残響
私は力ある魔女であった。知識の深淵を覗き、悪魔を使役し、そして魔法を極めていた。
私には可愛い弟子がいた。魔法を教えてきかせるたびに、「ハイ、お師匠様」と素直に答えた、できた弟子であった。
身の回りの世話もしてくれた。朝食は毎日かかさず、野菜と卵を付け合わせたフレンチを作ってくれたし、昼間には私の好きな甘いクッキーを焼いてくれた。
この弟子が可愛かった。まるで実の息子のように、愛していたといってもいい。
その弟子が死んだ。
魔法の練習による事故だった。弟子の魔法が暴走し、弟子の生命を吹き飛ばした。私は事故が起こらないように監督し、弟子も細心の注意を払って練習していた。しかし結論から言えば、不幸が重なった防ぎようのない事故で、私も弟子もどうしようもなかった。
私は茫然と弟子の体を抱えた。ヒタリ、ヒタリと私の顔が汗ばんだ。弟子の体からはあるべき鼓動が感じられなかった。
私は事実が受け入れられず、弟子の体を抱き続けた。弟子の体は死後の硬直が解け、だらんと力が抜けた。弟子の遺体は傷み始めたので、私は急いで、弟子の体を魔法で保存した。そして変わらず、弟子を抱き続けた。
どれくらいの間そうしていただろうか、モノ言わぬ冷たい弟子の感触を感じている間は、喪失感というべき辛い気持ちを誤魔化すことができた。私の精神はまるで弟子の体のように凍り付いていた。
どれくらいたっただろうか。月と太陽が私を同時に照らすような季節、私は思いついた。
弟子を生き返らせることにした。
◇◇◇
私は、悪魔を呼び出した。その悪魔に対価を払い、弟子を生き返らせる術を手伝わせた。私は弟子の体を使い、悪魔の誠実な仕事のもと、目的を果たそうとした。
結論から言うと、試みは失敗した。弟子の記憶を持ち、弟子の顔を持つ、別の”何か”が生まれた。弟子であるが、弟子ではない。
ややこしいので、死んで生まれなおす前の弟子をファーストと呼ぶことにした。
生まれなおした弟子は、まさしくファーストのようだった。しっかりとファーストの記憶を持っていた。
私は生まれたばかりの弟子に聞いた。最後のことを覚えているかと。
弟子は、「えぇ、覚えています」と神妙な顔つきをして言った。
私のことを師匠だと解っているし、弟子は、自分がまさにファーストであった存在だったことを知っていた。
しかし、ファーストの素直さで話すソレは、まるで他人からの伝聞のような空虚さを伴っていた。
弟子は、生物学的には間違いなくファーストであった。ファーストの体を使っているので当然ではあるのだが、ファーストの脳と体を持っていた。しかしファーストとは何かが違っていた。
例えるならば、――魂という曖昧なものを引き合いに出すのは魔女として恥ずかしい話ではあるが――、ファーストの魂は何処かへ旅立ち、弟子の体には帰ってこなかったのだと思わされた。
事実を述べよう。弟子は、新たに生まれた。
弟子に「クッキーは好きか」と聞いたら、「パリッとしていて美味しいものだということはわかるが、しかしそれがどういうものか分からない」と答えた。ファーストが好きだった魔法を見せると、弟子はそれが好きな魔法だったと認識するようなのだが、それについて何も感じていないようだった。つまり弟子自身から、ファーストらしい反応をみることができなかった。私が魔法を見せると、ファーストは顔を綻ばせていたが、弟子はそうではなかった。表情を司る筋肉が、凍ったように張り付いていた。
弟子という得体の知れないレンズを通して、ファーストという物体を見ているようだった。私は得体の知れない”何か”を生み出したのだと悟った。
私は生まれたばかりの弟子に説明した。弟子が持っている記憶は、弟子のものではなく、前に弟子の体を使っていた者の記憶だと教えた。
弟子は特にそれを気にせず、そうなのですかと納得していたように見えた。
そして弟子は、魔法が使えなかった。魔法の手順や方法は正しいのではあるが、それは教科書を読み込み実技を行わなかった座学者の動きだった。弟子は魔法を使うための実感を持っていなかった。
私はファーストを魔法の弟子として取っていたのだから、魔法が使えないことは良くないことで、それが私の顔に出ていたようだった。
それを察した弟子は、私にこう言った。
「私は魔法が使えないみたいです。私はお師匠様にとって、弟子ではなくなりましたか?」
答えに詰まった。もしもファーストが魔法を使えなくなっても、きっと弟子として扱っただろう。しかし今の弟子は、私の弟子なのだろうか。ファーストとしての記憶と人格を持つが、しかしファーストではない。
弟子が何者なのか、私には解らなかった。
一つはっきりしているのは、弟子は私が望んだことによって生まれた結果であることだった。
それは私にとって不本意であるものだったが、しかしそれは確かなことであった。
だから弟子に、「おまえは私の弟子だよ」と声を絞り出して伝えた。
その後、弟子は魔法の真似事をやめ、台所へ向かった。綺麗に整頓されていた道具を使って、クッキーを焼いて持ってきた。それはファーストの習慣であった。
それがファーストのクッキーと同じ味であることはわかるのだが、どこかその味に違和感を持っていた。
弟子に聞くと、ファーストの記憶を頼りに作ったらしい。
弟子の体と記憶を使って作った料理なのだから、同じ味であるはずなのに、不思議なことだと思った。
これらの出来事は、弟子が生まれてすぐの、僅かの間のことだった。
◇◇◇
そして弟子が生まれて数ヵ月たった。弟子は、変わらなかった。相変わらず機械的にファーストのように振る舞っているし、それがおかしいとも思っていないようだった。
