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謀婚 番外編  作者: 樫本 紗樹
シェッド帝国の行く末

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未来を見据えて

 ナタリーは王妃になってから忙しくしている。執務室を与えられ、彼女は毎日午前中はその部屋で公務をこなし、午後は交流会や会合に参加していた。

 エミリーも忙しくしている。彼女は今でもライラの侍女であるのに、すっかりハリスン家の嫁として振舞っていた。ナタリーが以前言っていた家族ぐるみの交流会はエドワードの了承が得られず開催出来なかったが、王妃主催の交流会として女性だけを集めたお茶会が催された。それに参加して以降、ナタリーの希望もあってエミリーは王妃主催の交流会に出席する事が増えたのだ。

 また、国内も落ち着いておりジョージが仕事関係でライラに相談する事も滅多にない状況になっている。時間を持て余し気味の彼女は息子と過ごす時間が増えていた。これは貴族女性とお茶を飲むのと、子供と一緒にいるのならどちらが宜しいですかとエミリーに言われて、後者を選んだ結果である。最初は息子である事に納得のいっていなかった彼女であるが、一緒に過ごす時間が増えるにつれ少しずつ愛情が芽生えていった。最近アレクサンダーは寝返りを覚え、寝返っては戻れずに泣く事を繰り返している。以前ナタリーに子供の成長は早いから見ておくべきだと言われた言葉が今は心にすとんと落ちていて、彼女のアスランへ再び行きたいという気持ちは薄れていた。

 ライラは帽子を被ると、アレクサンダーを乳母車に乗せ、グレンを乳母車に乗せたエミリーの乳母と共に王宮の庭へと向かった。ナタリーが時間を取れない日は、子供達との散歩をライラが引き受けていたのである。今日はアリスとウォルターとの散歩だ。リチャードは既に王太子としての教育が始まっており、一緒に散歩をする事は少ない。正直早すぎるとライラは思っているが、エドワードの方針に口を挟む事は出来ない。

「ライラ」

 王宮の庭でアリスがライラを見つけて手を振る。アリスは弟が二人になってからすっかりお姉さんが板についてきた。アリスにとってアレクサンダーもグレンも弟扱いだ。ライラもアリスを見つけて笑顔になる。アリスは乳母車に近寄ると中を覗き込んだ。アレクサンダーはアリスを見て嬉しそうにしている。

「アレックス、こんにちは」

 アリスはエドワードが幼い頃より養育係を傍に置いたからか、年齢以上に色々な言葉を知っていて賢い。そして自分が王女であるという自覚もあり、皆に可愛がられているという事もわかっている。なかなかの女性になりますね、がエミリー評だ。

 ライラとアレクサンダー、アリスとその子守、ウォルターとその子守、グレンと乳母という八人はゆっくりと庭の散歩を始める。

「ライラ、聞いて」

「何?」

「お母様のお腹に赤ちゃんがいるの。やっと妹が出来たのよ」

 アリスはにこにこしている。ライラはナタリーから妊娠したとは聞いていないし、性別など生まれるまでわからないので、アリスが何故急にそのような事を言い出したのか見当がつかない。

「どうしてわかるの?」

「見えたから」

 アリスはにこにこしている。見えたと言われてもライラにはわからない。

「それはお母様にも言ったの?」

「まだ。ウォルターの時はサマンサにだけ教えたのだけど、サマンサにはもう会えないから」

 アリスは少し寂しそうにした。そう言えばサマンサは嫁ぐ前、甥が産まれると言っていたなとライラは思い出した。

「どうしてサマンサだけ?」

「サマンサは私のお姉様だから」

 アリスはにっこりと笑う。十代で叔母と呼ばれるのを嫌がったサマンサは、アリスに自分を名前で呼ぶか姉と呼んでほしいと言っていた。アリスは母親を真似て名前で呼ぶ事にしたのだが、内心では姉のように思っていたらしい。そうなると自分の立ち位置はどこなのかライラは非常に気になった。

「私はアリスの何?」

「ライラはお母様とアリスのお友達」

 姉と友人ならどちらが近しいのだろうとライラは悩む。その様子を見てアリスは笑顔を向ける。

「ライラは私の最初のお友達」

「あら。スティーヴィーは違うの?」

「スティーヴィーはエドの弟だから、弟」

 アリスはにっこり笑った。アリスはリアンの息子エドガーに対しての好意を一切隠さない。将来はエドガーのお嫁さんになるのだと言ってエドワードを困らせている。ナタリーは肯定も否定もせずに微笑ましく見守っているので、ライラも同調していた。王女の降嫁は色々と条件があり、不可能ではないが難しいというのが現実なのだが、それを幼いアリスに言う必要はない。

