or A Certain Magical Fascism
言葉には、人を殺すことのできる力が宿っているんだよ、すごいと思わない
――御冷ミァハ(伊藤計劃『ハーモニー』より)
第二次世界大戦が終わり、吉田茂が「バカヤロー」と言って衆議院を解散させてから、どれだけの年月が経ったのだろうか?
生憎私は年号を覚えるのが大の苦手で、年号の暗記をする位なら筑波山を逆立ちで登った方がマシだと思える位である。しかし、2度目の東京オリンピックの開催が、今から数百年程前のことだとは記憶している。
その数百年の間で、人類はようやく、神の子としての意地を見せ始めたように私は思う。もしも、かつての日本にあったという平成とかいう時代の人間が今のこの世界を目にしたら、驚きのあまり目ん玉を数㍍先へ飛ばしてしまうに違いない。それ程までに、世界は様変わりしたのだ、多分。具体例として、「車」を挙げよう。平成時代の車は、きっと地面に足を付けていたのだろう。ところが、私達が住むこの時代において、足のついた車はほとんど売られていない。精々マニアがオークションで売買する程度だ。
車のあの足は、確か「タイヤ」というのだ。英字にすると”tire”。もしかしたら、車体をガタガタ揺らして人を疲れさせるから”tire”というのかもしれない。
「これが利根川か」
日本州芸津・ダンテ・ロセッティ様が、車窓から川を眺めてそう呟かれた。
「芸津」とは、各州において経済力を保持する公職である。余談だが、大昔の大富豪・ウィリアム・ヘンリー・ビル・ゲイツ三世なる人物が、「芸津」という名称の由来なのだとか。
ダンテ様はイギリス人だが、熱烈なジャポニスムの持ち主で、母国ではなく日本でその手腕を発揮しなさっている。
「ええ、なかなか良いでしょう?」
自動運転モードに設定された車は、大利根橋を進む。
ここは茨城県取手市。「取手」という地名は、かつて平将門がここに「砦」を築いたことからきているらしい。
「ヨハニス・デ・レーケは日本の川を見て、『これは川ではない。滝だ』と言ったそうだが、やはり『滝』という表現は適切ではない」
聞き覚えのない人名を耳にしたので、私はすかさず脳をインターネットに接続し、検索をかける。
ヨハニス・デ・レーケ
オランダの土木技師。1842年12月にコレインスプラートで産まれる。お雇い外国人として日本に招聘され、「砂防の父」と称される。1913年1月にアムステルダムで死去。
「把握していると思うが、例の研究所を訪れてから、娘のいる料亭へ向かう」
「はい」
ダンテ様のご息女はロリカ・ロセッティ様といい、私の許嫁である。私が彼女と直にお会いするのは、今日が初めてだ。
「にしても、京都以外にも料亭というものがあるとは、知りませんでした」
料理用ロボットが開発されたのは、もう百年以上前のことだと思う。近年になり、自動装置はプロに負けず劣らずの料理人となった。その結果、家庭でもプロが作ったかのようなご馳走が食べられるようになった。
「確かに飲食店は絶滅寸前だがね、料亭の使い道は食事だけじゃない。今日みたいに誰かと会ったり、話をしたりするのにも、使われるのさ」
車が研究所の前で停まる。
私達は車の扉に手をかざし、これを開ける。
雲一つない青空。肌を撫でる風が気持ち良い。
今日は良い日になりそうだ。
私はダンテ様について行き、今後仕事仲間となる研究者がいるという研究室へ向かう。
研究室の近くまで来ると、男女の話し声が聞こえた。男の方は疑いようのない年寄りで、恐らく例の研究者であろう。一方、女の方はまだ幼いようだ。はて? ここには研究者が一人いるだけで、あとは全て人造人間だと私は聞いていたが。
「あぁ、なんということだ……」
ダンテ様は突然立ち止まり、そう呟いて掌を額に押し当てる。
「どうしたんです?」
「段取りが台無しだ……」
ダンテ様はコミケの帰り際の電車に戦利品を置き忘れたオタクのような目をする。
「何のことです? 私が何かしましたか?」
その時の私は、きっと百万円の壺を割ってしまった時みたいな顔をしていただろう。




