その7 【カエドの策略】
翌朝、ライラは機嫌よく化粧をしていた。ジョージに抵抗出来なかったとはいえ、彼女は嫌な訳ではない。情報収集という仕事があるにしろ、彼女にとってもこの三週間は彼との旅行である。彼と睦み合う時間が長い事は嬉しい事だった。
化粧を終えたライラはかつらを被り、宝飾品を身に着ける。今日は例のカエド人に近付く為に少し高級な物を選んだ。
「ご機嫌だね」
ジョージが意地悪そうに微笑みながらライラに声を掛ける。彼女もわざとらしく微笑んだ。
「えぇ、おかげさまで」
ライラは化粧道具を荷物にしまった。そして全ての荷物をジョージが持ち上げる。あくまでも表向きは商人と護衛兼荷物持ちなので荷物は全て彼が運んでいた。その設定がなくても彼は進んで荷物を持つし、彼女は遠慮する事なく任せる。二人の立場を知る者が見れば王族に荷物持ちをさせるなんてと言う者も出てくるだろうが、彼女からしてみれば自分が望む事を彼が受け入れてくれるのだから彼が望む事も受け入れるという姿勢である。彼は妻を甘やかしたいのだ。
宿屋に併設された酒場は朝なので閉まっている。仕方なくライラは宿屋の人に朝食の相談をする。すると隣の店が朝から夕方まで開いているという事なので、二人はそのまま宿屋を後にしてその店に向かった。
朝にしては少し遅い時間だからか、店はそこまでも混んでいなかった。ライラはあえてサムルク語で店員に話しかける。店員はそれを気にする事なく二人を店の奥の席へと案内した。彼女は昨夜の肉料理があまり口にあわなかったので卵料理を注文した。
「該当人物はいそうか?」
「いないかも。ゆっくりしすぎたかしら」
「前から思っていたけど、ライラは寝過ぎだと思う」
ライラは寝付くのは早いが眠りが深く寝起きも悪い。ジョージが先に目を覚ましてベッドの横で身体を動かしていても全く起きない。慣れない土地で覚えたての言葉を駆使しながらの旅行だから疲労もあるだろうと、彼は彼女が自然と目を覚ますまで毎朝待っているが、昨夜は少し夜更かしをしたせいか起きる気配が感じられず初めて起こしたのだ。
「これは昔からだから仕方がないのよ。甘い物がないから睡眠は確保したい」
「そう言えばこちらでは全然食べてない。ケィティへ着いたらダンさんの店に直行だな」
「いいわね。今ならタルトを一度に二種類食べられそう」
ライラが微笑むと料理が運ばれてきた。卵料理は可もなく不可もなくという味付けで二人はそれを黙々と食べる。その時男性二人が横の席に腰掛け、店員に注文をした。
『これからどうする』
『帰っても命の保証はないが、逃げても生きられる保証はない』
『商船を狙えなくなってから本当に風向きが変わっちまったよなぁ』
ライラは隣から聞こえるカエド語に耳を傾けた。それを彼女の僅かな変化だけでジョージは理解すると御品書きを彼女の前に出した。
「この中に甘い物があったら追加で注文して」
ライラは頷くと店員に声を掛け、牛乳プリンをふたつ注文した。何も言っていないのに滞在時間を延ばそうとしてくれるジョージに、彼女は思わず微笑みかけた。
『急に向こうの大陸の軍隊が出てきた理由は何だ?』
『俺達がくすねていた商品を黙って見逃し続ける国の方が問題あるだろう』
『そりゃそうか。かなりぼろい商売だったもんな』
ライラは話を聞きながら内心怒りを感じていた。職人が丹精込めて作った品を強奪した事を全く反省していない。カエド語なのでカエド人かと思っていたが海賊の生き残りなのかもしれない。
店員が隣の席に料理を運んだ後、プリンふたつを二人の前に置いた。プリンなのでカラメルソースがかかっているかと思ったが、白いプリンに赤色のソースである。商品名が牛乳プリンの時点で別物と思った方が良かったのかもしれない。ライラは妙な物を頼んでしまったと思ったが、ジョージは気にせず口に運ぶ。
