その8 【アスラン再入国】
ジョージとライラはアスラン王国へと入り、ディーノの地図を元に家を探していた。第五王子と交流があるというので王都かと思ったのだが地図は王都近くの村であり、目的地にあったのは簡素な家である。家の隣には小川が流れておりとても長閑な雰囲気だ。果たしてここで合っているのだろうかと不安になりながら彼女は扉を叩いた。
「ごめんください。ディーノさんに紹介されてきたのですけれども、ルチアさんは御在宅でしょうか」
ライラは何語を使うか迷ったがケィティ語にした。見た目は明らかにアスラン人ではないので、アスラン語を使う方が不自然かと思えたのだ。暫くして扉がゆっくりと開き、中から三十代中頃の女性が顔を出した。
「どちら様でしょうか?」
ケィティ語なのでジョージにはわからない。ライラは女性に微笑む。
「彼はケィティ語がわからないので私が代わりに――」
「まさかテオさんの?」
女性はライラの言葉を遮り、レヴィ語でジョージに問うた。彼は人のよさそうな笑みを浮かべる。
「はい。テオの孫のジョージです。彼女は妻のライラです」
ジョージに紹介されライラは会釈をする。女性は立ち話も何ですからと二人を家の中へと誘った。玄関から居間に直結であり、女性に勧められるがまま二人は椅子に腰掛けた。
「改めまして、ルチアと申します。ここで薬草を育てています。ケィティ在住時はテオさんの所で修業をしていました」
ルチアはパメラさんから教えて貰ったハーブティーですと言ってティーカップを二人の前に置いた。ライラはカップを手に取り一口飲む。口の中に爽やかなミントの香りが広がり、彼女は自然と顔を綻ばせた。
「ディーノ氏からは職人と伺ったのですが」
「薬剤師も職人です。私は薬の調合だけでなく石鹸や香油も作りますけれど」
長閑な村の小さな家にもかかわらず、部屋は清潔感が溢れており爽やかな香りがする。窓際には様々な観葉植物が置かれていた。
ジョージはディーノから預かった手紙を荷物から取り出すとルチアに差し出した。ルチアはそれを受け取り中身を確認する。
「第五王子であるエイメン殿下がサマンサ様の事を気に入ったという話は伺っておりますけれども、心配には及ばないと思います」
「何故そう思えるのですか?」
「エイメン殿下はサマンサ様と暫く交流すれば、セリム殿下ではなく自分を選ぶと疑わないような方です。人を使って情報を集める事はしても、自分で言い寄るような事はしないはずです」
「それは王子としてはどうなのでしょうか」
「レヴィ王家の王子の方々を存じ上げないので何とも言えませんけれど、こちらの大陸では珍しい事ではありません。基本的に自分は選ばれた者だと自負していますが、その自負をはき違えている方が多いのです。セリム殿下は違いますけれど」
「違うとは」
「セリム殿下は王族らしくないのです。何事もなく王都の市場を歩き、市民と会話をします。しかも身分を明かされないので王都の者はセリム殿下の事をどこかの放蕩息子だと思っている状況です」
その話はジョージもライラも初耳だった。だが二人もどこでも歩いている以上、セリムを責める言葉を発する事は出来なかった。
「私は元々王妃殿下用の石鹸を納めていた縁でエイメン殿下に石鹸を納めていますが、セリム殿下の所にも香油を納めています。テオさんの紹介でわざわざこちらまで出向いて下さり、サマンサ様用にレヴィの女性でも受け入れられるよう調香して欲しいとお願いされました」
レヴィでは香水が一般的で香油は使わない。それを知ってセリムはわざわざ向こうの大陸事情に詳しいであろうルチアに依頼したのだ。
「王太子がここまでですか?」
ジョージは訝しげな表情をした。王都からそこまで離れていないとはいえ、王太子自ら来る場所でもない。ルチアは微笑みながら頷いた。
「えぇ。とても気さくな方です。一方エイメン殿下は威圧感があり出来れば関わりたくない方です。話を聞いて私も王都内の仲間と連絡を取りましたが、何かあればすぐセリム殿下の所へ情報が伝わるようになっているそうです」
「それは祖父がそのような情報網を整備したのでしょうか」
「それもありますが、何よりセリム殿下の人柄です。御存知かわかりませんがセリム殿下はサマンサ様が嫁いでこられる日を待ち望んでおられました。アスラン人もケィティ人も二人には仲良く暮らして欲しいので勝手に協力をしているのです」
