王女の嫁入り
サマンサ、ポーラ、ライラを乗せた王女専用馬車は三日かけてケィティに着いた。その警護に当たっていた赤鷲隊隊員達は、馬を預けて明日乗船予定の軍艦の方へ向かっていく。ジョージはその準備を部下達に任せ、今日はサマンサの兄として一緒に過ごす事になっていた。
テオとパメラと合流し、サマンサ達はまずクラウディアの墓へと向かった。サマンサはポーラから花束を受け取ると、墓に手向け静かに瞳を閉じた。嫁ぐ事を報告し、旅の安全とこれからの生活を見守ってくれるように願った。
そこでテオ達と別れてサマンサ達はダンの店へと向かった。婚約した時は二年と言う約束だったのだが、実際は二年三ヶ月経っている。表向きは船旅が一番安全な季節としているが、実際はサマンサの我儘を聞く為であった。
「美味しい。これが最初で最後なんて残念だわ」
サマンサはジョージが買ってくれた苺のタルトを満足そうに食べている。以前食べた時はジャムだったものが生苺に変わっていた。
「夕食もじいさんが結構揃えているらしい」
「そうなの? 以前食べた蟹は美味しかったわ」
「多分あると思う。サマンサが美味しそうに食べていたのは見ていたし」
「あの時のお兄様は不自然だったけれど、顔合わせの打ち合わせでもしていたの?」
「そんな昔の話は覚えてない」
ジョージはぶっきらぼうにそう言いながらタルトを頬張った。その言い方だけで、あの日玄関前で放置されたのはやはりそういう事だったのかと、サマンサは納得した。
「あの時、おじいさんは戦争がどうのと言っていたけど実際は五年前から戦争中らしいわね。何故そのような嘘を言ったのかしら」
「いや、あれは嘘じゃない。戦線がもうひとつ増えるかどうかの所だったらしい」
サマンサは眉を顰めた。そのような話は聞いていなかったのだ。
「俺が海賊の本拠地を叩いたから、その話はなくなった」
「海賊と戦争が関係あったの?」
「あぁ。あれで二大陸間に広がる海の制海権がレヴィとアスランの物になり、他国は動き難くなった。船の移動もそうだけれど、アスランの背後に強国がいると知らしめる結果になった」
「今回の旅が安全に出来るようにだけではなかったのね。流石お兄様だわ」
サマンサは納得しながら残りのタルトを口に入れた。その横でライラは視線を伏せている。
「いつものにすればよかった」
「生苺のタルトは美味しいでしょう?」
「美味しいけど、いつもの方が好き」
そう言ってライラはジョージの手元を見る。彼は笑うと、食べかけのタルトを彼女に差し出した。彼女は笑顔で一口頬張る。
「そういうのは二人きりの時にしてくれないかしら。目の前でいちゃつかれるのは面白くないわ」
サマンサは不機嫌そうにライラを見た。エミリーがいないからか、ライラはジョージと旅行気分である。今も本来ならタルトを受け取るべき所を、ジョージに差し出し出されたままタルトにかぶりついていた。
「ここはケィティだから大目に見てよ」
「ここなら何をしてもいいと言うわけではないわ。お兄様は軍服を着ているのだから」
ジョージは名目上サマンサ王女の護衛である為軍服を着ている。軍服姿のままタルトを買うのはおかしいが、以前ウィリアムとテオの手紙を配達している頃から彼は軍服で歩き回っており、それがテオの孫だと知っているので、ケィティでは誰も咎めなかった。
「ここではテオの孫というだけで大抵の事は見逃される。気にするな」
「お兄様まで! 軍人としての誇りはどうしたのよ」
「それは今持ち合わせていない。明日軍艦に乗る時までには探しておく」
「何上手い事を言ったみたいな顔をしているのよ」
サマンサはジョージを睨んだものの、彼は人のよさそうな笑顔を浮かべていた。テオの家はどこなのかと尋ねれば多分誰もが教えてくれるだろうが、嫁ぐ旅路の途中で単独行動をするほど、彼女は非常識な王女ではない。苛立ってもその場を動く事は出来なかった。
「サマンサ様、もうひとつ頂く事は出来ますか?」
サマンサの横から呑気な声でポーラが声をかけた。ポーラは初めて食べたタルトが余程美味しかったのか目を輝かせている。
