義理の姉弟
レヴィ王国王都にある国立大学。以前は貴族男性しか入学が許されていなかったが、近年性別身分が不問となった。まだまだ貴族男性中心ではあるものの、少しずつ大学構内を歩く人の顔ぶれに変化が表れている。
それでも大学には似つかわしくない女性がまっすぐ寮へと向かって歩いていた。深く帽子を被っている為顔は良く見えないが、金髪を靡かせているので貴族である事は察せられる。あまりにも堂々と歩いている為、人々はその女性が気になりながらも遠巻きに見ているだけだった。
「どうして注目を浴びているのかしら」
ライラは寮まで歩きながら少し後ろを歩いているエミリーに問うた。
「性別身分不問になったとはいえ、まだ女性の入学者はいません。目立ちます」
「男装してきた方が良かった?」
「ただ珍しいだけですから気にされずとも宜しいかと思います」
ライラが今日訪ねるのはジョージの異母弟フリードリヒである。下手に男装して会いに行く方が、話がややこしくなるとエミリーは判断した。義姉がわざわざ訪ねるのも珍しい話ではある。しかし王族の事とわかれば特に詮索はされないだろう。
ライラは寮に辿り着くと、寮の前にいた護衛に微笑みかけた。彼女は相変わらず人の顔を覚えるのを苦手としているが、彼の腕には赤鷲隊の腕章がついていたのだ。護衛は敬礼で応えると、寮の扉を開けた。そこにはフリードリヒの従者が立っており、彼女に一礼をする。
「ライラ様ですよね。ご案内致します」
ライラとエミリーは従者に案内されて、寮内にある応接室へと足を踏み入れた。中に居たフリードリヒがソファーから立ち上がり、ライラに向かって一礼をする。
「ご無沙汰しております」
ライラとフリードリヒが初めて会ったのは、先王ウィリアムの即位三十年記念式典である。サマンサが成人したフリードリヒを兄や兄嫁に紹介したのだ。未成年時にはツェツィーリアによって表に出されなかったが、成人すれば表に出るようになると思ったサマンサの配慮である。しかしフリードリヒはその後大学に進学し、王宮を出て大学の寮へと入ってしまった。
「えぇ、久しぶりね」
ライラはあえて敬語を使わなかった。部屋の中には二人以外にエミリーとフリードリヒの従者しかいない。私的な空間だと認識したのだ。しかしフリードリヒは無表情でライラを見据えた。
「あら、そのような顔をしないで。サマンサから弟を宜しくと言われているのよ」
「そうですか。どうぞお座り下さい」
フリードリヒは無表情のまま、ライラにソファーに座るように勧める。彼女はウルリヒと違って扱い難そうだと思いながら、笑顔を浮かべてソファーに腰掛けた。
フリードリヒは従者に視線を送る。それを察して従者は用意してあった茶器から紅茶を淹れると、二人の前に置いた。
「何故公国語の辞書など作ろうと思われたのでしょうか」
「急に本題に入るなんて、社交の仕方を学び直した方がいいわね」
ライラが今日訪ねたのは、フリードリヒに公国語の辞書作成の手伝いを依頼する為だ。彼女が知っているのはあくまでも帝国南西部の言葉である。会話集くらいなら多少の間違いも流せるだろうが、辞書となると話は別。正確さを知るにはどうしても公国語を母国語並みに話せる者に相談したいと思っていた。
しかし二人は元々仲良くしていたわけではない。今日のこの席を用意したのはサマンサである。アスラン王国に嫁いだサマンサはフリードリヒの事を心配していた。そして何とか交流を持ってほしいと依頼されたライラが、フリードリヒなら公国語がわかるから一石二鳥だと思ったのだ。
「申し訳ありませんが、私はこれでも忙しいのです」
「知っているわよ。お義兄様が仕事を振っているのでしょう?」
初等学校計画は元々ナタリーが携わっていたが、今はフリードリヒに引き継がれている。ナタリーからはフリードリヒが興味を持っているから譲るのだとライラは聞いていたが、実際はエドワードが手を回していたとサマンサに聞いたのである。ナタリーの抱える職務を減らし、フリードリヒには内政に関わる機会を与える。お互いの為に思える対応であるが、エドワードの私情が挟まれているのは間違いない。それでもウルリヒには何もさせなかったのに対し、フリードリヒには機会を与えるのだから、ライラはこの義弟に興味を持った。
