サマンサ、ケィティへ行く【前編】
「忙しい所を呼び出して悪かったな」
「いえ」
謁見の間でウィリアムとジョージが向かい合っていた。帝国との戦争が終わった後、国王と赤鷲隊隊長の二人きりで話す事はなかった。今日は久々に呼び出されたのである。
「もうすぐクラウディアの命日だ。ケィティへサマンサを連れて行ってくれぬか」
予想外の依頼に、ジョージは一瞬驚いたものの表情には出さなかった。ジョージとサマンサの母クラウディアの墓は王宮内の墓地ではなく、出身地ケィティ自治区にある。
「亡くなって十年、節目の年でもある。一度サマンサも墓前に花を手向けたかろう」
「公式の立場でケィティ訪問という事でしょうか」
「そこまで大袈裟にする気はない。それと例の件もついでに頼む」
ジョージは一瞬眉根を寄せた。例の件とはジョージの祖父テオへの手紙配達である。戦争が終わった今、その配達は必要ではなくなったはずだ。ジョージは瞬時にその内容の可能性を考え、ひとつの可能性に辿り着いた。
「サマンサの結婚相手も祖父が探したという事でしょうか」
「サマンサは結婚の条件をひとつ出していた。知っているか?」
質問に質問で返され、ジョージは面白くなかったが無表情を取り繕う。
「いえ、存じ上げません」
「ジョージが幸せな結婚をしたと見届けない限り、この国を出る気はないと」
ジョージは心の中でサマンサらしいと笑った。結婚しないではなく、国を出る気はない。つまり兄が幸せな結婚をしなかった場合は降嫁しかしないという事である。相手は勿論カイルであろう。
「その条件を儂はテオ殿にそのまま伝えた。テオ殿はジョージの結婚相手を決めた後、気に入ったら絶対に紹介しに連れて来るから、その時はケィティへの外出許可を出してほしいと言って来た」
ジョージは自分の行動がテオの狙い通りだった事が悔しくて仕方がなかった。ライラの外出許可が簡単に出過ぎた事をもっと疑うべきだったと、今更思っても遅い。そもそもライラを気に入った時点で彼は既にテオの脚本から逃げられなかったのである。そして脚本通りに進んだので、サマンサの政略結婚話も進めたのだろう。
「その結婚相手がケィティにいるという事ですか」
「あぁ、先方にサマンサを見てからでないと決められないと言われたそうでな」
「サマンサに拒否権はないのですか」
「それはジョージも一緒に会って判断して欲しい。不適切だと言うのなら断る事は出来る。しかしサマンサの嫁ぎ先候補は少ない。最終的に降嫁も残ってはいるが、宰相は首を縦に振らない」
サマンサはハリスン家から拒否されている。当主である宰相、その孫であるウォーレン、結婚相手になるカイル、全員が謙遜ではなく本気で断っている。ジョージもサマンサではカイルの嫁は務まらないとわかっているのだが、可愛い妹を拒否されるのは正直面白くない。
「かしこまりました。その件はサマンサには内緒で宜しいでしょうか」
「あぁ。墓参り以外は言わなくていい」
「ちなみにライラも一緒に連れて行っても構いませんか」
「何だ、たかが一週間離れるのが嫌なのか?」
「いえ、私がいない間に誘拐されると困りますので」
ジョージはしれっとしている。ウィリアムはやや不満気な表情を浮かべた。
「王宮警備を信用しないのはどうかと思うが、彼女はもう人質ではないから、連れて行きたいなら連れて行くがいい。クラウディアの命日に顔合わせは決定事項だが、そのあと数日ケィティで過ごすかは任せる。議会も落ち着いてきているから帰りは急がなくともよい」
「かしこまりました。それはサマンサと相談して後で日程表を提出致します」
「あぁ、その時に手紙を渡す」
淡々と話すウィリアムにジョージは一礼した。
それから十日後、サマンサ専用の馬車が王宮を出立した。護衛にはジョージと赤鷲隊隊員四名がついている。サマンサの侍女は全員侯爵令嬢で、彼女達にも侍女がついている。連れて行くとなると大人数になるので、今までサマンサは王都外へ出られなかったのである。今回はライラが侍女役をやると言うのをエミリーが窘め、エミリーが二人の侍女業務を受け持つという事で話は纏まった。四人乗りの馬車であるが、女三人に囲まれる中にジョージが入りたがるはずがない。そもそも彼は長身の為、長時間を狭い馬車の中で過ごすのは苦痛なのである。
「私もフトゥールムで走りたかったな」
「ライラ様、もう諦めて下さい。今回は隊長夫人の立場なのですから」
「でもジョージは乗馬だから、私も乗馬でいいと思うの」
