サマンサ、ケィティへ行く【中編】
王宮を出立して三日目の昼過ぎ、ケィティの門の前で馬車がゆっくりと止まった。外ではジョージと門衛のやり取りが聞こえてくる。ケィティは運河が多く、移動手段は基本舟である。馬車が通れる道もあるが、今回ケィティ内の移動は徒歩と舟しか使わないとジョージは三人に言っていた。
ライラとサマンサは帽子を被った。エミリーは墓前に手向ける為の花束を抱える。馬車の扉が開き、そこにはジョージが立っていた。三人は彼の手を借りて馬車を降りた。ジョージの馬と馬車はケィティ内の馬車置場にて管理される為、赤鷲隊隊員が移動させる。隊員達はケィティ内での護衛は不要とジョージに言われており、荷物をテオ宅へ運べば実質王宮へ帰るまで休日である。門の近くにはパメラが待っていた。
「おばあさん、久しぶり」
「ジョージ、元気そうで何よりだわ」
「御祖母様はじめまして、サマンサです」
サマンサは微笑みながら王女らしく優雅に一礼した。パメラは慌ててサマンサに近付く。
「そんな堅苦しい挨拶はやめて。様付も似合わないからジョージと同じにして」
ケィティは共和国時代から階級が存在しない為、様付で呼ぶ習慣がない。ケィティ語には敬語も丁寧語しか存在しない。パメラが初めて見る可愛い孫娘の態度に慌てるのも仕方のない事である。それをサマンサは瞬時に理解した。
「わかったわ、おばあさん。短い間だけどお世話になります」
「えぇ。まずはクラウディアに会いに行きましょう。舟は手配してあるから」
「おじいさんは?」
「ごめんね。おじいさんは釣りに出かけて戻ってこなかったの。多分欲しい魚が釣れないのよ。だから今夜の食卓にまだ何が並ぶか決まっていないの」
パメラは微笑んだ。ライラは前回訪ねた時もテオが釣りに出かけたと聞いたので、余程釣りが好きなのだろうなと思った。まさかサマンサの結婚相手を迎えに出かけているなどとは思いもしなかった。
五人は舟に乗って移動し、それから暫く歩いて墓地に辿り着いた。そこは特別な場所ではなく、ケィティの共同墓地である。
「お母様は何故ここを選ばれたの?」
「クラウディアは多分気を遣ってくれたのよ。王宮内の墓地に私は入れないから」
側室でも王宮内の墓地に入るのが通例である。ケィティ自治区の代表であるテオは王宮への出入りは許可されているが、パメラには許可されていない。両親より先に旅立つ事を悟ったクラウディアは、ウィリアムに遺骨をケィティへとお願いしていた。貴族でないクラウディアのこの遺言に反対する者はおらず、むしろケィティで十分だという声さえあった。遺骨はテオが王宮まで受け取りに行き、この地へ埋葬したのである。
「そう。私がおばあさんと会えるように選んでくれたのね」
サマンサは微笑むとエミリーから花束を受け取り、墓前に手向ける。エミリーは後ろに下がった。彼女は家族ではないので遠慮したのである。四人はそれぞれの思いを胸に墓前で暫く手を合わせた。
「私は一足先に戻っているわ。サマンサ達は暫く観光してからいらっしゃい」
「ありがとう、おばあさん」
パメラは微笑むと自宅へと向かって歩き出した。
「ジョージ、タルトを食べましょうよ」
「私はあの苦いジャムなら要らないのだけど」
お茶会をした時に、ライラは料理長にお願いしてスコーンとクリームを用意してもらい、そこにパメラから貰ったジャムをぬって提供したのだ。しかしジョージの予想通り、サマンサには苦いと突っぱねられたのである。
「あの店は苺が一番人気だから、それを食べるといいよ」
「苺? それなら食べたいわ」
四人はダンのタルト店へ向かう為に歩き出した。途中、風が強く吹きライラは帽子を押さえたが、外を歩く事に慣れていないサマンサは帽子を飛ばしてしまった。彼女は慌てて帽子を追うと、男性が帽子を捕まえていた。
「ありがとうございます」
サマンサはケィティ語で礼を言った。彼女は母親からではなく、商人からケィティ語を学んでいた。しかし彼女の言葉は男には通じなかった。帽子を持ちながら、その男は何やら言っているが彼女にはわからない。帝国語を含め三か国語に通じる彼女がわからないのは無理もない。その男は褐色肌でこの大陸の人間でない事は一目でわかる。彼女は帽子を返して欲しくて手を差し出したのだが、男は何を勘違いしたのかその手を掴むと強引に連れて行こうとした。
