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オルガンコード  作者: 木葉 音疏
未来からやって来たのはマーティではなくビフでした。
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あるいは現代のニムロデ

 研究所を去り、再び私は車に乗った。だが先程とは緊張の度合いがまるで違う。新車の臭いが鼻につく。織田信長に謁見する家臣達は、皆こんな気持ちだったのかもしれない。

 ダンテ様はお一人で前方の席にお座りになり、私とロリカ様は後方の座席につくことになった。

 ロリカ様は外の景色を無表情で眺めていらっしゃる。

 艶やかな金髪ブロンドは腰より下までのび、先端に少しカールがかかっている。青い瞳の先には宇宙が広がっているかのようで、ゴスロリが華奢な体を包み込んでいる様は、「美」のイデアそのものである。

 もし私に心臓があったなら、私の脈拍数は著しく上昇しているに違いない。

「ロリカ様は、よく洪庵殿をお訪ねになるのですか?」

 沈黙が続いては一層居心地が悪くなるので、私はとりあえず口を開いた。

 ロリカ様はまるで何も聞こえていないかのように、身動ぎ一つせず、車窓にお顔を映しなさっている。

「失礼致しました。会話をなさるご気分ではございませんでしたか……」

「毎日」

 私の台詞と重なるように、ロリカ様がお声をお聞かせ下さった。

「春休みになってからは、ですが」

 ロリカ様が私の質問に答えて下さったことに、ひとまず私は胸を撫で下ろす。

「洪庵殿とは、古くからのおつき合いで?」

 今度はダンテ様の方を見て私は尋ねる。

「まあな。彼のことを話すと長くなる」

 確かに、彼はただならぬ研究者という感じがした。

「あなたは、小説家、なのですね?」

 今度はロリカ様の方からお話を振って下さった。ロリカ様は古語を口ずさむかのように、「小説家」という単語を口にされた。いや、実際にこれは古語なのかもしれない。平成時代の人間にとって、「関白」が古語なのであれば。

「ロリカ様は、本がお好きですか?」

「ええ。ですが日本の作家はあまり知りませんわ」

 ダンテ様とは対照的に、ロリカ様はあまり日本に興味がおありでないらしい。そうとわかったので、私は日本人として些か残念に思いつつも、やはり彼女には着物よりゴスロリの方が似合いそうだから、それはそれで納得する(しかし着物姿も見てみたいものだ)。

「日本はお嫌いですか?」

「いいえ。お父様がこの国の文化に心酔するお気持ちも理解できます。とはいえ、英国を上回るようなモノがあるとは思えませんわ」

 やはり母国が一番ということか。

「あんなことを言っているが、娘は一度もイギリスに行ったことがないのだ。私も自分のことで一杯いっぱいで、娘を旅行に連れて行ってやることもできていない」

 国の中枢に身をおけば、家族と過ごせる時間も限られてくるのだろう。

 深緑色の街並みがスライムみたいになって私の視界の端で蠢いている。

 と、その時、私の頭上に白熱電球が出現した。

「なら、私と一緒に行きませんか?! イギリスへ」

 私がそう言うと、ロリカ様はようやくこちらを向いて下さった。

「あなたと?」

「ええ、私も、英語には多少の自信があります」

 私が、拒絶なされるかもしれない、と思ったロリカ様の方は案外乗り気でいらっしゃるのに対し、私が、お許し下さるだろう、と思ったダンテ様の方は黙ったままだ。

「いかがでしょう? ダンテ様」

「……ん、ああ、君になら、任せていいかもしれない。いいだろう。二人で行ってくるといい」

「日本人なのに、英語を解するのですか?」

 ロリカ様は平和共存を訴える暴力革命主義者テロリストに注ぐような視線を私に向ける。無理もない。今では機械が瞬時に通訳をしてくれるため、他言語を習得する必要性などないに等しいのだから。