「白いプリンかと思ったら別物だな。ソースが微妙」
「この赤いソースは何?」
「薔薇の香りがする」
ジョージが微妙と言ったので失敗したかとライラは思ったが、薔薇の香りが鼻に付くという意味だったとわかり彼女は安心して口に運んだ。この国に来て一番美味しい料理に思わず笑顔が零れる。しかし隣から聞こえてくる会話はそんな彼女のささやかな幸せをあっさりと奪う。
『ケィティの軍艦がアスラン港で待機しているらしい。しかもどうやら戦地まで届く長距離砲だとか』
『それは放っておいて大丈夫なのか?』
『知らねぇよ。つまり国に帰っても大砲で終わりの可能性もあるってこった』
サマンサがアスラン王国へ嫁ぐのに使用したのはレヴィ軍艦である。元共和国であり現在は自治区のケィティが所持しているのは商船だけであり、軍艦はない。そしてその軍艦はここにジョージがいる以上その場を離れるはずはないのだが、それをカエド人がわかるはずもない。
『王様ってのは困った人だねぇ。そんなにアスランは魅力的なのか?』
『そりゃ魅力的だよ。ケィティとの交易を独占してやがる。カエドは何度もケィティに交渉したらしいけど、絶対に売ってくれなかったらしい』
『商人ってのは売れるものがあれば敵にも商品を売るような者なのに、何で売らないんだ』
『そこまでは知らねぇよ。売ってくれないから俺達に奪って来いって言ったという話しか聞いてねぇ』
ライラはプリンを食べながら考えていた。テオの手紙にはニーデの顧客開拓はかかれていたが、カエドに対しては行くなとしか書かれていなかった。カエドとの商売で過去に何かあったのか、それともどうしても売れない何かがあるのか。しかし、それが原因でカエドがアスランに戦争を仕掛けたのだとすれば、ケィティもなかなか質が悪い事になる。
「商売は出来そうか?」
ジョージは不満ながらもプリンを食べつつライラに声を掛けた。傍から見た時に不自然にならないよう、彼の表情は穏やかである。ライラは笑顔で首を横に振った。テオが売る気のない人達に商品を売るのは違う気がしたのだ。
『おい、お前ら呑気に食べてる場合じゃない。すぐ帰るぞ!』
店の中に一人の男性が入ってきて、カエド語で文句を言いながら二人の近くに寄ってきた。
『嫌だよ。俺はまだ死にたくねぇ』
『死にたくないなら来い。別の仕事が入った』
『あぁ? ニーデともサムルクとも話は何もついてねぇ』
『それはどうでもよくなった。ケィティの娘を誘拐するぞ』
『その娘を誘拐してどうするんだよ? そもそも誘拐は俺の担当範囲外だ』
『つべこべ言うな。とにかく話はここでは出来ない。行くぞ』
男性二人は嫌そうな顔をしながらも料理を口に頬張ると、後から来た男性と店を出て行った。ライラはどうしていいのかわからずジョージに今聞いた話を全て話した。
「サマンサを誘拐か」
「どうしよう。サムルク経由だと彼等が先にアスランへ行ってしまうわ」
「落ち着け。誘拐の可能性は最初からわかってるはずだ。厳重にサマンサは守られているだろう」
ジョージの落ち着いた声にライラは自分が動揺している事に気付き、一度深呼吸をした。
「大丈夫なの?」
「信じるしかない。だが何かあってからでは遅いから戻るか」
ライラは頷いた。どの道ここで商売する気がないのだから戻るしかない。
二人はサムルクの首都へと戻ってきた。帰りは寄り道をせず真っ直ぐ馬を走らせてきたが、ここではディーノから代金を受け取らなければならないし、この先もまだ移動しなければいけないのでゆっくり休めるようにと前回と同じ宿の部屋を押さえた。それから二人はディーノの工房へと向かった。
「思ったより早いですね。やはりニーデでは商売出来ませんでしたか」
