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謀婚 番外編  作者: 樫本 紗樹
アスラン編
39/73

その2 【工事の現状】

 アスラン王国滞在二日目。ジョージとライラは王宮内のセリムの執務室を訪れていた。昨日はワンピースを着ていたライラだが今日は軍服を着ている。それはアスラン国内を馬車ではなく乗馬で移動する為であり、別段男装はしていない。セリムの執務室には以前ケィティで顔を合わせた男性二人も控えていた。お互いに改めて自己紹介をした後、扉の前で控えている護衛のメルトを除く四人は机を囲むように椅子に腰掛けた。

『我が国の工事の進捗状況を確認して下さるとの事でありがとうございます。私は王都を空ける事が叶わない為本当に助かります』

『いえ、こちらと致しましても技術が正しく伝わったかを確認したく思っておりましたので、国内を移動する許可を頂けて感謝しております』

 義理の兄弟ではなくあくまでもアスラン王太子とレヴィ軍総司令官の会話である。ライラもまた隊長夫人として通訳の仕事を全うしていた。この中でレヴィ語とアスラン語を通訳出来るのは彼女しかいないのだ。セリムの側近ハサンはケィティ語を話せてもレヴィ語は知らないのである。

『こちらはその工事の資料になります。是非参考にして下さい』

『ありがとうございます』

 差し出された資料をジョージは受け取るとライラに見せる。アスラン文字で書かれているが、彼女は読めると頷いた。彼はそれに頷き返して資料を小さく折り畳んで軍服のポケットにしまった。

「もし何か気がかりな事があれば他にも見てきますので、何でも仰って下さい」

 ライラはそこまで踏み込んでいいのか内心不安に思ったが、ジョージの声色は堂々としているので彼女は自分の不安が声に出ないように通訳をする。

『気がかりは特にありませんが、国内のどこを見て頂いても構いません』

 セリムの表情は柔らかい。隣に座っているハサンは無表情だ。

『そうですか。それではお言葉に甘えて色々と見させて頂きます。妹が苦労なく暮らせる事を望んでいますので』

『風土は違いますが、極力レヴィ王宮での暮らしに近い環境を整えました』

『祖父テオが色々と口を挟んだようで申し訳ありません』

 ライラは通訳しながら何の話なのか全くわからなかったが、それを顔には出さずに対応する。本当はすぐにでも問い詰めたい気分だったが、それが出来ない事くらいは弁えていた。

『いえ。テオ殿には色々と助けて頂きました。これからもケィティを通じてレヴィと親しくさせて頂ければと思います』

『そうですね。この結婚が両国の発展に繋がる事を私も望んでいます』

 ジョージとセリムが笑顔で向かい合っていると扉をノックする音がした。これから橋の工事現場まで案内をする役人が訪ねてきたのである。

『それでは、妹の事宜しくお願いします』

『はい。一生をかけて彼女を大切にします』

 セリムは人のよさそうな笑顔を浮かべながらも瞳には力があった。ジョージはそれに満足して、訪ねてきた役人と共に執務室を後にした。


「テオさんが口を挟んだと言うのは何の話?」

 ライラはジョージに小声で問いかけた。今は工事現場へ移動する為に準備中である。アスラン在住のケィティ人が通訳として合流しており、通訳の仕事は彼に任せていた。

「サマンサのこの国での暮らしに必要な物はじいさんが全て揃えたらしい」

「全て?」

「部屋の調度品から料理の味についてまで色々と世話を焼いたらしい。じいさんは生前贈与だと言ってかなりの額を使ったようだ」

「そうなの。そこまでしてこの結婚を纏めたかったのね」

「じいさんの真の狙いが何かは俺もわかっていないんだけどね」

 二人が話している所に赤鷲隊隊員が準備完了しましたと報告に来た。ジョージはすぐに隊長の顔つきになると工事現場へと向けて出発をした。



 翌々日、ジョージとライラは軍人やアスランの役人と共にテオの手紙に書かれていた橋の工事現場を訪れていた。

「確かに思ったより進んでいないな」

 ジョージが現場を見ながら呟いた。ライラはこの工事がいつ始まったのか、どれくらいの進捗状況なら適切なのかはわからない。軍に関する事については相変わらず彼は機密情報として扱っており、彼女に話す事はなかった。

