。魔法適性の情報に加えて、少女の手の大きさを紙に記す。少女の手の次には、ボロボロの杖の長さや太さも測っていた。


「ふむ。ここから少し時間が掛かる。隣の小屋で待っといてくれ。夕方くらいに、また呼び出そう」


「あの……見学してても、いいですか?」


「わたしの杖作りなぞ、見てても退屈だろうよ」


「それでも、見てみたいんです」


「……退屈になったら、いつでも外に出て構わないよ」


 杖職人はそれだけ言うと、杖の修復に取り掛かる。少女も椅子に腰掛けて、杖職人の手の動きを見ていた。

 細かい作業にも関わらず、器用に動く老人の手である。ふと、少女は依頼した側にも関わらず名前を名乗るのも、聞くのも忘れていた。


「あの、私、ミシェルって名前です。あなたの名前は、なんでしょうか?」


「わたしの名は……アルバート。気軽に呼んでくれて構わない」


「そうですか。ではアルバートさん。まずは何をするんですか?」


「壊れた杖の外殻を剥がす。必要なのは内部に込められた杖の核だからね。それを取り出すのが目的だよ」


「えっと、その“杖の核”ってなんですか?」


 少女ーーミシェルの質問に、杖職人のアルバートは杖の内部を覗き込むように言った。ミシェルは指示通り内部を覗くと、奥の方に淡い光を放っているナニカを目にする。


「これが、核?」


「ああ、そうだよ。魔力変換補助……つまりは人が持つ魔力を魔法に変えるのを補助する、杖で一番大事な物だ」


「杖の中には、これが必ず入っているってことですか?」


「その通り。種類は違えど、核の無い杖は魔法使いの杖ではない。ただの杖さ」


 アルバートはミシェルから杖を受け取ると、杖の外側の木材を剥がす作業に戻った。亀裂に細長い金具を差し込み、てこの原理を使って剥がすのである。

 とはいえ、核に繋がっている部分もあるので慎重に行う必要があり、作業自体は遅々としていた。


「アルバートさんは、ずっと一人でここに?」


「いや、元々はわたしの師と住んでいた。何も知らないわたしに杖作りを教えてくれた、良い人だ。もう亡くなったのだけどね」


「そうでしたか……杖作りも、昔から?」


「最近だよ。師に出会ったのも、そう昔の話ではないからね。それまでは……研究をしていた」


「どんな研究を?」


「老人の趣味さ。人に話す程のものではないよ」


 パキッ、と杖の外殻が音を鳴らした。アルバートは手に持った工具を置き、大きく開いた杖の亀裂に細長い二本の板を入れる。

 そして、中から縦三センチくらいの細長い物体を板に挟んで取り出した。赤い宝石に、白色の紐が巻き付いたような物だ。


「それが、核……」


「そう。赤いのは火竜の炎血石、白い紐はユニコーンの尾だろう」


「これが、魔力変換補助に必要な素材ですか?」


「ああ。どちらも上質だ。君の父親は腕の立つ杖職人に依頼したようだね。これだけボロボロになっても、杖の作りの良さは分かるよ」


「そう、ですか」


「ああ。実に良くできている」


 アルバートは感心したように杖の核を眺めながら言った。そして杖の核を作業机に広げた布の上に丁寧に下ろし、物差しを使って大きさを測る。

 メモ用の紙に、新たな数値が付け加えられた。


「次は、この核に合う新しい外殻を作る。その外殻には魔力伝導性物質を使う。君の杖に使われていたのは北の地の雪木の枝だろうね」


「えっと、では今回使うのは?」


「ああ。使いたい木があるから……今から取ってくるとしよう」


「出掛けるんですか? もしかして、小屋の裏の森に?」


「そうだ。だから、少し待っていてくれんか」


「わ、私も着いていきます」


「そうかい。だったら、外の大なたを持ってくれ。老人には、少々重い」


「分かりました!」


 アルバートとミシェルは小屋から外に出た。ミシェルは小屋の壁に立て掛けられていた大きい鉈を、アルバートは明らかに鉈よりも重そうな、とても長い梯子はしごを抱えて小屋の隣の森の中に入っていった。

