アスラン旅行 二回目
「本当に来るとは思っていなかったわ」
サマンサは呆れる様子を隠す気もなかった。レヴィ王国とアスラン王国は別大陸の為に船でしか往復出来ない。多少船の改良があったとはいえ、ケィティから片道十日の距離である。
「折角言葉を覚えたのだから、何度でも来るわよ」
ライラは笑顔だ。彼女の横には大人しくアレクサンダーが腰掛けている。今回はテオの船でアスランまで来た。本当は家族総出で来たかったのだが、結局は息子とジェシカだけの旅である。ちなみにジェシカは廊下に控えている。
「よくお兄様が許したわね」
「本当はレティも連れてこようと思ったのだけれど、許してくれなかったわ」
「流石に子供二人連れての船旅は難しいわよ」
「エミリーも着いて来たらいいと言ったのに、船は嫌だと頑なに譲ってくれなかったの」
エミリーは船が嫌な訳ではなく、自分もジョージも行かなければライラを引き留められると思ったのだ。またハリスン家の嫁としての役割もある為、気軽にレヴィ王都を離れられない事情もある。ジョージは赤鷲隊隊長である以上、個人的用事で国外に出られない。
「アレックスはどうして母上と一緒に来たの?」
サマンサは優しく微笑みながら甥に声を掛けた。それまで大人しく座っていたアレクサンダーはサマンサに視線を向ける。
「海を見たかったから」
もうすぐ四歳になるアレクサンダーは落ち着いた子供だった。大人が多い環境で育ったからかもしれない。ライラが彼を連れてジョージの訓練をよく見に行く影響で、剣技には興味を持っているが基本的には大人しい。ライラとエミリーの他国語入り交じりの会話も生まれてからずっと聞いているからか、話すのはレヴィ語だけでも何を言っているのかはわかっているようだ。
「海はどうだった?」
「大きかった!」
アレクサンダーは瞳を輝かせた。アレックスという愛称は男女共通の為、顔だけを見れば女の子だと思ってしまう可愛さがある。ジョージに強く反対された為にアレクサンダーは男の子の服装をしているが、それでも女児として誘拐されない為にわざと着せているのかもしれないと思うくらいには可愛い。最初は男児だった事に納得していなかったライラだが、今はアレクサンダーとスカーレットを平等に愛情を持って接している。
「私はリチャードの将来が不安だわ」
サマンサはアレックスを見ながら違う甥を思い浮かべた。ジョージの息子に生まれた時点で将来は近衛兵で確定だ。これだけ顔が整っていると間違いなく表向きの仕事しかない。顔が整っているからこそ情報収集しやすい場合もあるのだが、整い過ぎていてはいけないのである。リチャードも両親を思えば顔立ちは整うはずだが、アレクサンダーが横に居て遜色のない美男子になるかは疑問だ。王太子より近衛兵が目立ってはならないのだが、その為に顔を変えるわけにはいかない。
「リックはもう王太子教育が始まっていて可哀想なのよ。のびのびとさせてあげればいいのに」
「レヴィ王家の風習だから仕方がないわ。それでもエドお兄様よりは緩いはずよ」
「あれで?」
ライラは眉間に皺を寄せた。彼女も幼い頃から教育を受けていたが、それ以上にリチャードは厳しいと感じていたのだ。
「エドお兄様に対しては厳しかったらしいの。お父様が王太子はエドお兄様しかいないと思っていたから。お母様が多少緩和したらしいけれど、詳しくは知らないわ」
「ナタリーは何人でも出産したいと言っていたけれど」
「王位継承は長男に任せた方がいいのよ。また内戦になったら大変でしょう?」
レヴィ王国とガレス王国との戦いは息子二人に国土を分けた所から始まった。最初から分けなければ戦争など起こらなかったかもしれないが、歴史にもしもの話はしても仕方がない。
「内戦は確かに困るけれど、それは教育次第ではないかしら」
「エドお兄様とナタリーお姉様は仲良く暮らしているけれど、二人とも両親に愛情をもって育ててもらったわけではないわ。子供達がまっすぐ育つかなんてわからないでしょう?」
「それはどこの子供でもそうだわ」
二人の会話を割って入るように扉がノックされた。サマンサが返事をすると扉が開き、ポーラが男児を連れて室内に入ってきた。
「ご無沙汰しております、ライラ様」
「久しぶりね、ポーラ」