 ライラとアリスは王宮の庭にある東屋に辿り着くとベンチに腰掛けた。乳母達はその傍で子供達を見ている。暫くして交流会を終えたナタリーとエミリーが合流した。ナタリーは子守からウォルターを引き受けると抱きかかえた。

「お疲れ様」

 ライラは二人に声を掛けた。ナタリーとエミリーはベンチの空いている場所へ腰掛ける。アリスはナタリーの隣に座ってにこにこしている。

「アリス、お母様には言わないの?」

「言った方がいい?」

 アリスの問いかけにライラは頷く。

「何? 二人で内緒話?」

 ナタリーは穏やかな表情でアリスを見つめる。アリスは笑顔をナタリーに向けた。

「あのね、私に妹が出来るの」

 ナタリーはアリスの言いたい事がわからず首を傾げる。アリスはナタリーのお腹に手を当てる。

「妹がここにいるの」

「えぇ?」

 ナタリーは驚いた。妊娠しているとは思ってもいなかったのだ。ライラは笑顔をナタリーに向ける。

「まさか心当たりがないの?」

「それは十分あるから、可能性はあるけれど」

 ナタリーは少し悩むような表情を浮かべた。アリスは不安そうにナタリーを見上げる。

「お母様、嬉しくないの?」

「勿論嬉しいわ。時期が微妙だと思っただけよ」

「微妙?」

 ライラは微妙が何を指しているのかわからず尋ねる。

「ほら、シェッドの問題があるから」

 ナタリーは抱きかかえているウォルターの黒髪を優しく撫でた。彼女はシェッド帝国の行く末について心から心配している。母から穀物の種を送ってほしいと手紙で依頼され、エドワードに相談をして種を送った。本当は穀物自体を輸出したいのだが、彼が首を縦に振らなかったのだ。レヴィ王国とシェッド帝国では国の体制も違うので仕方がないとはいえ、彼女はシェッド家の血を継ぐ者として何か出来ないかと常々考えていた。

「ナタリーが帝国へ行く事はないでしょうし、特に問題はない気もするけれど」

「安定期に入るまでは精神的に落ち着いていたいから」

「お母様、アリスがいつでも手伝うよ」

「たー」

 アリスがナタリーに笑いかければ、ウォルターも手を伸ばして何かを訴える。子供達の対応にナタリーは自然と笑顔になった。

「ありがとう。その時は宜しくね」

「ウォルターはまだ話さないの?」

「多分、ターは自分の事を言っているのだと思うわ」

「ウォルターのター? ウォルではなくて?」

「それはウォルターに聞いて。私はそうではないかなと思うだけ」

 ウォルターはナタリーの腕を叩く。ナタリーはゆっくりとウォルターを下ろした。するとウォルターは覚束ない足取りで歩き出す。

「アリス、少しウォルターを見ていてくれるかしら」

 アリスは頷くとベンチから立ち上がりウォルターの横まで歩み寄る。アリスが手を差し出すとウォルターはその手を取り、二人は庭へと歩いていく。その後ろを子守が見守るようについていく。

「最近は歩きたがるのよ。そろそろグレンも歩く頃かしら?」

「つかまり立ちを覚えましたので、そろそろだと思います」

 二人の話を聞いてライラはつまらなさそうな表情を浮かべる。

「アレックスはまだ寝返りで泣いているのに」

「うつ伏せが嫌なら寝返らなければいいのに、戻してもまた寝返って泣くのは可愛いわよね」

「ナタリーは可愛いの? あれが?」

「可愛いわよ。そのうち自分で戻れるようになって、這うようになって、つかまり立ちして、歩き出すまであっという間。きっとすぐに大人になってしまうわ」

 ナタリーは母親の表情でアリスとウォルターを見つめている。

「陛下は早く独り立ちすればいいと思っているかもしれません」

 エミリーが微笑む。ナタリーは子供達から視線を戻すと困ったように微笑んだ。

「実際そう思っているのよ。リチャードに厳しくしているのも、さっさと王位を譲る為らしいの」

「まだ即位して半年も経っていないのに、もう退位を考えているの?」

 ライラは呆れると同時に少し羨ましく思った。赤鷲隊隊長は辞められないが王位は譲れる。この法律に彼女は納得していなかったが、ジョージは赤鷲隊隊長が天職だと思っているので、法律改正を求める事も出来ない。

「えぇ。それでもまだリチャードの能力が見えていないから時期は決められないと言っていたけれど」

「決めない方がいいわよ。リックに良くないわ」

「私もそう思うのだけれど、エドは聞いてくれなくて。多分ウォルターにも将来の赤鷲隊隊長に相応しい教育がそのうち始まると思う。ジョージ様も三歳頃から教育されていたみたい」

「そうなの?」

 ライラはジョージの幼少期の話は聞いた事がなかった。だが、自分も記憶のない頃から帝国語をはじめ色々な言葉を覚えさせられていたので、教育というのはそういうものかもしれないと彼女は思った。