「ジョージ様は護衛なのですよ? ライラ様は護衛が出来ないではありませんか」
エミリーにもっともな事を言われてライラは口を尖らせた。ライラは剣など振るえない。万が一賊にでも襲われれば足を引っ張る事しか出来ない。大人しく馬車の中にいる方が断然守りやすいのだ。しかし以前ジョージと二人で旅行した時は賊に襲われなかった。平和なレヴィ国内を移動するのだから護衛は要らないと思うのだが、王女を連れている以上護衛なしというのも無理なのかもしれないと、ライラはため息を吐いた。
「お兄様は仕事中態度を崩さないわ。側にいても面白くないわよ」
「それはそうかもしれないけど、顔も見えないし」
馬車の側面にしか窓がないので先頭を走っているジョージの姿は見えない。窓から身を乗り出せば後ろ姿は見えるだろうが、そんな事をしたら怒られるし、後ろ姿だけ見ても仕方がないので、ライラは大人しく馬車の中で腰掛けていた。王女専用の馬車は作りがしっかりしており、また王都とケィティを結ぶ街道は整備がされている為、馬車酔いの心配も要らない。
「宿に着くまでは我慢をして下さい。今回の主役はライラ様ではありませんからね」
「それはわかっているけど、折角の旅行なのに寂しい」
「それなら折角だから三人でないと話し難い話でもしましょう。私は先日の舞踏会での一幕が気になっているのだけど、教えてくれないかしら」
サマンサににっこり微笑まれたエミリーは、無表情でそれを受け止めた。舞踏会ではウォーレンと一緒にカイルに相応しい令嬢を探していたのだ。いくら適任者が見つからなかったとはいえ、カイルに好意を抱いているサマンサがそれを面白いと思うはずがない。
「何の事でしょうか」
「とぼけないでよ。ブラッドリーに絡まれていたでしょう?」
エミリーは質問の内容がカイル関連でない事に安堵したものの、ブラッドリーの話も出来たら避けたかった。レスター家を捨てた彼であるが、戦争での働きにより厩番から少佐になっていた為、舞踏会に参加していたのである。
「私は何度もブラッドリー様には断っているのです。彼はどうも記憶力が悪いようですが」
「何度も?」
サマンサはブラッドリーの事について、三年前赤鷲隊から姿を消したとしか聞いていなかったので、知らぬ間に赤鷲隊に復帰して戦争で活躍していた事に驚いたのである。エミリーは彼が間者としてガレスに入り、ライラの実家で厩番をしていたので付き合いは三年程になると話した。
「それで親しげにしていたのね」
「私は親しくした事は一度もありませんけれど」
エミリーの冷たい言葉にライラは笑う。
「何故そこまでブラッドが嫌なの? 気軽に話せていいでしょう?」
「あの人は何も考えていないのですよ。そのような人を人生の伴侶にしてどうするのですか。自ら苦労を求める程、私は出来た人間ではありません」
「手厳しいわね。だけど他にもエミリーの事を遠くから見ていた貴族男性がいたわよ。ウォーレンの横にいたから、声を掛ける強者はいなかったけれど」
舞踏会でウォーレンの横にいる令嬢は誰だと密やかに噂になっていた。ライラ付きの侍女であるエミリーの顔を知っている人間は少ない。更にウォーレンが普段地味に装っているエミリーを派手気味に化粧した為、サマンサでさえ一瞬誰か考えたほどであった。
「私は平民の侍女ですし、ライラ様に一生お仕えしたいので結婚話は遠慮したいのですよ。先日参加したのも舞踏会を覗いてみたいと言う好奇心に負けただけですから」
「それで舞踏会は楽しかったの?」
サマンサの問いに、エミリーは微笑を浮かべる。
「はい。あのような煌びやかな世界に足を踏み入れる事が出来て幸せでした。サマンサ殿下も複数の男性と踊られていましたね」
「王女にも付き合いはあるものよ。カイルは踊ってくれなかったけどね」
カイルはウルリヒを連れ回しているのを理由に、全ての女性からの誘いを断っていた。ウルリヒは王子なので声を掛けられる女性はいない。誘われれば女性は受けざるを得ないのだが、ウルリヒは誰も誘わなかった。
「カイルはウルリヒを連れ回していたものね」
「そうなのよ。ウルリヒお兄様の事なんてダニエルに任せておけばいいのに。ダニエルも自分の結婚相手を探すのに必死だったのかもしれないけど」
スミス家次男ダニエルはウルリヒと共に赤鷲隊に二年間いたのでまだ独身である。公爵家でも次男以下だと政略結婚の話が出ない事もある。特にダニエルは仕えている主がウルリヒの為、将来性もあるように見えない可哀想な立場である。