「私も姉に環境を整えて貰えなければ大学には通えなかったでしょう。この事業に関われるのは私の為になっていると思います」
「建前は要らないわよ。フリッツは会う人全員にそういう態度で疲れないの?」
ライラはフリードリヒに気安く愛称で呼びかけた。彼はそれをよしとせず、少々非難めいた視線を彼女に向ける。しかし彼女はそれを一切気にせず微笑む。
「ナタリーに対して一線を引くのは仕方がないわ。国王であるお義兄様の機嫌を損ねるのは怖いもの。だけどジョージは器が大きい人で、サマンサの実兄なのよ。一線を引く理由がないわ」
「姉が兄弟の中で閣下を特別に想っているのは存じております」
「閣下はやめて。ジョージは好んでいないのよ」
「しかし赤鷲隊隊長は総司令官であり、国内の軍人で唯一閣下と呼ばれる存在です」
「それはわかっているけれど、兄上でいいでしょう?」
「閣下を兄と呼べるほど、私達は親しくありません」
ジョージはエドワードを兄と思っているし、ウルリヒも弟として接している。しかしフリードリヒは本来王族の義務である軍事経験をしなかった為、ジョージと接点を持つ機会がなかった。サマンサに紹介されてそれきりになっている。
「ジョージは話しやすいと思うわよ」
「姉の話からそれは感じますけれど、接点を持つ必要性を感じていません」
フリードリヒは無表情を崩さない。サマンサから話を聞いてはいたものの、なかなか手強いとライラは思った。しかし異国で暮らしているサマンサが安心できるような報告をしたいので、ここで諦めるわけにはいかない。
「ジョージの話は一旦置いておきましょう。私とフリッツが姉弟として仲良くしたいという話なのだから」
「辞書を作られるのですよね?」
「えぇ、楽しく作業をしたいわ」
「作業に必要なのは楽しさではなく正確さです」
ライラは話しながらウルリヒと違い過ぎると思った。ジョージとサマンサは見た目こそ違うが、言動や考え方などで兄妹だと感じられる。しかしウルリヒとフリードリヒの共通点が金髪である事以外に見つけられない。
「そもそも何故公国語の辞書が必要なのかわかりかねますが」
「国交のある国の辞書がないのは不便だわ」
「国内にいる限り、レヴィ語さえ話せれば困る事はありません」
「公国との交流が盛んになればいいとは思わないの?」
「思いません」
フリードリヒはきっぱりと言い切った。それに対しライラは怪訝そうな表情を浮かべた。彼女はガレス王国とレヴィ王国の国交が正常化した事をとても嬉しく思っている。確かに彼はレヴィ王国で生まれ育ったわけだが、母方の親族が多くいる国と親しくしたくない理由が彼女にはわからなかった。
「私は特定の宗教を持たないレヴィ王国の出身で良かったと心から思っています」
「ルジョン教が引っかかっているの? 私は聖書を読んだけれど、否定するほどではないと思うわ」
「公国はシェッド帝国と宗教観の違いで独立した国です。しかしその宗教観は上に立つ者にいいように歪曲され、私には理解出来かねます」
ライラはフリードリヒの話に興味を持った。彼女は以前、ツェツィーリアの兄であるローレンツ大公の手紙を見た事がある。あまりにも不遜なその手紙を忘れる事など出来ない。
「ローレンツ公国で暮らしたいとは思えなかったの?」
「言葉が通じても、こちらの常識は通じません。母は期待していたようですが願い下げです」
エドワードの治世になってからレヴィ王国とローレンツ公国の結びつきは弱い。エドワードがローレンツ公国との付き合いを重要視していないのだ。しかしそれはローレンツ公国に限った事ではない。元々エドワードはレヴィ王国を他国に頼る事無く経済を回せる強国にする方針であり、どの国とも一定の距離を保っているだけだ。
「他国を見て、やはりレヴィが一番と思ったという所かしら」
「そうですね。陛下の方針は正しいと思います」
「フリッツはウルリヒと違ってお義兄様を恐れていないのね」
ライラの言葉をフリードリヒは無表情で受け止める。そして言葉を探すように暫く沈黙した後で口を開いた。
