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謀婚 番外編  作者: 樫本 紗樹
謀婚 番外編 その後
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義兄からの手紙

 田園都市クラークはレヴィ王国の穀倉と呼ばれる程小麦の生産量が多い。歴代の領主もレヴィ国民の生活を支えていると自負をしており、国政に参加せず領地経営に集中する者ばかりであった。今はベレスフォード家と名前を変えているが、実質の当主はエレノアである為その傾向は変わらない。また内情が変わっていないせいか、未だにクラーク家だと思っている者さえいる。ベレスフォードと名前を変えた後に爵位を賜ったフリードリヒが当主を務めるサリヴァン家の方が余程知名度がある状態だ。これは領地に引きこもっているウルリヒと国王の側近フリードリヒの差かもしれない。

 今年は豊作になるだろうと胸を撫で下ろしていたエレノアの元に一通の手紙が届いた。鷲の封印がされている封筒が、当主宛ではなく自分宛に届く理由がわからない。

「これは私だけに届いたのかしら?」

「はい。エレノア様宛だけでございます」

 ベレスフォード家では、使用人達が当主夫妻を呼ぶ際に旦那様と奥様呼びをしない。妻であるエレノアが夫のするべき仕事をしているからである。使用人達も王都から来た王弟よりも、昔から領地について考えていたエレノアを信用していた。勿論、ウルリヒを決して軽く扱ってなどいない。どちらかというと夫婦逆転の扱いである。

 エレノアは手紙を持ってきた執事に下がるよう言うと、ペーパーナイフで封を切った。いくら彼女が領地に引きこもっているとはいえ、国王の封印は流石に知っている。そもそも鷲の封印は成人王族男性にしか使えないので、現在使える者はエドワードとジョージだけだ。

 手紙に目を通し、エレノアは予想外の話に暫く目を瞑る。彼女は夫を立てようとしてこなかったので、いつかは咎められるだろうと思っていた。しかしそのような話は一切ない。むしろこの話についてウルリヒの承諾は不要とさえ書いてある。相変わらずエドワードからの評価が低い夫を情けなく思うが、実際そうなのだから仕方がないとも思う。ウルリヒは指示されれば問題なく対応出来るが、それ以上については対応出来ない。それこそが彼女が夫に当主を任せられない理由である。小麦が自然災害などで凶作になった時に対応出来ない当主など害悪でしかない。

 エレノアは目を開けて立ち上がる。そして窓に近付き視線を外に向けた。二階にある彼女の部屋から見える庭は綺麗に整えられており、子供達が楽しそうに遊んでいる。彼女は弟を事故で亡くした教訓から可能な限り出産しようと思っていた。クラークの血を断絶させたくなかったのだ。その為には愛情を持てない夫の子供を産むくらい問題なかった。弟を亡くし絶望に打ちひしがれた日々を思えば辛くもない。家名こそ変わってしまったが、クラークの土地にクラークの血を継がせてくれた王家の判断には感謝さえしている。

 子供達は走り回るのをやめ、笑顔で誰かに手を振った。暫くしてヘイニーとウルリヒが子供達の輪に入る。エレノアはその様子を無表情で見つめながら、弟が亡くなった時に父であるヘイニーが悔しそうに呟いた言葉を思い出す。もっと子供らしい遊びをさせてやればよかったと。待望の嫡男だったので跡継ぎとしての教育が最優先だったが、周囲の期待に応えようと弟も我儘を言わなかった。彼女も弟の努力をわかっていたからこそ、立派な跡継ぎとなるまで結婚をせずに見守ると決めたのだ。しかし弟は一切努力が報われないまま落馬事故でこの世を去ってしまった。

 エレノアは笑顔のウルリヒを見ながら苛々した。もしかしたら彼の母親であるツェツィーリアに苛々しているのかもしれない。レヴィ王国に嫁ぎながら宗教を理由に公務の殆どをしなかった前王妃。あれ程努力をしていた弟を助けられないのなら神など必要ない。元々無宗教者だった彼女は弟の死をきっかけに宗教の全てを否定していた。それ故に初めて舞踏会でウルリヒと会った時も明らかに見下した態度で接したのだ。