「レヴィ式の工事がアスランに馴染んていないのかしら」

「元々は木造の橋だったのを石造に変更しているが、それほど難しくはないはずだ」

 ライラは目の前に広がる工事現場に視線を移す。レヴィとガレスの間を流れる川よりは川幅が狭い。しかし橋脚がやっと出来たという所だ。

「作業員の表情が気になるな。環境が良くないのかもしれない」

 ライラは工事現場の中の作業員に視線を移す。しかし少し離れた所にいるので作業員の顔までは見えない。

「表情まで見える?」

「見えるよ。カエドの敗走した兵士を工夫にしているのかもしれない」

「奴隷という事?」

「そうなるな。奴隷を否定はしないけれど、ある程度の環境は整えた方が結果上手くいくと思うんだが」

 ジョージとライラは二人にしか聞こえないような小声で話していた。そこにアスランの役人が近付いてきた。

『工事現場の方に近付かれますか?』

『それより先に工夫が暮らしている場所へ案内して貰えませんか?』

 ライラの訳した言葉に役人が嫌そうな顔をした。

「セリム殿下からどこを見てもいいと許可を貰ってる」

 言葉はわからずともジョージの発する声の低さは役人にも伝わった。ライラの訳を聞いて役人は渋々二人を工夫が暮らしている場所へと案内をした。それは掘っ建て小屋だった。工事の為だけの仮の暮らしなのでしっかしとした建物である必要はない。しかしその扉を開けると彼女は顔を顰めずにはいられなかった。男所帯特有の臭いに耐えられなかったのだ。

『ここに何人暮らしていますか?』

 ライラは顔を顰めながらも通訳をする。隣のジョージは平然としているのが彼女は不思議で仕方がなかったが、彼は軍隊での生活が長いので違和感がないのかもしれないと思った。王宮にある赤鷲隊兵舎は女人禁制の為彼女は足を踏み入れた事がなく、同じような臭いがするのかわからない。以前数日過ごした黒鷲軍団基地はここまで酷くはなかった気がした。

『一部屋に十人です』

 ライラは驚きながら通訳をする。その一部屋は彼女のレヴィ王宮の部屋よりも狭く、見渡す限りベッドも見当たらない。床に十人雑魚寝なら出来るだろうが、それで身体が休まるとは思えなかった。

『食事はどのように提供されていますか』

『奥に食堂がありますので、そちらで煮炊きをしています』

『食事は一日に何度ですか』

『朝晩の二回です』

 ジョージはセリムから貰った資料を思い出していた。昨晩ライラに訳して貰ったものを頭に叩き込んである。かかっている費用と提供されている環境が合わない事は明白だった。

「これは誰かが中抜きをしているのだろう。王都からさして離れていないのに堂々と不正をする所が凄いな」

「目の前のこの人?」

「彼はお零れを与っているかもしれないが、小物だから違う。そもそも当人なら適当に誤魔化して案内しないはずだ」

 二人がレヴィ語で話していると役人は不審そうな表情を浮かべた。

『ありがとうございました。現場の方も案内して頂けますか?』

 役人は頷くと現場の方へ向かった。既に現場にはケィティ人の通訳を挟んで赤鷲隊隊員が工夫達に指示をしていた。

「カルロス、状況はどうだ」

 ジョージに声を掛けられ、カルロスと呼ばれた隊員が振り返り彼の元へと駆けてきた。

「石の加工に慣れていないようです。それと食事が少ないのか筋力があまりありませんね」

「元兵士かと思ったのだが一般人か」

 ジョージは話しながら工夫達の体躯を観察する。確かに兵士の体つきではない。むしろ鍛えていた雰囲気のない者ばかりだった。

「元々は農民だったようです。だからこそ置いていかれてしまったのでしょう」

 軍人は馬に乗って逃げ、歩兵が全員渡る前に橋を落としてしまったのだろう。歩いて渡ることが出来る程この川は浅くはない。

「泳いで渡れば逃げられそうなのに、脱走はしないのか」

「泳げる者がいないようです。近くに海か川がある環境で育たない限り、泳ぎを覚える事はありません。それにこの環境でも母国よりはましなのだそうです」

 カルロスの言葉にジョージとライラは眉根を寄せた。どう見ても奴隷のような扱いで、ましと思える要素がない。

「食事が与えられるだけいいそうです。母国に戻れば餓死しか選択肢がないような事を言っています」

「それで工夫期間を伸ばそうとだらだら仕事をして工事が進んでいないのか」

 ジョージの指摘にカルロスがはっとする。

「石の加工に慣れていないと言うのは口実だったのですね」

「多分な。一年も経って慣れないはずはない」

 こんな事をしていたら国庫が潤うはずがないとジョージは思ったが、それは言葉にしなかった。カルロスにそのような事を言っても仕方がない。問題だらけの現場に彼が口を挟むのも良くない。

 二人が話している間、ライラは役人達の話に耳を傾けていた。ケィティ人の通訳はカエド語も話せる事を隠していないが、彼女はあくまでレヴィ語とアスラン語の通訳として同行しており、他の言語については聞き取れない体で行動をしている。知っている言語を無視するのは帝国語で慣れていた。

