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謀婚 番外編  作者: 樫本 紗樹
謀婚 番外編 その後
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襟巻の代案

 ナタリーは寝室のソファーに腰掛けながら編み物をしていた。子供達に内緒でお揃いの襟巻を編む場所として、夫婦の寝室はうってつけなのである。全員白色で、端に彼女が思う子供の色をそれぞれ編み込んでいた。既に五人分が出来上がっており、今はアリスの分を編んでいる。

 扉を叩く音がしてエドワードが入ってきても、ナタリーは無言のまま編み物を続けていた。ここの所いつも彼女は編み物をしていたので、彼も特に気にせず彼女の隣に腰掛ける。慣れた手つきで編んでいる彼女を、彼は優しい眼差しで見つめていた。彼女はきりのいい所で手を止めると、すっと立ち上がって向かいのソファーへ腰かけ直す。彼はその行動の意味がわからず、やや不満気な視線を彼女に向けた。

「監視の事で話がしたいのだけれど、いいかしら」

 ナタリーは凛とした表情をエドワードに向ける。普段柔らかい雰囲気を纏っている彼女にしては珍しい。彼は内心嫌な話だろうなと思いながらも、それを表情には一切出さずに頷いた。

「率直に言うわ。アリスの監視をやめて」

「アリスだけを?」

「私は今まで通りで構わない。エドに見られて困る事はないもの。だけどアリスはもう年頃の女の子なのよ。過干渉が過ぎるわ」

 レヴィ王家の第一子としてのアリスは、ナタリーから見て立派な王女である。六人きょうだいの長子故にしっかりしなくてはと思っているのかもしれないが、母親からすればもっと子供らしくてもいいと思っている。そしてそれをさせないのは、エドワードの監視も少なからず影響しているのではとナタリーには思えたのだ。

「対応しかねる」

「どうして? ヨランダはしていないのだから出来るでしょう?」

 エドワードとナタリーの間に生まれたのは男児四人女児二人だ。第四子であり次女であるヨランダはエドワードの監視対象ではない。その為かエドワードとヨランダの関係は良好である。しかしアリスは明らかにエドワードを嫌悪していた。

「ヨランダとアリスは違う」

「勿論違うわ。けれど、父親に監視されて喜ぶ娘なんていない」

 ナタリーは兄の罪を着せられたが故に皇女でありながら修道女のような生活を強いられ、祖父の息がかかった者に見張られていた。アリスはナタリーのような不自由な生活は強いられていないものの、喜んで受け入れるものでもない。アリスがエドワードを嫌悪する気持ちが、ナタリーには理解出来るのだ。

「アリスに万が一などあってはならない」

「アリスは王宮の外に出ないのだから危険なんてないでしょう?」

 レヴィ王宮への出入りは厳しく管理されている。一般市民が気軽に入れるような場所ではない。商人だけでなく王宮内で働いている貴族達でさえ、指定された門からしか入れないのである。勿論人の出入りは多いのだが、アリスに危害を加えるような人物が入り込めるとはナタリーには思えなかった。

「不審者が王宮へ侵入出来るとは私も思っていない」

「それなら」

「だが顔見知りが裏切らない保証はない」

 エドワードは真剣な表情をナタリーに向けている。夫婦二人の時には感じない雰囲気にナタリーは一瞬怯みそうになったものの、何とか耐えて彼を見据えた。

「その場合、一番守るべきなのはリチャードになると思うのだけれど」

「リチャードは近衛兵が見守っている」

 近衛兵は国王及び王太子にのみ忠誠を誓う者達である。ただしリチャードは未成年なので、近衛兵に命令を出せない。その代わりにエドワードが指示を出しているのである。王子は四人いるが、レヴィ王国では長男が王太子であり、リチャードを守る事は近衛兵の重要任務になる。

「それならばアリスも同じように見守りだけでいいでしょう?」

「それでは意味がない」

 エドワードの返答をナタリーは理解出来なかった。リチャードを見守っているだろうとは思っていたが、誰がどこで見守っているかなど彼女には見当もつかない。そもそもナタリーは自分やアリスを監視している者も見つけられた試しはなかった。

 しかし王太子を護衛するのは別段隠す必要がないのにあえて隠しているのに対し、アリスには監視していると知らしめている。わざわざ監視していると知らせる必要性がナタリーにはわからない。