 だがウルリヒは別にルジョン教を信仰はしていなかった。母親の影響で教義は把握していたが、あくまでもそれだけだ。しかし母親の手元で貴族から隠されるように育った彼は、王族とは思えない程教養が不足していた。大切に守ってきたクラークを渡したら滅茶苦茶にされると思った彼女は、周囲が何と言おうと自分が取り仕切ると決めたのである。

 エレノアの態度にウルリヒは特に異を唱えなかった。王族である以上、彼は敬うべき立場の人間である。しかし彼女は夫のどこにも敬う部分を見つけられず見下し続け、彼もそれを受け入れていた。そんな彼女の態度に不満を漏らしたのがヘイニーであり、娘の至らなさを補うのだと婿の教育係を買って出た。

 何故か舅と婿の関係はとても良い。ヘイニーは元々穏やかな性格である。息子を亡くし断絶を決めたのも、跡継ぎを産ませる為だけに妻以外の女性を娶る行為に抵抗があったからだ。公爵家当主としては間違った判断だったかもしれないが、エレノアは父を恨んではいない。そもそも息子を亡くしてすぐに若い女性を連れてこられたら、二度と父とは口をきいていなかっただろう。クラークは確かに大切な土地であるが、急に現れた女性の息子に渡すくらいなら国に返して相応しい王子に譲った方がいい。クラークが国にとって大切な土地だと王家ならば理解しているはずであり、管理不行き届きにはならないと思えた。

 エドワードは不要な者を遠ざけると有名である。ウルリヒも不要だから王宮から追い出されたのだろうとエレノアは思っていた。しかし三世代で仲良くしている姿を見ると、ヘイニーとウルリヒの相性が良さそうだと判断していたのかもしれないと考えたくなる。ウィリアム前国王は息子全員に冷たかったと有名だ。息子を亡くした父親と、父親の愛情を知らない王子が、義理の父子として仲良くする。こうして見ていると本当に血の繋がった三世代にさえ見えてくるのだから不思議である。

 そしてヘイニーとウルリヒの努力は、少しずつではあるが実を結んでいる。頼りないと思っていたウルリヒであるが、クラーク領についての理解はかなり深まった。ただ元々壊滅状態だった彼の交友関係は広がってはいない。しかしそれはクラーク公爵家自体がそういう家なので問題はない。エレノアは当時唯一の公爵令嬢だった為に交友関係が勝手に広がってしまい現在も維持しているが、所詮貴族の付き合いの範疇。嫡男オースティンもクラークで一生暮らす、それでいいはずである。彼女は複雑な心境のまま、机の上に放置したエドワードの手紙をじっと見つめた。



「側近?」

 家族揃っての夕食後、エレノアはウルリヒを自分の部屋に招いていた。エドワードから承諾不要と言われていても、彼女は息子の問題を夫に黙って処理する気にはなれなかったのだ。ヘイニーと接するうちに自分の中で父親像が確立されたウルリヒが、息子を大切な家族として愛しているのを彼女は察していたのである。故にウルリヒには自分に対して敬語を使うなとお願いしていた。彼女もまた父親に顔色を窺わせている母親だと思われたくなかったのだ。

「えぇ。陛下からオースティンをリチャード殿下の側近にしたいと内々の手紙を貰いました」

 エレノアはエドワードからの手紙をウルリヒに見せるつもりはない。流石に同情したのである。その為言葉で説明をした。リチャードの側近候補がスミス公爵家嫡男エドガーとハリスン公爵家当主の甥グレンしかいない事。モリス公爵家には打診をしていない事。打診を受けてくれる場合、側近になる時期はそちらに任せるが、今すぐにというなら生活環境は王家が保障する事。

 ベレスフォード家はクラーク家時代から王都に邸宅を構えているが、今は年二回の王宮舞踏会時に滞在するだけの別荘のような感じだ。そこにまだ幼いオースティンを滞在させるよりは、王宮で面倒を見てもらった方がいいだろう。しかしオースティンはウルリヒの血を継いでいるせいか押しが強くない。エレノアは母親視点からも王宮で息子が渡り合えるとは思えなかった。

