第3話 水辺の日常
ニヒルな男が、何か考え込むように、湖のほとりにたたずんでいる。
うつむいたその瞳には、彼の孤独が映り込んでいるようだ。
「時田さーん、お茶が入りましたよー」
そこへ飛び込んでくる、脳天気な呼び声。
「なんだよ丁央! 人がせっかくこの雄大な湖に、孤独な思いをはせていたのによ!」
「はあ? なんですかそれ、ぜーんぜん似合ってないですよ」
「うるせえ!」
なんとその男は、時田だ。憂いとは正反対の場所にいる人物である。
「それより、もうすぐR4が来るって連絡が入りましたよ」
「なに! どこにだ!」
「えーと・・・」
「きた!」
なんと、丁央ではなく時田が湖の上空を指さすと、そのあたりがグニャグニャとゆがみだした。
「なんで湖の上に現れるんだ! 俺が乗り込めないじゃないか」
なぜか地団駄を踏む時田、彼は言わずもがな、R4の移動部屋が大・大・大好きなのだ。
「あれ? トニーさんに日程聞いてませんか。今回お二人から水上用の移動部屋を置く場所を作ってほしいって依頼が入ってるんですけど。今日はその打ち合わせです」
「そんなこと言ってたかなあ? うーむ、あ! あんときか!」
どうやら思い出したらしい。
「時田は過ぎ去ったことに執着しないタイプだからな」
そこへ苦笑いのトニーがやってくる。
「そうだ、それが俺のいいところさ。けど、またまた国王自ら来るなんて、俺たちずいぶん期待されてる?」
「だーかーらー、今回も建築屋として来たんですって」
「なーんだそうか、だったらこき使ってやる!」
そんな言いぐさに、額に手を当てて情けなさそうにする丁央。時田は前にも同じセリフを言ったのを、すっかり忘れているようだ。
「あーなんかデジャヴ。はいはい、いいですよ、こき使って下さい」
「よおし、だったらすぐ始めようぜ、すぐ!」
今回の建築を担当するのは、多久和 斎・雪乃夫妻が経営する建築設計事務所だ。丁央は国王と建築屋の二足のわらじを履いているが、その立場上、いつ何時呼び出しを受けるかわからない。なので、以前所属していた事務所は退職し、今はフリーで各地の設計に参加する形を取っている。
さてここで、今回の依頼の経緯を説明すると。
塩の水たまり事件の時に、トニー&時田が制作した水陸両用の移動部屋は、あれ以降、この湖周辺に移動する際に利用されている。二重の出入り口から水中に出られるようになっているので、湖の上に浮かぶように現れることもある。特に時田が乗ってくるときは、必ず水に浮かぶように現れる。
ただし。
「うげえ、なんか気持ち悪い~」
「また移動部屋酔いか、ほれ、R4特性の酔い止めだ」
「おう、恩に着るぜ」
湖なので波はないが、風の影響で、浮かんだ移動部屋はたえずゆったりと揺れている。
何のことはない、時田がこの揺れに非常に弱くて、すぐに酔ってしまうのだ。空間移動の第一人者も、乗り物酔いにはかなわないというわけだ。
けれどそこで引き下がらないのが時田である。ある日突然「思いついた!」と言って、なぜか斎の事務所を呼び出す。
「おい、リーダー! この湖の上に、移動部屋を置く場所を作ってくれ。こうプカプカ揺れてたんじゃあ、研究に身が入らない!」
リーダーと言うのは、以前、砂漠の探索プロジェクトでチームリーダーだった斎を、時田は今でもそう呼んでいるのだ。
「わざわざ湖の上に現れなくても、横にいくらでも砂漠があるんだから、そちらにすればいいんじゃないですか、時田さん」
いきなり通信を送ってきて、いきなりそんなことを言う時田に、わざと丁寧に答える斎だが、そんなことで堪える時田ではない。
「せっかく水中に出入りする装置があるのに、水の上に現れなくてどうするんだ」
「まあ、言われてみればそうかな」
「だろ?」
「だけど、水中に出入りするなら、その機能を妨げない置き場が必要なんだよな」
「そりゃ当たり前だ」
「了解、考えてみるよ」
快く引き受けた斎に、
「さっすがリーダー、どうもありがとうな」
と、そこはきちんと礼を言う時田に向かって、
「いい加減、リーダーはやめてくれないかな」
