ライラ第二子出産
「ライラ様、レティ様、ともに問題ありません」
報告に来たエミリーにジョージは訴えるような視線を向けた。ライラが産気付いたのは今朝。何事もなく出産を終えられたのは彼にとっても喜ばしい。しかし子供の名前は決めていなかった。第一子同様、ライラが勝手にレティと呼んでいただけである。
「生まれたのが女児で、名前がレティシアに決まっているという事でいいか」
「レティ様はそのような平凡な名前ではありません」
エミリーは淡々としながらもどこか勝ち誇ったような表情を浮かべている。ライラの考えている事を全て知っているのはジョージではなく自分だと思っているのだ。事実、彼女はライラがいつ出産するのかを見越していたかのように、数ヶ月前に次男を出産している。前回同様乳母をする準備は万全だ。
「人の名を平凡というのはどうだろうか。レティシアという名の人間は少なくないと思うが」
「私はライラ様以外の他人に興味はありません」
エミリーの言葉にジョージは反応する。以前の彼女ならライラ以外だったはずで、家族は別だと言っているようなものだ。
「他人が付くようになったのか。前から思っていたが本当にカイルが好きだな」
「カイル様の顔立ちの良さについて何時間も語って欲しいという話で宜しいでしょうか」
「それはウォーレンとでもやってくれ」
ジョージは明らかに嫌そうな表情を浮かべた。彼は自分が平凡な顔立ちである事をあまり気にしなくはなっていたが、完全に払拭出来たわけではない。赤鷲隊にいる時は一切気にならないが、ライラの周囲は華やかで、また息子アレックスも可愛らしさを持ち合わせている。心の奥にある疎外感はどうしても消えてくれなかった。
「アレックス様でも宜しいですよ。女児用の服を着せたがるライラ様の気持ちがわかりながら、必死に押しとどめている辛さを労って欲しいと思っています」
「その気持ちに共感を示さないでくれ。アレックスの心が歪んだらどうする」
アレックスは将来近衛兵になる。流石に軍人が幼少期女児の格好をさせられていたなど、絶対に誰にも知られたくない黒歴史になる。ジョージにはそれを許容出来なかった。
「体と心の性別が一致しない方は存在します。そのような方を否定されるのは如何かと思いますよ、閣下」
エミリーはわざとらしくジョージを閣下と呼ぶようになっていた。しかもライラがいる場合は名前で呼ぶので、注意しても無駄だと彼は諦めている。
「アレックスを見ている限り普通に心も男だと思うが」
「私もそれはわかっていますから、残念ですが押しとどめているのではありませんか」
「それでも今後は娘に向ければいいのだから、大丈夫ではないか」
ジョージは安堵の息を吐く。自分が知らない所で息子に女児の格好をさせていたらと思うとひやひやしていたが、娘が生まれたのでこの問題は解決したと思えた。
「しかし心配もございます。ライラ様の愛情がレティ様だけに傾かないかと」
「アスラン行きをアレックスの一言で諦めたのだから、大丈夫ではないか」
「ジョージ様は甘いです。二人目の方が可愛いのです。ライラ様にとって女児なら尚更ですよ」
「それは経験談か?」
「そうですね」
エミリーは言い切った。現在エミリーは長男次男と共に王宮で暮らし、カイルは相変わらず赤鷲隊兵舎で暮らしている。ウォーレンが独身である以上、ハリスン家の次期当主がカイルなのは明らかだ。ただでさえウィリアム治世の頃から公爵家の中ではハリスン家が強かったので、公爵家の嫁と子供が王宮で暮らしているのを面白くないと思う者もいる。しかしエミリーがライラありきで行動をしている事、ウォーレンが優れた宰相である事、何よりこの状況をエドワードが認めている為に誰も文句は言えなかった。
「ライラよりエミリーの方がいい母親をしている気がする」