こちらに暮らしているケィティ人も母国から道具等を取り寄せているので、商船の定期便が安全に往復できないのは困る。その安全を保障するのがセリムとサマンサの結婚という事はケィティ人なら誰もが知っていた。いくらレヴィの自治区になったとはいえ、レヴィ人とケィティ人は区別されている事が多く、ケィティの商船が襲われるので守って欲しいと言ってもレヴィ海軍は動いてくれなかったのだ。港町コッカーから出港するレヴィ商船には、要請があれば海軍を同行させていたにもかかわらずである。表向きの理由はガレスとの戦争中だから派遣できる軍艦はないだったが、実際はレヴィの貴族達が平民でしかないケィティ人の話に聞く耳を持たなかったのである。コッカーは王家直轄地なので国王が最終決定権を持っているが、ケィティは自治区の為国王の意見だけでは議会で承認されず海軍が派遣出来ない仕組みなのだ。レヴィ王宮の人々は何故サマンサをわざわざ異大陸へと思っていたが、ケィティ人からしてみれば他にはないという話だったのである。
「海賊は叩きました。もう海は安全だと思いますが」
「海賊の生き残りはまだカエドにいて、その者達がサマンサ様を狙っているという話も聞いています」
ルチアの言葉にライラは青ざめた。一体何故そのような事を呑気に話しているのかわからないでいると、ルチアはライラに対して優しく微笑んだ。
「安心して下さい。そちらは既に手が打ってあります。現行犯逮捕をする為に泳がせているだけで監視中との事です。他国人は現行犯でないと裁けないのです。この事はサマンサ様には内密にお願い致します」
ルチアは頭を下げた。誘拐するならサマンサが何かしらの用で外出した時という事になる。サマンサがその事情を知り外出を拒否すれば、誘拐は出来なくなりその海賊の生き残りを捕まえられなくなる。それだけは避けたいという事だった。ジョージとライラは口外しない事を約束した。多少危険ではあるが、海賊の生き残りを撲滅出来る機会を逃す方が危険度は高いと判断したのだ。
「それより私は内務大臣の動きが気になっています。そちらはサマンサ様に是非忠告をして頂きたいのですがお願い出来ますでしょうか」
そう言ってルチアは二人に話し始めた。内務大臣はセリムの伯父である事、金に汚く横領をしているだろう事、第一王子に嫁がせた娘を今はセリムに嫁がせようとしている事、その為にはサマンサが邪魔で何か画策している事。
「何かとは」
「そこまでは残念ながら調べられていないのです。ただ、内務大臣とエイメン殿下は繋がっています。利益の一致を考えればサマンサ様をエイメン殿下に嫁がせるつもりかと思われます」
「だがその内務大臣は血の繋がった甥が王太子でなくなるのは都合悪くないのか?」
「そこはわかりません。内務大臣は思いつきで行動する事が多いのです。深く考える癖のあるケィティ人にとって予測し難い人なのです」
ルチアは困ったような表情を浮かべた。内務大臣を馬鹿にしたような物言いではあるが、論理的に物を考えない人間の行動を予測する事はジョージも苦手である。彼はため息を殺してハーブティーを口に運んだ。
ルチアの所を出て、ジョージとライラは王都ラービタタルを歩いていた。二人がアスランに着いてから明日で丁度三週間でありもう帰らなければいけない。彼はまず赤鷲隊の隊員が宿泊している宿へと向かった。
「隊長、御無事で何よりです」
赤鷲隊隊員がジョージを敬礼しながら迎える。彼は頷いて応えた。
「あぁ。出港は予定通りでよさそうか?」
「はい。天候も問題なさそうとの事でしたので荷物などは既に軍艦に積み終わっています」
「御苦労。それでは視察の報告を頼む」
ジョージは椅子に腰掛けた。隊員はその横に立ち報告を始めた。他の工事現場でも同じような劣悪な作業環境だった事。セリムの評判は概ね悪くなかった事。レヴィ領事館の仕事に問題はない事。
「それと王都を歩いていた時にサマンサ殿下をお見かけしました。セリム殿下と仲良く市場を歩かれていました」
「護衛の数は」
「護衛なしでお二人だけでした」
ジョージは明らかに不機嫌そうな表情を隊員に向けた。いくら誘拐犯を現行犯逮捕する為に泳がせているとしてもセリム一人でサマンサを守れるとは思えない。
「サマンサ様の所へは予定通り明日伺うべきです」
ライラは今にもサマンサの所へ行きそうなジョージを窘めた。明日なら帰国の挨拶をするので不自然ではない。だが今から行けば不自然だ。賢いサマンサが察してしまう事を彼女は心配した。