「クラウディア様は強い意志を持ってジョージ様を育てたと聞いたわ。クラウディア様の意思がなくとも、他に適任者はいないけれど」

 ナタリーの言葉にライラは頷いた。ウルリヒでは赤鷲隊隊長は務まらない。フリードリヒは今大学に通っているほどの勉学好きで、こちらも軍人とは程遠い。

「でも私も少し楽しみにしているの。退位をしたらアスランへ一緒に行こうと言われたから」

 ナタリーは嬉しそうに微笑んだ。ライラは問うような視線をナタリーに送る。

「勿論、私を通訳として同行させてくれるわよね?」

「少なくとも十五年は先の話よ。今から約束なんて出来ないわ。ただ皆が何事もなく歳を重ねられますようにと、私はマリー様に心の中で祈るだけ」

「確かに十五年先も生きているかわからないわよね。クラウディア様は三十代で亡くなっていらっしゃるし」

「えぇ。皆で健康に気を付けて生きていきたいわね」

「それよりも出産について相談された方が宜しいのではないでしょうか。今のままですとナタリー様は十五年後も妊娠しているかもしれません」

 エミリーに言われてナタリーははっとする。この三人は同い年で現在二十六歳である。十五年後でも不可能な年齢ではない。

「リチャードの成長具合を確認しながら考えるわ。十五年後なら子供も成長していると思っていたけれど、そうよね。でも子供を連れてサマンサに会いに行くのも楽しそうだわ」

「陛下はお二人で旅行されたいと思いますけれど」

 エミリーに言われてナタリーは納得する。エドワードとナタリーが向き合った時には既にアリスがいた。夫婦二人で出かけたのは皇帝祝賀会の時だけであり、その当時はまだお互いに気持ちを言えずにいた。今は二人で出かけようとしても侍従や女官などかなりの人数が付き添う事になる。夫婦だけで旅行するならば退位後しかないのである。

「私は一人でも着替えられるけれど、エドは出来るのかしら」

 ナタリーは今は王妃らしく侍女に任せているが、身の回りの事は一通り出来る。しかし生まれた時から王太子であるエドワードは、身の回りの事を任せっきりでもおかしくない。サマンサが一人で着替えられない事を彼女は知っているのだ。

「出来なければ、ナタリー様が陛下の着替えを手伝って差し上げれば宜しいのではないでしょうか」

「むしろそれを期待して覚えない可能性もあるわね」

「私にエドが望む服を選べるかしら」

 論点はそこではないとエミリーは思ったが泣き声に遮られた。三人は声のした方を向くとウォルターが子守に抱きかかえられている。アリスはナタリーの視線に気付き、東屋へと戻ってきた。そしてナタリーの横に腰掛ける。

「どうかしたの?」

「つまづいただけよ。けがはないと思う」

「そう。アリスはいつもお姉さんをしてくれてありがとう」

 ナタリーはアリスに微笑みかけると両手を差し出した。アリスは満面の笑みを浮かべるとナタリーに両腕を伸ばす。ナタリーがアリスを抱き上げると、アリスは力強くナタリーを抱きしめた。いくら賢くてもまだ幼い。母親に甘えたいという気持ちをナタリーは見逃さなかった。ライラはその様子を見て思わず微笑む。

「ナタリーは公務もあるのに母親としてもしっかりしていて尊敬するわ」

「尊敬なんてやめて。私は皆に助けられて何とか出来ているだけ。ライラやエミリーにも感謝しているわ。そして私を母にしてくれるのは子供達よ」

 子供達と言われてアリスは不思議そうにナタリーを見つめる。

「子供達の成長を見ていると私も立ち止まってはいられない。シェッドの事を考えようと思ったのは、この子達を守りたいという気持ちもあるから」

「帝国の干渉がなくなったとはいえ、血縁は残っているものね」

「えぇ。出来るだけ穏便に事が済むといいのだけれど」

 東屋に心地よい風が吹き抜ける。今年もレヴィ王国の気候は良く、このままでいくと豊作だろう。しかし帝国の気候までライラ達にはわからない。ライラがアレクサンダーに視線を向けると、気持ちよさそうに眠っていた。こんなに穏やかな午後なのに、隣国ではいつ帝国解体運動が起きるかわからないなんて信じられない気持ちになる。

「ナタリー、帝国の件で私に出来る事があったら言ってね」

「ありがとう」

 ライラの言葉にナタリーは微笑んだ。


 二人はまだ知らない。北方領主によるシェッド帝国解体に向けての水面下での行動が大詰めを迎えている事も、西方では領主の話に聞く耳を持たずにルジョン教徒達が勝手に行動を起こそうとしている事も。長らく燻っていた火種が燃え始めるまで、あと少し。

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