「一体ライラ様のどこを見ていらっしゃるのですか。最初こそ女児でなかったと嘆いておられましたけれども、今はアリス殿下と同じくらいには愛情が育っているのですよ」
「そこは同じではいけないような気がするのだが」
ジョージは冷めた視線をエミリーに向けた。ライラはよくアリスがアレクサンダーに嫁ぐ方法はないかと探しているが、彼はそれを切り捨てていた。いとこ同士の結婚は認められてはいるが推奨はされていない。エドワードとジョージは異母兄弟ではあるが、ライラの曾祖母はレヴィ王家出身者である。彼はレヴィ王家の血が濃くなるのが嫌だった。
「アリス殿下贔屓は王宮内では普通ですからそこは流して下さい。問題はレティ様誕生によって、母の愛情を感じなくなってしまった場合のアレックス様の対応です」
「それは俺が何とかする。経験者である俺の方がわかるだろう」
「五歳児と二歳児では心の中で母親の占める割合が違います」
「俺には乳母も子守もおらず、母しかいなかった。アレックスにはエミリーをはじめ周囲に甘えられる存在がいる。グレンもいる。条件的にはアレックスの方がいいだろう。グレンは弟に母を取られて泣いているのか」
「いいえ。私はアレックス様優先ですから、それは幼いながらわかっていると思います」
「いくら将来公爵家を継ぐとはいえ、もう少し甘やかしてはどうだ」
幼少期における母親の愛情は大切なのではないかとジョージは思っている。特にハリスン家は先代の女性関係が良くなかった為、息子三人は皆真っ直ぐ育ったとは言い難い。カイルの息子はまともに育ってほしいと彼は思っていた。
「なりません。レティ様を嫁がせるに相応しい男に育てなければなりませんので」
「俺はまだ娘の顔も見ていないのに、既に嫁ぎ先が決まっているのか?」
ジョージは想定はしていたものの、まさか確定事項になっているとは思わず聞き返した。しかしエミリーは動じない。
「ウォーレン様の許可は必要ですけれども、私とライラ様の間では話がついています」
「子供の意見は大切にするべきだ。親が決めるのは政略結婚と変わりない」
「幼馴染というのは強いのですよ」
「小さい頃から知っているからこそ、恋愛感情がわかなかったりしないのか?」
「閣下はサマンサ様の初恋を勘違いだとでも仰せになりたいのでしょうか」
エミリーの指摘にジョージは返す言葉が見つからなかった。サマンサがどこまで本気だったのか彼にはわからないが、好意を抱いていたのは間違いないのだ。しかしそこで彼は幼馴染の定義を改めて考え直す。
「ライラ達は定期的に子供達を遊ばせているだろう? スミス家やリスター家の子供達も幼馴染になるのではないか」
「そうですね。レティ様はきっと魅力的な女性になるでしょうから、早々に婚約をしようと思っています」
「俺の許可なしに婚約など出来ないと知らないのか」
「存じ上げております。ジョージ様がライラ様に甘い事は」
エミリーは笑顔を浮かべている。ジョージもそれは自覚しているが、流石に娘の将来を妻の我儘で押し通す気はない。
「今はその話をしていても纏まらない。ライラには会えるか」
「はい。既に出産から三時間経過し、落ち着いておられますのでどうぞ」
ライラは出産する為の部屋をあえて作らず、自室を模様替えして整えていた。ジョージが借り上げている一角に空いている部屋はあるものの、慣れ親しんだ部屋が落ち着くと判断しての事だ。
ライラは隣で眠る娘に優しい眼差しを向けている。そしてアレクサンダーも妹を無言で見続けていた。
「ライラ、俺だ。入っていいか」
「どうぞ」
声を聞いてアレクサンダーは扉へと近付く。開いた扉からジョージが入ってくると、アレクサンダーは嬉しそうに父上と言いながら手を伸ばした。ジョージは笑顔で応えると、息子を軽々と抱え上げる。