「あぁ、物価が違い過ぎた」
「確かにお二人の持っていた商品ですと、なかなか手が出ないかもしれませんね」
ディーノは銀貨の入った袋をジョージに差し出した。彼は中身を確認すると自分の荷物にしまった。
「ところで、最近妙な話は聞いていないか」
「妙と言いますと」
「サマンサを誘拐する、というような話」
ジョージの言葉にディーノは険しい表情を浮かべる。
「カエド方面とアスラン第五王子、どちらの心配をされていますか?」
「カエドだが、第五王子はどういう事だ?」
「カエドでしたら心配は要りません。間者が複数いますから何かあればすぐにアスラン王国内のケィティ人に情報が流れるでしょう。第五王子は伝手がないのでわかりかねます」
第五王子と言われてもジョージもライラも情報を持っていない。アスラン王宮での宴の際には出席していなかったのだ。
「アスラン国内にいる職人を紹介しましょう。確かその王子と交流を持っていたはずです」
そう言ってディーノは机の上に置いてあった紙に流れるようにケィティ語を書いていく。そしてもう一枚の紙に簡単な地図を書くと、両方を折り畳みジョージに差し出した。彼は礼を言って受け取った。
「私はよく知らないのですが、テオさんが第五王子とは無理だと判断したようですからサマンサ様に相応しくない人なのは間違いないと思います」
「セリム殿下は相応しかったのか」
「生憎私はアスランの事はあまり詳しくないのです。その件も合わせて彼女に尋ねてみて下さい」
「職人なのに女性なのか」
「アスランは女性でも手に職を持っています。未亡人にも優しい国なのですよ」
ライラとジョージはディーノと夕食を共にした後、宿屋に戻ってきた。彼女はソファーに腰掛けるとかつらを取る。彼もその横に座る。
「やっとじいさんの意図が見えた」
ライラが首を傾げるとジョージは笑った。
「ケィティは軍隊を持っていない。商船を海賊に襲われないように対策をしたくても、ガレスと戦争中ではレヴィ海軍が動かせない。だからまずガレスと休戦させて、その後にアスランとの交易の安全を確保する為にサマンサとの政略結婚を結んだ。レヴィにとっては大して意味はなくとも、じいさんにとっては意味があったんだ」
「カエドに物を売らない理由は?」
「間者を複数潜入させているのは信用していない証拠だ。アスランとの国境にいたカエド人を見る限り、貧しいのは間違いない。商売が成り立たないんだろう」
「平民に重税をかけて王族だけが贅沢をしているという可能性もあるわ」
「それなら尚更売らないよ。じいさんは元共和国の代表だから理不尽な重税を嫌う。レヴィも王族は裕福だけど義務は果たしている。国民もそれなりに暮らせているし」
「ジョージも色々と見て回っているものね」
ライラはこちらの大陸を見て回る事によってレヴィ王国の素晴らしさを一段と理解した。街道はきちんと整備されているし、軍隊が国内を馬で移動するのに困らないよう各地に牧草地と水場が用意されているが、お金さえ払えば一般市民も使用出来るようになっている。小さな町でも嗜好品を扱う店があるのは生活にゆとりのある証拠である。こちらではなかなか見つからない甘味が、レヴィ王国内ではどこででも手に入るのだ。
「最近は本当に軍人以外の仕事が多くて嫌になる。戻ったら国内の補修が必要な街道を調べて議会に提出しなければいけない。だから帰りは国内の中道を通って帰るから付き合って」
「でもフトゥールムを置いてきてしまったわ」
ライラはサマンサとポーラと共に王女専用の馬車に乗ってレヴィ王宮を出た為、今回愛馬は赤鷲隊厩舎で留守番である。
「こちらの馬も乗ってるんだから、ケィティからも別の馬でいいだろう?」
「サマンサの馬車はどうするの?」
「確かに置いといても仕方ない。帰ったらじいさんに聞いてみる」
