姉弟
サマンサがアスラン王国へ嫁ぐ際に、何より心配したのは異母弟フリードリヒの将来である。彼女は実母からの愛情が薄い弟に、どうしても幸せになって欲しかった。故に自分のお願いなら何でも聞いてくれるエドワードに、彼が望まない生活を強要しないで欲しいと依頼をしてから嫁いでいった。
エドワードはツェツィーリアの息子二人に興味がなさそうに見えた。しかし彼は異母弟も情報収集の対象としており、またサマンサがやたらと構うので、フリードリヒにはウルリヒ以上の関心を持っていた。フリードリヒは独身を貫くつもりだろうと判断したエドワードは、舞踏会で多くの女性と踊るように命令した。どれだけ情報を集めても、フリードリヒの女性の好みが掴めなかったからである。しかしどの女性と踊ろうともフリードリヒは表面的な対応しかしない。サマンサの言葉を『恋愛結婚をして幸せな家族を持って欲しい』と解釈していたエドワードは、どうすれば妹にいい報告が出来るのか長らく悩んでいた。
しかしそんな時、隣国メイネス王国の第三王女ボジェナが国立大学を受験予定だという情報が入る。エドワードはメイネス王国からの側室打診に嫌気が差していたが、案外彼女はフリードリヒと意気投合するかもしれないと考えた。王族でありながら医学部へ通うという接点があれば、たとえ夫婦とならなくともフリードリヒが心を許せる存在になるかもしれない。そう判断してエドワードは国王権限を使い合格発表前に点数を教えて欲しいと大学側に依頼をした。元々ナタリーの侍医として女医を欲していたのもあり、母国語ではない受験による点数不足なら特例を設けてもいいと思ったのだ。だがボジェナは国立大学医学部の受験で過去最高点を叩き出した。それを聞いたエドワードはボジェナをレヴィ王国に留め置くと決める。特待生として十二分の待遇を用意し、側室にはしないという意思表示で王妃ナタリー預かりとし、フリードリヒにボジェナの世話役を命じた。
そうしてエドワードの目論見通り、フリードリヒとボジェナは婚約する運びとなった。その過程で長らく空いていたエドワードの側近をフリードリヒに任せる事にもなる。こちらも元々はサマンサの願いであった。恵まれない弟の後ろ盾としてエドワードがいれば、誰も文句が言えないと考えての事。そして国王の側近になるだけの素質をフリードリヒは持っており、エドワードもその才能を欲した。
フリードリヒとボジェナの結婚式は、王都にあるサリヴァン公爵邸の庭で少人数を招いて行われた。サマンサが出席出来るようにと前々から日程が決められていたので、彼女はアスラン王国の人々を説得してからレヴィ王国に帰省していた。結婚式前夜にレヴィ王宮へ向かい、エドワードとナタリーと共に食事をしたのち一泊し、翌日ライラと共に馬車でサリヴァン家を訪れたのだ。
二人の結婚式はとても簡略的なものだった。それでもフリードリヒが幸せそうに微笑んでいるのを見て、サマンサは心から安堵する。何よりも心残りであった弟が無事に幸せを手に出来たのを直接見られて嬉しかった。
「フリッツ。本当におめでとう」
婚姻届に署名をし、歓談の時間となった所でサマンサはフリードリヒに声を掛ける。彼は久しぶりに会う姉に表情を柔らかくした。
「姉上。参加して下さりありがとうございます」
「フリッツの幸せそうな姿が見られて本当に良かったわ」
サマンサが自分の事のように嬉しそうに微笑むので、フリードリヒもつられて微笑む。その二人を横でいていたライラがつまらなさそうな表情を浮かべた。
「私にはそこまで表情を崩さないのに」
「姉上とライラ姉上では違いますから」
「私が姉では不服だと言いたいの?」
「私にとって一番大切な姉は一生変わりません」