「父上、レティかわいい」
「そうか」
ライラがずっと呼びかけていたので、アレクサンダーの中でもレティという名が定着していた。ジョージも娘に必ずつけたい名前があるわけではないので構わないのだが、本名が何かは気になっている。
「可愛い女の子でしょう?」
アレクサンダーを抱えたままベッドの横の椅子に腰掛けたジョージにライラが微笑む。
「あぁ。ありがとう。体調は大丈夫?」
「えぇ。レティの顔を見たら疲れなんて消えたわ。エミリーが怖いから寝ているだけよ」
ライラはジョージの後から部屋に入ってきたエミリーの方へ視線を送る。エミリーは真剣な表情を主に向けていた。
「最低ひと月は安静にして下さい。何の為に私達がいると思っているのですか」
「ウォーレン手配の侍女や乳母もいるのだから、エミリーも休んでいいのに」
「ライラ様とアレックス様とレティ様のお世話は生き甲斐ですから問題ありません」
エミリーは笑顔だ。この場合何を言っても聞かないとライラはわかっているのでそれ以上言うのはやめた。
「ところでレティは愛称だろう? 本名は決まっているんだよな」
「レティを愛称にする名前なんてひとつしかないわ、ねぇエミリー」
ライラの呼びかけにエミリーは頷いて応えた。しかしそのひとつであるレティシアを先程否定されたジョージには正解がわからない。いくつか候補はあるものの、絞り込む情報が一切ない。
「ひとつではないと思うが」
「ジョージなら言わなくてもわかると思ったのに」
ライラは残念そうな表情を浮かべた。それを見てジョージは必死に考える。彼女は答えに辿り着いてほしくて、彼の腕章へと視線を向ける。その視線を受けて彼はひとつの答えに思い当たった。
「スカーレット?」
「そう。赤色に関係した名前が良くて。だからスカーレットでレティよ」
ライラはいい名前でしょう? と言わんばかりに微笑んでいる。ジョージは困ったように笑った。
「エド兄上に文句を言われそうな名前だな」
「どうして?」
「息子の名前は愛称から本名にすぐ辿り着けるのに、娘は簡単に絞れない。逆だろう、と」
ジョージは間違いなく言われるだろう文句を口にしてげんなりした。ライラは不満そうな表情を浮かべる。
「知らないわよ、近衛兵の愛称問題なんて。そもそもレティは近衛兵と無関係よ」
「確かに本人が望まなければ近衛兵にはならないな」
「望んだらなれるの?」
ライラは驚きを隠せなかった。レヴィ国軍の軍人は男性しかいない。女性である以上、軍人とは無関係だろうと彼女は思っていたのだ。
「軍服を着なくとも裏方仕事をしている女性はいる。仕事内容は国王しかわからないが、多分情報収集だろう」
情報収集と聞いてライラは顔を歪めた。思い当たる事はひとつしかない。
「ナタリーの監視役ね」
「それはいるだろうな。エド兄上が男性に見張らせるとは思えない」
「嫌よ、レティにそのような事はさせないわ」
「俺もさせたくない。ついでに結婚相手はレティに選ばせてあげてほしい」
「グレンの何が不満なの?」
「不満も何も、将来どうなるか見えてからでも遅くはないと思うが」
「つまり二人が仲良くなるように育てればいいのよね?」
ライラは笑顔を浮かべながらエミリーに視線を向けた。それを受けてエミリーは真剣な表情で頷く。ジョージは頭を抱えたくなるのを必死に耐えた。
「子供達が仲良くするのは賛成だ。アレックスもレティと仲良くしような」
「うん」
両親が話している間、アレクサンダーはじっと妹を見つめていた。それでも話は聞いており、ジョージの問いかけに嬉しそうに応える。ジョージはアレクサンダーに笑顔で頷き返すと、娘を愛おしそうに見つめる。そして将来周囲に振り回されずに自分の選んだ道を歩けるようにと心から願った。