「野矢茂樹をご存知ですか?」


野矢茂樹

二十~二十一世紀日本の哲学者。二〇一七年に『心という難問――空間・身体・意味』で第二九回和辻哲郎文化賞を受賞。


「いいえ」

「『他者の声 実在の声』の中で彼はこう述べます。『翻訳にとどまっているのであれば、けっきょくは、私が分かっていたことに翻訳することで一見分からなかったものを分かるようにしたというにすぎない。翻訳は、意味の問いという観点からすれば、未知を新たな知へと転出するものではなく、旧来の既知へと解消することによって未知を骨抜きにすることでしかないのである』と。そして彼はこう説明します。『他者理解とは、自分自身が他者に向けて変化することを伴う』と。つまり、英語を日本語に翻訳してそれを認識することは、『日本語』という視点に立ったまま英語を見ることなので、『英語』という視点に立っていない。したがって、『英語』という視点に存在する言語、即ち英語を完全に理解しているとは言い難い。要するに、英語を正しく理解するには、『英語』という視点に立たなくてはならないのです。だから、私は英語を正しく理解するために、自分自身が英語を操れたらと思ったのです」

 喋る猫を目にした時の目つき。これに嬲られるのを私は慣れているはずだが、ロリカ様にこれをやられると、気まずさを感じずにはいられない。

「ダンテ様も、イギリス出身でいらっしゃいますが、日本語をお話しになるでしょう」

「そう言えば、私は娘の前で英語を話したことがないかもしれない」

「ワタシとお父様は、ほとんど顔を合わせることがないので」

 成程。要するにロリカ様はダンテ様をイギリス人として認識していないということか。

私もダンテ様からイギリスについてお聞きしたことはあまりないように思う。

 ふと、私はあることに気がついた。

「失礼かもしれませんが、ロリカ様、その目、テンガンをお入れになっていないのですか?」

 テンガン。人類のサイボーグ化に乗じて日本で現れ、瞬く間に世界中に広まった装置の商品名である。

 言い忘れていたが、この時代の人間のほとんどは改造人間サイボーグであり、私も母から授かり今も残している身体の部位は脳だけである。

人の義体化は、最初は怪我、及び疾病からの脱却が目的だったが、人間は欲の塊という言葉通り、人々の願望はそれだけで満足しなかった。やがて自然器官ナチュラル・オーガンを上回る機能ファンクションを有する器官が開発された。その一つがテンガンというわけだ。テンガンは本来の目としての役割はもちろん、拡張現実の形成や望遠といった機能まで与えられている。

「ワタシは『ナチュラル』です。この体は全て、母から授かった物」

 その言葉に、私は神話を感じた。

 人々は改造されていない人を「ナチュラル」と呼ぶ。そして、辞書の中で”natural”という英単語に奇妙な意味が加えられたことは、私も知っていた。しかし、まさかそれが実在するとは、私は想像すらしなかった。

 途端に、私は老いにも似た虚無感に苛まれた。好きな人と目が合うとバクバクする心臓も、怒った時に浮き出る血管も、私にはない。それ等を欲しいのかと問われたら”Yes”とは答えないだろうが、私はどうしても虚無感から逃れることができなかった。そして、金属と潤滑油で構成される自分の体が、ひどく冷たく感じられた。

「しかし、あなたも洪庵と会った時、テンガンを使いませんでした。普通、人は初対面の人と会うと、真っ先にテンガンで相手の経歴を辿るものですが」

 この星の人間は皆、個々の脳に個人情報粒子パーティクル・オブ・パーソナル・データを植え込まれているので、テンガンを使用すればその人の情報を即座に読み取ることができるのだ。そういった開放的環境を築くことで、人々は人間不信に陥らずに済んでいる。