フリードリヒに淡々と言われ、ライラは面白くないものの納得するしかない。レヴィ王宮で孤独だった第五王子フリードリヒの心の支えは間違いなくサマンサであり、その関係性を崩す気はなかった。ただ、別大陸にあるアスラン王国王太子妃となったサマンサより、赤鷲隊隊長夫人である自分の方が今は近いと思っているだけだ。
「ボジェナさんが今後も頼ると思いますので、ライラ姉上は彼女を宜しくお願いします」
「それはフリッツに言われなくてもやるわよ。妹ではなく友人としてね」
ライラは微笑んだ。公爵夫人でありながら医者になるボジェナを、貴族達が認めるかは難しい所である。しかしボジェナはナタリーの侍医であり、それを指名したのはエドワードだ。国王夫妻と赤鷲隊隊長夫人に近い、王弟の妻に表立って文句を言うような貴族はいないだろう。
「お姉様は多少社交を増やしたの?」
「サマンサが用意してくれた交流ならナタリーと共に続けているわよ」
ライラは満面の笑みだが、サマンサは困ったように笑う。サマンサが用意したのはエドワードの側近二人の妻との交流である。たった二人では増えたとは言わない。レヴィ王国には数多くの貴族がいるのだから。
「お兄様も社交嫌いだから仕方がないわね。どうせフリッツも社交嫌いのままなのでしょう?」
「年二回の王宮舞踏会にだけ参加すれば十分だと思っています」
本当は参加したくないが義務だから仕方ないという雰囲気を感じて、サマンサは困ったように微笑む。元々彼女はフリードリヒがレヴィ王国に必要な人材と思っており、だからこそエドワードの近くにフリードリヒの居場所を作ろうと動いていた。それをエドワードも察したのだろうと彼女は思っている。だが社交を面倒臭がる態度はジョージと変わらない。ジョージは赤鷲隊隊長になるべく育てられてはいたが、本人も社交をするより剣を振りたいと思っている。王家に生まれたのならば社交的であるべきなのだが、エドワードとサマンサ以外は社交を避けていた。それでもジョージとフリードリヒはそれらしい対応は出来る。ただジョージが綺麗に取り繕うのに対し、フリードリヒは取り繕っている感を隠さない。
「公爵家当主になった自覚はしっかりと持って」
「側近の執務も、領地の経営も真剣に取り組んでいます。社交は別段必要とは思いません」
「それでわざとこの小さな屋敷で暮らしているの?」
公爵家としては小さな屋敷である。場所も貴族が多く暮らしている高級住宅地ではなく大学病院の近くなので、ボジェナを思って選んだのだろう。医者としての生き方を尊重しているのなら、社交の時間が無駄だと切り捨てるのはわかる。それでもサマンサはフリードリヒに公爵家当主として相応しい振舞いをして欲しかった。
「この屋敷はエド兄上の紹介です」
フリードリヒの言葉にサマンサは驚く。エドワードは心を許した者に対しての対応が甘い。彼女の願いは叶えてくれるし、ジョージも好きにさせていた。フリードリヒもその対象になったのだと、その一言で彼女は理解した。この広さは公爵家としての社交をしなくても構わないと暗に言っているようなものだ。
フリードリヒは自分の気持ちを表に出すのを得意としていない。サマンサに対しての手紙でさえ淡々としている。しかしそれはエドワードからの手紙で補完されていた。要不要関係なく何でも情報を集めるエドワードが、自分の為に調べて手紙にしてくれたのだろうと彼女は思っていた。しかし実際は弟が可愛いと唯一気兼ねなく語れる彼女に伝えていたに過ぎなかったのだ。一体何がエドワードの心を動かしたのかと彼女は必死に探す。
王族として生きる道を放棄して医者になろうとしたフリードリヒは、エドワードが守る対象とはなり得ない。しかも息子全員平等に冷たかったウィリアムが唯一愛称フリッツと呼びかけ、王族として前例のない大学受験を許した末息子。それは母親の愛情が薄かった息子への最低限の情けだったのだが、父親の気持ちをエドワードが汲み取ったとはサマンサには思えない。