「ジョージ様、あまりここには長居しない方がいいかもしれません」

 カルロスがいるのでライラは隊長夫人の態度でジョージに話かけた。

「どうして?」

「レヴィがアスランを乗っ取りに来たと吹聴される可能性があります。実際は私達を追い出したい為の嘘でしょうが、妙な噂が広がるとサマンサ様が暮らし難くなります」

「それはよくないな。だが国内の視察はこの橋だけではない。他の建造物についても見て回る約束をしている」

 ジョージの言葉にライラは驚いた。たった三週間しか滞在期間がないのに、一体何日アスランに留まる気なのか。彼女は他の国も見て回りたいのだ。そんな彼女に彼は優しく微笑むとカルロスの方を向く。

「俺達は予定通りこれから別行動をするが問題はなさそうか」

「はい。今の話を受けてこちらで対処致します」

「他の場所も同じかもしれないから注意深く頼む」

「心得ております」

 ライラはいつの間にそのような話になっていたのかわからないまま、カルロスは一礼をすると現場へと戻っていった。

「まだ視察は残っていそうですが予定通りなのですか?」

「あぁ。ライラは建設現場を見回っても面白くないだろうから」

 ライラは別に建設現場に興味がないわけではない。ただこの状況では常に赤鷲隊隊長夫人であり、旅行気分にならないのが面白くないだけである。

「例の話はどうするつもりなのですか?」

「要請されていないのに勝手に首を突っ込むのは問題になるから行かない」

 ライラは戦場へ脅しに行くと言う話が気になっていたのだが、万が一要請された場合に備えていたのかと納得をした。ジョージがいくつもの可能性を考えて準備をするのはいつもの事である。彼女はまだまだ彼の思考の全てを把握出来ない事を残念に思ったが、軍事的な事は仕方がないと自分に言い聞かせた。

「しかしサムルクに行くには一旦王都へ戻らなければいけないから移動時間の関係で滞在時間は減ってしまう。思ったより回れなさそうだ」

「それは仕方がありません」

「でもサムルクはアスランとは違うらしいよ」

 何が違うのだろうとライラが首を傾げるとジョージは彼女の耳元で囁いた。

「サムルクはダブルの宿屋がある。よかったね」

 ライラは表情を平生に保とうと必死になりながらも抗議の視線をジョージに向けた。ここまでの移動中は軍人やアスランの役人と一緒だった為、旅行と言う雰囲気は一切ない。宿屋は二人部屋だったものの彼は任務中だからと別々のベッドで寝ていた。そして彼は楽しそうに微笑んでいる。

「サムルクに既に人を出しているのですか?」

 ライラは悔しさを押し殺して冷静を装った。それをもジョージには御見通しだろうとは思うのだが、彼女は他にどういう態度を取ればいいのか思いつかなかったのだ。

「いや、じいさんの話。じいさんの伝手で宿屋は数日押さえてある。ただ、全部は押さえていないから万が一野宿になったらごめんね」

「天幕も持ってきたのですか?」

「軍艦には積んであるけど下ろしてない。ライラの通訳の腕に期待してる」

 ジョージはこの大陸の言葉が一切わからない。ライラが宿屋に交渉をする必要があり、どの部屋で寝るかは予約している数日以外は完全に彼女任せである。

「承りました。お金は自由に使えますか?」

「それは心配しなくていい」

 ライラは頷き現場の工夫達を見る。彼等はあの狭い部屋で雑魚寝をしている事を考えると自分は何て贅沢をしているのかと考えてしまう。しかも一日二食出るだけで満足だと言う。その食事が満足出来るような量でない事は彼等の線の細さを見ればわかるが、彼女が彼等に出来る事は何もない。今食料を提供しただけでは解決しない事くらいはわかる。

「ライラ、余計な事は考えるな。ここは他国だ。生活水準も違う」

 ジョージに指摘されライラは頷く。アスラン王国とレヴィ王国は国力に差がある。レヴィ王国は豊かであり国内は活気に溢れている。平民でも娯楽を楽しむ余裕がある。一方アスラン王国は暫く戦争が続いており、カエド王国に侵略されかかっていた。王都はまだ活気があったものの、この辺りは工夫の暮らしている小屋以外も掘っ建て小屋が多い。戦争で破壊されてしまったが故の応急処置なのだろう。セリムは王宮を離れられないと言っていたので、この現状を知らないかもしれない。

「報告をする事も難しいでしょうか」

「手紙をしたためるくらいなら構わないけれど」

「それなら手紙にします。一旦王都へ戻りサマンサ様の所へ寄りましょう」

「そうだな。王宮へは入り難いが、サマンサの所なら何とかなるだろう」

 ライラは頷いた。彼女はサマンサの様子も気になっていた。どうも乗り気でなかったサマンサがこの国に馴染んでいるのかそれも自分の目で確かめたかったのだ。

 ジョージとライラは一行から距離を取って静かに現場から離れると王都ラービタタルへと向かった。しかし長身の男性と金髪の女性という目立つ二人が抜けた事をアスランの役人が気付かないはずがなかった。

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