ジョージとライラの日常3
ライラはベッドのヘッドボードに枕を立てかけ背中を預けていた。ジョージが来るまで起きていようと持ち込んだ本は、先程脇机の上に置いた。彼女が寝室に入ってから既に一時間が経過しており、今にも睡魔に負けそうだったのである。
その時小さくノックする音が響いて、ゆっくりと扉が開く。ライラは重い瞼を何とか持ち上げて扉の方を見ると、ジョージが微笑みながらベッドへと入ってきた。
「起きてたの?」
「ジョージ、お疲れ様」
ライラは枕を戻し、横になったジョージに抱きついた後、彼に触れるだけの口付けをした。そして満足そうに微笑むと彼の胸に顔を埋める。
「朝まで抱きしめていてね。おやすみなさい」
そう言ってライラは瞼を閉じた。ジョージは驚きの表情をしたが、彼女は既に眠りに落ちていた。
「ライラ、もう寝るの? ライラ!」
いつものジョージならライラを起こそうとはしない。しかし今朝、嫌がっても起こすと宣言していたし、その許可も得ていたので彼は彼女の肩を揺すった。だが彼女は一瞬にして眠りに落ちており、全く起きる気配がない。彼は彼女を起こすのを諦め、深いため息を吐いた。
ジョージはライラを見つめた。彼女は嬉しそうな表情のまま眠りについている。確かに彼女は腕の中で眠りたいと言っていたのだ。抱かれたいとは言っていない。しかし彼は彼女を抱くつもりでいたので、その感情をどこにぶつけたらいいのかわからず、もう一度ため息を吐いた。彼女は恋愛経験がなく、駆け引きなど考えもしない。だからこそ彼女の行動がいつもからかっている彼に対する抵抗ではなく、彼女がしたかった事をしただけに過ぎないとわかる。わかっていても今朝上手く丸め込んだと思っていたのに、結果がこれでは納得出来なかった。仕方なく彼は彼女を抱きしめながら、明日の夜の予定があれば適当に断ろうと考えていた。彼の予定はカイルが組んでいるので、朝聞くまで彼自身も把握していなかった。
翌日ジョージには会食の予定が入っていなかった。カイルがこの日は赤鷲隊で用事があるからと調整していたのだ。勿論戦時中ではないので赤鷲隊での用事など特にないが、隊務を知らない貴族達にはわからない。カイルは策略を巡らせたり見抜いたりする力はジョージに及ばないものの、ジョージの精神状態を見極める事に関しては右に出る者はいない。ジョージがライラとの時間が満足に取れず、苛立ち始める事は予測していたのである。
ジョージは久々の料理長の夕食に満足しながら隊員達と楽しく時間を過ごした後、寝室へと向かった。いつもなら先にライラがいるのだが今夜はいなかった。彼はこの状況を想定しておらずどうしようか悩んだ。彼女には今夜会食がないとは伝えていない。今夜は昨夜よりも早く寝室に行くとしか言っていなかった。
ジョージはソファーに腰掛けたものの何だか落ち着かず、立ち上がるとベッドへ寝転がった。静まり返った寝室に一人でいるのは寂しく感じる。彼は毎晩ここで先に寝かせて彼女に寂しい思いをさせてしまったなと少し反省をした。
二十分経過してもライラは現れなかった。ジョージが彼女に詳しく予定を言わないので、彼女もまた別段彼に予定は言わない。そもそも隊長夫人に仕事はないので、お互いその説明は必要ないと思っていた。彼は落ち着きなくベッドで何度も寝返りを打った。
ジョージが何度寝返りを打ったのかわからなくなった頃、部屋をノックしてライラが寝室の扉を開けた。彼女はノックをする事が癖になっているだけで、まさか先に彼がベッドの上にいるとは思わず、驚きの表情を向けた。
「どうしたの? 今夜は早くない?」
「今夜は昨夜より早いと言っておいたはずだけど」
「でも私も昨日のジョージより早いわよ。いつもよりは確かに遅いけど」
ジョージは起き上がってベッドに腰掛けると近付いてくるライラの腕を掴み、彼女をベッドに座らせて後ろから抱きしめた。
「何をしてたの?」
「サマンサ主催の晩餐会に出席しただけよ。少し話が盛り上がって遅くなったの」
「お茶会だけじゃなくて夕食も一緒なの?」
「お茶会は女性限定だもの。晩餐会は色々な人を紹介してくれるの」
ライラはジョージが忙しくなった事で、自分も王宮に出入りする貴族達の顔を覚えて、少しでも隊長夫人として彼を支えたいと思っていた。サマンサは今まで王宮の食事が合わなかったので晩餐会に出かけていたのだが、食事が戻ったので今度は招待してくれた貴族達を招く側になっていたのである。週に一、二回なのでライラも毎回参加していた。サマンサはお酒を飲まないので基本的に夜遅くなる事はない。今夜は偶然その晩餐会の日であり、宝飾品の話で盛り上がっただけである。