ライラは荷物から紙を取り出した。今まで集めた情報をまとめたその紙の余白に、今ジョージが話した事を書き込んでいく。
「結局ニーデの動きが見えないままになってしまったわね」
「ニーデで粘っても情報が手に入ったとは限らないからそこは割り切ろう。そもそも俺は戦争に引っ張り出されなかったらそれでいいんだ。レヴィだけで手一杯だし」
「それもそうね。本来ならアスランの人達が解決するべき事だもの。どれだけの人がセリム殿下の味方かはわからないけれど」
「サマンサの情報がカエドに流れているのだから中枢にカエドと繋がっている人も居るだろうな。アスランの内情は酷そうだ」
「サマンサは大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。サマンサは賢いし人付き合いが上手い。ライラもそれはわかるだろう?」
不安そうなライラにジョージは笑顔で応えた。彼女は頷く。サマンサは王女ではあるが、生母を幼い頃に亡くしていて後ろ盾は弱い。だが兄とは違いレヴィ王宮で堂々と暮らしていた。茶会や晩餐会を催して貴族女性と仲良くし、舞踏会では独身貴族男性なら誰とでも分け隔てなく踊る。義理姉妹のお茶会で探り合いをせず楽しかったと言ってくれたのは、他では常に相手の心を探りながら人付き合いをしていたのかもしれない。そう思うとサマンサがこの国で探り合いをしないでも過ごせる人が見つかる事を願うしかない。それがセリムであれば一番だが、先日会った時はそのような雰囲気はまだ感じられなかった。
「どうかした?」
ライラが黙り込んだのを不思議に思いジョージが問う。ライラは首を横に振った。
「サマンサには幸せになって欲しいと思っただけ」
「ライラはずっとそれを心配してるね」
「サマンサにはその権利があるもの。誘拐される前に間に合うといいのだけれど」
「サマンサは一人で出かけたりしない。あの館に籠っていればまず大丈夫だろう。見た感じ、玄関以外の侵入は難しそうに見えた」
ライラはジョージに問うような視線を送る。サマンサの暮らす館に行った時、玄関から出入りしただけで周囲を見た訳ではない。一体いつの間に確認をしたのだろうか。
「俺の視力がいい事、気付いてないの?」
ジョージは笑顔を浮かべた。ライラは思い当たる節があり頷いた。橋の工事現場でも工夫の表情を見ていたし、以前黒鷲隊の砦にいた時も三階から隊員に呼びかけた。
「ジョージは何でも出来過ぎだわ」
「そうでもない。癖字だし、他国語は頭に入らないし、妻は先に寝落ちするし」
意地悪そうに微笑むジョージにライラは不機嫌そうな表情を向ける。
「最後のは関係ないでしょう? ニーデでは起きていたわ」
「抱き合うのは毎晩でなくていいけど寝る前に少し触れ合いたい。俺にとって寛ぎの時間なんだよね」
「人をからかうのが寛ぎというのはどうかと思うわ」
「可愛いライラを見たいだけだよ」
ライラは困惑した表情でジョージを睨む。彼は笑顔だ。彼女は悔しそうに視線を逸らした。
「それならお風呂に入ってくるわ。私もジョージと触れ合いたいから」
そう言って立ち上がろうとするライラの腕を引き、ジョージは彼女に口付ける。
「んもう、すぐそうやって!」
「今のは可愛かった。入浴後もその感じで宜しく」
笑顔のジョージにライラは悔しそうに彼の腕を叩く。アスラン王国へ入れば別々のベッドで寝なければいけないし、軍艦に乗れば同じ部屋でさえ眠れない。今夜を逃すと暫く一緒に眠れないと思うと、癪だと思いながらも今夜は彼と甘い時間を共有したかった。
そうして入浴後、ジョージとライラは仲良く触れ合った。だが、彼女が欠伸をして先に眠るのはもはや約束事である。彼は小さくため息を吐いて彼女を抱きしめながら眠りについた。