その6 【ニーデ王国入国】
サムルクで宝飾品を半分売り上げた後、ケィティ商人に荷物を渡しながらジョージとライラはニーデ王国に入国していた。通過はさせてくれるというだけあり、二人は特に怪しまれる事もなくニーデ王国の首都を歩いていた。
ここでもライラの言葉は問題なく通じた。ただ小国というだけあってニーデ人は近隣諸国の言葉でも対応する。特にサムルク語はニーデ語と変わらぬ扱いを受けている様子だったが、彼女はあえてニーデ語を使用した。そして難なく王都で一番大きいと思われる宿屋の一番いい部屋を押さえる事が出来た。
ジョージは部屋に入ると荷物を床に置いて長椅子に腰掛けた。ライラもかつらを取ると彼の横に腰掛ける。
二人はここまで預かった荷物と引き換えに手に入れた情報を整理する事にした。基本的に言葉での伝達の為、ライラは忘れないように帝国西方語で書き残していた。こちらの大陸ならばレヴィ語でも問題ないとは思うのだが、彼女は念には念を入れていた。それほどの情報なのである。
「じいさんには全く恐れ入る」
ジョージは長椅子に身体を預けた。体格のいい彼の体重移動を支えきれず長椅子が少し軋む。ライラは驚いて彼を睨んだ。
「一番いい部屋なのに長椅子のつくりがよくないな」
「ジョージの体格がよすぎるのよ。この国の人達は小柄な人が多いからジョージがとても目立つわ」
「それは俺に言われても困る。身長は努力せず勝手に伸びたんだから」
ジョージはレヴィ国内でも長身で目立つ。同じくらいの背丈の男性もいないではないが珍しい。しかしこちらの大陸では長身の人が少ない。特にサムルクからニーデに入るとそれは顕著になり、男性でもライラと変わらない身長ばかりだ。彼は横目でベッドを見た。
「もしかして壊すかな」
「二人用のベッドだから大丈夫ではないの?」
「まぁ激しくしなければ大丈夫か」
「まだ明るいのに何の話?」
ライラが頬を赤く染める。それを見てジョージが意地悪そうに笑う。
「ライラこそ何を考えているの。俺は別にそういう意味で言ったわけではないよ」
ライラがより頬を赤く染めるとジョージは楽しそうに微笑む。
「ここの人達は宝飾品を買ってくれないかもしれないし、ここで一日中過ごしてもいいかもね」
「そ、その話は一旦置いといて、集めた情報を整理しましょう」
ライラは荷物から書き留めていた紙を取り出す。ジョージはつまらなさそうな表情をしながら頷いた。彼女はニーデ入国直前、国境付近で聞いた話をその紙に書き始めた。
海賊行為を支援していたのはカエド王国。カエドはアスランとの戦争を少しでも有利にする為に、交易船に被害を与えるよう海賊を支援していたのだ。しかしそれをレヴィ王国が叩いてしまった。その後もレヴィから出航する交易船にはレヴィ海軍の軍人が同乗する事になり、カエドは交易船を攻撃する事が出来なくなった。
また、カエドはサムルクの使者をニーデ経由で迎える為に、その通行料として海賊から入手したケィティの宝飾品をニーデの主要人物に渡していた。それも出来なくなったものの、何とか宝飾品以外の物で誤魔化していたが、ここへきてサムルクは支援を断ってきておりカエドはかなり困った状況に追い込まれていた。
「アスランの味方はこの大陸にはないの?」
「ないみたいだな。アスランはレヴィとの交易を持っているのが最大の強みだ。小麦はあまり取れないがソバと米は十分収穫出来るし果物も豊富。何より絹織物が秀逸だ。本来なら国庫が底をつくはずがない。大臣達が余程腐っていて、そして近隣諸国にもその金が流れているのだろうな」
ライラは意外そうな表情をジョージに向けた。彼はサマンサの夫に関しての情報は一切持っていなかったのにアスラン王国の情報は持っている。何が収穫出来るというのはテオの手紙には書いてなかった。
「サマンサの結婚相手に興味はなくても国には興味があったからな。俺は戦争に駆り出されたくなかった」
ライラの疑問を察してジョージが答える。彼女は納得したように頷いた。アスランと国交を結んでいるのだから、こちらの大陸に味方がいないとなれば助けを求めるのは必然とレヴィ王国になる。それは彼にとって避けたい事であった。
「戦争は終わりそうだけど、確実な何かが欲しいわね」
「アーディル将軍を探していたカエド人を捕まえられたら口を割らせるんだけど、生憎俺はあの王宮で使われている言語は何ひとつわからなかったから、ライラが言っていたカエド語を話した人物がわからない」
「それは私もわからないわ。声は聞いたけれど顔は見ていないの。そちらに顔を向けたら不自然に思われると思ったから」
「とりあえず王都を歩いてみるか。物価を確認して、宝飾品が売れるかも知りたいし」
ライラは頷くとかつらを再び被り、二人は部屋を出て王都へと繰り出した。小国なのでサムルクやアスランの王都と比べるとこじんまりとしていて、アスランと同じく露店が多い。ライラはそれを確認しながら、ここでは宝飾品は売れなさそうだと思った。彼女が持ってきた一番安い耳飾りでも、露店に置いてあるどの商品よりも高かったのだ。
日が暮れてきたので二人は宿屋に併設されている食堂へと向かった。そこは酒場でもあり店内はやや薄暗かった。騒がしい店内の一角に二人は案内された。彼女は店内の話声に耳を傾けた。一方彼は暇なので彼女の顔をじっと見つめた。