「色々な人って男性もいるの?」
「主催者はサマンサだから、サマンサに近付きたい男性もいるわよ」
サマンサにはまだ婚約の話がない。願わくは自分の妻にと心の中で思っている独身貴族男性は結構いるのである。サマンサは自分が他国へ嫁がされるだろうと予測しているが、そんな振る舞いは一切せず招待した全員に愛想よく対応していた。ジョージもサマンサの行動は理解したが、自分の知らない所でライラが男性と一緒に食事しているのは面白くなかった。
「ライラに近付きたい男もいるかもしれないじゃないか」
「私に近付こうとする人はジョージに近付きたいだけよ。私目当ての人なんていないわ」
相変わらずライラの自己評価は低い。ジョージは少し苛立って彼女を抱きしめる力を強めた。
「そんなわけないじゃん」
「そんなわけあるのよ。ジョージとの接点を持とうしている貴族は結構いるの。私は夫の予定は把握していませんから、カイルに聞いて下さいと全て流しているけど」
実際ライラはジョージの予定を把握していないので、彼に会いたいと言われても困るのである。だから彼女は嘘ではなく本当の事を言っている。しかし貴族達にはそうは聞こえない。彼女は夫に興味がない、そのような噂が静かに流れようとしていた。
「ジョージ、そろそろつま先が冷えてきたからベッドに入りたいわ」
季節は晩秋である。夜ともなると少し冷え込む。背中はジョージが抱きしめているから温かいものの、つま先は素足のままなのでライラは寒さを感じ始めていた。また彼女は彼の顔が見えないのが嫌だった。彼は彼女の膝裏に腕を入れると持ち上げてそのまま彼女をベッドへと横たえ、彼女の頭の左右に手をついた。
「どうしたの? 寝ないの?」
ジョージの様子がいつもと違う気がして、ライラは不思議そうに彼を見つめる。
「もう眠い?」
「夜だから眠いわよ。ジョージも休める時は休んでおいた方がいいわ」
「いや、俺はライラ程寝なくても平気だから」
そう言ってジョージは一旦身体を起こすとライラの横に寝転がり、彼女の首の下に腕を入れて彼女を抱き寄せた。彼女は微笑んで彼に寄り添う。軍団基地で一緒に寝ていた時はベッドが狭かった事もあり、彼がいつも抱きしめてくれていた。彼女は今夜そうしてくれるのだろうと嬉しそうに彼を見たのだが、そこにあった表情は硬かった。
「何日も夜遅くて悪かった」
「謝らなくていいわ。仕事だから仕方がないわよ」
「でも本来の仕事じゃない」
「それも仕方がないわ。ジョージが国の為に働くのは当然の事だもの。優秀な旦那様を持ってしまったが故の宿命と受け入れるしかないと、わかっているから」
ライラは微笑んだ。平和を維持する事はとても難しい、それは彼女もわかっている。帝国を叩き、レスター一派を追い出したらそこで終わりではない。次のレスターが生まれないように、しっかりと内政を固める大切な時期なのだ。公爵家に生まれ、外交官をしていた彼女は政治的な感性も備わっている。一緒にいる時間が短く寂しくても、今彼がしている仕事はレヴィの為になるのだから、我儘は言っていけないと理解を示していた。
しかしジョージにはその理解がありがたい一方、寂しくもあった。自分はこんなにもライラに触れたくて仕方がないのに、彼女はどこか割り切っている。昨日の朝までは寂しそうにしていたのに、昨夜で満足したのか今日は全く寂しそうにしていない。
「明日以降どうなるかはまだわからない」
「でももう少し待てばいいのでしょう? 戦争の時と違って毎日ジョージの顔は見られるから大丈夫」
ライラは微笑むとジョージに口付けをした。そして彼の胸に顔を埋めようとしたのだが、そんな彼女の顎に彼は手を当てると、自分の方に向けさせて唇を重ねた。何度も口付けを交わしやがて深くなっていく。久し振りの深い口付けに彼女は困ったような表情をする。彼はそれを少し不機嫌そうな表情で受け止めた。
「嫌?」
「嫌ではないわよ。だけど……」
ライラは言いよどんでジョージから視線を外す。そして言わなければと思いながら、なかなか言えなかった事を口にする覚悟を決めた。
「私はもう暫くジョージと二人がいいの。まだ海の向こうも行っていないし。だからそういう事は……」
ライラはジョージの視線から逃れるように顔を背けた。彼は嬉しそうに微笑むと彼女の耳に口付ける。
「ちょっ、話を聞いていた?」
「聞いてたよ。まだ妊娠したくないんだろう?」
「そう、だからこういうのはしない方が……」
「嫌だ」