「ポーラ、赤鷲隊隊長におかわりを強請るとはいい度胸をしているわね」
「もう二度と食べられないのなら出来るだけ食べておきたいではないですか。お金は先程荷物と一緒に預けてしまったので後で返しますから」
「いや、いいよ。もうひとつも苺でいい?」
ジョージは笑いながら立ち上がった。ポーラは長身の彼を見上げる。
「ライラ様が一口頂いたものがいいです」
「了解、待ってて」
ジョージは笑顔で頷くと店内へと向かっていった。
「ポーラは本当にいい性格をしているわね。赤鷲隊隊長を使い走りさせる侍女は他にいないわよ」
「ライラ様がとても美味しそうに召し上がっていらっしゃったので興味がわいてしまったのです」
あの笑顔はタルトが美味しいだけではなく、ジョージの態度のせいでもあると思いながらも、サマンサは言葉にするのをやめた。ジョージとライラは結婚して二年半経った今も仲良くしている。それは彼女にとって喜ばしい事であった。
「お姉様、ナタリーお姉様の事をお願いね」
「それは馬車の中で何度も聞いたわ。そこまで気になる?」
「お茶会の時に話を聞いていたでしょう? あれは事実だから」
「でもナタリーはあの時嫌そうではなかったわ。エミリーもあの二人だから成り立つ愛の形であり、他人には理解し得ない異質なものだけど問題ないと言っていたわよ」
「異質とは随分ね。だけどそうかもしれない。夫婦なんて其々よね」
サマンサは遠くを見つめた。彼女の視線はアスラン王国の方角に向けられているが、当然見えるはずはない。
「そうよ、私達より仲良くなるかもしれないわ」
「それは全く想像出来ないのだけれど。お姉様達以上なら異常だと思うわ」
「私達はナタリー達に比べれば真っ当よ。お互いを尊重し合えていると思う」
ライラは微笑んだ。そこにタルトを買ってきたジョージが戻ってきた。彼はポーラにタルトを渡すとライラの隣に腰掛ける。ポーラは礼を言ってからタルトを口に運んだ。
「にがっ!」
「その苦味が美味しいのよ」
ライラにそう言われ、ポーラは食べ進めていく。甘い物と先入観があったから苦く感じただけで、よく噛めばクリームとも調和しているし、徐々においしく感じられてきた。
「食べているうちに美味しくなりました。ありがとうございます」
「ポーラに嫌いな物はあるの? 何を食べても美味しいと言う気がするのだけれど」
サマンサが使用人食堂へ行く事はない。だから彼女が知っているポーラが食べる物と言えば、お茶会で出すお菓子であり、王女の為に用意されたお菓子に不味いものなどはない。
「使用人時代は甘い物を食べる事はありませんでしたから、これだけで侍女になってよかったと思います」
「アスランでは食べられないでしょうから、せいぜい堪能しておきなさい」
「食べられないのですか?」
ポーラは残念そうな表情を浮かべた。サマンサは呆れ顔を返す。
「アスラン語にタルトやケーキがないのだから存在しないのよ。それくらいわかるでしょう?」
「ですが小麦粉や砂糖という言葉はあるのですから、きっと作れるはずですよ」
「それならポーラが向こうで厨房を借りて作って頂戴」
「私は作り方を知りませんから無理です」
きっぱりと否定をしたポーラにサマンサは不思議そうな顔をする。
「エミリーに教えて貰っていないの?」
「エミリーさんに紅茶の淹れ方は教えて貰いましたけれど、料理は侍女の仕事ではないと言われました」
「それ以上話をするなら、じいさんの所でしたらどうだ。長らくここに王女を座らせているのは宜しくない」
ジョージはそう言って立ち上がった。今四人が腰掛けているのは店の近くにある広場のベンチであり、確かに王女には相応しくない。サマンサは頷くと少し歩きたいと希望を言い、四人はケィティの街並みを堪能してからテオの屋敷へと向かった。
「サマンサ、少し話があるんだがいいか?」
屋敷へ到着するなりテオはサマンサに声を掛けた。既に夕方を過ぎており、食堂では夕食の準備が進めらている。