 普段から通っているのか、森には道ができている。多少の坂はあれど、歩きやすいものだった。


 それからしばらくして、アルバートとミシェルは一本の木の前に立ち止まった。それは他の木に比べて遥かに太く高く、まさしく大樹だった。


「霊樹、とわたしは呼んでいる。地面から魔力を大量に吸い上げている魔力の宿った木だよ」


「この木の枝を、私の杖に……?」


「そういうことだ。さあ、鉈を貸しとくれ」


「あ、梯子なら私が登りますよ」


「大丈夫だ。それに、枝を切る時もコツがいる。教えていたら年が暮れるよ。代わりに、梯子を押さえておいてくれんか」


「分かりました! 任せてください!」


「ああ。頼んだよ」


 アルバートは梯子を霊樹に立て掛けると、霊樹に向かって一礼してから登り始めた。老人にしては動きが良く、すぐに枝のある高さまでアルバートは辿り着いた。

 アルバートが求めるのは比較的短い枝だ。わざわざ長い枝を切らなくても、杖を作る分だけ取れればアルバートとしては持ち帰りが楽で良い。


 アルバートは上質な枝を選び、その枝に鉈を振り下ろした。霊樹の太い枝は、そう簡単に切り落とすことはできなかったが、アルバートの言うコツによって、僅か三十分くらいで人の腕程の長さの枝を手に入れることに成功した。


