舞踏会【後編】
一方、人に囲まれたジョージは赤鷲隊隊長らしく振舞っていた。ライラも横で対応していたものの全く人が途切れない。そして一人の青年が視界に留まり、彼女は彼が気になってしまった。彼女は失礼致しますとジョージの横からすり抜け、その青年へと近付いた。
「ウルリヒ殿下、壁際で何をされているのですか?」
「僕は初めてだから、何をしていいかわからないんだよ」
「ご令嬢と踊ったらいかがですか? 将来の結婚相手がいるかもしれません」
ライラは優しく微笑んだ。彼女にとってウルリヒは既に弟である。寂しそうにしている弟を放っておけなかった。先日議会に臨んだものの、知識不足で議会の端で小さくなっていたと聞いていた。ジョージが堂々としていて忙しくなった半面、ウルリヒは何も出来ない王子の烙印が押されていたのだ。
「僕と踊りたいなんていう女性はいないよ。それよりライラ姉上はここにいていいの?」
「ジョージ様は常に人に囲まれていて、少し疲れましたから休憩です」
ライラはジョージの方を見つめた。彼は相変わらず大勢の人に囲まれている。前回舞踏会に参加した時も挨拶する人が多いと思ったが、今回は倍以上に増えている気がする。
「ジョージはすごいよね。十八歳で隊長職だろ? 僕は隊長なんて出来ないよ」
「人には得手不得手があります。ウルリヒ殿下が得意だと思う事を伸ばせば宜しいのです」
「得意か。僕は何にもないんだよね。フリッツは頭が良くて国立大学に通いたいと言ってるけど」
「王子が国立大学に? それはまた珍しい話ですね」
「家庭教師も勧めてるみたい。僕だけ落ちこぼれなんだよ」
ウルリヒは寂しそうな表情をした。エドワードは勿論の事、ジョージもサマンサも頭がいい。ウルリヒも悪くはないが、王妃の教育が足りなかったのか、素質が低めなのか他の兄弟と比べると劣ってしまう。
「ウルリヒ殿下のいい所は素直な所だと私は思いますよ」
「それはいい所なの?」
「えぇ。何かを企んで話す人達の中に、率直な意見を言える人も必要です。勿論、相手の企みにはまらないようにする目は必要になりますけれど」
「難しい事を言うね」
「ジョージ様は必然から隊長になられました。ウルリヒ殿下はまだ決断に迫られていません。自分の道を決める事が出来るのですよ」
ウルリヒは会場に目を向けた。ジョージが沢山の人に囲まれている奥で、エドワードも親しげに貴族達と話をしている。サマンサも独身貴族男性と次々に踊って楽しんでいる。社交場は自分の立場を強固なものにするべく、力のある者に近付くのが普通だ。帝国派であったレスター一派を廃した事により、公国派スミス家が勝利を収めたかというとそうではない。帝国派を追い出したのがレスター家のスティーヴンであった事、帝国との戦いで公国が何もしなかった事、ウルリヒが議会で何も出来なかった事により公国派も力を失っていたのだ。今王宮内で力を持っているのはエドワードとジョージであり、公爵家はそれぞれ力を失っていた。唯一力を残しているのは当主が宰相のハリスンである。それ故、ウルリヒには誰も注目していない。
「本来なら僕は何をするのが妥当なの?」
「将来的には公爵家の当主になられるでしょうから、それに相応しい行動をする事でしょうか」
「公爵家か。レスターの元領地を治める事になるのかな」
レスター公爵領は国に没収され現在は王家直轄地になっている。シェッド帝国との国境にあるその領地は交易で栄えているので、余程妙な事をしない限りは裕福に暮らせる土地である。
「そうかもしれませんね」
息子を公爵家当主にするかは国王が決める事である。公爵家当主になっても本人の王位継承権はそのまま残る。
二人が仲良く話していると、人をまいたジョージがライラに近付いてきた。
「ライラ、勝手に離れないで」
「申し訳ありません。少し疲れてしまったので休憩させて頂いておりました」
ライラは隊長夫人らしく微笑んだ。先程までウルリヒに向けていたのは姉のような柔らかな笑みである。その差がわかるジョージは苛立ちを隠さなかった。
「休憩は構わないけど、ウルリヒには構わなくていいから」
「しかし御一人で心細そうでしたから、私に出来る事があればと」
「だから余計な事はしなくていいから」
ライラはジョージが何に苛立っているのかがわからなかった。彼女はあくまでも義弟を心配したに過ぎない。ウルリヒの気持ちがどうなのかなど気にしてはいなかった。