その様子を後ろから見ていたジョージが慌ててサマンサに駆け寄り、その男の手首を掴んだ。あまりの強さに男はサマンサの手を離したものの、ジョージに向かって何か文句を言っている。しかしジョージも何を言われているのかはわからない。ジョージはサマンサを自分の後ろに庇いながら、ただ無言で睨んだ。
「ごめんなさい。彼が何か失礼な事をしましたか?」
ケィティ語で男の後ろからもう一人、褐色肌の男が現れた。
「帽子を風で飛ばしてしまって、拾って貰ったのでお礼を言ったのだけど返して貰えなくて」
ジョージの後ろから聞こえたサマンサの声で事情を察した男は、母国語と思われる言葉でやり取りした後、帽子を受け取ってサマンサへと差し出した。
「ごめんなさい。彼も悪気があったわけではないので許して下さい」
「いえ。拾ってくれてありがとうございます」
サマンサは一礼して帽子を受け取った。相変わらずわからない言葉で何か言っている男を、もう一人の男がすみませんと謝りながら引っ張っていく。
「何を言っていたんだ、あの二人」
「私もケィティ語しかわからないから後から来た人しかわからなかったの」
兄妹のやり取りを後ろで見ていたライラが声を掛ける。
「妙な気分を変える為にもタルトを食べに行きましょうよ」
「ライラ、よっぽどあのタルトを食べたいんだな」
ジョージにそう言われライラは満面の笑みを浮かべて頷いた。彼女もやり取りは見ていたが、褐色肌の二人が話していた異国語は何を言っているのかわからなかった。しかし誘拐という雰囲気はなかったので特に気にしなくていいと判断したのだ。
何を話していたかわからない以上、手の打ちようもないので四人はそのままダンのタルト店へと移動した。ジョージとライラは以前と同じ物を、サマンサは苺、エミリーは林檎のタルトを購入した。店の横のベンチに腰掛け、手に持ってタルトを食べるという行為がサマンサには新鮮で、彼女は嬉しそうにタルトを頬張った。
暫く市場などを散策してから四人はテオの家へと移動した。顔合わせはテオの家なので、ジョージは時間を見計らって案内していたのだ。しかし敷地内に入った時、テオがジョージに近付いてきた。
「ジョージ、話がある。こっちに来てくれ」
そう言ってテオはジョージを屋敷の裏へと連れて行った。残された三人はどうしていいかわからず立ちすくんだ。しかしエミリーだけは違う事を考えていた。
「ライラ様、今の方がテオ様でしょうか」
「そうよ。それがどうかしたの?」
「あの方、ウォーグレイヴ公爵家に商人としていらっしゃいましたよね?」
エミリーに言われてライラは考えたものの思い出せなかった。しかし初めて会った時に、どこかで見たような気がしたのは覚えている。
「商人なんて結構な人数と会ったからわからないわ」
「がらくたばかりの中、一つだけ高級品を混ぜていた商人を覚えていませんか」
エミリーの言葉でライラは一人の商人を思い出した。綺麗な箱に本物と見間違えそうな偽物ばかりをずらりと並べて、どれも同じ値段ですからおひとついかがですか、と言ったのだ。くだらないと思いながら箱の中を覗いてみると、たった一つだけその値段では到底折り合わない耳飾りがあった。彼女がその耳飾りなら欲しいと言うと、その商人は嬉しそうにその耳飾りを最初に宣言した値段で売ってくれたのだ。
「これ! この耳飾りの商人?」
ライラは驚いたように自分の耳飾りを指した。破格の値段であったその耳飾りは、あまり装飾に凝っていなかったもののエメラルドがとても綺麗だったのだ。一見質素そうに見えるが服装を選ばず、ライラはとても気に入っていた。
「そうです、その方ですよ。あれは確か帝国へ行った後です。その頃から水面下でこの結婚は動いていたのですね」
ライラはため息を吐いた。祖父がルイ皇太子殿下の誘いを断った事を咎めなかった理由が、これでやっと理解出来た。その時既に嫁ぎ先が変わっていたのだ。
「御祖父様を知っているの?」
「以前商人として私の実家に来ていたみたい。エミリーに言われるまで気付かなかったけれどね」
「失礼致しました。サマンサ殿下をずっと立たせておいてしまって。今すぐ聞いてきます」
エミリーはテオを見て考えていたので、サマンサの存在を忘れていた。王女を外にずっと立たせておいていいわけがない。しかもケィティ内をずっと歩いていたのだ。休みたいに決まっている。エミリーは急ぎ足で屋敷の玄関へと向かった。