「えぇ。何かしら?」
「少しだけ二人で話したいからこっちに来てくれ」
「じいさん、サマンサは酒が苦手だ」
「わかってる。この結婚についての話だから酒は要らん」
サマンサは結婚についてと言われて戸惑った。一体今更何を言われるのかわからなかったのだ。彼女はジョージの方を見ると、彼が笑顔で頷いたので、彼女はテオに案内されるままその部屋に入った。
「何か不都合な事でも起こったの?」
「まぁ座りなさい」
テオは椅子に腰掛けながらサマンサにも椅子を勧める。彼女は素直にそこに座った。
「自分の目を信じているから、この結婚自体は上手くいくと思っている。だがサマンサがアスラン王国に馴染めるかは別の問題だ」
「いくら私が王宮育ちだからと言っても、郷に入っては郷に従うわ」
「だが気候が違う。向こうは雪が降らないのに朝晩の冷え込みが厳しい季節もある。食事も違えば風習も違う。だからどうしても耐えられなかった時の為に準備をした」
「準備?」
「アスランに馴染めないと思った時は、レヴィ領事館に逃げ込むといい。そこにいるのは一部が赤鷲隊隊員で残りはケィティ人だ。必ずサマンサを守り、レヴィまで送り届けてくれる。だから安心していい」
「安心? これは政略結婚なのだから勝手に帰れないでしょう?」
「大丈夫だ。レヴィにとっては大した政略ではないと陛下から聞いているだろう?」
テオの問いにサマンサは頷いた。ケィティで顔合わせした後、ウィリアムからそう聞いた。それでも結婚をするかと言われて彼女は了承をしたのだ。
「でもそれで戦争になったら大変だわ」
「その心配はない。以前ジョージが海賊の本拠地を叩きに行っただろう? あの時力の差をアスランの軍人に見せつけている。アスラン軍ではレヴィ軍に勝てない、しかも総司令官はサマンサの実兄と知られている。絶対に手出しはしてこない」
テオの言っている事は筋が通っている。しかし政略結婚とは相手が先立つか、両国の間に戦争でも起こらない限り、一生嫁いだ国で暮らす。その国に馴染めないという理由だけで勝手に帰れるとは、サマンサには思えなかった。
「心配はしなくてもいい。何事にも備えがあるというのは安心に繋がる。サマンサはアスランへ嫁いだからと言って、こちらの大陸と関係が切れる訳ではない。気負わず行くといい」
「そのような簡単な気持ちでいいの?」
「いい。儂は商人として定期的にアスランへ往復しているから、セリム殿下の所なら問題なく訪ねられる。領事館に行くのに抵抗があれば、このじじぃに言えばいい」
「ありがとう」
そのような事はないと思うが、サマンサはテオの心遣いに素直に感謝をした。彼も満足そうに頷く。
「ここから船で片道十二日と聞くと遠く感じるだろうが、儂は数えきれないくらい往復している。いつでも気軽に帰ってきていい」
「嫁いでから気軽に帰るなんて、流石に難しいと思うわ」
「アスランの今の法律では難しいだろうが、そこはセリム殿下に相談するといい。彼はそこまで固くないから。儂からは以上だ。夕飯にしよう」
テオは笑いながらそう言うと立ち上がった。サマンサも立ち上がると二人は食堂へと向かう。食堂には豪勢な食事が並べられており、六人は楽しく晩餐を楽しんだ。
「じいさん、明日から船だから酒は遠慮したいんだけど」
「わかっておる。一杯だけ付き合え」
夕食後、ジョージはいつものようにテオの部屋にいた。テオは二つのグラスをテーブルに置くと、そこに酒を注いだ。
「サマンサに何の話をしたのかを教えてくれるつもり?」
「それは陛下と儂の約束だ。教えてやらん」
そう言ってテオはジョージにグラスを差し出した。ジョージはそれを受け取ると二人は乾杯をした。
「父上とじいさんはどういう関係なの?」
「義理の親子であり、一国の長同士であり、商人と顧客だ」
「ケィティはいつか自治区から共和国に戻す気があるのか?」
「戻す気はない。儂もいい歳だ。いつまで元気かわからん。後継は育ててあるが、エドワード殿下と馬が合うかもわからん」
