即位パレード
レヴィ王都は豊穣祭以上の人で賑わっていた。新国王を一目見ようと全国から国民が詰め掛けていたのだ。軍人達は国民達が怪我をしないように、また国王を狙う不届き者がいないか見張るように厳重体制を敷いている。そしてその総指揮官であるジョージは王都にある赤鷲隊駐在所の屋上でのんびりとしていた。当日の総指揮をカイルに任せた彼は、ここまでの苦労を国民の熱狂を見下ろしながら思い出していた。
エドワードは王宮内で様々な情報を集め、王太子として政務にも積極的に関わっていたが、その成果を自分の目で見たいとは一切望まない。両親の愛情には無縁ながらも有能な教師陣に囲まれた彼は、読書が趣味の内向的な子供だった。王宮内で大人しく過ごす彼を扱いが楽だと誰も気にしていなかったが、そのような育ち方をしたせいか出不精である。王宮内は自宅なので神出鬼没ではあるものの、王宮外に出た記録は両手で足りるほどだ。そんな彼だからこそ、当然即位パレードを嫌がるだろうと周囲の者は察し、パレードを実行するにはどうするかを其々悩んでいた。
「パレードに必要な準備などを考えると実行する必要があるとは思えない」
エドワードは議会で言い放った。それに対し、財務大臣が口を開く。
「パレードは国民に国王が変わったと知らしめるものです」
「そのような事は通達ひとつで足りる」
「王都でのパレードは経済効果も生みます。通達だけではいけません」
財務大臣は横の役人に合図を出し、議会に参加している全員に資料を配らせた。それはパレードを行う事による経済効果を試算した資料である。エドワードもその資料に目を通し、自分が思っている以上の金額に口を歪めた。パレードをした方が国庫が潤う計算になっていたのだ。
「試算が少し甘いのではないか」
「いいえ。豊穣祭以上になるのは確実です。殿下もわざわざ春を指定したのは、豊穣祭と被らないようにする為ですよね?」
財務大臣の問いにエドワードは曖昧な笑顔を浮かべて資料に視線を戻した。彼が春を指定したのは個人的な理由からである。ナタリーと結婚したのも、アリスを授かったのも春なのだが、それが果たして彼女にとっていい思い出なのか彼にはわからなかった。だから即位という一生に一度しかない行事を重ねて、彼女が春を気持ちよく迎えられるようにと選んだだけである。勿論、ナタリーにとっては結婚もアリスを授かった事も嬉しい出来事であり、これは完全に彼の杞憂だ。
「ここは一度ナタリー様の意見を伺ってみるのはどうでしょうか。ナタリー様はパレードを行いたいと思っていらっしゃるかもしれません」
突然の発言にエドワードは声の主であるリアンを笑顔で凄んだ。
「彼女は大勢の人前に出る事を得意としていない」
「大勢の人に祝福される事を望んでいらっしゃるかもしれません」
エドワードが笑顔で凄めば大抵の者は黙るが、リアンはそれをものともしない。
「ナタリー様に後でパレードをしたかったと言われたら、どうなさるおつもりなのでしょうか」
最近ではエドワードに対し口調が砕けるようになったリアンだが、議会などでは立場を弁えている。普段は貴族なのかさえわからない雰囲気なのに、こういう場では優秀な側近の仮面を完全に被るのだ。そしてその意見を議会にいた者が後押しするように、ナタリーを呼ぼうとあちこちで声が上がる。
「国王と王妃としてのパレードの話にもかかわらず、ナタリー様がこの場にいない事がそもそもおかしいのです」
財務大臣も強気で言い出す。議会は一気にナタリーを呼ぼうという雰囲気になり、こうなると流石のエドワードでも止める事は難しかった。その表情を読んで、スティーヴンは従者にナタリーを呼んでくるように指示を出す。エドワードはナタリーの予定を把握している。運が悪い事に今日は公務が入っていないので、ナタリーは間違いなくここへ連れてこられるだろう。そう思うとエドワードは無表情になった。ナタリーは自分が嫌がっている事に気付くだろうが、この大勢の前で嫌だと発言してくれるとはエドワードには思えなかったのだ。
暫くしてナタリーが議会に足を踏み入れた。彼女は現状を把握出来ないまま、エドワードの横に急遽用意されていた椅子に腰掛ける。不安気に彼女が彼を窺うと、彼は無表情で彼女を見つめた後で手元の書類を渡した。
「ナタリー様は即位パレードをご存じでしょうか?」
「ごめんなさい。知らないので教えて貰えるかしら」
シェッド帝国には即位パレードなどない。エドワードが黙っていたのでナタリーはその存在さえ知らなかった。議会にいた者達は、やはり黙っていたのかとエドワードに冷ややかな視線を送るが、それを彼は一切気にせず無表情を貫く。