「だけどウルリヒも王子だから、将来の事を見据えないといけないし」
「それはお姉様が心配する事でも、カイルが心配する事でもないと思うのだけど」
「ジョージがウルリヒを可愛がっているから、私も手を差し伸べたくなるのよね」
「ウルリヒお兄様はエドお兄様に任せておけばいいのよ。お兄様は面倒な人だから」
「心配してくれてありがとう。その件は先日解決したから大丈夫」
ライラは微笑んだ。ジョージの気持ちを知っても彼女の中でウルリヒは義弟である。ただ自分の気持ちに素直になっていいと言われたので彼女の振舞いは明らかに変わっており、夫に興味がないという噂は流れる前に消えた。赤鷲隊隊長に近付きたいという建前で彼女に近付こうとしていた男性達は、晩餐会の時に今夜はジョージ様と約束がありますのでお先に失礼しますねと、嬉しそうに微笑まれて諦めるしかなくなったのである。ウルリヒも彼女との接触は完全に控えていた。
「お姉様は態度を変えたものね。お兄様を説得したの?」
「えぇ。そもそもジョージを好きにならないという設定に無理があったのよ」
「ジョージ様のお気持ちもわからなくはないですけれどね。ライラ様の男性の好みが一般的なものから外れるので」
「全然外れていないわよ。ジョージは何処からどう見ても格好良いとしか思えないでしょう?」
ライラの言葉にエミリーは冷たい表情を返した。出来る人だとエミリーも思っているが、男性としては評価が難しいのである。いい人としか思えない面立ちと、ライラに対して見せる器の小ささが少し気になっているのだ。ただそれを含めてライラが愛おしく思っている以上、エミリーが文句を言う事はない。
「お兄様を男性として評価するのはお姉様だけよ。現に舞踏会の時、お兄様は男性にしか囲まれていなかったでしょう?」
ジョージの周りには彼と接点を持ちたい男性しかいなかった。ライラがウルリヒの元へと離れた時でも女性は近付かなかったし、遠くから眺めている女性もいなかった。それはライラが正妻では勝ち目がないというわけではなく、本当に彼に興味を抱いている女性がいないのだ。政略結婚前に赤鷲隊長夫人の座を狙って近付いた貴族令嬢達も、あくまで家の為や赤鷲隊隊長夫人という立場に憧れた者だけで、彼に好意を抱いていた女性はいなかった。
「本当に腑に落ちないわ。カイルはあんなにもてるのに、その差がわからない」
「カイルをお兄様と比べないで。カイルはこの国で一番もてるのよ」
サマンサは不機嫌そうにした。彼女は兄の事は好きだが、一般的に言えばどちらがもてるかなど考えなくともわかっている。この国内でわかっていないのはライラだけである。
「サマンサはカイルの事を諦めたのではないの?」
「結婚出来ない事はわかっているけど、お兄様とカイルに同時に助けを求められたらカイルを助けるわ。お兄様は自力で解決すればいいわけだし」
「そのような事態があったら私に教えてよ。私がジョージを助けるから」
ライラの言葉にサマンサが笑う。
「そうね。お兄様は私に助けを求める前に、お姉様に言うから例えが悪かったわ。カイルは私の初恋なの。政略結婚をしたからと言ってお姉様みたいにうまくいくとは限らないし、心の奥に想いを残していてもいいと思うの」
サマンサは少し悲しげに微笑んだ。彼女は賢いが故に自分の立場を十分理解している。カイルに降嫁出来ない事は前からわかっていた。公爵家に降嫁する場合は暗黙の順序がある。宰相の正妻がウィリアムの叔母である為、次に降嫁するならモリス家である。モリス家長男は独身であり、現在第五王子フリードリヒに仕えていてサマンサと同い年である。勿論、侯爵家や伯爵家にも降嫁は出来る。
「辛気臭い話はやめましょう。折角の最初で最後の旅行だもの。楽しみたいわ」
「最後とは決まってないでしょう?」
「決まっているわ。お父様が急に外出許可を出すなんておかしな話なの。多分私の嫁ぎ先が決まったから、一度ケィティへ行かせてくれるのよ。行きたいとずっと言っていたから」
ジョージは本当の目的をライラにも伏せていた。しかしライラもサマンサもエミリーでさえも、何かがあるというのは察していた。十年という節目の年ではあるものの、護衛も最小限であるし公式の訪問にしては控えめな予定であった。サマンサが祖父母に会いに行くとした方が自然な旅行なのである。それでも三人はあえてその事にはそれ以上触れず、女性同士だけの会話に花を咲かせながらケィティへと向かった。