「どうしてわざわざ波風を立てるの?」

「アリスを守る為だ」

「このままではアリスに本当に嫌われてしまうわ」

「もう嫌われている。今更やめても同じだろう」

 エドワードはわざと投げやりに告げた。彼もやり過ぎだと頭ではわかっている。しかし大切な娘を守る為には、自分が嫌われてでもやらなければいけないと判断していた。

「子供達は全員可愛いわ。けれどアリスは特別なの」

「私もそうだ。だからこそ譲れない」

「何故アリスを信じてあげないの?」

「アリスを信じていないのではない。周囲の人間を信用していないだけだ」

「周囲? もしかしてエドガーを?」

 ナタリーの問いかけにエドワードは無言で頷いた。彼女はそれを見て呆れる。

「エドガーはアリスを大切に思ってくれているわ。何を心配しているの?」

「だからこそ過ちを犯す可能性がある。それに私はまだアリスの伴侶としてエドガーを認めていない」

 エドワードはナタリーに対して執着が強いと自覚している。だからこそエドガーのアリスに対する愛情も真っ直ぐではないと見抜いていた。一方アリスは見た目も性格も父親に似ているのに、何故か恋愛感情は似ていない。母親に似たのだろうが、それがいいのか悪いのかをエドワードは判断しかねていた。

「つまりエドガーを牽制する為に監視をしているわけね」

「そうだ」

「ヨランダも誰かに思いを寄せたら同じようにするの?」

「わからない。だがヨランダには嫌われたくない」

 エドワードは息子以上に娘二人を愛おしいと思っている。特にアリスは可愛いのだが、どうにも三歳頃から折り合いが悪い。それを踏まえてヨランダとの接し方は誕生直後から気を付けており、現状は上手くいっている。しかしヨランダが執着の強い男に惚れてしまった場合、関係を壊してでも監視するかは現状何とも言えなかった。

「エドガーはアリスを傷付けるような真似はしないと思うけれど」

「エドガーがそう思っても、アリスは傷付くかもしれないだろう?」

「それは親が口を挟む問題ではないわ」

 ナタリーに正論を言われ、エドワードは無表情のまま黙る。彼女は意地を張っている子供を諭すようにあえて表情を作る。

「私はただ、エドとアリスに仲良くしてほしいだけなのよ」

「私も仲良くしたいと思っている。だが監視はやめない」

 頑なに監視をやめようとしないエドワードに、ナタリーはわざとらしくため息を吐いた。

「この件は私が正しいはずなのに聞き入れてくれないのね」

 ナタリーはあえて平坦な声色でエドワードを責める。しかし駆け引きをするつもりはない。アリスの監視を何かと引き換えにやめさせるのは不可能だと思ったのだ。

「男女の関係で傷付くのは女性だ。私が言った所で説得力などないが」

「そうね」

 平坦な声色でナタリーに肯定をされ、エドワードは無表情のまま内心やや焦る。彼自身相思相愛になれる女性を探す為とはいえ、多くの女性に声をかけた。それに対して彼女が文句など言った事はなくとも、傷付いていただろうとは想像に難くない。しかし彼女はその件について夫を責める気持ちは一切持っていなかったが、あえて冷たく返事をした。責める気はないが傷付いていないわけではないからだ。

「スミス家の婚約打診を受け入れる予定はないの?」

「アリスが未成年の間は決めないとリアンに言ってある」

 エドワードは時間稼ぎだとわかっていても、どうしても決めかねた。アリスの性格からしてほぼ結婚するだろうとは思うのだが、リアンとフローラの息子に愛娘を託すのは心許ない。

「婚約をしてしまえば、エドの心配はなくなると思うのだけれど」

「エドガーの能力を見極めないとアリスは嫁がせられない」

「リチャードの側近として問題があるの?」

「そちらは気にしていない。アリスの夫としての能力だ」

 エドワードはリチャードを支えるのが側近だけとは思っていない。国内の能力ある者を見出して教育を続ければ、盤石な国家運営は出来るだろうと準備を進めている。エドガーが側近として能力が劣ったとしても、その地位を剝奪するような気はない。

 問題はむしろリチャードよりも余程国王向きの性質を持っているアリスを、妻として受け入れられるかだ。賢い女性を受け入れない男性は少なからずいる。アリスならば公爵家についても口を出しかねないだろう。そういうのを煩わしいと思うようならば、到底アリスは嫁がせられないとエドワードは判断していた。

「結局アリスを信じていないのね」

「いや、アリスを信じていないわけではない」

「いいえ。アリスの見る目を信用していないのよ。それにアリスはエドに似ているわ。将来は自分の思い通りに相手を誘導するようになると思う」

「私に似ているのなら誘導など出来ない。私はいつもナタリーに振り回されているのだから」

「私はエドを振り回すという高度な技術なんて持ち合わせていないわ」

 ナタリーは柔らかく微笑む。とても六人を出産した母親とは思えない無垢な表情だ。しかしそれがわざとであるとエドワードは判断している。夫婦として向き合った時から変わらないように見えて、彼女の中に一本の揺るぎない芯が出来た。しかし彼も別段それを不快には感じていない。国王という肩書を脱ぎ捨てる時間に、悪意を持たない妻の掌で転がされるのも存外悪くないのである。

「つまり私は妻の意思と関係なく振り回されている愚かな夫だと」

「もう、意地悪な言い方をしないで。私を翻弄しているのはエドでしょう?」

 ナタリーの言い分に、エドワードは心外そうな表情を返した。実際彼にとって自分の思い通りに動かせないのはナタリーとアリスくらいだ。ジョージとジェロームも一筋縄ではいかないが、この二人は国家運営に響かなければ好きにしてくれていいと思っている。

