僕の想い
僕がいる病室からは、いつも綺麗な夕日が見える。彼女と話をしながら眺めた夕日は全てを僕の胸に焼きついている。
今日、彼女は仕事で遅くなるらしく、一人で夕日を眺めていると、そのまま眠ってしまった。
僕は昔の夢を見ていた。
彼女とは高校で初めて出会った。彼女とは1年で同じクラスだったが、僕達は特別接点があったわけではなかった。
しかし、僕と彼女の運命の糸は紡がれることとなった。
ある日の放課後、図書委員だった僕は、相方に逃げられ一人で図書室にいた。
そんな時、突如扉が開き、彼女が入ってきた。彼女は僕に一瞥もくれることなく、本棚から本を手に取り、座った。
黙々と本を読み進める彼女、黙々と仕事をこなす僕。何となく盗み見た彼女は、本を読みながら泣いていた。
その日、僕達に会話はなかった。
次の日もまた次の日も彼女は同じ本を手に取り、泣いていた。
そんな日々がしばらく続いた。ある日僕はいつも同じ本を読み、泣いている彼女が気になり、彼女に話しかけてみた。
しかし、その日は冷たくあしらわれてしまった。
僕は意地になって、その日から毎日彼女に話しかけた。いつしか、教室でも彼女が一人の時はいつでも彼女に話しかけていた。
少しずつ、彼女は心を開いていった。彼女が読んでいた本は僕が好きな作家の本だった。それを機に、僕達はよく話をするようになった。
いつしか、僕達は一緒に行動することが多くなっていった。
僕達が恋に落ちるまで、そう時間はかからなかった。2年生に上がる頃には付き合いはじめ、何度も図書館デートをした。
しかし、2年ではクラスが変わり、学校で同じ時間を過ごすことは少なくなる。昼食や放課後に他愛もない話をして、最後には小説の話で盛り上がるのがいつもの流れだった。
小説について語る彼女の笑顔が僕は大好きだった。
大学生になっても僕達の交際は続いていた。
しかし、そんな僕達に転機が訪れた。大学3年の夏、僕の脳に腫瘍が見つかった。僕はすぐに入院することになった。
入院生活は、1年、また1年と過ぎていった。その間も彼女は毎日のように病院へ顔を出してくれた。
彼女はどんな時でも僕に笑顔を見せてくれた。僕はもう長くないことを伝えた時も、彼女は笑顔で僕を励ましてくれた。根拠もないのに必死に励ましの言葉を探してくれた。
僕にとって大切な思い出、大切な時間、大切な人、それは全て彼女だった。
夕日で赤く染まる病室。僕が目を覚ました時、先生が眉間にシワを深く刻みながら僕を見つめていた。
『あれ、いつもは引きこもっている先生がどうして僕の病室に?』
そう声に出したつもりなのに、僕の喉からはただ無意味に空気が漏れる音しか出なかった。驚いて体を起こそうとしたが、動かない。全身が酷く重い。
それを先生に伝えようと必死に口を動かすが何も音を発さない。
思うように動かなくなった体。騒がしい周囲。この異常事態に僕は全てを察した。
誰にでも訪れるその日が僕にも来たんだ、と。
不思議と僕は清らかな気分だった。
恐怖だとか、不安だとか、もう少し何かがあると思っていた。以前からこの日が来るとわかっていたからかはわからないが、予想と反し、何も思うことは無かった。不思議と清らかな気分だ。
思い出せば、この病院での生活も長かった。たくさんの人に支えられ、僕はここで過ごしてきた。見慣れたみんな、なのに、見慣れない雰囲気。
『この日が来ることは先生が1番わかってたでしょうに。そんな顔してたら、また子供に怖がられますよ。いつも僕に押し付けて……次からは自分でやってくださいよー』
先生にはお世話になった。彼女と出かけるために何度も無理を言った。いつも不器用ながらも僕を励ましてくれた。強面の割に心優しい最高の先生だ。
彼女は僕の最後に間に合わないだろう。遅くなると言った彼女はいつも面会時間のぎりぎりに来る。 今の僕ではそれまで持たないだろう。
こればかりは仕方がない。容態の急変なんて、病院ではよくあることだ。しかし、やはり考えずにはいられなかった。
どんな時も彼女と一緒だった。色々な場所に出かけもした。僕が外出できなくなっても、彼女は次はどこに行こうか、と僕に希望を示してくれた。
『あーあ、最後にもう一度彼女と話がしたかったな』
それだけが僕の心残りだ。それ以外、僕は満足していた。楽しい毎日だった。病気のことも忘れ笑い転げた日々。僕はこれ以上ないほど幸せだ。
彼女と出会い、何年も過ごしてきた。彼女なら僕がいなくても大丈夫だろう、不安はない。
色々考えてたら疲れてきた。最後に一眠りしようと目を閉じた。
その時、外から足音が響いてきた。相当急いでいるようでかなり荒々しい。
『病院で走るとは非常識なもんだ。そんなに急ぐほどのこちがあったのか?』
足音は僕の病室のドアの前でピタリ止まった。次の瞬間、僕が諦めた最後の希望がそこにあった。
彼女は僕の病室に飛び込んできた。彼女に絡みついた冷たい風が病室で解け、僕に彼女の存在を知らせる。
『最後に来てくれてありがとう。忙しいはずなのに来てくれて本当に嬉しかったよ』
伝わらないとわかっていても言いたかった。
彼女は僕のいるベットに近づき、必死に何かを言っているようだ。だけど、僕は彼女が何を言っているのかわからなかった。
辛い時、楽しい時、いつだって彼女の声が聞こえてきた。そんな彼女の声をもう聞くこともできないようだ。
でも、何が言いたいのかはだいたいわかるよ。これだけ長くいたんだから。
黄昏が染み付いたような重い空気。
僕の服を濡らして滴る君の愛だけは感じられた。けど、君には最後まで笑っていて欲しかった。僕まで泣いてしまいたくなる。
そんな顔をされたら、僕だって言いたいことができるじゃないか。君はいつだって、どんな時だって笑ってくれたじゃないか。こんな時だけ泣くなんてずるいじゃないか……
『ごめんね。好きだ。生きたい。大好きだ。怖い。愛してる』
伝えたい想いなんて……心残りなんて……後悔なんて……たくさんあるに決まってる。
『また一緒に、海とか、山とか、色んな場所に行こうって言ってたのにね。他にも約束してたのにね。守れなくてごめん。
僕だってもっと君と生きたかった。君と話がしたかった。本を読んで、感想を言って、意見をぶつけ合って、笑いあっていたかった。
色々言いたいけど、もう声が出ないんだ』