「アルバートさん! 大丈夫でしたか?」


「ああ。君がしっかり支えていてくれたからね。助かったよ」


「お役に立てたなら、良かったです」


「さて、どうにか枝を手に入れた。帰って作業の続きをしよう」


 アルバートとミシェルは道具と枝を抱えて、森を抜ける。枝を切る様子を見たミシェルは、アルバートがこれだけ元気に動ける理由がなんとなく分かった気がした。


 小屋に着き、アルバートは早速、杖の外殻作りに手を付けた。アルバートが言うには、霊樹は劣化が激しく、早く加工しなければただの枝になってしまうらしい。


「霊樹は魔力を含んでいるから霊樹と呼ぶ。魔力が抜けたら、それはもう普通の大樹だよ」


「普通の樹木は、杖の外殻に使えないんですか?」


「使えないことはないだろう。ただし、出来上がるのは魔力伝導率の低い劣悪品だ。誰も使わない」


「へぇ〜……」


 アルバートはひたすらに枝をナイフでガリガリと削る。枝を削ぎ落として、杖の形に近付けているのだ。勿論、杖の形にしたからといって魔法使いの杖にはならない。

 そこから更に加工して、内部に核を埋め込まないといけないのだ。


 早ければ早い程、より上質な杖が出来上がる。外殻の作成は時間との勝負だ。真剣な表情で枝を削るアルバートに、ミシェルも空気を読んで口を閉ざしていた。


 それから、三、四時間経って、アルバートはようやくナイフを机に置いた。そして、溜めていた息をふぅ……と深く吐いて出す。ミシェルはパチパチと小さく手を打った。

 アルバートの左手には、限りなく杖の形に近付いた枝が握られていた。


 とはいえ、これはまだ装飾も何一つなく、ただ荒削りしただけの棒である。ここから更に加工しなければならない。

 ただし、ここまで削ると魔力劣化の心配はない。霊樹の枝が自己保存の為に魔力放出を抑えるからだ。


「あの、休まなくて大丈夫ですか?」


「大丈夫だよ。年老いたとはいえ、仕事ができなくなった訳ではない。ーーただ、少し喉が渇いたかな。すまないが外の井戸から水を汲んできてくれんか」


「はい! すぐに取ってきますから!」


 ミシェルはピシッと立ち上がると、小屋から走って飛び出した。アルバートは少し微笑むと、再び真剣な表情に戻って、杖の作成を再開する。

 ミシェルが汲んだきてくれた水を口に含みながら、アルバートは手を細かく動かし続けた。


「アルバートさん。これは、今何をしているんです?」


「杖の部品作りだよ。枝を細かく分けて、内部に核を嵌め込んでから組み立てるつもりだ」


「む、難しそうですね……」


「そうだね。少しズレれば、枝を取るところからやり直しだ」


「え!? が、頑張ってくださいっ」


「ああ、そのつもりだよ」


 アルバートは集中して枝の加工をした。様々な形状の加工用品を使って枝を切り分けたり、小さな穴を開けたりと器用にこなしていく。

 その作業を見ているミシェルの方がハラハラとして緊張していた。


 それから更に二時間後、枝は小さな物から大きな物まで、杖の木材部品として分けられた。アルバートはそれを作業机の隅に集めて置いておくと、今度は杖の核を手に取った。

 火竜の炎血石とユニコーンの尾の、あれである。アルバートは火竜の炎血石に巻き付けられたユニコーンの尾を慎重に取り外した。


 そしてアルバートは核を左手に持ち、右手で液体の入った瓶を取る。そして、瓶の中の液体を核に向かって注いだ。量としては僅かだが、その液体が触れた核は眩い光を放ち始める。


「な、何をしたんですか!?」


「核が少し弱っていた。だから回復させただけだよ」


 核が放つ眩い光は、数秒後には落ち着いていた。だが、明らかに先程とは違う力強さが核に宿っていた。今にも燃え出しそうに火竜の炎血石の内部が赤く煌めいている。


「これが本来の核の持つ力だ。君のは魔法を受けて力が漏れ出していたようだね」


「そ、そうですか……すごく綺麗ですね」


「そうだ。この力強い核が、魔法使いの杖の源だね」


 アルバートは少し液体で濡れた核を布に当て、ユニコーンの尾を巻き付け直した。そして、その核を遂に枝の部品に組み込む。窪みができた枝の部品に核を当て、嵌め込んだ。


「後は組み立てるだけだ。すぐ終わる」


「はい。ありがとうございます。日が沈む前には帰れそうですね」


「それは無理だ。全ての作業が終わるのは明日の朝だよ」


「え? でも組み立てはもう終わるって……」


「微調整が必要なんだ。そうしなければまた杖が壊れる。それでも良いか」


「……待ちます」


「ふむ。よろしいな」


 アルバートは可笑しそうに笑いながら、枝の部品を組み立てた。ミシェルはそれをじっと見ているが、一体何をどう動かせば部品が組み上がっているのかまでは、最後まで分からなかった。


「さて、形としては完成だ。外に出よう。そこで微調整だ」


「分かりました」


 アルバートとミシェルは小屋の外に出る。外はもう空が赤く染まっていた。集中して手を動かしていたアルバートもだが、見ていただけのミシェルでさえも時間を忘れる程に杖作りに没頭していた。


 アルバートは杖をミシェルに手渡す。微調整をしていない無骨な杖は、それでもピタリとミシェルの手に収まった。

 前使っていた杖よりも、遥かに持ちやすく扱いやすい。


「壊れた方は幼少期に作った物だろう。成長すれば新調するのが普通だよ」


「あ、そっか。そうですよね、あはは」


 アルバートの指摘にミシェルは笑いながら、杖を構えて魔法を発動した。それを何回か繰り返し、アルバートに止められて杖を手渡す。

 アルバートは調整をして、もう一度ミシェルに魔法を使うように指示した。


「……ふむ。このくらいで良い。感覚としてはどうか」


「すっごく使いやすいです! ありがとうございます! ……でも、もう真っ暗ですね〜」


「今夜はここで休むと良い。隣の小屋は来客用として掃除してある。使いなさい」


「はい。アルバートさんも、もうお休みですか?」


「いや。わたしは明日の朝にできるように作業するよ」


「それだったら、私も……」


「いや、寝なさい。若いうちに夜更かしは良くない」


「……分かりました。アルバートさんも早めにお休みくだいね」


「ああ。年寄りは早く寝るものさ」


 アルバートとミシェルはそこで別れ、それぞれ別の小屋に入った。ミシェルがベッドに横になって灯りを消した時に、隣からは何かを削る音が伝わってくる。それを耳にしながら、ミシェルはゆっくりと眠りに就いた。