ジョージはライラの頬に手を添えると再び深い口付けをする。彼女も本当は嬉しいので拒否する事も出来ずされるがまま、やはり彼には抵抗出来ないと内心諦めた。政略結婚の場合、出産は義務である。
「心配しなくても最初から対策してるから大丈夫だよ」
「ジョージも同じ気持ちなの?」
「俺はライラがいてくれればそれでいい。俺に跡継ぎは必要ないし」
「子供は要らないの?」
ライラは悲しそうな表情でジョージを見つめた。彼は彼女の不安を取り除くように微笑んだ。
「要らないわけじゃない。少しウォーレンが煩そうだなと思うだけで」
「この前ウォーレンに言われたわ。美男美女の子供が生まれたら、カイルの子供と結婚させると」
「相変わらずだな。カイルはまだ再婚してないのに勝手に話を進めてるのか」
ジョージは呆れ顔をした。ライラも微笑む。
「どうせ俺に似たらねちねち言ってくるんだよ。自分でやりたくない事をこっちに押し付けて文句を言うとか、頭はきれるけど人として正しくない」
「でもウォーレンはジョージに好意的よね。私もジョージのあの眼差しは好きだからわかるけど」
「ライラ、睨まれたいの?」
「違うわ。ルイ皇太子殿下とのやり取りの時のジョージがとても格好良かったから。ジョージと結婚出来て本当に良かった」
ライラははにかんだ。ジョージも嬉しそうに微笑むと唇を重ねる。
「でも今夜はもう遅いわ。寝るのが遅くなってしまうわよ」
「俺の事なら心配しなくていいよ。体力には自信があるから。それよりライラを抱けない方が精神的に辛い」
ライラは困ったような表情をしてジョージから視線を外した。
「いつもからかってばかりなのに、何故今夜は真剣そうな表情なの」
「俺の事で頭いっぱいにして欲しいから」
ジョージはライラが晩餐会に出席していると聞いて不安になっていた。彼女がいくら違うと言っても、好意を持つ男性がいないはずがない。赤鷲隊隊員達はあくまでも隊長の奥様として一線を引いて付き合っているからそこまで気にならないが、貴族男性はただの女性として見るに違いなく、それが不愉快だった。
「ジョージだけずるいわ。私もジョージに私の事で頭いっぱいにして欲しいのに」
「俺はいつもライラの事を考えてるよ。常に触れていたいし」
ジョージはそう言いながらライラの頬を撫でる。彼女は彼を見つめた。彼は愛おしそうに彼女を見つめている。彼女は恥ずかしそうに視線を外した。
「本当にずるいわ。ジョージは一度に色々な事を考えられるからその中に私の事もあるだけで、絶対私の事だけでいっぱいにならないでしょう?」
「それはお互い様だろ。それに俺が仕事を放棄してライラの事だけ考えるなんて、望んでいないくせに」
「確かに仕事はして欲しいわ。ジョージには果たすべき責任があるもの。でももう少し私の事も考えて欲しい。本当はずっと寂しかった」
ライラはジョージの寝衣の裾を弄んだ。言うのをずっと我慢していたけれど、余裕そうな彼が少し憎くて困らせたくなった。彼は優しく彼女の髪を撫でる。
「我慢させてごめん。カイルに調整もう少し上手くするよう言っておくから」
「ジョージも寂しかった?」
「寂しかった。特に昨夜、俺の顔を見てすぐにライラが寝たから、すごく寂しかったんだけど」
「昨夜は本当に眠くて、先に寝ようか迷っている時にジョージが来たから嬉しくて安心したの。でも起こしていいと言ったはずだけど」
「起こしたよ。起きなかったけど」
ジョージは不機嫌そうにそう言った。ライラは慌てる。
「そうなの? ごめんなさい。全然起こされた感覚がないわ」
「だろうね。俺が揺すっても全く反応しなかったから」
申し訳なさそうな表情のライラにジョージは口付ける。
「今夜も眠い?」
「今日は少し昼寝をしたの。だからまだ大丈夫」
「わざわざ昼寝したの? 夜更かしする為に?」
ジョージは意地悪そうな表情をライラに向けた。彼女は悔しそうな表情を彼に向ける。
「だって自分が起きなかったとは知らなくて。ジョージに気を遣わせたと思ったから、今夜はジョージがゆっくり休めるように出来たらいいなと思ったの」
「俺は別に睡眠不足じゃない。ライラ不足なだけだよ」
「またそういう事を言って」
ライラは悔しそうな表情でジョージの腕を軽く叩いた。彼は彼女の手を取り、手の甲に口付ける。
「愛してるよ」
そう言ってジョージはライラと唇を重ねる。彼女は嬉しそうに微笑んで頷いた。
「私もジョージを愛しているわ」
ライラは上目遣いでジョージを見つめる。二人の視線が絡まり、彼女の瞼が閉じると同時に彼は彼女に口付けた。