「即位パレードとはその名の通り、即位された国王陛下及び王妃殿下が馬車に乗り、沿道に集まった国民達に祝福される行事なのです。そしてその経済効果はその手元の資料になります」
ナタリーは財務大臣に言われて手元の資料に視線を移す。彼女は内政にかかわっていないので、金額を書かれてもどれ程の事かわからない。だが財務大臣の声色からパレードを行いたいのだろうという事は汲み取った。
「急に呼び出したという事は、パレードをしないとレヴィ王国が困窮するというお話かしら」
ナタリーは真剣な表情で財務大臣に問いかける。財務大臣は予想しない言葉に一瞬固まるが、瞬時に姿勢を正す。
「いえ。我が国はパレードひとつで傾くような国ではございません」
「それなら急に呼び出されても困るわ。私は殿下の意見に従うだけよ」
そう言ってナタリーは隣にいるエドワードに微笑みかける。彼が人前で無表情になるなど珍しいのだ。いつもは嫌な事があっても作り笑顔を崩さない彼が無表情ならば、余程嫌なのだろうと彼女は察していた。
「お言葉ですがこれは恒例行事なのです。国民は国王の姿を一目見たいと望むものなのです。ナタリー様も殿下と一緒に王都を回りたいとは思われませんか?」
ナタリーはリアンの方に視線を移す。彼が砕けた口調ではない事にやや違和感を覚えながらも彼女は微笑んだ。
「私は殿下が乗り気でない事をしたいとは思わないわ」
普段はおっとりしているナタリーが珍しく強めに拒否をした。リアンは彼女さえ説得すればパレードを実行出来ると思っていたのだが、その彼女が夫の意見を尊重する立場に立ってしまうと打つ手がない。財務大臣は泣きそうな目でジョージに訴える。この場でエドワードを説得出来るとしたら、あとは赤鷲隊隊長しかいないのだ。
しかしジョージも実は乗り気ではない。パレードに要する警備は普段以上になり、その計画を練る事を考えるだけで頭痛がする。そういう計画を役人がするのならまだいいのだが、自分の所へ丸投げされるからこの議会へ呼び出されたと彼は思っている。それでもパレードの必要性を理解している彼はやむなく口を開く。
「国民はパレードを期待しています。陛下の時のパレードを覚えている者もおりますので、今回パレードがないと知ったら国民達は新国王をどのように受け止めるでしょうか。嫌かもしれませんが、パレードをしておくだけで治世が楽になります」
「たかがパレードで治世が変わるとは大袈裟だな」
「国民は王族がどのような人々なのか非常に興味を持っています。ナタリー様が大聖堂へ礼拝に赴く日はルジョン教徒ではない国民も大聖堂にいたそうですよ」
ジョージは珍しく作り笑顔を浮かべている。これは彼をよく知るエドワードにしか意味はわからないが、この場ではそれで十分だ。内心では苛立っており、さっさと首を縦に振れとエドワードに圧力をかけているのだから。
「そうだったのか、ナタリー」
「えぇ。時間の許す限り交流させて頂きました」
ナタリーは素直に問いに答えた。嫁いだ当初、エドワードに求められない事に寂しさを感じていた彼女は、話しかけてくれる人との交流が楽しかった。皇女としての教育がされておらず、庶民と同じ目線で話す王太子妃は司教や孤児院の子供達に親しまれ、徐々にルジョン教徒以外の国民も子供を連れて大聖堂の隣にある孤児院を訪れるようになった。孤児院では王太子妃による絵本朗読会が行われていて、誰でも参加が出来るようになっていたのだ。
ジョージはエドワードの白々しい態度に笑みを深くする。ナタリーの行動を監視しているのだから知らないはずがない。
「馬車に乗り国民に向けて手を振るだけです。警備に関しては私にお任せ下さい」
ジョージは王都をよく歩いているので王都民との距離も近い。彼を赤鷲隊隊長と知っている者と、ただの甘党軍人と思っている者がいるが、皆気さくである。そして彼らがパレードを楽しみにしているのを知っているのだ。上に立つ者がどういう人なのか、顔を知っているのと知らないのでは違う。エドワードは端正な顔立ちであり、間違いなく国民は喜ぶだろうとジョージは踏んでいる。しかし、エドワードの顔にはやりたくないと書いてある。
「それでは言い方を変えましょう。シェッド帝国の皇女をレヴィ王妃に据える事に不満を持つ者を黙らせる為に、仲睦まじく馬車に乗るのです。子供達も同乗して頂いて構いません」
