舞踏会【前編】
レヴィ王国とシェッド帝国が戦争をしてから一ヶ月半が過ぎていた。国内の揉め事も落ち着き、祝賀会を兼ねた舞踏会が数日後に開かれる事になっていた。全国から貴族達が集まる最大規模の舞踏会である。戦勝祝いを兼ねているので少佐以上の軍人も参加する事になっていた。
「お久しぶりです。少し綺麗になられましたか?」
ライラの部屋にはウォーレンが尋ねて来ていた。ウォーレンはハリスン領主代理任務を解かれ、王宮に呼ばれたのだ。しかしエドワードが断ったのでグレンの代理ではない。祖父である宰相の右腕として働く為である。
「あら。ウォーレンが御世辞を言う人だとは思っていなかったわ」
ライラは微笑みながら紅茶を口に運んだ。ウォーレンも紅茶を口に運ぶ。そして一口飲んでライラの後ろに控えていたエミリーを見つめた。
「噂通り美味しいです。流石ライラ様の侍女が淹れた紅茶ですね」
エミリーはウォーレンに一礼した。
「貴女がエミリーですね。私の可愛い子を駄目にした」
「私は何もしておりません」
「何もしていないは流石に嘘でしょう。私の間者に近付き情報を入手するだけでよかったはずです。彼は貴女と本気で結婚まで考えていました。何もせずそこまでなりますか?」
ライラは不審な表情でエミリーを振り返った。エミリーは涼しげな表情をしている。
「結婚したい相手がいたのね?」
「いいえ。先方がどう思っていたかは存じませんけれども、私は結婚など考えた事もありません」
エミリーは父親の事を秘密主義だと言っているが、彼女も秘密主義である。一番親しいであろうライラにも自分の事について話す事はあまりない。それでも付き合いが長いので、ライラはエミリーが嘘を言っているかどうかはわかる。エミリーは本当に結婚について考えた事はなかったとライラは判断した。
「そう。エミリーは理想が高そうだから納得出来なかったのね」
「ライラ様、私は間者にも美を追求しております。見た目は勿論ですが忠誠を貫く者しか使いません。その間者の口を彼女は割らせたのです。こちらとしては損害が出ていますから、請求させて頂きたいのですけれども」
「そちらの間者もエミリーから情報を抜く為に近付いたと聞いているけれど」
ライラは強気な眼差しでウォーレンを睨んだ。彼はそれを嬉しそうに受け止め、口角を少し上げた。
「ライラ様の睨みもいいですね。私は何もこちらだけが得をする請求をするつもりはありません。そちらにも利がある話ですよ」
「どういう意味かしら」
「次の舞踏会、私は祖父に女性同伴でと言われています。ですからエミリーを貸して頂けませんか。勿論ドレスも宝飾品もこちらが用意致します。エミリーも舞踏会へ参加してみたいとは思いませんか。お望みなら貴族の方々も紹介致します」
ウォーレンの要求にエミリーは心揺れた。平民の侍女は舞踏会に参加出来ないので諦めていた事だが、その煌びやかな世界を覗いてみたいと、ずっと思っていたのだ。
「私が参加して露見した場合、ウォーレン様が大変ではありませんか」
「貴女の肩書など何とでもします。祖父を黙らせるにはカイルを再婚させるしかないのですけれど、ライラ様の一件でこちらも予定が狂っているのです」
「私が悪いという表現はやめて。ウォーレンが勝手に計画していたのでしょう?」
「しかしライラ様が普通の感性をしていたら、カイルを選ぶはずなのですよ。何故美しい遺伝子を効率よく残そうとされないのですか」
「人に頼らないで自分で何とかしなさいよ。美しい遺伝子ならウォーレンだって持っているでしょう?」
ライラは不機嫌そうにした。彼女にとって美しさは大して価値がない。何故他人のウォーレンにここまで責められなければならないのか、腹が立って仕方がなかった。そしてジョージを否定された感じがしたのも面白くない。
「ライラ様、その辺にしておいて下さい。私の行動も軽率でしたから私が責任を取ります」
エミリーはライラを宥めるように言った。ウォーレンの言動は確かにおかしいのだが、エミリーにはそれがおかしいとは思えなかった。人に頼るよりは自分で子孫を残した方が早いとわかっていても出来ないのだろうと察したのだ。ライラは事情をウォーレンから聞いていたが、その内容は人に言うものではないだろうとエミリーには言っていなかった。
「エミリーも別に悪くないでしょう?」
「しかし折角舞踏会に出られる機会です。ライラ様はお好きではないかもしれませんが、私は一度参加してみたいと思っていたのですよ」
「エミリーが参加したいというなら私が断る理由はないけれど」
「ウォーレン様、今回引き受ければその一件は水に流して下さるという事で宜しいでしょうか」
「えぇ。約束しましょう」
「かしこまりました。謹んで御受け致します」