「陛下はレヴィ王国の為に行動されています。それがわかれば恐れる要素など何処にもありません」
「ちなみに男性としてはどう思う?」
「お答え致しかねます」
「だから建前は要らないわよ。面倒な人だとは思わない?」
「私と陛下は初等学校の件で顔を会わせるだけの関係ですので、詳細はわかりかねます」
「もう、つまらないわね。ナタリーはいつも愛されて幸せだと言うけれど、愛の形が歪だと思うのよ」
「例え歪でも当人同士が納得しているのなら問題ないと思います」
ライラはフリードリヒの言葉が意外で驚きを隠せなかった。彼は無表情のままだ。
「レヴィ王国は歴史上もっとも豊かな時代になるでしょう。陛下が国王の責務を果たしているのならば、それ以外について言及する必要はありません」
「妻を監視しているのよ?」
「王妃殿下がそれを愛情表現と受け入れている以上、他人が口を挟むべきではありません」
「フリッツも将来、そういう愛し方をするの?」
「私は一生独身のつもりです。公爵位も要りません。学業に専念する所存です」
「それは少し寂しくないかしら?」
「兄のように肩身の狭い生活はしたくありません」
フリードリヒはウルリヒとも左程親しいわけではない。しかしウルリヒの噂は勝手に聞こえてくる。実際婿に入ったような状況なのだから、堂々とするのは難しいのかもしれないが、フリードリヒはその生活に耐えられる気がしなかった。
「フリッツの性格ならそれは無縁だと思うわよ」
「とにかく私は学業に専念したいのです。辞書についても時間が捻出出来そうにありません」
「辞書はもうほぼ完成しているの。間違いがないか確認して欲しいだけ」
そう言ってライラはエミリーに合図をした。エミリーは持っていた包みをフリードリヒの前に置くと広げた。彼は辞書の元となる書類をぱらぱらとめくる。
「これをお一人で作業されたのですか?」
「そうね。妊娠前からだから結構長い時間かかっているわ。辞書って取捨選択が難しいわよね。全ての言葉を網羅するわけにもいかないから」
実際はライラ一人ではなくエミリーも協力しているが、それをあえてフリードリヒに言う気はなかった。そしてライラはもう一度エミリーに合図を出す。それを受けてエミリーは書類の横にマドレーヌを置いた。
「サマンサからフリッツは甘党だと聞いたわ。お礼として定期的に差し入れするわね」
「随分と報酬が安すぎませんか」
「赤鷲隊の料理人が作る焼菓子よ。他では手に入らないわ」
ライラの言葉がフリードリヒにはよくわからず不思議そうな視線を向ける。その視線で彼女も気付いた。既に当たり前になっていて忘れていたが、普通は軍所属の料理人が焼菓子など作らない。
「ジョージも甘党なのよ。好みが一緒だといいのだけれど。早速食べてみて」
「今からですか?」
「気に入らないなら別の物を考えないといけないから」
ライラに促されフリードリヒはマドレーヌを手にすると口に運んだ。暫くして彼の表情が緩む。それをライラは見逃さなかった。
「口に合って良かったわ。王都の焼菓子も美味しいけれど、それはまた別格でしょう?」
フリードリヒは物に釣られたような気がして頷きたくない。しかしマドレーヌに罪はないし、間違いなく今まで食べた中で一番美味しかった。彼は渋々頷く。
「定期的にこちらに会いに来るわ。辞書は急いでいないからゆっくりでいいわよ。その間に親交を深めましょうね」
「親交を深める必要性はないと思いますが」
「サマンサがフリッツを心配しているの。大人しく私の弟になりなさい」
ライラはにこやかにそう告げた。フリードリヒは無表情のままだ。
「ガレス王国の公爵家出身と伺っていたのですが、ガレス王国は自由な国なのですね」
「姉弟に身分は関係ないわ」
「わかりました。付き合います」
「可愛くないわね」
「良く言われます」
無表情でそう言うフリードリヒがおかしくて、ライラは思わず笑みを零した。彼は相変わらず無表情である。彼女はサマンサがとても心配している理由がわかった気がした。大学の医学部に合格出来る程賢いのに、どこか不器用な彼をサマンサ関係なく弟として接していこうと彼女は決めた。