シェッド帝国にいい印象を持っていない国民は一定数居る。ナタリーと触れ合った者はその考えを改めているが、国民全体に浸透させるならパレードで夫婦仲を宣伝して、帝国人も悪くないと思わせるのが早いと、ジョージは違う視点から切り込んだ。
「ナタリーは母国とは繋がっていない」
「それを国民が知っているとお思いでしょうか。パレードをしなければナタリー様が嫌がったと、あらぬ噂が飛び交う可能性もあります」
エドワードがジョージを睨む。しかしジョージも怯む事なく睨み返す。こうなると他の誰も言葉を発する事が出来ない。それほど議会は緊迫した空気に包まれた。そしてその緊迫した空気を破ったのはナタリーだった。
「私は偽りの噂をされても耐える自信があります。ですがシェッド帝国出身者が王妃に相応しくないと言われてしまうと、返す言葉が見つかりません。それでも国民に受け入れられたのならば、私は胸を張って殿下の隣に立ち続けたいと思います」
ナタリーの言葉に、その場にいた者はエドワードの反応を見守る。この場にはいないが、貴族の中でもナタリーを帝国人だからと良く思っていない一派がまだ燻っているのだ。エドワードは諦めたような表情を一瞬した後、作り笑顔を浮かべた。
「わかった。パレードをしよう。その代わり可能な限り短時間にしてほしい」
「かしこまりました」
大臣達が別の資料を持ち出した。パレードの道順の候補である。その様子を見てジョージが立ち上がる。
「ナタリー様はお戻りになられたいでしょうから、私が付き添いましょう」
「何故ジョージが行くのだ」
「私の仕事は道順が決まってからになりますので少し休憩させて頂きます。それにお戻りになるのは私の妻の所ですよね」
ジョージの問いにナタリーは頷く。彼女はライラの部屋で編み物をしていたのだ。
「それでは失礼致します」
ジョージに促され、ナタリーは立ち上がって一礼をすると会議室を後にした。黙々と歩く彼の後ろを彼女も黙々と歩く。レヴィ王国に嫁いで長いが、二人きりというのは初めてで、彼女は少し緊張していた。
「エド兄上の事をよくご存じなのですね」
突然話しかけられナタリーは驚いた。彼女はジョージには好かれていないという印象しかなかったのである。
「サマンサの言葉が腑に落ちました。これからも大変だとは思いますが、エド兄上の事を宜しくお願いします、ナタリー義姉上」
ジョージはナタリーを振り返った。彼女は公式の場以外で名前を呼ばれた事に驚き、目を見開いている。彼が名前を呼ぶのは信用した者だけという話は彼女も知っていたのだ。
「最初はエド兄上に同調していたのに、私の言葉を聞いて咄嗟に判断を変えて下さった。ご協力ありがとうございます」
エドワードの最大の弱点はナタリーである。ナタリーにパレードをしたいと言わせれば勝ちだとリアンは思っていたが、詰めが甘かった。ジョージは何が何でもパレードをさせるつもりではあったが、ナタリーが説得した方が後々面倒にならないと判断をしながら話した。そしてそれに彼女が気付いたのだ。
「いえ。私は常に彼の迷惑にならないように考えているだけです」
ナタリーは微笑んだ。彼女は元々自己主張が弱く、言われた事をやるだけだった。だが今は自己主張が弱いように見えて、自分がやるべきだと思った事はやる。先程も、帝国嫌悪の貴族達が彼女を王妃にするのを認めたがらないのなら、私は潔く王妃の座を辞退するけれど、国民の支持があれば譲らないと言ったのだ。そしてその貴族達に手を焼いているエドワードは、彼女の決意を理解して意見を変えた。
「アリスにもパレードをしたいと言わせます。それで確実となるでしょう」
「助かります。それと、ライラの事もありがとうございます」
「いえ。ライラには今までお世話になったので、少しでも出産経験者として支えられればと思っています」
ジョージは不思議な気分だった。ナタリーが嫁いできた時、第一印象は決して良くなかった。腰が低く、エドワードと対等に渡り合うのは難しいだろうとさえ思えた。しかし、目の前の彼女は妻としてだけではなく王妃としても問題なく振舞えそうに見えた。
「それでは、ここで」
ジョージはライラの部屋の少し前で足を止めた。
「ライラに会われないのですか?」
「私はエド兄上とは違います。ナタリー義姉上と話をしたかっただけですから」
ジョージは自分の仕事の手伝いにライラを呼び出し、その途中で休憩する事はあっても、軍関係の仕事をしている時はライラと一切顔を合わせない。
「そうですか。私がライラに嫉妬されますね」