「リチャード殿下は陛下と違い心優しいと聞いている。オースティンも気負わず働けるかも」

「その評価は誰からのものでしょうか」

「ライラ姉上だ」

 ライラか、とエレノアは心の中で悪態を吐いた。王宮舞踏会に参加する度にウルリヒに構うライラが、正直彼女には面白くない。自分も弟がいたので可愛いのは理解出来る。しかし二人は血も繋がっていなければ、接していた時間も短い。ウルリヒは二人の異母兄を陛下とジョージ兄上と呼び、明らかに距離感が違うのは知っている。ナタリーとウルリヒが挨拶以外の会話をしている場面は見た事もない。しかしライラはやたらとウルリヒに構うのだ。勿論、フリードリヒも構っていて、同じ弟扱いなのはわかっている。だが彼女はそれが妙に面白くないのだ。

「グレンとオースティンは歳が同じだから友人になれるかもしれない」

 何となくエレノアの機嫌が悪くなった気がして、ウルリヒは慌てて付け足す。彼はツェツィーリアによって王宮内に隠されていたので友人と呼べる者がいない。側近だったダニエルとの関係も、今は王宮舞踏会で挨拶をするくらいである。息子達は自分とは違い兄弟仲良くしているが、友人がいた方がいいだろうとは思っていた。

「ハリスン公爵家の者と友人に?」

「ハリスン家を詳しくは知らないが、少なくともカイルは信用に値する」

 ウルリヒの言葉にエレノアは冷めた視線を向ける。彼女から見たカイルの印象は多くの女性と遊んでいたろくでもない男。結婚後は女遊びを辞めて今は誠実に生きているらしいが、裏で何をしているかなどわからないと思っている。そもそも当主であるウォーレンが彼女には理解不能だ。

「それに私は成人後苦労をした。オースティンには色々な可能性があると伝えたい」

 ウルリヒは母親に甘やかされるまま育った事を後悔しても取り返しはつかない。クラークへ婿入りしてから必死に学んでいるが、基礎のない彼は非常に苦労をした。息子達にはしっかり学ばせようと環境を整えている。勿論、それはエレノアとヘイニーと相談して進めていた。

「あなたは昔、議会で何も発言が出来なかったのでしょう? オースティンに同じ事をさせたいのかしら」

「オースティンの未来を勝手に潰したくはない。オースティンが望むならやらせるべきだ」

 ウルリヒは言葉にした後、偉そうに言ってしまったと視線を伏せる。この態度がエレノアを苛々させていると彼は気付いていない。彼女はクラークを滅茶苦茶にされるのは嫌だが、領地や家族を思っての発言は聞き入れると伝えている。それでも彼は自信がないのか常に妻の顔色を窺っていた。

 エレノアはわざとらしくため息を吐く。ウルリヒは視線を伏せたままだ。

「確かにオースティンに選ばせるのが最善かもしれません。成人後に判断させたいので猶予が欲しいと返事をしましょう」

「陛下はそれで納得するだろうか」

 ウルリヒはおずおずと視線をエレノアに向けた。彼は異常にエドワードを恐れている。余程議会での一件を引きずっているのだろう。しかし昔の話をエドワードが引きずるとは彼女に思えない。

「クラークはレヴィ王国の穀倉。ないがしろになどしませんよ。あなたもいい加減ベレスフォード家当主らしくなさいませ」

 エレノアは女公爵であるかのように振る舞っている。そこにはいつかウルリヒが自分が公爵だと奮い立ってほしいという思いもあった。しかし彼は今も入り婿の状況に甘んじており、エレノアが領主として取り仕切っている事を受け入れてしまっている。ヘイニーや子供達の前では笑う彼が、自分の前では基本怯えているだけなのも面白くない。

「私はエレノアが当主でいいと思っている。その方が多分皆幸せだから」

「サリヴァン卿は国王の側近を務めているのに、あなたはそれでいいのですか?」

 口走った後でエレノアは失言だったと思ったが遅い。ウルリヒとフリードリヒの兄弟は繊細な事情がありそうで、彼女はあまり触れないようにしてきた。しかしウルリヒは困ったように眉尻を下げる。

「フリッツは僕と違って優秀だからね。僕は出来る事をこつこつクラークでやるだけだよ」

 ウルリヒの諦めたような、それでいて力強い眼差しにエレノアは言葉を紡げなかった。彼の一人称が私ではなく僕だったのは素で話したからである。彼は少し恥ずかしくなってソファーから立ち上がった。

「陛下への返事は任せるよ。おやすみ」

「えぇ、おやすみなさい」

 エレノアはウルリヒが出ていった扉を暫く見つめていた。考えを改めるのは自分の方かもしれないと思いながら。

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