「ジョージ、そんなに怒らなくてもいいだろう? ライラ姉上は悪くないし」
ジョージはウルリヒを睨んだ。あまりの凄みにウルリヒは圧倒された。先日会ったエドワードの笑顔の凄みも怖かったが、ジョージの凄みの方が恐ろしいと感じた。
「ライラは俺の妻だと何度言えばわかる。俺の妻に気安く声を掛けられるな」
ジョージは嫉妬で言っている事が無茶苦茶になっていた。ウルリヒはジョージの嫉妬を理解したが、何故ここまで責められなければいけないのかが納得出来なかった。
「ライラ姉上は好意で声を掛けてくれたんだよ。それくらい構わないだろ」
「よくない。早く王子としての自覚を持て。ウルリヒが頼りないからライラが放っておけないんだ」
「ジョージ様、あまり責められるのはよくありません。ウルリヒ殿下は将来に向けて考えられている最中なのですから」
ジョージはライラに不機嫌そうな眼差しを向けた。彼女は何故そのような視線を向けられているのか理解出来ず、眉根を寄せる。彼は彼女の腰に腕を回すと強引に自分の方に引き寄せた。
「もう帰ろう」
「いけません。まだ国王陛下がお見えになられていませんし、本日は祝賀会を兼ねているのですからジョージ様がいなければ不自然です。休憩は終わりにしますから」
ライラの当然の説得にジョージは渋々納得すると、彼女の腕を掴んで会場の中に戻っていった。彼女は振り返りウルリヒに申し訳なさそうに目配せをした。
「隊長に喧嘩を売るのは賢くありませんよ」
去っていくライラを見つめていたウルリヒの背後からカイルが声を掛けた。
「喧嘩を売った覚えはない」
「ライラ様に近付くのがよくありません。隊長は結構嫉妬深くて面倒な人なのですから」
「今はライラ姉上が近付いてきたのであって僕からじゃない。ジョージに言われてからライラ姉上の部屋にはもう行ってないし」
「それは当然です。ひとつ指摘しておきますけれども、ライラ様はウルリヒ殿下を弟のように思っているだけで、好意を寄せているわけではありません。そこは間違えないで下さい」
カイルは厳しい眼をウルリヒに向けた。カイルもウルリヒの中に芽生えつつある感情を承知していたので、その芽を摘みに来たのだ。ライラに自覚がない分、ジョージの苛々は募る。それを解消するにはウルリヒに諦めて貰うしかない。
「それはわかってるよ。でもライラ姉上はジョージの事も何とも思ってないだろう?」
「ライラ様はジョージ様を敬愛されておられますよ。お二人なりの夫婦の形を今模索されているのですから、余計な口出しはしないで頂きたいですね。ジョージ様の幸せ願っておられるのでしょう?」
「それは願っているけど……」
ウルリヒは俯いた。彼も自分の気持ちがわからないわけではない。親身になってくれるライラに好意を抱いているのは否定しようがない。ライラがジョージを好きならそれで諦めもつくのだが、彼の目にはそう映っていなかった。ジョージの余計な設定のせいでウルリヒの気持ちが揺れたのであり、ジョージの苛々は自業自得なのであるが、それをわかっているのはカイルだけである。
「あの二人が離婚する事は平和の為にもありえません。現実的な相手を探されたらいかがですか。スミス卿から話はないのでしょうか」
「話はないよ。そもそも兄上もジョージも父上の命で結婚したのだから、僕もそうなるんじゃないかな」
「エドワード殿下と隊長は政略結婚が必要でしたけれど、ウルリヒ殿下はそこまで必要ではないと思いますけれどね」
「僕は国の役に立たないから結婚も適当でいいと言いたいの?」
ウルリヒは明らかに不満そうな表情を浮かべた。カイルは困ったように微笑む。
「そうではありません。ウルリヒ殿下に望む相手がいるのなら、陛下も聞いて下さるのではという意味です。しかし猶予はありません」
「何で? 僕はまだ十八歳なのに」
「隊長はウルリヒ殿下の相手を探すよう私に命じています。ですから好みの方がいれば伺い、相応しければそのまま進言致しますよ」
「何でジョージが僕の結婚相手を探すんだよ。おかしくない?」
「既婚者になれば、ライラ様も遠慮してウルリヒ殿下に近付かなくなると判断しているのでしょう。隊長は力がありますから口出しする事も可能ですし」
「好みの女性と言われても困る。ライラ姉上には近付かないから上手くやってよ」
「ではとりあえず御令嬢方と交流をして、好みを探して頂きましょうか。私は結構顔が広いのですよ」