そして、変わらず魔法の練習をしていた。魔法を使うことはまだ出来ないようだったが、ファーストの記憶をもとに同じことを繰り返していた。鍛錬を続ければ魔法は使えるようになるのだろうが、果たしてそれがファーストと同等なものかと言われると、私は頷かないだろう。ファーストには見られない、僅かではあるが弟子の妙な癖を、私は見抜いていた。
◇◇◇
さらに二年たった。弟子は、少しおかしくなった。私に野菜と卵のフレンチを出すときに、鼻歌を歌うようになった。クッキーを焼く時は、台所で変な踊りを始めていた。
私が「何をしているのか」と聞くと、弟子は「美味しくなるように愛情をこめている」と言った。「ファーストもそうしていたのか」と加えて尋ねたが「それは内緒です」と教えてくれなかった。少し恥ずかしがっているように見え、――本当にそうだったのかは分からないが――、昔に比べると表情が豊かになった。
ある時、私は弟子に聞いた。私とクッキーを食べたりすることをどう思っているのかと。
弟子はこう言って教えてくれた。
「私はそれを楽しみにしています。それは私が記憶しているものと同様であり、過去の私はそれを知っています。過去の私がそれを喜んでいたのは確かですが、私が思い出すそれと、私が感じているそれは少し違っているのです。とても奇妙な感覚ですよ」
◇◇◇
弟子について考えていた。
私は弟子を生き返らせたが、何も知らなかった。
弟子は、特殊だった。誰もが空っぽで生まれてくる。私だってそうだ。全てを知って生まれてくることはない。しかし弟子は多くを知り、両手に持ちきれない程の荷物を持って生まれてきた。
弟子がその両手に荷物を持っていることはわかるのだが、中に何が入っているかは知らなかった。そしてその中身を考えてみたが、それを知ることはできなかった。
◇◇◇
弟子は魔法が使えるようになった。
しかし、それはファーストのものではなかった。ファーストの師匠である私だから理解できることではあるが、随所に細かな違いがみられた。弟子自身が、それを知ることはできないようだった。
ファーストの魔法を使っていると思い込んでいるようで、そしてその出来事に喜んでいるようだった。
私はその時、弟子に「それはファーストの魔法ではない」と伝えた。
弟子は少ししかめ面をした後、「それは良いことなのでしょうか」と私に尋ねた。
弟子はファーストの魔法を使えたことを喜んでいた様子だった。
答えに悩んだ私は、「魔法を使えたことを嬉しくないのか」と尋ね返した。
「私は私を全て知っていて、そして私は私と違うことを知っています。ですが私の記憶が、お師匠様にその魔法を見せたいというのです。私は私の魔法を使えたことは嬉しいのですが、私の記憶は、少しがっかりしているようなのです」
私がその答えを聞き考察するに、弟子の体には二つの感覚が存在しているようだった。弟子はファーストの記憶と感情を読み解いた上で、どう感じるかを感じていた。そして弟子は弟子として別の感じ方を持っているようであった。つまり弟子は一つの出来事に対して、二つの感覚を享受しているようだった。
私は弟子を肯定して、弟子自身のその感覚を大事にするように伝えた。魔法を教わるたびに、弟子は嬉しそうに微笑んでいた。それはファーストとは違う物であったが、私が愛したものであった。
◇◇◇
それからさらに数年たった。
弟子は、ファーストから離れていった。それは人間の幼子が成長し人格を持つように、弟子はファーストではなく弟子として振る舞うようになった。
ファーストの面影が見られることには変わりないが、表情が豊かになり、突拍子のない行動を起こすようになり、決して私には言わなかったようなことも言うようになった。
私が知らないファーストというべきなのか、弟子が確固たる弟子として存在するようになった。
弟子が焼くクッキーは、色合いと味わいを変えるようになり、「お師匠様がさらに好きになるような味を」と言った。私は「前のクッキーが好きだった」というと、弟子は「ではこの味を好きになってください」と言いはり、ファーストのクッキーは焼かなくなった。
私はそのような弟子との時間を楽しみにしていた。
◇◇◇
それの体は弾けとんでいた。私はそれが弟子だと知っていて、そしてもう二度と戻らないであろうことを理解した。
馬車に挽かれていた。クッキーの材料を買い出しに行った弟子は、馬車の車輪に巻き込まれ、その体をズタズタに引き裂かれていた。車輪は真っ赤に染まり、血溜まりが出来ていた。私は怒り狂い、馬車の関係者を皆殺しにした。力ある魔女の私が魔法を振るうと、脆弱な彼らは吹き飛んだ。
弟子は、どうでもいい不幸な運命に巻き込まれ、喪失したのだ。
そのことを、悲しいとも辛いとも思わず、ただただ「また」失ったのだという実感をものにしていた。
私はその弟子の体を持ち帰り、焼いて灰に変えた。
庭に二つの墓を作って、弟子の灰をそれぞれの墓に埋めた。
◇◇◇
それから私は、することもなく、部屋の椅子に腰かけていた。
茫然と椅子に腰かけている間は、それを考えなくて済んだ。
どれぐらいたったか分からなくなった頃、野菜と卵のフレンチが食べたくなった。
台所に立ち、自分でそれを作って食べた。
弟子は死んだんだなぁと、私は思った。
◇◇◇
私は、新たに弟子を生き返らせようかと思案したが、辞めておいた。
ファーストとは違い、弟子を静かに眠らせてやることにした。ファーストには悪いことをしたと思ったが、最後には墓に入ったので問題ないだろう。
そういえば、弟子は何者だったのだろうか。
しばらく思案して、それが無意味な問であると思い至った。
弟子は弟子で、そしてそれを真に理解したことなど、一度たりともなかったからだ。
確かに存在し、そして消えた。
それはまさに、残響のようだった。