「な、何?」
「ライラの表情を堪能しているだけだから気にしないで」
ライラの表情が困惑に染まる。それを見てジョージは意地悪な笑顔を浮かべた。彼女は彼の腕を叩きながらも、話に耳を傾ける事はやめない。そこに店員がやってきて彼女は適当に酒と食事を頼む。彼女は酒を飲まないが、彼は程よい量は飲む。テオが信じられない量を飲ませるから酔い潰れるだけで、酒瓶二本程ならびくともしない。
ライラはじっと見つめながら髪を弄ってくるジョージに困惑の表情を浮かべた。かつらの髪なのに何故か彼女は恥ずかしかった。この旅行中、彼は彼女をこうして愛でていた。知り合いの誰にも見られないという気持ちが彼を楽しい気分にさせていた。おかげで周囲には商人と護衛ではなく仲のいい恋人としか見られず、美人と長身の平凡そうな男という妙な組み合わせは全く怪しまれなかった。
ライラは運ばれてきた果実水を手に取り、ジョージと乾杯をする。そして食事を口に運ぶ。アスラン、サムルク、ニーデと旅行をしてきたが、今夜の食事は彼女の口にあまり合わなかった。ここは国内で一番いい宿屋のはずなので酒場としてもいい店だと思ったのだが、想像していたよりも美味しくない。彼女は彼の様子を窺うと、彼もどうやら同じ意見のようだった。
「そろそろ料理長の食事が恋しくなってきたな」
「そうね。このお肉はもう少し香辛料を強めにして欲しいわ。少し生臭い」
「香辛料は高価だからあまり使えないのかもしれない。それでも香草を添えればいいのに」
そんな話をしながらもライラは周囲の話を聞き続ける。時間的にはそろそろ酒が回り出す客が出てくる。そういう文句が一番有用なのだ。ニーデは豊かな国ではないので酒場に来られるだけでそれなりの生活をしている者という事になる。
ライラは果実水をジョージは酒をおかわりしながら暫く酒場に滞在をした。勿論彼は暇なので定期的に彼女の指に自分の指を絡めたりして弄ってくる。彼女はそれに耐えながら三ヶ国語が混ざる酒場で必死に情報を集めていた。
「何か聞き取れたという表情だね」
部屋に戻るなりジョージはライラに問いかけた。彼女は彼を睨む。
「それよりもジョージ、いい加減にして。集中出来ないの」
「だって俺暇だし。一応集中出来る範囲に留めているつもりだけど」
ジョージはしれっとした表情で長椅子に腰掛ける。彼は酒をそれなりに飲んだはずだが酔ってはいない。ライラは悔しそうな表情をしながらも彼の横に腰掛けた。
「それで。何が聞けた?」
「カエド語でこのまま国には帰れないと管を巻いていたわ。サムルクは一方的にカエドを切ったのだと思う」
「ニーデの内情は」
「それはなかったわね。多分酒場は異国人用なのではないかしら。ニーデ語は店員以外聞こえなかったわ」
「宿屋併設だからニーデ人は来ないのか。カエドへ足を伸ばしたい所だけど、じいさんが忠告するくらいだから行けないしな」
「えぇ。このまま引き返すしかないのかしら」
「その管を巻いていた人の顔は覚えている?」
「流石に暗かったから覚えていないわ。どうして?」
「その人に宝飾品を売ったら道が開けるかと思ったんだ」
ジョージの言葉にライラは驚きつつ頷いた。カエド語で文句を言っていた人はニーデの主要人物との交渉人の可能性もある。集めた情報が確かならば、その人ならケィティの宝飾品を欲しがるかもしれない。カエド語は知らないふりをしてその人に近付けば、何か情報が零れてくるかもしれない。
「あそこで飲んでいたのだから、ここに泊まっている可能性はあるわね」
「明日の朝、上手く捕まえられるといいけど」
「カエドに帰れないと言っていたくらいだから急いで帰らないかもしれないわね」
ジョージは頷くとライラのかつらを外してテーブルの上に置いた。
「とりあえず今夜はここまでにしよう」
ジョージは優しく微笑むとライラの頬に手を添える。彼女は彼の手に自分の手を重ねると彼を見つめた。
「今夜は大人しく寝るのよね」
「ベッドが壊れたら流石に困るからね。サムルクのベッドはいい感じだったから、激しいのを望んでいるなら帰りもあの部屋を取って」
「望んでいないから!」
ライラはジョージを睨むも、頬を赤らめているので彼には何の効力もない。彼は笑顔で彼女を長椅子に押し倒すと、彼が力をかけた部分が少し軋んだ。彼の表情が一気に不満そうになる。
「雰囲気を壊す椅子だな、これ」
「そういう長椅子だと知っててやるからいけないのよ」
ライラの表情が気に入らなかったのか、ジョージは長椅子が軋むのも気にせず彼女に口付ける。彼女は抵抗しようとしたが、ここで暴れたら余計に長椅子が軋みそうで出来なかった。彼も軋みが気になったのか顔を離すと椅子から立ち上がった。
「この椅子嫌だ。続きは風呂場でしよう」
ニーデは小国ながらも温泉が各地にある。当然宿屋で一番いい部屋には温泉かけ流しの風呂場もついていた。
「え、一緒に入るの?」
「風呂場は流石に軋まないだろうから」
笑顔でそう言うとジョージはライラを椅子から抱え上げた。彼女は抵抗をしてみせたが、軍人の彼が彼女一人を運ぶのに何の支障もない。結局彼女はそのまま風呂場へと連れ去られた。