カイルは微笑んだ。昔女遊びをしていたカイルだが、女性から反感を買うような行動はしていない。しかも結婚し、その妻が事故死した後は女遊びをせず、結婚指輪をはめたまま独身を貫いているせいで実は密かに人気がある。彼は女性達の視線をかわす為にウルリヒを利用しようとしているのだが、純粋なウルリヒはそれに気付くはずもない。
「いや、紹介なんていいから」
「社交界に馴染んで頂かないとこちらも困るのです。壁際に御一人でいると、またライラ様が心配そうに近付いてきてしまいますよ」
ウルリヒは口を真一文字に結んだ。カイルの言っている事はわかるが、何故自分が望んでもいない社交界に馴染まなければいけないのか納得出来なかった。
「ウルリヒ殿下、王子である以上社交界での付き合いは必須です。隊長ですら対応しているのですから逃げられません。ほら、行きますよ」
カイルに促され、ウルリヒは嫌々ながら会場の中へと歩き出した。
舞踏会が終わり、疲れを癒すようにゆっくり入浴したライラは、寝室のソファーに腰掛けていた。普段は王宮の端にいるので気付かなかったが、今日改めてジョージの立ち位置が強くなった事を実感した。舞踏会の会場へ移動する時に使用人達が頭を下げるようになったのだ。会場内でも常に人に囲まれていた。勿論今夜は青鷲隊や黒鷲軍の軍人達もいたせいもある。久々に会った青鷲隊隊長は目を丸くしていた。嘘ではないと思っていても、通訳をした商人姿の女性が本当にガレスの姫だとやっと理解出来たのだろう。
ノックする音が響き、ジョージが部屋の中に入ってきた。最近ではカイルの調整の甲斐もあり、会食は週一くらいになっていた。一緒に夕食を取る事もあり、夫婦の時間が確保出来てライラは満足していた。
「今日もお疲れ様」
ライラは微笑んだ。ジョージは無表情のままソファーに近付くと彼女の膝の裏と脇の下に腕を回して抱き上げ、そのままベッドへと優しく下ろした。突然の事に彼女は驚き、覆い被さった彼を不思議そうに見上げた。
「何でウルリヒには隊長夫人対応しないの?」
「ウルリヒは義弟だもの。姉目線でいいでしょう?」
「よくないよ。ウルリヒにも隊長夫人対応にして」
「そんな事を言われても、ウルリヒは弟にしか見えなくなっているから難しいわ」
ライラは困った表情をジョージに向けた。彼は不満そうな顔のまま彼女の横に俯せに倒れ込んだ。彼女は彼の顔を覗こうとしたが、彼は枕に顔を沈めていた。
「どうしたの? 私の行動はそんなにおかしいかしら」
「俺に見せない笑顔をウルリヒに向けるのは面白くない」
ジョージはライラに背を向けるように姿勢を変えながらそう言った。ライラは彼の言いたい意味がいまいちわからなかった。弟に向ける姉の笑顔を彼に向ける事はない。それは彼の事を弟だとは思えないのだから当然の事なのだ。それを咎められても彼女は困るだけだった。
「ジョージは疲れているのね。今日はゆっくり寝ましょう」
ライラは身体を起こし掛布を足元から持ち上げると、ジョージに掛けてから自分も横になった。本当は抱きしめたいけれど彼の考えがよくわからないので、触れてはいけない気がしたのだ。自分に非があるとは思えないのだが、彼にとっては面白くないのだろう。彼女は彼に背を向けるように横になったのだが、しっくりこなかった。結婚当初はこうして寝ていたはずなのに違和感しかない。彼女は身体の向きを変えて彼の方を向いた。彼は相変わらず彼女に背を向けている。
「ジョージ、姉目線がいけない理由を教えて。理解したら対応をするから」
「ウルリヒの態度が変わった事は気付いてる?」
「少しだけ王子らしくなったわよね」
ジョージはライラに背を向けたままため息を吐いた。気付いていないだろうとは思っていたが、まさかこんな的外れな回答が返ってくるとは思っていなかった。
「全然王子らしくないよ。王子は壁際に一人でいたりしない」
「でもあの後カイルが連れ回していたわよね。指示していたの?」
「いや。カイルは自分が女性に囲まれるのが嫌だからウルリヒを利用したんだと思う。ウォーレンも囲まれたくないからエミリーを連れて行っただろう? ハリスン公爵家の嫁は今一番狙われている座だからね」
「エミリーは堂々としていたわよね。あの度胸は凄いと思う」
「何で普通に会話してるの。俺は怒ってるんだけど」
ジョージはライラの的外れな回答から話が逸れそうなのを止めた。彼女は理解していないのでしっかりわからせたかった。