『ムラト、あなたの伯母よ。ご挨拶をして』
サマンサはアスラン語に切り替えて息子に声を掛ける。ムラトと呼ばれた男児はライラに向き直る。
『こんにちは』
『はじめまして、あなたの伯母のライラよ』
ムラトは挨拶をするとサマンサに近寄った。サマンサは笑顔でムラトを隣に腰掛けさせる。
「ムラトにはレヴィ語を教えていないの?」
「ポーラとの会話以外はアスラン語を使っているわ」
「そう、アレックスとは話せないのね」
ライラは肩を落とした。従兄弟同士の交流が持てればと思ったのだが、やはり大陸の違いは大きい。しかしその彼女の様子を見てアレクサンダーが母を見上げる。
「母上、あの子と積み木遊びしたい」
テオが船の中では暇だろうと、アレクサンダーに大量の積み木を贈っていた。アレクサンダーはとても気に入って、船を降りても手放さず今も積み木の入った鞄を足元に置いていた。
「サマンサ、床で積み木遊びしてもいい?」
「えぇ。ムラトと同年代の子がここにはいないから、遊んでもらえるなら嬉しいわ。ポーラ、手伝ってあげて」
ポーラは頷くとアレクサンダーの近くに寄り、彼から鞄を受け取った。そして絨毯の敷かれた床に積み木を置く。アレクサンダーは立ち上がると笑顔でムラトの所まで歩いていった。
「ムラト、遊ぼう」
アレクサンダーは従弟の名を正しい発音で呼んだ。別大陸のせいか発音の仕方は異なる。名前を呼ばれた事以外わからないムラトに対し、アレクサンダーは笑顔で手を差し出す。ムラトは不安そうにサマンサの顔を見た。
『向こうで一緒に遊びしましょうと誘われているの。ポーラも一緒だから遊んでいらっしゃい』
サマンサは優しく微笑んだ。ムラトは不安そうな表情で立ち上がる。そして二人はポーラが準備している場所まで向かって行った。
「アレックスは発音がいいわね。教えているの?」
「ジョージは語学が苦手だから教えていないの。アレックスはジョージ似だから」
ライラの言葉にサマンサは首を傾げアレックスを見つめた。何処をどう見たらジョージに似ているのか、サマンサにはわからない。むしろエドワードに似ていると言われた方が納得出来るくらいである。
「どこが似ているの?」
「私が子供の時はもっと落ち着きがなかったわ」
「お姉様は今も落ち着いていないと思う」
「淑女から遠いのはわかっているけれど、失礼ね」
ライラは笑いながら言った。それに対しサマンサも笑顔で応える。
「だけどそのようなお姉様だからフリッツをお願い出来たの。本当の弟のように可愛がってくれてありがとう」
「お礼なんていいわ。フリッツは弟に似ているから、本当に弟みたいに思えて構ってしまうのよね」
ライラは五人きょうだいの長女である。妹と弟がそれぞれ二人だ。
「ガレスにいる弟に?」
「そう。寂しいのに甘えられない不器用な子なのだけど、その子に似ているの」
「確かにフリッツにはそういう所あるわね。ツェツィーリア様も平等に愛してくれたらよかったのに」
「オルガ様もそうだったのでしょう? 私は男女だからわからないけれど、息子二人では何かが違ったりするのかしら」
オルガの息子に対する愛情の差は父親が違うせいだが、この二人はその事情を知らない。
「私もこの子を産んだら愛情に偏りが出てしまうのかしら」
サマンサはお腹を撫でた。彼女は現在妊娠五ヶ月である。ムラトを無事出産したので周囲は落ち着くかと思えば、幼児死亡率が高いこの国ではすぐに次をという声が大半を占めた。しかし彼女は出産経験が自信に繋がり、周囲の声を聞き流して穏やかに過ごせていた。王太子ならば側室をという声をセリムが全て潰していたのも大きい。
「そればかりは生まれてみないとわからないと思う。ナタリーは平等に愛したいけれど、アリスは特別だと言っていたわ」
「その気持ちはわからなくもないわ」
アリスが生まれた当時はサマンサもまだ幼く理解出来なかった事も今ならわかる。どのように夫婦として向き合ったかまではわからなくとも、愛しい人との子は心の支えになったはずだ。二国間の緊張があった当時に生まれた娘が特別であろう事は想像に難くない。
サマンサはふとひとつの懸念を思い出して口にする。
「ねぇ、今でもアリスを娘にしたいと思っていないわよね?」