「彼の社会評価は私よりも高いSだった。私には、それだけで十分です」

 街中の至る所にあるメンタル・スキャナーが、人々の精神状態を暴き、それをコンピューターがその人の社会活動と総合して、その人の評価をする。これが「社会評価」だ。「社会評価」は原則A~E(Aが最高でEが最低)までだが、Aの中でも取り分け際立った善心を持つ者に、Sが贈られる。そうしてD以下の人は参政権を付与されず、Eの人は社会から隔離される運命にある。因みに、私はAだ。そしてダンテ様もAだが、未成年には「社会評価」がなされないので、ロリカ様に「社会評価」はない。

 私の実父は社会評価が低かったから、私が小学生の時、隔離施設に収容された。それ以来、私は誰よりも社会評価に敏感になった。自分の社会評価を常にAに保ち、他人と会ったらその人の顔より先に社会評価を確認した。社会評価でその人の全てが決まると、私は心の中でそう思っていた。今も、そう思っている。

 そう言えば、実父は今どうしているのだろうか? まだ隔離施設にいるのだろうか? 彼が社会から切り離された後、私は一度も彼と会ったことがない。したがって、小・中学生の間は寮で生活することも考えると、私が実父と共に過ごした時間は、十年に及ばない。その上社会評価がD以下の者は親権を剥奪されるので、彼が法律上私の父親だった期間は、ほんの僅かだ(私が歩けるようになった時には既に、彼は私の父親ではなかったのだろう)。

「私は仕事柄、社会評価が上がりにくい。今はなんとかAに保っているが、Bに下がってしまわないかと毎日のように気がかりなのだ」

 資本家や経営者は自分(達)の利益を追求するのが仕事なので、利己心を肥大化させやすい。そのため、社会評価を高く保つのが難しいのだ。しかし、経営者が社会評価を低くしてしまうと、経営者としての信頼が揺らいでしまう。

「社会評価を良く保つには、社会評価をあまり気にしないのが効果的だそうです」

 自分には無理なお話だなと思いながら私は進言し申し上げた。

 私はリア・ガラスに蝮がひっついているという錯覚を得た。私はリア・ガラスを目視してみたが、そこには何もいなかった。昨夜『斜陽』(太宰治)を読んだせいだろうか?

「あなたはなぜ、小説を書くのですか?」

 ロリカ様が疑問を呈しなさる。

この内容の質問はいつも私を困らせる。

「さあ? なぜでしょう? 私にも、よくわかりません。でもひょっとしたら、それが答えなのかも」

 ロリカ様は不満げな顔で私にお目を向けられる。

「この星から戦争がなくなり、犯罪も消えつつある。誰の目から見ても、今の世界はユートピアです。それでも、それを疑っている自分がいる。本当にここは理想郷なのか? この社会に間違いはないのか? そして私自身、その答えを知らない。だから他者へ問いかける」

「それが、あなたにとっての小説」

「ええ」

 車は料亭の駐車場で静止する。

 私は降車した後、反対側の扉を開けに行き、跪いてロリカ様に手を差し出す。なぜなら、”esteem”という英単語は「尊重する」という意味だからだ。つまり、イスに座ったティーンエイジャーは尊重されなければならないのだ。

「さ、参りましょう」

「……どうも」

 ロリカ様は視線を逸らしながら、私の掌にちょこんと手を載せる。

 日光がロリカ様の金色の髪に反射され、私達の足下を照らしている。

「そのような気遣いは無用だよ、在都君」

 前方に立つダンテ様が仰る。

「ロリカ、他人にあまえていてはいけないぞ」

「ロリカ様を責めないであげて下さい。私が勝手にやったことですから。それに、イギリスはレディー・ファーストの国ではないですか」

 ダンテ様は苦い顔をしてから私達に背を向けて、

「……いつまでも、そういうわけにはいかんだろう」

 重々しい口調でそう告げられた。

 私はその言葉の意味を察することができなかったが、ダンテ様がお一人で行ってしまわれるので、とりあえず私は料亭へ足を進めた。もちろん、ロリカ様と手を繋いだまま、歩調はロリカ様に合わせて。

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