舞踏会当日。ウォーレンはエミリーにドレスを届けていた。それはレースが綺麗にあしらわれている高級品である。ライラのドレスと遜色のない物にエミリーは着るのを躊躇ったが、エミリーはドレスを持っていない。ライラのドレスを借りようにもどれも高級品であるし、そもそも胸が収まらない。エミリーは仕方なくそのドレスを着てライラの部屋へと移動した。そこでは既にウォーレンがライラに化粧を施していた。ウォーレンに目で合図されエミリーは渋々椅子に腰掛ける。エミリーは目立たないようにわざと化粧は控えめにしていたのだが、ウォーレンの横に立つ以上それでは役に立たないと言われ、化粧される事になっていたのだ。エミリーは使用人達に会うはずもないし、今晩だけだからと諦めて受け入れた。
「エミリー、とても綺麗。何故いつもそういう化粧しないの?」
「私は目立つ必要がありませんから」
「勿体ない。きっと皆エミリーを見て声を掛けてくれるわ」
「私の横にいれば声は掛けられませんよ。見られはしますけれどね」
ウォーレンは手際よく化粧道具を片付けながらそう言った。いつも中性的なウォーレンであるが、今日は美男である。髪も後ろで一つに纏めすっきりしている。
部屋をノックする音が響いた。エミリーはジョージだとわかったが、ドレスなのでいつものように歩けない。踵の高い靴も歩き難く、エミリーは扉の前に移動するだけで少し疲れていた。
エミリーが扉を開けジョージが部屋の中を覗く。そして三人の顔を見て嫌そうな顔をした。
「ウォーレン、俺に対しての嫌味か?」
「嫌味だなんてとんでもありません。美しさを追求しただけですよ」
ジョージは自分の見た目が王族らしくない事は仕方がないと諦めてはいるのだが、エミリーまで綺麗に着飾っていると、流石に自分の顔が美形とは違うと無言で言われているようで面白くなかった。そんな彼の気持ちなど気にせずライラは彼に近付く。
「ジョージ様、いかがですか」
ライラはジョージに微笑みかけた。その笑顔を見て彼はくだらない事を考えたなと、心の中で自嘲しながら微笑み返した。
「あぁ。綺麗だよ、ライラ」
ライラは少し頬を赤らめて微笑んだ。彼女は誰に綺麗と言われても涼しい顔をしているが、ジョージに言われると照れる。それが彼の自尊心を満足させていた。
「エミリーも見違えたよ。盛装したら綺麗だろうなとは思っていたけど」
「ありがとうございます」
エミリーは柔らかく微笑んだ。ライラは不満そうに口を尖らせた。それをジョージが見逃すはずもない。
「エミリーを褒めるのはお気に召しませんでしたか? ライラお嬢様」
「んもう。からかわないで」
ライラは軽くジョージの腕を叩いた。彼は彼女の手首を掴むと、そのまま手の甲に口付けた。彼女は驚き手を引こうとしたが、ジョージの力が強くて全く動かない。
「口調が崩れてるよ」
ジョージは意地悪そうに微笑んだ。ライラはウォーレンが部屋にいる事を思い出し、悔しそうな顔をする。しかしウォーレンはそのやり取りを別段気にしなかった。
「ではエミリー、あの二人は置いていきましょうか」
ウォーレンに腕を出され、エミリーは頷いてから手を添えた。彼女にとっては初めての経験である。しかし緊張よりも好奇心の方が勝っており、彼女は背筋を伸ばして貴族令嬢らしく振舞おうとした。公爵令嬢らしくないライラだが踵の高い靴でも平然と歩いているのを思い出し、やはり出自の違いは隠せないなと、自分の歩き方の拙さに内心落胆した。
舞踏会の会場には既に人が集まり始めていた。ウォーレンとエミリーに続いて、ジョージとライラも会場に入る。するとジョージを見かけた人達が一斉に彼を取り囲んだ。ジョージはライラとの時間を優先する為に会食を最近では減らしており、ジョージと接点を持ちたいと思っている貴族と、赤鷲隊隊長に挨拶したいという軍人達が大勢いたのである。ウォーレンはそんな様子を満足そうに見ながら壁際へとエミリーを連れて行く。
「もしお好みの男性がいれば紹介しますよ。あの子よりいい男はそうそういないと思いますけれど」
「彼に伝えた事を御存知ですよね。私はライラ様に一生仕えたいので結婚はしません」
「結婚しても仕え続ける侍女はいますよ。その場合相手は貴族ではなく使用人でないと都合悪いでしょうが」
「えぇ。彼は子爵家辺りの出身でしょう。何故間者をしていたのかまでは存じ上げませんが」
「子爵家の三男で本来はハリスン家当主の従者です。子爵家三男など平民みたいなものですよ」
「何を仰りたいのでしょうか」
「わかっている事を尋ねるのはいかがかと思いますよ。彼は今王都のハリスン屋敷にいます」
「私に未練はありません。水に流して下さるというお話でしたから、私は本日参加したのです」
ウォーレンの間者は顔立ちのいい好青年で、エミリーも彼に好意を抱いていた。しかし決定的な何かが足りなかった。結婚したいとまでは思えなかったのだ。
「それよりも私は今日カイル様に相応しい方を探しに来たのです。いい男性より女性を紹介して下さい」
「そちらに協力して頂けるのですか? それは心強いです。ライラ様の侍女にするにはまず貴女の理解が必要ですから」
ウォーレンは嬉しそうに微笑んだ。その笑顔はとても綺麗だ。エミリーは惜しいなと思いながら、彼の腕に手を添え会場の中へと進んでいった。