「それは諦めたわ。アリスはエドガーばかり見ていてアレックスは弟扱いだもの。それにレティが生まれたから。あの子もジョージに似ているから将来が楽しみ」
ジョージに似ているというのをどう捉えるべきなのかサマンサは判断しかねた。顔立ちや長身が似てしまうのは女性なら避けたいだろう。しかし剣の腕があっても仕方がない。そこまで考えて彼女は一人の男性を思い出した。
「ウォーレンはどう判断しているの?」
「グレンとの婚約を進めているわ。絶対に傷や痣を作るなと煩いの」
「アレックスとレティの顔立ちは似ているの?」
「よく似ているわ。目がジョージにそっくりよね」
ライラに言われてサマンサはアレクサンダーを見る。ぱっちりとした瞳はジョージと結び付かない。しかしライラはややつり目なのに対し、アレクサンダーはそうでもない。それだけを指摘しているのかと思いながらも、サマンサは首を傾げた。
「お兄様の目は細い方だと思うわ」
「鋭い眼光をアレックスもたまにするのよ。それがそっくりなの」
そこまで言われてサマンサは納得した。レヴィ王家特有の話だったと。ウィリアム、エドワード、ジョージ、そしてフリードリヒは人に有無を言わせない視線の鋭さを時に使い分ける。勿論個人差はあるが、ウルリヒはそれが出来ない。エドワードがウルリヒを中央から遠ざけた理由のひとつだ。
「リチャードは?」
「リックはしないわよ。とても優しい子だもの」
ライラの言葉にサマンサは一抹の不安を覚えた。勿論エドワードが平和な世を築くのならば、睨みを利かせて押さえるような政治をする必要はないのかもしれない。それでも臣下に対して強く出られないようでは王家が揺らいでしまう。
「ウォルターは?」
「そう言えばウォルターも似たような睨みをするわね。アレックスと剣の稽古をするのだけれど、二人とも負けず嫌いで大変なのよ」
ウォルターは次期赤鷲隊隊長になるべく、既に教育が始まっていた。ジョージはウォルターとアレクサンダーに基礎から教えているのである。
「兄弟仲は良いの?」
「子供達は皆仲が良いわよ。サマンサが準備してくれたから」
サマンサがナタリーにミラとフローラを紹介し、そこにライラとエミリーが加わった。今でも五人は定期的に茶会を開き、その度に子供達は楽しそうに遊んでいる。
「それは良かったわ。レヴィ王国の平和を担う次世代が楽しみね」
「これからも定期的に来るから、その都度報告するわ」
「また来る気なの?」
サマンサは思いがけないライラの言葉に呆れた。一方ライラはつまらなさそうな表情を浮かべる。
「嫌なの?」
「勿論来てくれるのは嬉しいわ。でも往復約一ヶ月よ?」
「いいの、今回は船酔いもなかったから。アレックスにはアスラン語を教えておくわね」
ライラはアレクサンダーに視線を向けた。ムラトとアレクサンダーは言葉こそ交わしていないが、楽しそうに積み木で遊んでいる。その様子をサマンサも微笑ましく見つめる。
「お姉様の無理のない範囲にしてね」
「私は王宮に籠っているのが無理なのよ。定期的に外の空気が吸いたいの」
「そう。私はもうここから動けそうにないから自由なお姉様が羨ましいわ」
サマンサは心からそう思っていた。それを声色からライラは察する。
「もうレヴィ王国には来られないの?」
「一度帰国出来たのが異例だったのよ。他国に嫁ぐと決まった時にわかっていたけれど、やはり寂しいわね」
「諦めないで。フリッツが結婚した時は絶対に式に参列してあげないと」
ライラの言葉にサマンサは思わず笑みを零す。
「そうね。フリッツの結婚式は参加したいわ。あの子の選ぶ女性にも会いたいから」
「えぇ、私が妙な女性に捕まらないように見張っててあげるわ」
「それは大丈夫。フリッツはとても賢い子だから利用しようとする女性には冷たいはずよ」
サマンサにそう言われライラは納得した。フリードリヒは王子としての対応は出来るが、基本ジョージと同じで興味のない人間には素っ気ない。
「そう言われたら本当に見たくなってきたわ。何年後かわからないけれど頑張ってみる」
「えぇ、応援するわ」
ライラとサマンサは微笑み合った。その傍では楽しそうにアレクサンダーとムラトが遊んでいる。こうしてライラの強行突破気味のアスラン旅行は穏やかに過ぎた。