 アルバートは月が高く昇っても、それから沈んでいっても、右手の工具を細かく動かし続けていた。


 ▽


 翌日。井戸の水を汲む音で、ミシェルは目を覚ました。しばらく呆けていたが、杖のことを思い出して起き上がる。少し乱れた髪を整えて、ミシェルは小屋を出た。

 そして、アルバートの方の小屋をノックする。


「アルバートさん?」


「ああ、君か。入ってくれて構わない」


 ミシェルがドアを開けて小屋に入ると、アルバートはスープを飲んでいた。薬草の匂いが小屋の中に広がっている。


「昨日は眠れたようだね」


「はい。アルバートさんは……そうではないようで」


「ふむ。どうしてバレたか」


「目、すごいことなってますよ」


「そうか。これでも少しは寝たのだけどな」


「そうですか。ありがとうございます。私の杖の為に」


「杖職人が杖のことを考えなくてどうする。わたしは当たり前の仕事をしただけだよ」


 アルバートはそう言って、ミシェルに小箱を差し出した。ミシェルはそれを受け取ると、その小箱の蓋を開ける。中には、一本の杖が入っていた。


 美しい装飾が刻み込まれており、手に持ってみても全く違和感を感じさせない。

 まさしく、ミシェルの為だけに作られた魔法使いの杖だった。


「ふむ。その反応を見るに、悪くなかったようだ」


「…………えぐっ」


「ん、君、泣いているのか」


 アルバートは少し慌てたようにミシェルを見る。ミシェルは受け取った杖を大事そうに抱き締めながら、ボロボロと大粒の涙を零していた。


 アルバートは急いで洗ったばかりのタオルを手に取って、ミシェルに差し出す。

 ミシェルは嗚咽を漏らしながらもタオルを受け取って涙を拭き取るが、一向に涙は止まらない。


「君、大丈夫か。何か君を傷付けることを……」


「違うんです……違うんですよ。ただ……嬉しくて。もう、直らないと思ってたから……」


 ミシェルの杖が壊れてしまった時、ミシェルは悲しさと同時に申し訳なさが心を満たした。

 父から貰った大切な杖を、ボロボロにしてしまったことに酷く申し訳なく思ったのだ。


 杖を扱う人に見せても取り合ってくれず、杖を作ってくれた人はどこにいるか分からない。そんな時に噂を耳にしたのだ。唯一の杖職人の噂を。


「あり……がとう、ござ……ますっ! 本当に……本当に……っ!」


「……そうかい。良かったよ」


 アルバートは、泣き崩れるミシェルの頭を優しく撫でた。自分の杖作りの腕を認めてくれた少女を、優しく、優しく撫でていた。

 アルバートもまた、嬉しかった。本当はもう、この世界には杖職人などいらないのではないかと、心のどこかでは思っていたのだ。


 だが、今日この日、やはり続けて良かったとアルバートは口元を緩めた。この腕で、誰かの杖と思い出を救えたなら、それ以上の嬉しさはない。


「やはり、来て良かった。間違いでは無かったよ。後悔も、やはり必要無い」


 アルバートは、泣き続ける少女を見ながら、そう呟いた。


 それから数分後、ズビッと鼻を鳴らしながら少女は椅子に腰掛ける。アルバートも向かい合うように作業机の椅子に座った。


「……すみません。みっともないところを見せてしまって……」


「構わないよ。豪快に泣くのは子供の仕事の一つだ」


「……ちょっと、バカにしましたよね」


「良い泣きっぷりだったよ」


「もう! アルバートさん!」


 顔を赤くしながら、ミシェルは怒った顔を見せる。アルバートは可笑しそうに笑いながら、工具を一つ取り出した。最後のサービス提供をする為だ。


「さて、君。その杖に君の名前を刻印してあげよう。なに、これはサービスだ」


「あの……それは……」


「ああ、強制ではない。入れたくないならそれでも良い」


「そうじゃなくて、アルバートさんの名前を刻んでくれませんか?」


「……ふむ。どうしてか」


「お世話になったのと、何よりアルバートブランドとしてみんなに自慢するんです!」


「それは……まあ、君が望むならわたしは構わないが」


「ええ。お願いします!」