「何故怒るの? 私がジョージに姉目線はおかしいでしょう?」
ジョージは寝返りを打つと何もわかっていない表情のライラを胸に抱き寄せた。
「作り笑顔以外を他の男共にふりまかないで。ライラの笑顔は男性の心を惹きつける。それは見ていて面白くない。ライラは俺の事だけ考えてくれたらいいんだよ」
「ウルリヒに嫉妬したという事?」
ライラは上目遣いでジョージを見つめた。彼は視線を逸らす。
「ライラに関わる全ての男に嫉妬してるよ。苛々するから男と接するのは最小限にして」
ジョージは既に余裕のあるふりをするのが限界になっていた。ライラをからかうのを楽しんではいたが、それはあくまでも自分の余裕のなさを隠していただけに過ぎない。王宮の端でひっそりしていてくれればいいのに、彼女は積極的にサマンサと共に貴族達と交流をしており、今日も彼が知らない貴族達と挨拶を交わしていた。彼女がいくら隊長夫人対応でも、男達の下心が透けて見えて、彼はそれも面白くなかった。
ライラは嬉しそうに微笑むとジョージを強く抱きしめた。
「愛おしい人にこんなに愛されているなんて私はとても幸せだわ」
「くだらない嫉妬をしておかしいと思わないの?」
「思わないわ。むしろ嬉しい。ジョージに愛想尽かされないよう私はもっと頑張るわね」
「人の話を聞いてた? 苛々するって言ったんだけど」
「だから私がジョージを愛しているという事を表に出せばいいと思うの。そうしないから苛々するのよ」
ライラは上目遣いのまま微笑んだ。ジョージはその笑顔を見て諦めたように頷いた。
「確かにそうかもしれないな。ウルリヒに片思いって言われた時は心底腹が立ったし」
ライラは微笑んだ。ソファーに押し倒されたあの日、弟の軽率な行動を窘めているのかと思っていたけれど、あれはジョージの嫉妬による態度だったのだと気付いたのだ。それなら自分の態度はやはり彼を愛していると示すのが一番だろうと思えた。今の彼は誰もが認める総司令官であり、彼を愛している彼女を狙おうなんて思う輩はいないはずだ。
「ジョージは平和の為の協力者だと振る舞う事は正直辛かったの。ジョージの望む事だからやらなくてはと思っていたけど、この嘘の必要性がわからなくて」
「ごめん。俺の心が狭いだけの話に巻き込んで」
「悪いと思っているなら今夜は抱きしめてね」
「それなら反対向いて」
ジョージは腕の力を緩めた。ライラは不満そうな顔を彼に向ける。彼は微笑むと彼女に触れるだけの口付けをして、彼女の腕を解いた。そして彼女を反転させて、後ろから抱きしめる。
「何故後ろなの?」
「寝やすいから」
ライラはジョージの顔が見えないのが不満だったのだが、抱きしめられている感じはいつもより強い。
「ジョージは後ろから抱きつく方が好きなの?」
「俺の腕にすっぽり収まるライラが可愛いから好き」
ジョージはそう言いながらライラの首筋に口付けた。彼女は少し恥ずかしそうにしながら微笑む。いつもは彼女が彼に抱きついていたのだが、我慢させていたのかもしれないと反省した。
「ジョージ、私は色々至らない所があると思うから都度言ってね」
「ライラは自己評価が低すぎる。もてるという事を意識して」
「そのような事を言われても、今までもてた事がないからわからない。それにジョージ以外の男性の評価はどうでもいいわ。私はジョージが好きだから、ジョージも私を好きでいてくれたらそれでいいの」
ジョージは思わず笑みを零すとライラを強く抱きしめた。自分以外の男性に興味を持っていないだろうとは思っていても、改めて言葉で聞くと予想以上に嬉しかった。
「それは反則だ。今までの俺の悩みが馬鹿みたいに思える」
「悩む必要はないわ。私はジョージしか見てないから」
ライラはジョージを見ようと首を後ろに回した。彼は彼女に見られないように手で彼女のこめかみ辺りを押さえた。
「今は駄目。絶対に顔がにやけてる」
「それは見たいわ」
「駄目。今日舞踏会で疲れただろう? 早く寝る」
「ジョージ、ずるい!」
ライラは抵抗したものの片手で腰をしっかり固定され、片手はこめかみ辺りに手を置かれて振り返る事も出来なければ視界も塞がれて、ジョージの顔を見る事は出来なかった。彼女は渋々口を尖らせながら諦め、おやすみなさいと言うと瞳を閉じた。ジョージは彼女のこめかみに当てていた手を離すと、彼女を抱きしめて眠りについた。