苦笑いして通信を終える斎だった。
経緯はさておき、今、なぜか湖の上にR4の移動部屋出入り口がポッカリと浮かんでいる。それが非常に気になっている時田だったが、丁央が湖に面したテーブルに、持ってきた図面を広げると、気持ちはすぐそちらに切り替わる。
「なんだこれは?」
「移動部屋置き場、って言うより、移動部屋固定装置と言った方がいいかな」
「固定装置だとお?」
「はい」
丁央の説明によると、まず水底に装置を固定して取り付ける。この装置には部屋の横幅に合わせた幅広のアームがついていて、移動部屋がその上に現れると、このアームが伸びてきて、がっちり固定すると言うわけだ。
これなら部屋の下部についている出入り口も、使用が可能である。
「ははーん、なーるほどねー」
「だとすると、移動する先の座標の正確さが肝心になってくるな」
と、そのとき、ヴィンヴィンと聞き慣れた音が聞こえてきた。
「誰か来たのか?」
時田の言うとおり、それは移動部屋が現れる音。
すると、先ほど浮かび上がったR4の移動部屋出入り口真下の空間が、グニャグニャと歪み始めたのだ。
「お?」
「あ、来たみたいです」
現れたのは、誰もが思ったとおり水陸両用の移動部屋。
完全に姿を現したそれは、ウィンウィンと湖すれすれに浮かんでいたが、しばらくすると、ザバーンと水に降り立った。
揺れが少し収まったところで、中から通信の声がした。
「どう? R4」
泰斗だ。
「うーン、モすこし、右、ダネ」
R4の後に「▽τʼn∬★▲」と、分析ちゃんの声? も聞こえる。
「えー? 座標通りだと思ったんだけどなー、けっこう難しいんだね」
どうやらR4は、現れる移動部屋の位置を、上から正確に観測するためにそこにいたようだ。
「さっきトニーさんが言ったように、この装置を使うためには、現れる座標の正確さが要求されるんですよね」
「空間を飛び越えるんだ、どんなに計算しても、多少の誤差は生じるもんだ」
時田が言う。トニーもうなずいている。
「ですよね。だったら、アームの方を調整するしかないって事ですね」
「丁央」
すると、中から違う声がした。
「はい、多久和さん」
「スライドするようにしてみたらどうだろう」
「スライド?」
「そう、移動部屋の座標の正確さは、人が見てもわからないほどの誤差だ。これは、トニーと時田をさすがと言わなければね。ただ、R4たちにしてみれば、かなりの誤差らしい、だよな? R4」
「そーデス」
そんなやりとりを、考え込んで聞いている時田。
「だから現れた移動部屋に、アームがスライドすることで位置を合わせればいいんだよ。どちらにしても、水に浮いている間に流されていくのは防ぎようがないし」
「なるほど、そうですね。だったら、・・・と、固定部の変更だな」
丁央はタブレットに変更箇所を書き込んでいく。
「おい、R4」
すると、考え込んでいた時田がR4を呼んだ。
「ナーニ?」
「お前さんが計算しても、座標位置ってのはやっぱりずれるか?」
「そリャー、アタリマエ」
「・・・そうか」
返事を聞いた時田は、納得したようなしていないような微妙な表情だったが、「ちょいと散歩してくるわ」と言い置いて、ふらりとどこかへ行ってしまった。
彼の突飛な行動にはトニーも丁央も慣れたものなので、可笑しそうに顔を見合わせたあと、また2人で打ち合わせを始める。
その2人の耳に、ボートのエンジン音が聞こえる。
「僕も混じっていいかな?」
しばらくして現れたのは、斎だった。さっきの音は、斎が移動部屋から乗ってきたボートのものだったらしい。
「多久和さん、もちろんです」
「伝説の建築家がデザインする装置、期待してますよ」
トニーがニヤニヤしながら言う。冗談とはわかっているが、斎はここでも苦笑するしかない。
「伝説の建築家って何ですかそれ、もう本当に勘弁して下さいよ。・・・あ」
「どうしました?」
何か思いついたような斎に、丁央が聞く。
「よろしくお願いします、空間移動の超スペシャリストさま」
お返しのつもりだろう、可笑しそうに頭を下げる斎に、だがトニーは少しもたじろがない。