「私がいつナタリーを翻弄したのか教えてほしい」

「そうやってはぐらかす所よ」

「私は至って真面目に尋ねているのだが」

 エドワードは真剣な表情をナタリーに向ける。彼女はそれに真剣な表情を返した。彼は妻を翻弄しようとして出来た試しがないと思っており、彼女は夫を掌で転がし切れていないと思っている。お互いの認識が一致しないので、この話は常に平行線だ。彼は話を切り替えようと視線を襟巻に向ける。

「ところで私の分も編んでくれるのだろうか」

「エドは外に出ないのだから必要ないでしょう?」

 襟巻は防寒具である。王宮内の移動でも寒い場所はあるが、わざわざ襟巻をするほどでもない。

「ナタリーの手編みに価値がある」

「私は素人よ。母が子に贈るのは微笑ましいと見逃してもらえるけれど、国王陛下に身に着けさせるわけにはいかないわ」

 王家の者は国内の有名な職人によって作られた衣類を身に纏っている。ナタリーの編んだ襟巻はあくまでも子供達が庭を散歩する時に身に着けるだけなので、親しい者しか見る機会もないだろう。しかしエドワードの場合は違う。国内外の人間が目にする可能性があり、彼女は彼の身に着けるものなど畏れ多くて作れないのである。

「それに、これはいつも側に私がいると思ってもらう為のものだから」

 王妃としての執務はそれなりにあり、子供達と過ごす時間が満足出来るほどあるとは言えない。極力時間を割けるように努力はしているのだが、寂しい思いをさせているのではないかと常にナタリーは不安だった。

「エドとはこうして毎晩一緒なのだから不要のはずよ」

 一方ナタリーとエドワードが過ごす時間は毎晩確保されている。最近のレヴィ王国は落ち着いており、会食もそれほど多くない。そもそも彼に近しい者は夫婦の時間が何よりも重要だと思っている節がある。彼女も拒否する必要性を感じないのでそのまま受け入れていた。

「一緒とはいえ寝ている時間が多い」

「睡眠時間を差し引いてもエドと過ごす時間が一番長いのだけれど」

 子供が六人欲しいと願ったのはナタリーである。しかし六人もいれば個々と向き合う時間はどうしても少ない。しかし夫婦の時間は何人産んでも変わっていなかった。

「私がナタリーと過ごす時間が不足すると執務に支障が出る可能性がある」

「本当は出ないのに、そう言うから皆が気を遣うのよ」

 ナタリーは呆れたような表情を浮かべる。エドワードは優れた為政者だ。私情を公務になど挟まない。ましてや妻と過ごす時間が不足したくらいで執務を疎かにするなど、国王としての矜持が許すはずもない。ナタリーは周囲の者がそれを恐れているのが不思議でならなかった。

「私とて国王である前にただの男だ。気持ちの浮き沈みはある。ナタリーが襟巻を編んでくれないのなら沈んでしまう」

「大袈裟に言わないで」

「襟巻が難しいのなら、代案を」

 エドワードは真剣な眼差しをナタリーに向ける。こういう時の彼は一歩も引かないと彼女は経験上知っていた。彼女は父親の愛情などなく育ったが、彼が子供を愛してくれるのを嬉しいと思うだけで羨ましいとは感じない。しかし彼は母親の愛情を受ける子供達を羨ましく思っている節がある。そしてそれを可愛いと思ってしまっているのがいけないと彼女はわかっているが、彼に求められるのなら理由など関係なく嬉しいのだから仕方がない。

 ナタリーは立ち上がるとエドワードの隣に腰掛けた。そして微笑んでから彼に口付けを送る。

「私が口付けるのは生涯エドだけよ」

「毎晩してもらえるのかな」

「子供達と庭で過ごした日だけね」

 ナタリーの返答にエドワードは不服そうな視線を送る。それを彼女は笑顔で受け止めた。

「アリスの監視をやめてくれないのだから、この辺りが妥当だと思うけれど」

「それとこれとは別問題だと思うが」

「娘の嫌がる事をやめない夫の要望を全て聞く程、私は従順な妻ではないの」

 ナタリーは微笑む。アリスの監視をやめさせられないのなら、エドワードの希望を全て叶えなくてもいいだろう。彼を愛しているからこそ、これ以上父娘の関係が拗れないようにする事こそ自分の役目だと彼女は思っている。

 そんなナタリーを見て、エドワードは思わず笑みを零した。結婚当初では考えられないほど、彼女は輝いて見える。

「私の妻は本当に素晴らしい女性だ」

「褒めても今日はもうしないわよ」

「構わない。私がするから」

 そう言ってエドワードは立ち上がるとナタリーに手を差し出した。彼女は微笑んで手を乗せると立ち上がる。そうして二人はベッドへと歩き出した。

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