「じいさん、話が違うじゃないか」
「白紙に戻されるなんて予想していなかった」
屋敷の裏でテオとジョージは話をしていた。ジョージは焦っているテオを初めて見たなと、心の中で思っていた。
「どうするんだよ。このまま会わせずに帰るのか?」
「顔合わせだけはしてほしいと説得したんだが聞く耳を持って貰えなかった。船は押さえているから帰る事は出来ない。もう数日滞在するんだろう?」
「明後日までは滞在予定だけど、そんな男はもうやめたら?」
「いや、サマンサに相応しいのはあの方しかおらぬ。肩書も素質も問題ない」
「それでも白紙に戻されたんだろう?」
「側近も今必死に説得してくれている。向こうもレヴィと同盟する必要があるから簡単には白紙に戻せないはずだ。少し時間をくれ」
「わかった。この件はサマンサにもライラにも言ってないからそのまま黙っておくよ」
「そうしてくれると助かる。絶対に連れてくるから」
テオは裏口を開けた。ジョージもそこから屋敷内に入る。屋敷の居間には既に三人がパメラに迎え入れられていた。
「おじいさん、何でサマンサ達を放っておいたの?」
「悪い。ジョージに先に謝る事があって。蟹を用意すると言っていたのだが、どうしても釣れなくて」
「蟹? 今日は蟹を釣りに行っていたの? そんなのは市場で買えばいいじゃない」
「儂に釣れないものはないと自慢したかったんだ」
「おじいさんは漁師ではないのだからそんな自慢は要らないわよ。まさか明日もまた蟹釣りに行くつもり?」
「いや、ジョージにも市場で買えばいいと言われたから明日の夕飯は蟹で頼む」
「最初からそうしておきなさいよ。妙な見栄張っちゃって。本当にどうしようもない人」
すらすらと出てくる嘘にジョージは内心呆れたものの、気にせずライラの横に腰掛けた。
「かにって何?」
「美味しい甲殻類。明日楽しみにしてて」
ライラは頷いた。知らない食事を言葉で説明するのが難しい事は、エミリーにカレーの説明をした時に実感した。裏に行って謝らなければいけないのだから、余程美味しいのだろうと彼女は楽しみにする事にした。
翌朝、テオとジョージはいつものように市場へと出かけた。戦争が終わったからといって情報を集めるのをやめるわけにはいかない。帝国の今後に不安を抱いているジョージは、特に帝国の情報を集めたかった。色んな所に出入りする商人の情報は有益なのである。二人で歩いている時、褐色肌の男がテオに近付いてきた。
『テオ様。昨日は申し訳ありませんでした。何とか説得しましたので本日お時間を頂けませんか』
『今回は本当に大丈夫なのでしょうか?』
『主が逃げないよう拘束しています。申し訳ありませんが御足労頂く事は可能でしょうか』
ジョージは二人が何を話しているのか全くわからない。テオはケィティ語、レヴィ語だけでなく帝国語と簡単な公国語、そして海の向こうの言葉もいくつか話せる。通訳の要らない代表だからこそ出来る仕事があり、国民に支持されてきた。だからジョージは一緒に歩いている時、テオが何語で話しているのか全くわからない。
「ジョージ、先方が逃げないよう拘束しているからそこに来て欲しいと言っているが」
「それをサマンサにどう理由付けて会いに行かせるつもり?」
「美味しいロールケーキの店があるから行こう、でどうだ。先方の宿泊している宿には本当に美味しいロールケーキがある。しかも苺入りだ」
サマンサの好物は苺である。今は冬なので苺の時期ではない。しかし天日干しして乾燥させた苺や、苺ジャムを使用する事で年中楽しめるのである。ジョージはケィティ内の菓子店はほぼ制覇していたので、美味しいロールケーキと言われただけでどの店か見当がついた。
「一応そう言うけど、怪しまれても俺は責任持たないよ」
「あぁ。責任は儂が持つ。ジョージの時が上手くいったから油断した」
テオは褐色肌の男に向き直すと、ジョージにわからない言葉で話し始めた。褐色肌は海の向こうでは普通であり、レヴィでは珍しくてもケィティでは珍しくない。同盟と昨日言っていたのだから海の向こうの国のどこかの王子が相手なのだろうが、昨日の件でサマンサが褐色肌に対して嫌悪感を抱いていないといいなと考えながら、ジョージはテオが話し終わるのを待った。