「はいはい、俺もいつか伝説と言われるよう努力を怠りませんよ」
そんなトニーの言葉に肩をすくめる斎だったが、打ち合わせが再開されると、とたんに目つきが変わる。ほう、と目を見開いて、やっぱりあなたは伝説の建築家さまだよ、と、思いつつ、トニーも丁央の説明に耳を傾けるのだった。
「フワーア」
なかなか終わらない打ち合わせに、誰かがあくびをする声が聞こえた。
「R4、気を抜かない」
泰斗の声が聞こえた。なんと、大あくびの主は、R4だったのだ。
「だッテ、あの人タチ、時間ノ概念がないンだモン」
もう日が落ちると言うのに、薄暗い中でまだ打ち合わせを続けている3人を、冷めた目つきで? 見ながらR4が言う。
「うーん、それは言えてるかも」
さすがの泰斗もそれには同意するしかない。困ったように笑いつつ言う。
「マルで、ロボットヲ前にシタ、泰斗みたいダヨ」
「ええ? そうかな?」
「そう、ソウ」
「あ、アハハ・・・」
少しは覚えがあるので、泰斗は笑うしかない。
すると、ゆっくりと歩きつつテーブルに近づく人影が見えた。
「まーだやってるのか」
時田だった。
「時田、何か思いついたか?」
「うんにゃ、さすがの俺も、R4が計算しても無理なことはムリだとわかった!」
「なんだそれは」
あきれて笑うトニーに、時田がおかしなことを言う。
「けどさ、今日はツインダイヤモンドが綺麗だぜぇ」
「・・・」
黙り込むトニーと丁央だったが、ひとり冷静な斎がそれに答える。
「ツインダイヤがこんなところで見える訳ないだろ? またふざけてるのか、時田」
「だってーホントに見えてるんだもーん。時田、うそつかなーい」
と、彼が指さすのと同時に、移動部屋から泰斗の驚いたような声が聞こえてきた。
「ええ?! あれって、ツインダイヤモンドだよ!」
見上げた3人の目に、ここでは見えるはずのないツインダイヤモンド星座が、少し遠くで輝いていた。
ツインダイヤモンド星座は、少しずつではなく、たった一日でいきなりその場所に移動していた。
星が移動するのは星読みの時だけ、しかも、ペンタグラム、ツインダイヤモンドのふたつの星座は、未だかつてその位置を変えたことがない。唯一位置が変わったトライアングル星座も、本来の位置に戻ったものと思われる移動だったのだし。
「うーむ、どうもおかしな話じゃの」
すぐに連絡をもらって、ラバラが急行する。
「そうね。でも確かにこれはツインダイヤモンドね」
「星読みをしてみますか?」
ステラと遼太郎も同行していた。
「いや、それには及ばんよ。しばらく様子を見てみよう」
星座の移動に伴って、リトルダイヤもここまでやってくるようになっていた。
「わあ、いたい、いたい、やめてよぉ」
移動部屋から降りた泰斗に、早速リトルたちの洗礼が始まっている。
「本当にお前はリトルに好かれておるのう」
感心したように言うラバラのまわりにも、そしてステラのまわりにも、ダイヤとペンタのふたつのリトルが嬉しそうにポンポン弾んでいる。
「好かれているって言うのは、ラバラさまやステラさんの事を言うんですよぉ。僕の場合はただ遊ばれてるって言うか」
「それが好かれている証拠じゃよ」
ガハハ、と豪快に笑ったラバラだったが、すぐに真剣な顔に戻ってつぶやいた。
「さて、これはララとナズナにも来てもらわねばならんかの」
それを聞き逃すはずもなく、丁央が早速王宮に通信を入れている。
「丁央だ、誰かいるかー?」
「はい」
「ネイバーシティに至急連絡を入れてほしい。そっちに行ってるララに、すぐに戻るように。それと、ナズナには、また来てほしいってね」
「了解です」
相変わらずのフランクな言い方に、通信に出た侍従は可笑しそうに返事をしている。
その横で、
「ララとナズナには、届くかどうかわからないけど、想念を送っておくわ」
ステラが言うのを聞いて、泰斗がしみじみという。
「便利だなあ、R4とかともそういうの、出来ないかな」
するとラバラが、また豪快に笑って言った。
「お前さんなら、そのうち出来るようになるじゃろうよ」