 アルバートは「少し奇妙なことになったな」と思いながらも杖を受け取り、杖の未装飾部分、本来であれば使い手の名前を刻むところにアルバートの名前を刻んでおいた。

 そして、優しく布で杖を拭き、ミシェルに返却する。


「どうぞ。これで、君の杖は完成したよ」


「はい! ありがとうございます!」


 アルバートから受け取ったミシェルは、刻印された名前を見て怪訝な表情をした。そして、杖を見せながらアルバートに尋ねる。


「あの、これ、なんて刻んでいるんです?」


「わたしの名前だ。わたしの故郷では、その文字を使っているのだよ」


「へぇ、そうですか……流れる感じでカッコいいですね!」


「ありがとう。……さて、現実的な話をしようか」


 アルバートがそう言うと、ミシェルも覚悟していたように頷いた。


「お金、ですよね。ここまで凄い杖ですので……分かりました。言い値で結構ですっ」


「ふむ。話が早くて助かるよ。それでは、本来の値段から梯子支え代と水汲み代を差っ引いて……金貨一枚と言ったところだね」


「き、金貨一枚っ!? それってーー量産型の杖の値段と変わらないじゃないですか!」


 驚いたように叫ぶミシェルに対して、アルバートは微笑みながら告げる。


「君の労働によってわたしは最高の杖を作れた。値段から君の労働分を引くのは当たり前だろう」


「そ、それでも! この杖は特別で……」


「言い値で買うと君が言ったのだろう」


「うぐっ、そうですが……」


「老人の優しさを無下にするのか」


 アルバートの言葉に、ミシェルは深く溜息を吐いた。言い値で買うと言った以上、反論するのは間違いだと諦めたからだ。

 それでも、その表情は楽しそうな、嬉しそうなものであった。


「……そうですね。分かりました。ありがとうございます、アルバートさん」


「ああ、わたしも久し振りに、楽しかったよ」


「ふふっ、たまに遊びに来てもいいですか?」


「来るにしても、街からは遠いだろう。……そう頻繁には、来なくて良い」


「はいっ! 今度は私の友達も連れて来ます!」


「そうかい。それは楽しみだ」


 そうして、ミシェルは帰っていった。


 宣言通り、ミシェルは定期的にアルバートの元に訪れては友達や客を連れて来たりした。最終的には“杖職人の案内人”とまで呼ばれるようになったらしい。

 ミシェルはアルバート公認の“友人”を名乗って、人々をアルバートの元へ連れていった。


 アルバートもそれによって忙しくなり、一人で過ごす時間が少なくなったとぼやきながらも、その顔はいつも生き生きとして楽しそうであった。


 ミシェルの宣伝によって、瞬く間にアルバートの杖の人気は高まり、毎日のように客が来た。中には弟子入りを懇願する魔法使いも現れ、今ではあの森の小屋は大改築されて杖工房となっている。


 アルバートの弟子達は各地へと旅立ち、教わった技術はアルバートブランドを求める客へ提供した。


 やがて、アルバートの杖作成の腕と功績は世界に認められて、国王ですらも宮廷杖職人そっちのけでアルバートの杖を求めたという。

 アルバートの名は歴史書に刻まれている、という伝説が残されるくらい、アルバートの人気は止まらなかった。


 今後もしかしたら、魔法使いの杖職人が再び、杖の使い手と共に歩む日が来るかもしれない。誰もがアルバートの杖を握りながら、そう思った。


 ミシェルもまた、アルバートから貰った杖を生涯ずっと大事にしたという。忘れられない、思い出の証だと。


 その杖には、ただ流れるような文字で、


 “ Albert Einstein”


 と刻まれていた。

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[良い点]  「メモ用の紙に新たな数値が付け加えられた」  この表現が個人的に好きです。「新たな数値を書き加えた」等の様にせず、このように『メモ用の紙』に視点を置くことで杖職人はすでに次の作業に移るた…
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