しかしフリードリヒには不思議と惹きつけられる何かがある。全てを諦めて生きている状況の異母弟が不憫でサマンサは手を差し伸べた。ツェツィーリアが用意した教育環境では彼の才能が埋もれてしまうと、ウィリアムに頼んで最高峰の環境を整えたのもサマンサだ。本当はエドワードやジョージとも兄弟として付き合って欲しかったのだが、それは遠慮して欲しいとウィリアムに言われて諦めた。彼女も愚かではない。派閥争いの状況も、エドワードが独自に動いているのも知っていた。それにツェツィーリアが囲っているウルリヒだけ除け者になってしまう。故にサマンサは、父が娘だけを可愛がるように、兄とは其々仲良くしながらも唯一の弟は特別可愛がるという姿勢を貫いたのだ。
「元公爵家の土地は勧められなかったの?」
「候補の中にはありましたが、強制はされませんでした。王妃殿下の侍医としてのボジェナさんを買ってくれたのだと思います」
フリードリヒは淡々とそう告げたが、サマンサは納得がいかなかった。勿論、エドワードにとって誰よりも大切なのはナタリーである。それはこの先も絶対に揺らがないだろう。しかし侍医など替えがきく。フリードリヒにボジェナが必要だと判断をした結果の方が腑に落ちる。彼の態度が変わった要因は間違いなくボジェナの存在なのだから。
「彼女と式の前に少し話をしたけれど、とてもいい子ね」
「えぇ。私は彼女と出会えて本当に良かったと思っています」
幸せそうに微笑むフリードリヒにサマンサも思わず微笑む。彼女がレヴィ王国にいる間には見た記憶のない表情だ。エドワードのように面倒な男になって欲しくないと、彼女は弟に女性への接し方を伝えていた。自分の気持ちを表に出さない性格だからこそ、愛おしいと思える女性に出会えたのならば、隠さず言葉にするようにと。これは気持ちを言葉にして結婚後すぐに纏まったジョージと、言葉にしなかった為に数年拗れていたエドワードからの教訓である。そして姉に対して自分の気持ちを打ち明けてくれた弟を見て、自分が叩き込んだ女性に対しての振舞いはフリードリヒに伝わったのだろうと思えた。
「わざわざ船で来た甲斐があったわ。こんなに幸せそうなフリッツを見られるなんて」
サマンサは心からそう思った。全てを諦めていた弟はもういない。
「アスラン王国へ遊びに来る気があるなら連絡を頂戴。エドお兄様には私が話を通すから」
婚約後、フリードリヒはボジェナを連れてアスラン王国へ行きたいと思っていた。しかし既にエドワードの側近となっていたので、エドワードからの許可が取れずに行けなかったのだ。その事情はサマンサも聞いており、昨夜の夕食時に文句を伝えている。
「そうですね。姉上が王妃になられる際には祝辞を伝えるレヴィ王国代表に立候補してみます」
「その時は私を通訳として推薦して」
「ライラ姉上はまだアスラン王国へ行く気なのですか?」
黙って姉弟の会話を聞いていたライラが突然割って入る。フリードリヒは呆れた表情を浮かべた。
「友好関係の国家間を行き来するのに何の問題があるの?」
ライラはフリードリヒの呆れなど無視して笑顔を浮かべると、違う場所で歓談をしていたボジェナに視線を向けた。
「ねぇ、ボジェナ。アスラン王国へ行ってみたいと思わない?」
急に声を掛けられたボジェナは歓談相手に一礼をしてライラの方へ近付く。
「話が見えないのですけれども、フリッツさんが行かれるのならご一緒します」
どういう理由かもわからないのに、それでもフリードリヒとなら一緒に出掛けると聞いて、サマンサは自然と微笑みを浮かべた。
「レヴィ王国の代表としてアスラン王国へ赴く事があればの話よ。その時は宜しくね」
「わかりました。その時は宜しくお願い致します」
ボジェナも笑顔で応える。サマンサはフリードリヒとボジェナの幸せが長く続くようにと心から願った。