ナタリーは微笑んだ。それに対しジョージも微笑む。二人は容易にライラがずるいと口を尖らせている所が想像出来たのである。
「ジョージ、どうかしたの?」
帽子を被ったライラが隣に座っているジョージに話しかけた。本来なら彼女は王宮で留守番だったが、彼が気分転換になるだろうと誘ったのだ。アレクサンダーはエミリーが笑顔で引き受けてくれた。エミリーもライラには気分転換が必要だろうと思っていたのだ。
「いや、無事にパレードが出来て良かったなと思って」
エドワードとナタリーとアリス、そしてリチャードを乗せた馬車が近付いてきた。国民達は皆笑顔で手を振っている。
「アリスはとても楽しみにしていたわよ。家族で馬車に乗るのが初めてだから」
「そうか。でも馬車が気に入ってまた乗りたいと言わないといいな」
「馬車なんていつでも乗れるでしょう?」
「エド兄上がアリスを王宮外へそう易々と出すとは思えない」
ジョージの言葉にライラはそういう意味かと呆れた表情を浮かべた。
「しかし、国民は案外ナタリー義姉上を受け入れているな」
「ジョージ、いつからナタリーの名前を呼ぶようになったの?」
「少し前からだけど」
少し前と言われてライラは考える。しかしジョージがそう呼んだ記憶がなかった。
「初めて聞いたわ。何があったの?」
「エド兄上にはナタリー義姉上が必要だという事が俺にもやっとわかっただけの話」
「そう。ナタリーは色々と悩んでいたけれど、常にお義兄様の為なの。これからもきっとお義兄様と子供達の為に生きていくと思うわ」
「あぁ」
国民の声が徐々に大きくなってきた。エドワード達を乗せた馬車が赤鷲隊駐在所の前を通りかかったのだ。端正な顔立ちの国王、可愛く優しい雰囲気の王妃、そして愛らしい王女と王子。国民誰もが新しい時代の幕開けに興奮している。
「アリス、見上げてくれないかしら」
「流石に下からこちらは見えないだろう」
ジョージは冷めた声で返す。ここは三階建ての屋上だ。認識していなければ視線が向かない場所である。
「私も娘が欲しかったなぁ」
「もう産まないつもりとは知らなかった」
「そうではないけど、男児しか出産出来ない気がしているの。ジョージも男兄弟ばかり、公爵家も男ばかりでしょう?」
「確かに男が多いが、ライラの家系は女が多いと聞いた」
「そうね。でもレヴィ王家の血は濃い気がするのよ」
二人の子供アレクサンダーは金髪碧眼である。ライラと同じだが、これはウィリアムやエドワードとも同じ、レヴィ王家の血筋によく出る組み合わせだ。
「髪色は成長して変わるかもしれない。俺も昔は金髪だった」
「そうなの?」
ライラは驚きの表情を向けた。ジョージは微笑む。
「あぁ。最初はエド兄上と同じ色だった。徐々に暗くなって六歳頃で今の色に落ち着いた。サマンサも同じだけど、色の変化も時期も違うから仕組みはわからない」
「クラウディア様の色なのかと思っていたけれど、そういう訳でもないのね」
「母上は栗毛だから影響はあるのかもしれない。俺も小さい頃は貴族と関わったりしなかったから、俺が金髪だったと知っている人間は少ない。カイルでさえ知らない」
「でもジョージは栗毛が似合っていると思うわ」
ライラは微笑む。ジョージも微笑むとパレードの方へ視線を移す。馬車は赤鷲隊駐在所の前を通り過ぎ、軍人達が国民に帰るように指示を出していた。混乱が生じないよう、馬車が過ぎ去った場所から、徐々に人を広場の方へ捌けさせる計画なのだ。広場では今日の為に出稼ぎの露店が並んでいるのである。パレードが終わっても軍人は夜まで警備態勢を続ける事になっていた。
「人がある程度捌けたら戻ろうか」
「もう戻るの? 露店は見ていかないの?」
「夜会の準備があるだろう?」
パレードは国民に向けた昼間の行事であり、当然貴族に向けた夜会がある。勿論王弟であり赤鷲隊隊長であるジョージが出席しないわけにはいかない。
「ドレスは朝に一度着て寸法を確認してあるから大丈夫」
笑顔のライラにジョージは少し呆れながら懐中時計を取り出す。実際は気分転換の為に時間は取ってあったのだが、彼はそのような素振りを見せない。
「一時間半だけだよ」
「本当? 王都は久しぶりだから少しだけでも歩きたかったの」
ライラは嬉しそうに微笑む。ジョージは椅子から立ち上がると彼女に手を差し出した。
「その代わり疲れたらすぐに言って。夜会不参加になるようだと困るから」
「わかった。でも大丈夫だと思うわ。私はそれなりに体力があるから」
ライラはジョージの手に右手を置いて立ち上がる。彼も頷くと二人は階段を下りて王都へと繰り出した。