「サマンサが嫁いだ後、退位してケィティで暮らすというのは本気だったのか」
「あぁ。もう屋敷も手配してある。クラークが近いから王妃殿下もこちらで暮らす予定だ。例の弟は順調そうか?」
クラーク家長女とウルリヒは正式に結婚をした。新公爵家の名前も既に決まっており、現クラーク当主が亡くなりウルリヒが新当主になった時、新家名が発表される予定である。
「何とか領主代理をやっているみたいだよ。兄上がウルリヒは王宮に要らないと言ったから、ずっとクラーク暮らしだ」
「その方がお互いの為だろう。エドワード殿下にはジョージだけで十分だろうし」
「俺は戦争がなくなれば仕事が減るはずなんだけど、一向に減らないのが不満だ」
「仕方がない。クラウディアの望みのまま働け」
テオは笑うと酒を口に運んだ。クラウディアはエドワードを生涯支える弟としてジョージを育てた。だから赤鷲隊隊長に相応しい武術は勿論の事、内政も支えられるように勉強も教えた。彼女は亡くなる前に家庭教師の手配もしっかりしており、父であるテオにも自分の希望を伝えて助力を乞うていた。
「赤鷲隊隊長が内政に口を出していいとは思えないんだけど」
「王弟は本来公爵家当主になるのだから口を出す権利はある。赤鷲隊隊長は王位継承権を捨てても王族のままというのは、そういう事だ」
テオはさらりと言ってのけた。ジョージは小さくため息を吐く。
「じいさんはケィティの人間なのに、妙にレヴィに詳しすぎる気がする」
「娘が嫁ぐ国の事を調べない親がいるわけがない。それに儂は元々陛下とは友人みたいなものだ。国内で言えない事を言える相手と言うのは重宝される」
「レヴィ以外でもその関係を築いていそうだ」
「当たり前だろう? 商人は人の心を掴むのが肝要。儂は根っからの商人だ」
「つまりアスランもそういう関係という事?」
ジョージの真面目な視線にテオは意味深な表情を向ける。
「セリム殿下とはそうだな。他は機密だ」
「俺は向こうの大陸の戦争に駆り出されなかったら何でもいいけれど」
「その不安があって三週間視察するのだろうから、これをやる」
そう言いながらテオはテーブルの端に積んでいた本の間から、一通の手紙を取り出した。
「何?」
「向こうの大陸の政略図だ。内容が露見するのは都合が悪いから他国語で書いてある。ライラさんなら読めるだろう」
「他国語とは帝国語?」
「いや。帝国西方語だ。あそこは人口が少ないから言葉を知っている人間が少ない。暗号として使うにはもってこいだ」
ジョージもライラに聞いて帝国には帝国語以外に四言語ある事は知っている。それは帝国中央から見て民族が暮らしている方角で呼ばれ、北方語、南西語、南東語、西方語である。
「じいさんが帝国語以外の言葉を知っているとは知らなかった」
「儂が知っているのは西方語だけだ。南西語は簡単な言葉しかわからないし、他の二つは覚えていない。向こうの大陸ならアスラン語以外に三言語使えるが」
「意味がわからない。そんなに覚えてどうするんだよ」
「いちいち信用出来る通訳を探すのは面倒だろう? 自分で話した方が間違いない」
ジョージからしたら通訳を探す方が覚えるより断然楽なのだが、今の彼には通訳を探す必要がない。彼が願うよりも先にライラが率先して覚えてしまう。
「俺にライラを嫁がせたのは通訳の意味も込めてるの?」
「それもある。だが彼女は面白いだろう? 公爵家の娘として必要な教養や行儀作法だけでなく、物を見る目、味を知る舌も持っている。見た目も麗しいのに驕らず素直で自由だ。ジョージの伴侶として彼女以上に相応しい娘がいるとは思えない」
ジョージは頷いた。ライラよりいいと思える女性がこの世に存在する気がしない。
「アスランまで行きたいと言って言葉を覚えた所は、流石儂が見込んだ女性だと思った。一生大事にするんだぞ」
「言われなくてもそうするよ」
ジョージはグラスに残っていた酒を飲み干した。軍艦に乗れば隊長としての仕事があるので、常時ライラの側にいるわけにはいかない。今夜は彼女をとことん甘やかそうと彼は内心微笑んだ。