「あぁ、そうだな。それなら王都を散歩しようか」
ジョージは椅子から立ち上がった。そして隊員に夕食までには戻る旨を伝え、ライラの手を取り王都へと繰り出した。
「明日からまた船と思ったせいか、少し気持ち悪い」
ライラは先程出港と聞いて、来る時の船酔いを思い出していた。あの時はポーラが看病をしてくれたが帰りはいない。船酔いに一人で耐えるのが不安だった。
「辛いなら戻るか?」
「戻らない。歩いている方が気分転換になると思うから」
ライラは笑顔をジョージに向けた。彼も頷くと市場へと向かっていく。爽やかな果実水でも飲めば気分も変わるだろうと思ったのだ。しかしジョージは果実水を見つける前にサマンサを見つけてしまった。
「サマンサ!」
突然の呼びかけに驚き、サマンサは振り返った。
「どうしたの?」
「それはこっちの台詞だ。何故外を出歩いている」
ジョージは不機嫌そうにそう言った。しかしサマンサの答えを待たなかった。
「明日会いに行こうと思っていたがここで会ったから丁度いい。行くぞ」
サマンサとセリム、ジョージとライラは向かい合ってサマンサの部屋のソファーに腰掛けていた。都合の悪い事にセリムはレヴィ語がわからず、ジョージはアスラン語がわからない。サマンサとライラは通訳をしながら話す事になった。
「外を気軽に出歩くな。レヴィでは出歩かなかっただろう?」
「今夜は内務大臣から夕食に招かれているの。その手土産を買いに出ただけよ」
「内務大臣? それは二人だけ誘われているのか?」
「そうだけど、内務大臣に何かあるの?」
サマンサの問いにジョージは内務大臣がエイメンと繋がっていて何か企んでいる可能性があるから断る方向で話を進めた方がいいと伝えた。そしてカエドとの戦争もまだ終結していないのだから気軽に出歩くなと釘も刺した。誘拐の件は伏せるにしても注意を促さずにはいられなかったのだ。
「でもアスランは和睦案を持ってカエドに向かっているのよ。もうすぐ和睦が――」
「サマンサ。戦争はそんなに甘くない。レヴィとガレスの戦争の話なら内戦の延長みたいなものだから事情が違う。異民族同士の戦いは簡単に和睦などならない」
サマンサは悲愴な面持ちをジョージに向けたものの、彼は無表情で彼女を見ている。言葉を失っている彼女に変わりライラがセリムに対して通訳をした。勿論セリムはレヴィの事など知らないので、内戦の件は端折った。
「必要でしたら海上からカエドへ向けて砲撃をする事も可能です。ただ、脅すのは一時的な効果に留まりますから、長い目で見れば最善ではありません。結果が出るまでこちらに滞在する事も可能ですが、いかがされますか」
ジョージの口調が変わると同時に纏う空気が変わった。兄と妹の会話から、アスラン王太子とレヴィ総司令官の話し合いになったのだ。ライラはその雰囲気が伝わるようにセリムに訳していく。
サマンサは言葉を発せなかった。ジョージは父である国王の命令に背く事はない。三週間の滞在期間が明日までなのだから明日出港しなければいけない。しかし友好国であるアスラン王国の危機と判断しているのなら、それを理由に滞在出来る事を彼女は知っていた。
「これはアスラン王国の問題です。レヴィ王国の力を頼る事ではありません」
「サマンサが危険にさらされる可能性がある以上、簡単に帰国は出来ません。万が一の事があった場合、アスラン王国はどうするおつもりでしょうか」
ジョージの声は冷えていた。セリムも通訳して貰わずとも何となく言っている事がわかり、訳を聞いて渋い表情をした。
「こちらも情報を集めていないわけではありません。和睦は必ずなりますから砲撃は遠慮して頂けると助かります」
セリムは力強い眼差しをジョージに向けた。ライラからの通訳を受けジョージは頷いた。
「わかりました。私達は明日レヴィへ帰国しますが軍事行動は一切しない事を約束します」
「お気遣いありがとうございます」
「それではそろそろお暇致します」
ジョージは一礼をすると立ち上がった。ライラは通訳しながらずっとサマンサの様子を窺っていた。以前よりもセリムとの距離が縮まっているような気がしたが何かがしっくりこない。
『サマンサ、明日出立前にまた来るからその時は別の話もしましょう』
ライラはケィティ語でサマンサに話しかけた。当然ジョージもセリムもわからない。サマンサは笑顔で頷いた。ジョージがライラに問うような視線を向けたが、ライラは笑顔でそれをかわして退出を促した。